一角獣の見る夢


 一角獣──ユニコーンは、清廉なる純潔の乙女を好む。
 伝説の中にしか存在しないお伽噺の美しい獣は、森の精霊であり守護者。
 滅多に人前に姿を現さない一角獣を見た者は幸福になれると言われている。しかし見初められた乙女は連れ去られてしまうそうだ。
 その純白の身体に示されるように一角獣は汚れを知らず純粋で、その純粋さに見合うだけの潔癖なる乙女を求め夢の森を彷徨う。
 夢で一角獣に出会った乙女は、いつしか現実でも一角獣に巡りあうだろう。
 一角獣は見る人によって姿を変えると言う。もし出会うことがあったなら、君の目にはどう映るのだろうか───

~・~ 賢者ラシーン著『精霊の書』より ~・~

 

†  †  †

 

 ケフカを倒し世界に平和を取り戻した後、ロック達は様々な町の復興を手伝って回っていた。
 現在、逗留(とうりゅう)しているのはコーリンゲン──ロックの生まれ故郷だ。
 ケフカを倒して半年が過ぎた。その半年の間に、サウスフィガロとナルシェ、ジドールの復興を手伝った。コーリンゲンで四箇所目ということになる。
 復興の資金を捻出しているのはフィガロ王エドガーで、苦しいながらに唯一まともに機能している国家として世界中平等に支援を行っている。
 そんな中、ロックは故郷の復興ということで人一倍はりきっていた。最もはりきっているのは個人的なことなのだが、ロックの生家──レイチェルの遺体を保管していた家──を空いた時間に手直ししているのだ。
 住める段階になったらセリスにきちんと気持ちを告げるつもりだった。
 互いの気持ちはわかっているつもりだが、言葉での確認はまだできていない。ケフカを倒した時点で言うことも考えたが、「これからのこと」を考えると、拠点となる家を持ってから言いたかったのだ。生涯を共に過ごしたいという決意の現れとして。
 修理はほとんど終わっていた。あとは掃除をして内装の手入れをすれば終わりだ。
 ロックは浮かれた気分で、セリスと暮らす自分を想像していた。気持ちが通じ合っていると信じて疑わなかったから───


 内装はセリスと決めようと思い、生家の掃除を終えた翌日、ロックはセリスの姿を探していた。
 復興の方も目処(めど)が立ち、明後日には出発することになっている。今日中にセリスに気持ちを告げたかった。
 しかし彼女の姿は見あたらない。昼飯時に寝泊まりしている飛空艇に戻ってもどこにも姿が見えない。
「なあ、セリスはどうした?」
 すれ違ったマッシュに尋ねると、マッシュは首を傾げて答えた。
「さあ……。ロックは家の修理に忙しかったから知らないだろうけど、セリスは最近よく姿を消すんだよな。本人曰く、森に行ってるらしいけど」
「森?」
「ああ。なんだか、すごい出会いをしたとかしないとか……」
「出会い!?」
 ロックは仰天して叫んだが、マッシュは困ったように笑う。
「詳しくは俺も知らないんだ。出会い云々(うんぬん)に関してはリルムから聞いただけで」
「んで、そのリルムは?」
「どっかで絵でも描いてるんじゃないか?」
「そっか。サンキュな」
 ロックは軽く片手をあげると飛空艇を出た。
 復興に参加しているメンバーは、ロック、セリス、マッシュ、リルム、セッツァーの五人だ。ティナはモブリズで子供達と暮らし、エドガーはフィガロ城で王としての勤めを果たしている。ストラゴスは年だということでサマサに引っ込んでおり、カイエンはドマの復興専属で帰郷、彼についてガウも一緒に行っている。
 リルムの姿を探そうかとも思ったが、どこにいるかわからない者よりもいる場所の見当がついたセリス本人を捜した方が早いかと思いコーリンゲンの外れにある森へ向かう。南東にある小さな森は、コーリンゲン砂漠からの砂嵐を防ぐ防砂林としての役割も果たしている。コーリンゲン砂漠までは多少距離があるが、強風の時には風にのって大量の砂が運ばれてくるのだ。
 ロックは小さい頃から慣れ親しんだ森に入り、セリスの姿を探して歩いた。
 この森は通称「ユニコの森」と呼ばれている。「ユニコ」とはコーリンゲン周辺では一角獣(ユニコーン)の子供のことだ。
 ロックの祖母がまだ小さい頃は、森の守護者である一角獣(ユニコーン)の子供を見たというような話もあって、昔からそこに住んでいると伝説になっていると聞いた。砂が吹き付けてきても枯れることのない不思議の森であり、コーリンゲンの者にとっては神聖な森だった。
 森へ入ってしばらくすると人の気配がした。
 セリスだろうか……。しかし森で一体何に出会ったというのだ? ───まさか、伝説の一角獣(ユニコーン)
 木の陰から一歩踏み出そうとして向こう側にいた人物が目に入り、ロックは固まった。
 一人はセリスだ。プラチナブロンドの真っ直ぐの髪をした背の高い女性など、濃い色の髪が一般的なコーリンゲン村にはいない。
 そして、セリスは一人ではなかった。もう一人、セリスより10㎝は背が高い男性が一緒だった。線の細い白髪の男はロックより少し若いぐらいか。人間離れしたほどに美しい顔立ちをして、線は細く中性的だ。銀の縁取りの白いローブを身に着けている姿は余りに浮世離れしている。
 すごい出会いって……男!?
 ロックは頭の中が真っ白になって動けなくなるが、はたと気付く。あんな男は見かけたことがない。あれほど目立つ容姿ならば知らないはずもないだろう。旅人にも見えない。
 では何者? 不思議に思ったとき、セリスが男性の胸に飛び込んだ。
「!!!!」
 思わず声を上げそうになって息を飲んだ。
 相手が一体誰であれ、セリスが自らそんなことをするなんて───それが何を意味するのかなんて理解したくなかった。
 男は静かにセリスの背に腕を回す。恋人同士の仕草に、ロックは頭がガンガンしてきた。なにがなんだかわからない。あの男は一体なんなのか。セリスはあの男に惚れているのか。様々な疑問が浮かび上がり、息が詰まりそうだ。
 声も出せず、指先一つ動かせずにいると、男が首を動かした。ロックの方に顔を向け、視線がばっちりと絡まる。
 見つかった!
 ロックは焦ったが、男の方は顔色一つ変えず、ただ冷たい青銀の瞳でロックを見つめた。その視線に耐えきれず、ロックは身を翻した。音を立ててしまいセリスが気付いたかどうかも気にする余裕はなく、ただひたすらに入って森を抜けた。
 飛空艇近くまで戻ると、肩を上下させて呼吸を整える。
「なんで逃げてんだよ……」
 ちくしょうと小さく呟いたものの、これからどうすればいいかまったくわからなかった。

 

†  †  †

 

 それは数日前のことだった。
 復興に目処(めど)が付いたため時間を持て余したセリスは近くの森へ散歩に来ていた。
 ロックは生家の修理で忙しいし、リルムは絵に没頭しているし、なんだか手持ちぶさただったのだ。
 そして不思議な生き物に出会った。
 馬そっくりの真っ白い身体。長い(たてがみ)。そして額に伸びた銀の角。初めてそれを見たとき、余りの美しさにセリスは声を発することもできなかった。
 どこからどう見ても伝説上の生き物である一角獣(ユニコーン)に見えた。だが魔力の消えた今、幻獣はもういない。それに幻獣のような力強さを纏ってはおらず、穏やかな神聖さに溢れていた。この一角獣(ユニコーン)は幻獣ではなく……なに?
 戸惑っているセリスに、一角獣(ユニコーン)は声をかけてきた。
「娘……名はなんという?」
 しゃべることもできるのだ。セリスは導かれるように答えた。
「セリス……です。セリス・シェールと言います」
「そうか。セリス……良い名だな。天の花を意味する言葉だ。美しき乙女に私の名を明かそう。私はレイデルナーセル。この森を護る精霊」
「精霊……!」
 やっと一角獣(ユニコーン)の存在が理解でき、セリスは納得した。よく考えてみれば、幻獣でもない不思議の生き物ならば精霊以外にない。
「そう。己に厳しい真っ直ぐな心美しき乙女。私はお前のような乙女に巡り会うことを待っていた」
「……私…………?」
 乙女などと呼ばれたことのないセリスは、恥ずかしくなって頬を染める。伝説では一角獣(ユニコーン)は処女を求めるはずだ。だが……セリスは処女ではない。まだ駆け出しの兵士の頃、魔法もろくに操れなかったセリスは横暴な男達に陵辱されている。
「私は……乙女なんかじゃ……」
 消え入りたい気持ちで呟いた。一角獣(ユニコーン)はそういったものも嗅ぎ取るのではないのだろうか。セリスが困惑しているのに気付いたのか、一角獣(ユニコーン)はフッと笑みを漏らしたような気がした。
「乙女とは概念的なものを言うのではない。人間(ヒト)の概念による乙女を指したわけではないんだよ」
「そ、そうなの……?」
「そうだ。少なくとも私達はその高潔な魂を持つ女性を指して言う」
 高潔などと言われるとやはり気恥ずかしいが、それでも一角獣(ユニコーン)にそう言われると不思議と受け入れることができた。普段、自分に自信のないセリスだから、そう言われたことがとても嬉しかった。
「どれほど肉体を怪我されようと、高潔でありつづける魂に惹かれたのだ」
 普通の人間に言われたら「そんなことない」と否定してしまっただろう。相手がヒトでないから、素直に受け取れた。
「ありがとう」
「礼を言う必要はない。真実を述べただけだ」
「でも嬉しかったから」
「それはよかった」
 レイデルナーセルの口調は他人行儀とうか冷たい感じを受けるものだが、何故かセリスには優しく響いた。その美しい声にはその口調が合っているからなのか、口調の割には柔らかい印象だ。
 セリスは思いきって近寄ると、手を伸ばしてみた。レイデルナーセルは避けもせず、セリスが鬣に触れても何も言わない。それどころか首をすり寄せてきた。
 贖罪のために復興を手伝っているけれど、幸せになりたいなんて思わないようにしているけれど、セリスは触れ合いに餓えていた。生き物の持つ温かさに、思わず涙が零れそうになった。

 これがセリスと一角獣(ユニコーン)の出会いだった。
 それから毎日、セリスはレイデルナーセルに会いに行った。
 それだけで清浄な生き物だからなのか、レイデルナーセルといると、セリスの心はとても洗われた。不安を感じることも、罪の意識を感じることもない。安らぎを超越したような穏やかさがそこにあった。

 

†  †  †

 

 昼間、セリスの密会を見てしまったロックは、食欲もなく夕飯の時に皆にひどく心配された。
 セッツァーだけはいつもの減らず口で、
「変なもんでも拾って食ったんじゃねーの?」
 などと言っていたが、やはりおかしいと思っていたのだろう。
「悪い。食欲ないんだ」
 そう言ってロックが早々と部屋へ引き上げると、セリスを見て真面目な顔で尋ねる。
「何かあったのか?」
「さあ? 私は知らないわ」
「違うのか」
 セッツァーの呟きに、セリスは「何が?」と問い返す。
「いや、あいつがあんなに暗いなら、セリス絡み以外ないだろうと思ってな」
「……全然知らないの。……本当に、どうしたのかしらね」
 ロックがいつもと違うなんてなんだかひどく不安になり、セリスも食欲がなくなってしまう。
「心配なら聞いてくれば~?」
 リルムはいとも簡単に言ってくれたが、なんだか話したそうな雰囲気でもなかった。かと言ってこのまま放っておくのは更に憂鬱で、
「でもそうね。聞いてくるわ」
 一足先に夕食の席を立ったセリスは、ロックの部屋へ向かった。

 セリスは別段普段通りだった。ロックを避けているわけでもない。だけど以前よりもいい表情をするようになった気がする。
 あの男に出会ったから───?
 何度考えても同じところに辿り着き、ロックは答えのない───答えなど出したくない迷宮を彷徨う。
 ベッドに寝っ転がり、しかし眠ってしまうこともできずにいると扉が鳴った。
「……なに?」
 かったるそうに返事をすると、そおっと扉を開けたのはセリスだった。
 ロックは慌てて身体を起こす。
「なんだ、どうした?」
 灯りも点けないでいる部屋に足を踏み入れたセリスは、後ろ手に扉を閉めた。ロックは急いで灯りを点す。
「う、ん。ちょっと様子が変だったから、心配で……」
 彼女の言葉に、ロックは皮肉なものだと思う。理由など言いたくもない。
「何かあったの?」
 心配そうな表情を浮かべて近付いてきたセリスに、ロックは逡巡したものの意を決して尋ねた。
「いや。……今日、森で会ってたのは……」
「! 見てたの?」
 困ったような彼女の口調に、ロックは溜息をつきたくなるが辛うじてそれを飲み込む。
「ああ。お前を捜しててな」
「……三日前に森で出会ったの。あの森の守護精霊よ」
 セリスの答えに、人間離れした美貌や雰囲気を思い出して納得する。精霊ならば見たことがない者で当然だろう。
「でも、一角獣(ユニコーン)って、余り人に姿を見られるのを嫌うんじゃないのかしら……。ロックの心も綺麗だから?」
 続けて言ったセリスの言葉に、ロックは眉根を寄せた。
一角獣(ユニコーン)?」
「そうよ。だから見たんでしょう? 綺麗よね。幻獣達も美しかったけれど、違った美しさだわ。もっと儚い……」
 男と会っていたのを隠しているのか。ロックが見たと言っているのに隠す必要があるのか。それともどちらかの勘違いなのか。ロックは正直に言った。
「………………俺が見たのは、ヒトと同じような姿をした異様に綺麗な男だった」
「え? 何言ってるのよ。私は男の人と会ってなんかないわよ。確かに彼──レイデルナーセルは綺麗だけど……真っ白な鬣とか」
 セリスは嘘をついているようには見えなかった。では何故話が噛み合わないのか?
 ロックは祖母から聞いた伝説を思い出す。一角獣(ユニコーン)は見る者によって姿を変える───。
 セリスには異性として警戒されないために獣の姿で。ロックには牽制するためヒトの姿を見せた?
 とするならば、セリスは一角獣(ユニコーン)に見初められたということになる。
「レイデルナーセルといるとね、不思議と心が落ち着くの。ほら森の香りって気持ちが落ち着くじゃない。あれがもっと強い感じかしら」
 穏やかに話すセリスに、ロックは先程までより強い不安を募らせる。
 本当に彼女が一角獣(ユニコーン)に見初められたとするならば───彼女は連れて行かれてしまう?
「それに……私を汚れてなんかいないって言ってくれたの」
 少しだけ悲しそうに言うセリスは痛々しい。
 ロックは「俺だってそんなこと思っていない!」思わずそう叫びたくなる。
 彼女が昔酷い目に遭ったことは聞いている。だからと言って彼女が汚れているなんて思ったことなど一度もない。
「──────」
 言葉が出てこず、ロックは俯いて己の膝を見つめた。太腿の上で拳を握り締める。
「なあ……」
「ん?」
「ここに、残りたいか?」
「えぇ?」
 何のことかとセリスは目を丸くする。
「その……一角獣(ユニコーン)と一緒にいたいか?」
「一緒にいたいかって、私達は復興巡業の途中じゃないの」
 あっさりと言われてロックはホッとしたものの、本当にセリスを見初めたのなら一角獣(ユニコーン)がそれで済ましてくれるのかと思う。
 しかしセリスはそんなロックの心中など知らずに、全然関係ないことを尋ねてくる。
「ロックは家の修理終わったの?」
「あ、ああ」
「……レイチェルさんの逝った場所だもんね」
 セリスの言葉にロックは驚いて顔を上げた。あの家をそんな風に考えたことはなかった。なかったけれど、セリスがそう考えているのだとしたら、あの家で暮らすなんて嫌かも知れない。
 様々な想いがぐるぐると交錯し、どうしていいかさっぱりわからくなっていた。そんなむっつりと黙り込んでしまったロックを見て勘違いしたのか、セリスは居たたまれなくなって無理矢理笑みを浮かべる。
「なんかごめんね。寝てたとこ邪魔しちゃって」
 慌てて去ろうとするセリスを、ロックは引き止めようと思ったのだが引き止めたところで何を言えばいいかわからない。
「ああ。おやすみ」
 そう言って送り出すことしかできなかった。


「愚かな男」
 嘲笑うような声に、ロックは目を覚ました。
 寝惚けてうっすらと目を開けると、ベッドの傍らがぼんやりと白く光っている。驚いたロックは飛び上がらんばかりの勢いで跳ね起きた。
「今のお前に彼女を幸せにできるはずもない」
 そう言葉を発したのは、昼間森でセリスといた男だった。
「……一角獣(ユニコーン)? 森の守護精霊?」
 神聖なる存在を傷付けることもできず、ロックは歯がゆい思いで男を見つめた。
「彼女は私がもらってゆくよ」
「なっ……!」
「止められまい。これからもこの森を守護してほしいのなら」
 それは脅迫だった。神聖なる存在にあるまじき言葉だと思う。
 だがロックは知らないが、精霊は神ではない。聖なる存在でもない。自然と共にあり自然の化身でありながら自我と力を持つ不可思議な存在だ。
「私達精霊は孤独な存在だ。孤独であり続けると消えてしまう。本来はまだまだ力が保つはずだが、(さき)の世界崩壊で力が大分弱まった」
 レイデルナーセルにも事情があるのだと知っても、納得などいくはずがない。
「…………でも、でも! セリスはそれを望んでいるのか? 彼女の気持ちはどうなる?」
 セリスは復興を続けるつもりだと言っていたのだから。
 しかしレイデルナーセルの返事を聞いて驚愕した。
「自分が私といることでこの森を、そしてコーリンゲンを護ることになるのならと承諾してくれたよ。私と結婚すれば、彼女も精霊となる」
 息を飲んだロックだが、事情を知ったらセリスに断れるはずない。
「ただ彼女は、君を心残りだと思っているようなのでね。断ち切ってもらおうと思って来た」
「ちくしょう……」
 弱々しく呟いたロックを無視し、レイデルナーセルは静かな笑みを湛え続けた。
「幼い頃森で遊ぶお前を見た。コーリンゲンの出身であるお前に、コーリンゲンの人々を苦しめることなどできまい」
「どうして、どうしてセリスなんだ……」
 途方に暮れているロックを残し、
「では、邪魔をした」
 レイデルナーセルはその場から姿を消した。


 セリスが他の男のものになってしまう───
 その事実にロックは打ちのめされていた。
 相手が精霊であるとかそういうことは微塵も慰めになりはしない。ただ彼女に二度と会えないかもしれないそれだけで全てが闇に包まれていく。
 未来のすべてをセリス中心に考えていた。彼女は自分を選んでくれるものだとばかり決めつけていた。
 もっと早くに愛を告げるべきだったのか。それとも脅されている以上結果は同じか───。
 セリスを失うということは、ロックにとって絶望だった。
 胸に痛みに涙が幾筋もこぼれ落ちる。ただ泣くことしかできない自分が歯がゆく情けなく、どうしようもなかった。

 

†  †  †

 

 頬の冷たさに気付き目を覚ましたロックは飛び起きた。
「さっきのは……夢……?」
 レイデルナーセルが現れたのは夢だったのか。それとも彼がロックの夢に侵入してきたのか。
 事実はどうでもよく、ただ夢の中のように何もできずに泣いていることはできなかった。
 セリスがいることを確かめたい!
 居ても立ってもいられず部屋を飛び出した。
 ノックも忘れてセリスの部屋のドアノブに手を掛けた。カチャリと扉が開く。鍵を掛けていないなんて不用心だ。それとももう連れて行かれてしまったから? ゾッとして部屋に転げるように飛び込む。
 セリスはベッドの上で眠っていた。その姿を確認したロックは、盛大な溜息を吐きだしてそっと扉を閉める。
 ベッドに近付いて傍らに膝をつく。そしてゆっくりと彼女の頬に触れた。温かい。幻などではなく、彼女はここにいる。
 セリスのすべやかな頬をそっと撫でた。薄暗い中に浮かび上がる彼女の白い肌は透き通って美しい。
「お前を……失いたくない……」
 愛しさが込み上げて、同時に涙がセリスの頬に落ちた。
「ん……?」
 セリスの長い睫毛が震える。そして金の睫毛を揺らしそっと瞳を開けた。
「……ロッ……ク……?」
 ぼんやりとした焦点の合わない目。寝惚けた表情も可愛いと思う。
「……ロック? どうして……?」
 驚いて目が覚めたのか、彼女は氷色の目を見開く。ロックは涙を拭って答えた。
「夢を見た」
「……夢……? ああ……そういえば、私も見ていたような……」
 セリスは首を傾げながら身体を起こした。
「お前がレイデルナーセルに連れて行かれたかと思って、確かめずにいられなかったんだ」
 彼女の手をぎゅっと握り締めて呟くロックに、セリスは悲しげな表情になった。
「そうだわ。レイデルナーセルの夢を見たんだわ……」
 彼女の表情を見てロックは悟る。恐らくレイデルナーセルは夢でセリスを脅迫した。
「ロック……私……」
 彼女が何を言おうとしたのかわかってしまい、ロックは咄嗟に彼女を抱きしめた。
「だめだ!」
「え?」
「たとえ何が犠牲になろうと、お前を失うことはできない……」
 震えるロックの声にセリスは驚愕して目を見開いた。
「何を言って……」
「たとえコーリンゲンを守る防砂林が消えてなくなろうと、俺はお前を失えない」
 掠れた声は彼の切実さを如実に表していた。
「……で、も……私は……」
「全てを捨てて俺だけのために生きてくれなんてお前にとって負担なのはわかってる。ただでさえ罪悪感ばかりを背負っているんだから」
 力強く抱きしめられ、セリスはろくに息もできない。
「でも、俺はお前のいない世界に生きるなんてできないんだ……」
 己の言いたいことを吐き出したロックは、セリスを強く抱きしめすぎたことに気付き「悪い」と少しだけ腕に入れていた力を緩める。
 セリスは(まなじり)に涙を浮かべていた。
「あなたが……そんな風に想ってくれていたなんて、本当に、本当に嬉しい。……多分、今まで生きていた中で一番嬉しいわ。でも……」
「お前がレイデルナーセルを選ばなかったとしても、それであの森が荒廃してしまったとしても、それはお前のせいじゃない。人身御供なんて、それで存続した森に価値なんてないよ……」
 どれほど愛を告げたところで、どんな正論で説得したところで彼女が頷いてくれるとは思えなかった。幸せになることすら抵抗を感じる彼女だ。罪の意識はそれほどに根深い。
「もし……もし、お前がそれでもレイデルナーセルを選ぶと言うのなら、俺はあの森に住むよ」
「……え?」
「お前が精霊になって、二度と俺と会うことがなくなっても、お前がここの森にいるのは確かだから……少しでも傍にいたいから……」
 引き止めようと思って駆け引きを口にしているつもりはなかった。ただ心からそう思って、ロックは自分の望みを吐露しただけだった。だがセリスはひどく驚愕して、ロックを凝視した。
「何を言って……」
「本当は修理していた家に暮らそうって言うつもりだったんだ。勿論今すぐじゃない。復興の旅が終わったら、二人で暮らそうって言おうと思ってた」
 考えもしなかった未来がセリスの頭の中に浮かび、慌ててそれを振り切る。
「レイデルナーセルを殺してでも、お前を引き止めたいけれど……お前は一生悔やむだろうからな。生活の苦しくなっていくコーリンゲンの村を見る度に」
「………………」
 何故ロックにはなんでもわかってしまうんだろう? そんな疑問を持ったセリスは、ロックがずっと彼女を見つめていたことなど知らない。
 どうしていいかわからないといった表情で自分を見つめてくるセリスに、ロックは切なさと愛しさが入り交じり溢れ出す気持ちが止まらなくなる。
「やっぱだめだ……」
「え?」
「誰にもお前を渡したくない」
 呟きと共に唇を塞がれ、セリスは頭の中が真っ白になった。
 だけどついばむような口づけの心地よさに、理性も思考も全て奪い去られていく。
 ロックの激しい情熱にさらわれ、セリスは夢と現の境を彷徨った。

 

†  †  †

 

 夜中に起きたせいだろうか。セリスが目覚めたとき、ロックはまだぐっすりと眠っていた。
 真夜中に起きたという点ではセリスも同じだが、何故かすっきりと目が覚めた。今日が特別な日だから?
 傍らのロックの寝顔が妙に幼く感じられる。
 愛されることの喜びを知ってしまったけれど、恐らく拒むべきだったのだろうけれど───
「私はそんなに強くないの」
 儚げに微笑んだセリスは、ロックの頬に口づけを落としてベッドを出た。
 どんなに深く想い合っていようと、コーリンゲンの人々を苦しめるわけにはいかない。ロックにも辛い思いをさせることになるのはわかっているけれど、セリスに自分の幸せを選択することはできなかった。
 決心を固めて森へ向かう。
 いつもの場所でレイデルナーセルが待っていた。
 今日は人の姿をしている。昨晩の夢で初めて見たのだが、すぐに彼だとわかった。纏う空気が同じだから。人とは異なる清浄な空気を纏っているから。
「昨日、夢に訪れた?」
「ああ」
「私が残れば、この森は滅びない?」
 懸命に確認しようとするセリスに、レイデルナーセルの一見冷たいと言えるほどの真顔が綻びた。吹き出したという方が近いかもしれない。
「───君が残らなくとも、この森は滅びないよ」
「え?」
 昨日と言っていることが違う。セリスは目を丸くした。
「正確には、すぐには滅びない。ただあと数百年もすれば滅びるだろう。私が見初めるような女性はそうそう見つからない。君が残らなくとも他の誰かを見つけるかもしれないし、出会わないかもしれない」
「……それは…………コーリンゲンの人口を考えると可能性は低いわね」
「だが……君は、あの男を忘れないだろうな」
 レイデルナーセルの自嘲するような呟きに、昨晩の件を知られているのだろうかとセリスは頬を染めた。なんてはしたないと思われたかもしれない。
「君は私といても、あの男を想い続けるだろうな」
「それは……そんなのわらかないけど……」
 今は忘れられないと思うけれど物事に絶対はない。セリスは戸惑うように口ごもった。
「いや、忘れないよ。忘れない。そして私は、君といても孤独になる。一人で感じる孤独より、一人じゃないときに感じる孤独の方が深い」
 彼は何が言いたいのだろう。セリスを非難している?
 申し訳なさそうに視線を落としたセリスに、レイデルナーセルはそっと微笑んだ。
「私が悪かったよ」
「……え?」
「君を脅すようなことをして悪かった。私達精霊は身勝手だが、同時に心がある。だから相手にも心を求める。心のない相手はいらない」
「…………わたし…………」
 喜んで良いのか消沈するべきなのかわからなかった。でも恐らく喜びの方が強かっただろう。
「君は自分に正直になっていい。君の心の傷を癒せたらと思ったけれど、恐らく私よりも君の愛する男の方が適役なんだろう」
「………………ごめんなさい……」
 彼は精霊でも、どんなに冷静で心がないかのような存在に見えても、そうじゃないのだ。それを失念していた。
「いや……私も殺されたくはないしね」
 セリスの背後を見て苦笑いをしたレイデルナーセルに、セリスは首を傾げて振り返る。そしてギョッとした。ロックが木陰からこちらを窺っていた。
「バレてたか」
 まったく悪びれずに木陰から出たロックは、肩をすくめてアルテマウェポンを鞘に納める。
「……まさか、本当にレイデルナーセルと戦うつもりだったの……?」
「恐らく負けて殺されるのは俺の方だろうけどな。後悔し続けるのはもう飽きた」
 開き直ったようなロックの態度に、セリスは呆れて言葉も出ない。困ったような表情でレイデルナーセルを見ると、彼は楽しそうに微笑んでいた。
「私はまた、私のために生きてくれる女性を捜し待つとするよ」
 優雅に微笑んだレイデルナーセルは、 一角獣(ユニコーン)に姿を変えたかと思うと身を翻した。
「幸せに」
 そう祝福の言葉を残して。

 

†  †  †

 

 コーリンゲンの村の南東にある森は、空気の清浄な場所だ。
 シルヴィアは小さい頃から「ユニコの森」と言われるこの森がお気に入りの場所だった。
 都会に憧れる姉は「森なんて行きたくない」と馬鹿にするが、シルヴィアにとっては不思議と心安らぐ場所だ。
 祖母から聞いたところによると、伝説ではなく本当に 一角獣(ユニコーン)がこの森を守護しているらしい。
 ロマンチストなシルヴィアは、レイデルナーセルという名の守護精霊の話が大好きだった。
 祖母は「いつかきっと会える」そう言ってくれたけれど、本当だろうか。祖母の言葉を信じて森へ通い続けているけれど、16歳になった今も一度も出会えていない。
 その祖母も、昨日、亡くなってしまった。
 大好きだった祖母の死に耐えきれず、一人になりたくて「ユニコの森」までやって来た。
 森はいつも変わらない。人がどれだけ変わろうと、シルヴィアが小さい頃と同じ空気を漂わせている。
 泉の近くにある木にもたれ、目を閉じて湧き水の音に耳をそばだてていると、突然水音がして目を開けた。
 そこには、真っ白い身体に銀の角を持った獣が水浴びをしている姿があった。
 いつの間に現れたのかわからないが、シルヴィアは驚きと喜びと様々な感情がごちゃまぜになった状態になる。
「…… 一角獣(ユニコーン)……? レイデルナーセル……?」
 尋ねた声が震えていた。
 目の前の 一角獣(ユニコーン)は澄んだ水滴を滴らせてシルヴィアの方を向くと、尋ね返してきた。
「セリス……?」
 そういえばレイデルナーセルは祖母に求婚したことがあると言う。祖母の若い頃に瓜二つと言われるシルヴィアを間違えているのだろうか。
「セリスは祖母よ。……昨日、死んじゃった……」
「…………そうか…………死んだか……」
  一角獣(ユニコーン)は深い青銀の瞳をそっと伏せた。
「あなたがレイデルナーセルでしょう? 祖母から聞いていたわ」
「そうだ。……力の温存を図るためにしばらく休眠していた。そんなに時が経ったか……」
 感慨深げに呟くレイデルナーセルは、セリスの死を悼んでいるのだろうか。かつて愛した女性が眠っている間に逝ってしまうなんて辛いことだろう。
「だけど! これからは私がいるわ!」
 シルヴィアは胸を張って宣言した。祖母から話を聞いて、出会ったら絶対に言おうと思っていたのだ。
 一方、レイデルナーセルは、シルヴィアの宣言に目を丸くしている。
「決めていたの。おばあさまにあなたの話を聞いた時から。小さい時から決めていたの。私がお嫁さんになってあげるって!」
 押しつけがましいほどの言葉だが、幼さ故の純粋さにレイデルナーセルはそっと微笑んだ。
 ここから新しい物語が始まる───

 

・ fin ・

 

■あとがき■

 久々の1話モノ短編フリーです。このサイトも3周年となりました。これも皆様の日頃のご愛顧のおかげです……なんて書いてみたりして。ご愛顧って……(笑)
 でも本当に、読んで下さる皆様がいてこそです。最初は書くだけで満足だったんですが、読んで下さる方々がいなかったら続かなかったです。間違いなく。
 お持ち帰えって下さるという素晴らしい方はこちらをお読み下さい。
 先日、「次のフリーはこんな感じにしよう!」と思ったネタがあったんですが、いざ書こうとしたらすっかり頭から抜けてまして……。この話は、まず素材を選んでいて、「久々にAtelier paprikaさんのところの画像にしようw お、ユニコーン! 綺麗じゃーん」ということで、先に素材を選んで、そこからイメージを膨らまして作りました。携帯版は背景画像とかないので、話がわからないと思います。すみません。しかも携帯版は記念フリーとか書いてないです(最近、余裕なくて)。更にすみません;;
 しかし私は題名とか副題に「夢」入れるの多いですね。っていうか、夢ネタ自体が多い;; 何故かと言うと……ただ単に使いやすいからなんですね。決してわざとじゃないんです^^; 部屋を訪ねるシーンも、私の話にはよくありますね。本当は使いやすいからって、そればっかってよくないのかもしれませんが、何分素人。これだけ数多くの話を書いていると、どうしてもシーンが被ります。悩みの種なのでした。
 ユニコーンは幻獣にいるので悩んだんですが、これは精霊のユニコーンで幻獣とは違うものですので勘弁してください。(相変わらず謝罪ばかりのあとがきで更にすみません(笑))
 しかし短編なのに長っ!( ̄◇ ̄;) 連載モノの3話ぶんぐらいありますね;; セリスがロックの元に戻ってしまうのはうまくできすぎた話なのですが、何分、二次創作。ロクセリですからw しかし遂に孫まで登場しちゃった^^; このラストも王道ですが、王道が書きたかった(笑) ちょっと『泉』と雰囲気はかぶりますかね。 (06.2.11)

 

 現在はフリーという扱いをしていませんのでご注意ください。転載禁止となっています。(20.9.21)

【この頁で使用させて頂いた素材サイト様】 ClipArt:Atelier paprika

Original Characters

ラシーン 1000年以上前の賢者。『未来を見つめよ』『未来の選択』『罪の贖い』『後悔の行方』『生きる理由』 『開かれた未来』などの著書が有名。『精霊の書』『幻獣の書』『妖魔の書』等も書いていると言われているが、『幻獣の書』『妖魔の書』以外は見つかっていない。(他の登場小説「TIME」)
レイデルナーセル コーリンゲン近い森出身
コーリンゲンの南東にある森に住む守護精霊。伝説の一角獣。
シルヴィア・コール コーリンゲン出身
セリスとロックの息子ロイの末娘。祖母であるセリスにそっくり。