星に願いを


 雨上がりの晴れ渡る空を、不思議そうに眺めている少女がいた。
 湿気を含んだ風が、飛空挺を停めている草原から駆け上がってきて、少女が結い上げている深いエメラルド色の髪を揺らす。
 夜空を飾るは満天の星。
 ちりばめられた光の粒が帯を成し、天を流れる川を形成する。
「雨、上がってよかったな」
 ぼんやりと星々を見つめていた少女は、突然背後からかけられた声に目をしばたたかせながら振り返った。
「エドガー……びっくりさせないでよ」
「これでも10分前から私はここにいたんだけどね。ティナが余りに夜空に見入っているから声をかけにくかったんだ。少し妬いてしまうね」
 エドガーはいつも通りにウインク一つして、ティナに近付く。ティナはエドガーのこれは挨拶だと思っているため、全く気にしていない。
「昨日、カイエンから聞いた話が気になるのかい?」
「うん……単なるおとぎ話だってわかってるけど……。雨が止まなかったらどうしようって思ってた」
 恥ずかしそうに言ったティナに、エドガーは優しく微笑んだ。
 人ではない自分に悩み、人ではない故愛を理解できないと憂いた少女はもういない。抱いたことのない感情に戸惑いながらも、それを受け入れることができるようになった。全ては彼女を母と慕い幻獣の姿まで受け入れたモブリズの子供たちのお陰だ。
 自分が要因でないことが、エドガーとしては少し悔しいところだが、彼女の穏やかな表情を見ていると、そんなちっぽけなことなどどうでもよくなってしまう。
「ちゃんと会えたのかな……」
 ティナがぽつりと呟いた。織姫と彦星の事だろう。ドマに伝わる7月7日の伝説と行事を、昨夜の夕食でカイエンが話してくれた。
「勿論」
 これだけ晴れたのだから。エドガーが答えると、ティナは小さくはにかむ。
「きっと、君の願いが届いたんだよ。あれだけの雨が上がったんだ」
 単なる夕立だとか、そういう無粋な事はエドガーは言わない。
「よかった。雨が降ったら会えないまま1年も待つなんて、辛いよね、きっと」
 切なそうなティナに、エドガーもまた切なくなる。
 彼女と自分は違いすぎる。何かを分かち合いたいと思うのは、不可能なことなのか。
「この戦いが終わったら、私達も天の川を挟むことになるな」
 エドガーは自嘲の笑みを浮かべて呟いた。独り言のつもりだったが、思いの外大きい声になってしまったようだ。
「え?」
 だが、鈍感なティナには意味がわからない。エドガーはフッと笑みを漏らし、
「独り言だ。気にしないでほしい」
 言葉を濁した。だがティナは、
「それって、一年に一度しか会えなくなるってこと?」
 エドガーを上目遣いに見上げる。
「どうして?」
 ティナの深い海の緑をした瞳が潤む。エドガーは苦い顔になり諭すように言った。
「君はモブリズへ戻り、私はフィガロ城で政務に忙しくなる。今までサボっていた分と、世界をこれから立ち直らせなければならないからな。頻繁には会えないだろう?」
「みんな……バラバラなのね」
 ティナはしょぼんと俯いてしまう。
 子供のような素直な反応が、エドガーには新鮮過ぎて眩しい。
「それとも君は、私の元に残ってくれるかい?」
 いつもみたいにキザな口調じゃなく、静かに、ティナを真っ直ぐ見つめて尋ねた。
 彼女が困惑するかもしれないとは思ったが、言わずにはいられなかった。
「私が?」
 ティナはキョトンとする。天然ものの物わかりの悪さも、世間知らず故で純粋だからだ。汚れのない彼女の顔を見ていたら、彼女を求める自分がひどく浅ましく思えてくる。
「何でもない。愚かな男の戯言だ。気にしないでくれ」
 そう告げた。だが、ティナははぐらかされるのが好きではない。わからないものは全て知りたいのだ。
「エドガーはもしかして、私に会えなくなるのが嫌なの?」
 その事実を、ただそう思っている、それだけとして捕らえているティナだから聞けることだ。
「君には適わないな」
 エドガーは苦笑いするしかない。
「私も、エドガーやみんなと会えなくなるのは寂しいわ」
 ティナの言葉を受け、「皆ね……」その一言を呑み込む。
「エドガーも寂しいの? 王様なのに?」
「王というのは、孤独なものなんだよ。皆、王としての私を求める」
 エドガーは憂いを含んだ笑みをもらす。いつものキザったらしさはどこにもない。
「私達は違うわ。あなたの国民じゃないもの」
「ああそうだ。だから、辛くとも楽しい日々だった。全てが終わったら、私を王ではなくエドガーとして接してくれる者はいなくなる。……ああ、らしくもないグチをこぼしているな」
 エドガーは自嘲して己を鼻で笑う。こんな弱音を吐くなんて、ロックのことを馬鹿にできないな。
「エドガー……」
 ティナにもエドガーの言わんとしていることが、何となくだが分かった。弟であるマッシュも王族であることを捨てたのだからフィガロに留まりはしないだろう。エドガーも引き留めたくないと思っているはずだ。
 いつでも女性を楽しませようとサービス精神旺盛で、敵に立ち向かう時ですら余裕たっぷりに楽しんでいるようにさえ見えたのに……。
 ティナは、エドガーを子供のようだと思う。
 モブリズの子供達にも、人一倍元気で明るいと思っていた子が誰より寂しがりやだったりした。でも、モブリズの子供達はティナを母と慕っている。ティナでなければダメだ。だがエドガーは違うはずだ。
「きっと、あなただけを理解してあなただけのために存在してくれる人が現れるわ」
 ティナが言うと、エドガーは顔を歪めた。
「ティナ……織り姫と彦星は、何故一年に一度しか会えないのに、他に恋人を作ったりしないんだろうな」
 脈絡のない言葉に、ティナは首を傾げる。
「エドガーだったら、他の人にしちゃうってこと?」
 ティナの素朴な疑問に、エドガーは失笑した。
「まさか! だけど、私は誰か一人を想って独身を貫くことすらできないんだ。世継ぎを残さなければならないからね。私は自由気ままに見えるかもしれないけど、そうでもないんだよ」
「好きじゃなくても、結婚しなきゃいけないってコト?」
「そう。世の中にはそういう奴が結構いるんだよ。まず、誰かを好きになっても、相手は自分のことを好きにならないかもしれないしね」
 言われてティナはキョトンとした。彼女はそこまで考えたことがなかったのだ。やっと人に対して愛しいという感情が芽生えたばかりだから仕方がないのかもしれないが。
「もしかして、エドガー……誰か好きな人がいるの?」
 今更ながらにそうなのかもしれないとティナは気付く。
「おや、今頃気付いたのかい?」
 エドガーが呆れたように笑うから、ティナは少しだけムッとする。
「君のそういう顔もたまらなく魅力的だな」
「もう。はぐらかして」
「はぐらかしてるわけじゃないよ。ただ、年なのかね。臆病なのかもしれない。猪突猛進なロックが羨ましいよ」
 そんなエドガーは想像できないのだが……ティナは首を傾げる。
「その人は……エドガーのこと好きじゃないの?」
「全く、痛い質問だ」
 エドガーは額を手の平で押さえて呻く。
「そうだな。良くて友人だろうな。ああ、きっといい友人だ。彼女が望む限り、私はずっと友人でいようと思うよ」
「──────」
 ティナは正直驚いていた。軟派なことばかり言っているエドガーが、そんな想いを抱えているなんて思いもよらなかったのだ。
「諦めちゃうってこと?」
「そういうことじゃないけど、急ぎたくないってことかな。私は気が長い方だ。ロックとは違う」
 エドガーの言い様に、ティナはくすりと笑みをもらす。
「でも、セリスは幸せそうだわ」
「そうだな。あの二人はきっと幸せになるさ。そうあるべきだ」
「それって、エドガーは幸せであるべきじゃないみたいな言い方ね」
 ティナの突っ込みは意外に鋭い。エドガーは諦めがちな笑みを浮かべると、
「君が、幸せをくれるかい?」
 穏やかな口調で尋ねた。
 ティナはキョトンとして、不思議そうに首を傾げる。
「君が私を幸せにしてくれるかい?」
「私、が?」
 ティナはますますわけがわからないようだ。
「好きな人がいるんじゃなかったの?」
 本当にわからないのだろう。エドガーは思わず吹き出してしまう。
「な、何がおかしいの!?」
 ティナが慌てて怒るから、エドガーはそんな彼女を横目で眺めながら笑いをかみ殺した。
「ティナ、君のことだよ」
「─────────え?」
 ティナはぽかんとして呆気にとられた。しばしそのまま固まっていたのだが、
「えええ!!!」
 突然飛び退く。
「ちょっとそれは傷付くな」
「あ、ごめんなさい。だって、びっくりして……」
「いや、いいよ。言っただろ? 君が望む限り、私達は今と変わらない」
「………………」
 ティナは悲しそうに俯いた。突然すぎて、どうしていいかわからないのだろう。
「考えたことなかっただろ? そうやって、君が困るだろうから、言うつもりなんてなかったんだ。すまないな」
 エドガーの謝罪に、ティナは首を横に振る。
「私が……断ると、エドガーは織姫と彦星より辛い思いをするのね」
「君のそういう優しさは残酷だ。私の気持ちなど推し量らなくていいんだよ。君の心が、もし私を求めるようなことがあったら、私の元へ来なさい。いつでもいい」
「………………」
 なんて強い人だろうとティナは思う。だけど、自分の気持ちなんてわからない。自分がそんな風に想われるなんて想定したことがなかった。人じゃないから。もしかしたら、魔法の源・三闘神を倒してしまったら自分は消えてしまうのかもしれないのに。
 何故かたまらなく切なくなって、涙が不意に溢れた。
「ああ、泣かないでくれ。そんなつもりで言ったわけじゃないんだ」
 エドガーが悲しそうな声で言う。ティナはいやいやをするように首を横に振った。
「わからないの。わからないの……」
 嗚咽混じりに呟く肩が震えている。
「わからなくてもいいんだ。無理しないでいい。こういうのは仕方がないんだ。ティナが私を気遣う必要などないんだから」
 エドガーは幼子にするように、そっとティナの背を撫でてあげる。
「いつか、君も誰かを、誰か一人、特別な人を愛したとき、きっとわかる」
 優しい優しい言葉に、ティナの切なさは増すばかりだ。
 何故こんなに苦しいんだろう。エドガーが自分にとって大切な人であることは確かだ。その大切な人に、ある部分では決して答えられないからか。それとも……。
 ティナは耐えきれなくなって、泣きながらエドガーの胸に飛び込んだ。
「……泣きたいだけ泣いてしまった方がいい。そして忘れてしまえばいいんだ。私は決して不幸なだけではないんだから」
 止め処なく涙を流し続けるティナを、エドガーはそっと包み込むように抱きしめた。壊れ物を扱うように優しく、柔らかに。
「君が涙を流してくれた事は忘れないから。今は、泣きなさい」
 穏やかな声に包まれながら、もし、もし、自分が生き残ることができたら……ティナはぼんやりとそう思った。

 

†  †  †

 

 子供達も寝静まった夜半、ティナは、一人星を眺めていた。
 あの日、一年前と変わらぬ晴れ渡った夜空。
 ケフカを倒した後、死にはしなかったものの、体調を崩して、モブリズで子供達と静養を兼ねて暮らしていた。
 生き残ることができたら、伝えようと思っていたことがあった。
 だけど、半日動けば三日寝込んでしまうような状態で、何を言えよう。
 今月に入って、やっと人並みの生活に戻れるようになった。
 たまに旅をしているロックとセリスや、飛空挺でセッツァーが様子を見に来てくれるが、エドガーとは会っていない。
 勿論、身体の弱ったティナが会いに行くことは不可能だったし、エドガーも逆に気を遣ったのだろう。忙しい事もあるのだろうが、姿を見せなかった。
「織姫と彦星は、今年も会えたのね」
 呟いて笑みをもらす。
 今の生活は幸せだ。ディーンとカタリーナの子供も産まれて、みんなにとても可愛がられている。人間の赤子があんなに小さくて弱々しいものだなんて知らなかったティナだが、それをとても愛しいと思う。
「こんなに幸せなのに……」
 何かが足りない。
 それをわかっている気もしたし、よくわからない気もする。
 この気持ちはどこから来るのだろう。
 この想いが恋だというのか───。
 見上げる星空は瞬きが広がり吸い込まれそうな気がしてくる。
 心細いと感じる。
 エドガー……彼も、もしかして星を見上げているのかしら。
「今年も、晴れたな」
 彼の声が聞こえてきそうな気がした……?
「え?」
 振り返ると、薄い笑みを浮かべたフィガロの王様が立っていた。
「どうして……」
 ティナは呆然とする。
 会いたかったような気がするのに、こうして目の前に立たれると恐いと思った。
「天の川を挟むことになるって言っただろ? なんて、君と会えなくなって丸一年というわけじゃないけどな」
 エドガーはいつもの余裕たっぷりの笑みで笑う。
 だが、少しやつれたかもしれない。世界崩壊のせいで未だ貧困に苦しむ人がたくさんいるという。勿論ティナ達だってかなり質素な生活だ。王であるエドガーは大変なのだろう。
「君の調子が良くなったとセッツァーに聞いてな。近くまで乗せてきてもらったよ」
「そう……」
 ティナはどう反応すればいいかわからない。変に意識してしまっている。なんだか自分じゃないみたいだ。
「浮かない顔だね。どうかしたかい? レディ」
 エドガーが茶目っ気たっぷりに言った。勿論わざとだろう。
 ティナは小さく吹き出して、
「何でもないの。エドガーも色々大変なんでしょう?」
「まあね。だが、私が投げ出してしまうと、国民を見殺しにすることになる。見捨てたりできないさ。なんだかんだ言って、マッシュも少し手伝ってくれてるしな」
「良かったわね」
 穏やかに微笑んだティナに、エドガーは少し寂しそうな表情をする。
「何だか君は落ち着いたな。随分大人っぽくなった」
「ううん。ふせってばかりいたから、落ち着いて見えるだけじゃない? それに元々、私って無感動だったから余り変わらないかも」
「そういう意味じゃないよ」
 エドガーは呆れて苦笑いを浮かべる。
 普通に話せる。そのことが、ティナにはとても嬉しい。
「七夕に、何か願ったかい?」
「子供達に教えてあげて、短冊を付けたわ。竹をセッツァーがドマから持ってきてくれたの」
「君は? 何を願った?」
 エドガーの深い青の瞳が優しく揺らめく。ティナは一瞬言葉に詰まったが、
「……あの時伝えられなかったことを、伝えられるように」
「あの時?」
 彼女が何を指しているのか、エドガーにはわからない。
「1年前。本当は……まだ……自分でもわからないの。……でも、多分…………できることなら、エドガーと一緒にいたいと思う」
 ティナの辿々しい言葉に、エドガーは大きく目を見開いた。自分が耳にした台詞が信じられなかった。
「ティナ……?」
「ずっと、考えたの。考えても、考えても……よく……わからない。でも、そう思うの。もしかしたら、あなたの望んでいるものとは違うのかもしれない。だって私にはわからないの。違いとか」
「ティナ───ずっと気にしてくれたのか───」
 エドガーは弱々しい笑みを浮かべる。ティナは何故彼が悲しそうなのかわからない。
「あの、迷惑だった?」
「いや、そんなわけはないよ。ただ、信じられないだけだ。星に願うことすら、許されないのだと思っていた───。君は、モブリズを捨てられないだろうしね」
「それは…………」
 そうだ。エドガーと一緒に行くということは、モブリズを出るということだ。
「それに、もしかして、私を憐れんでいるんじゃないか? 一年前、柄にもなく弱音など吐いてしまった」
「憐れむ? どうして?」
 ティナはキョトンとする。こういう表情はやけに幼げで変わらぬ彼女に見えた。
「憐れんでなんかいないわ。あなたが可哀想だと思ってるわけじゃないもの。そうじゃなくて、私が傍にいて元気づけてあげたいと思うの……。一緒にいて、そして、あなたに何かしてあげたいの」
 懸命に想いを綴るティナを、エドガーはたまらず抱きしめた。
 ロックじゃあるまい。そんな態度、自分らしくないと思ったが、自分の枠に填めて決めつける必要などない。彼女の前では王である自分を作る必要などない。
「エ、エドガー……?」
 ティナはびっくりして戸惑っている。
「いや、すまない」
 エドガーは苦笑いして彼女を解放すると、
「私は一刻も早く君を迎えに来れるよう、国を立て直すよ。比較的フィガロの被害は薄い。ドマの復興支援の方が大変そうだ。君はいたいだけここにいればいい。私が会いに来るから」
 穏やかに言った。ティナは複雑な想いで、
「……私にとっては、ここの子供達も大事な人なの……」
 そう呟く。
「ああ、知っている。無理に連れ去ったりしないから心配しなくていい。一年前も言っただろ? 君の望むがままに」
「エドガーは私が傍にいなくても平気?」
 彼女は子供のようにエドガーを見上げる。自分は行くことができないといいながら、ワガママな事を言う。
「君が無理してここを離れるよりはよほどいい。言っただろ? 私は気が長いんだよ。これでも」
「ありがとう……」
 これからどうなるかなんてわからない。
 でも、できることをして前に進むしかないのだ。
 二人で共に過ごせる日が来る事を、星に願って───

 

・ fin ・

 

■あとがき■

 遅くなりましたが5000Hitありがとうを込めて、七夕記念で初のフリー創作です。しかも初エドティナです。お持ち帰りたい方はこちらをお読み下さい。(欲しいなんて人はいないかしら───)
 たまには短編をと思ったんですが、結局長い……すいません。いつも重いです(それは画像のせいもあるけど)。連載じゃ持ち帰るの大変だし。自分のデスクトップに落とす方は、別にフリーのものじゃなくても、著権法に触れないので全く構いません。
 ところで、私の書くエドガーは『遙かなる時空の中で』の橘少将みたいな口調。イメージが被るのかもしれません。大体、後半は加える予定はなかったのですが、なんだか中途半端に終わってしまうので、入れてみました。どうでしょう?
 次はロクセリVerも書きます。違う雰囲気ですので。でも、「草原」や「丘の上」に似たものになるかも。あしからず。 (03.07.05)

 

 現在はフリーという扱いをしていませんのでご注意ください。転載禁止となっています。(20.9.21)

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