丘の上


 丘の上で昼寝。至福の時だ。
 深い眠りじゃなくて、曖昧なまどろみ。
 穏やかな午後の風邪は、ゆっくりと草原を揺らす。
 陽ざしは、丘の上に立つ大きな大木を通り、丁度良い木漏れ日となる。
 聞こえるのは緑の大海原が揺れる、葉擦れの音。
 香るのは少しの青臭さと、風の匂い。
 そして、優しく彼女の歌声が響く。
「この曲しか知らないの」
 はにかんで、まるで宝石のパライバトルマリンみたいな、透き通った青緑の瞳を伏せて言った。
 彼女が歌うのは勿論、オペラでマリアの代役をしたときに覚えた曲。
 切ない響きなのに、柔らかく慈愛を含んでそれらを降り注がせる。
 俺は何かに促されるように目を開けた。けぶる緑と、突き抜けるような空の青に目を細める。
 彼女の姿を求めて体を起こすと、ゆるやかな風が、彼女の正面から抜け銀に近いプラチナブロンドを後ろへ流していた。

 彼女はただ歌いながら、草原をゆっくりと歩く。
 俺はただ、それを眺めていた。ぼおっと、見とれたように……。
 あの背に羽が生えて、空に飛んでいってしまいそうだ───。
 思わず手を伸ばしかけて、何をしているのかと慌てて拳を握りしめて引っ込めた。
 後ろ姿だけの彼女が、妙に遠くに思えた。あんなに美しくて強くて同時に儚い彼女。あの場に行って、そっと抱きしめたいと切に想う。
 彼女のあの細い髪に触れたい。きっとさらさらだろう。指に絡まらずに梳けるに違いない。
 そう考え、ひどく切なくなり、同時に深い罪悪感に苛まれる。
 だめだ。今のままの俺ではだめだ……。彼女がいいと言っても、俺は自分で割り切れない。
 ガキなんだろうか……多分そうなのだろう。俺はあの時のまま、変わってない───。
 後悔したくないのに、どうすれば後悔しないかわからなくなっている。
 彼女を失いたくないのに、俺を待ってくれる保証などない。確かめることすら、躊躇われる。ずるすぎて。
 フと、彼女の歌がやんだ。
 どうしたのかと思うと、目に入ったのは風に舞い乱れるあのプラチナブロンド。
 彼女は「きゃっ」と可愛らしい悲鳴を上げると、髪を押さえて振り返った。
 俺が起きたのを認めて微笑んだのが、遠目にもわかった。
 俺は苦笑いで手を上げる。素直に彼女の笑顔を喜ぶことができなくなったのは、いつからか───。
 彼女はとても穏やかな表情で、長い草々を掻き分けてこちらへ向かってくる。
 どう対応していいかさえ、未だに迷っているような状態なのに、自分へ近づいてくる彼女を待ち遠しいと感じる。
 人間は矛盾の生き物だ、昔誰かが言っていたけれど、その通りだ。相反する気持ちを抱えて生きている。
 考え事をしていると、彼女は俺の目の前まで来ていた。
「ロック……?」
 不思議そうに俺の名前を呼ぶ。心配しているのだろう。他の仲間には聞かせないような優しい声音。
 俺は胸が詰まる。
 二対のパライバトルマリンが俺を見つめていた。その瞳は微かに揺らいでいる。
「何でもないんだ。悪い」
「ごめん。歌、うるさくって起きちゃった?」
 これまた他の奴には聞かせない可愛らしい甘い声で尋ねられて、俺は何だか頭がくらくらして、重傷だと思う。
「違うよ。……天気、いいな」
 俺は全然違う事を呟いた。俺の葛藤を口にしたくはない。彼女が気づいているとしても、わざわざ弱音を吐きたくない。
「うん」
 彼女は頷いて俺の隣に腰掛けた。黙って、続く地平線を見つめる。
 そんな彼女を、俺はそっと盗み見た。
 線の細い整った横顔。薄い桃色の唇。白い肌───。
 思わず手を伸ばして、彼女の髪に触れていた。
「ロック?」
 不思議そうに少しだけ顔をこちらに向けた彼女の表情は、またたまらなく可愛い。
 罪悪感とか後悔とかよりも、今の一瞬は彼女だけに囚われていた。
 絡まった視線から、互いに逃れられない。俺は身を乗り出して、彼女の髪に触れていた手を耳元へとやる。
 彼女はくすぐったそうに少しだけ体を震わせ、
「ロック……?」
 もう一度呟く。
 俺は彼女を頭を引き寄せると、顔を近付けた。
 衝動的な感情に支配されれいたのかもしれない。
 彼女は避けなかった。ただ、一瞬驚いたように目を見開いたのが、最後に目に入った。
 そっと、彼女の形良い唇を奪う。
 俺は軽い陶酔感に浸っていたのだろう。
 彼女の唇は柔らかく、何度もそれをついばむと熱い吐息が漏れて、俺はたまらなくてその甘美な行為に溺れそうになる。
 全てが彼女を求める事に集中し、支配され、彼女のふんわりとした唇を吸う。
 だが、彼女が欲しい、そう思ってハッとして我に返り、口づけを止めた。
「ごめん……」
 俯いて、思わず口をついた言葉に、彼女は、
「どうして謝るの……?」
 哀しそうな声音で言う。咎めるように俺を見ているに違いない。突き刺さる視線が痛い。
 俺は答えられない。それは逃げているのかもしれないけれど。
「謝るくらいなら………………嬉しかったのに……」
 震える声で彼女に呟かれ、俺は顔を上げる。今度は彼女が俯いていた。
「あなたがレイチェルを忘れられないとしても、生き返らせたいと願っているとしても、嬉しかったのに……」
 彼女は涙を流しはしなかった。ただ、泣くのをずっと耐えているように見えた。
「ごめん。セリス……」
 俺は手を伸ばして、彼女の腕を掴んだ。
「触らないでよ!」
 彼女は言ったが、俺は黙って彼女の腕を引くと、自分の胸の中に抱きしめた。
「ごめん。でも、いい加減な気持ちなわけじゃない」
 俺は思いきって言った。「待っててくれ」と言えないまでも、やはり何も言わないわけにはいかなかった。
「いい加減な気持ちじゃないからこそ、レイチェルの事にケリがつくまでは、けじめをつけなきゃいけないと思ってたんだ」
 彼女は黙って俺の胸に顔を埋めている。
「だけど……」
 それ以上言うのは正直憚られた。勢いで言ってるわけではないので、さすがに恥ずかしくなったんだ。
 俺が言葉を続けなかったので、彼女は身をよじって顔を上げた。
「だけど?」
 促されてしまい、俺は少しだけ苦笑いになる。
「───気持ちが溢れ出して、止められなかったんだ」
 正直に言うと、彼女は頬を染めた。またその姿の可愛らしいこと! 「バカ」
 照れ隠しだろう。小さく呟く。
「でも、ありがと」
 彼女もまた「待っている」とは言わなかった。そう感じるのは、俺がそう言って欲しかったからなのだろう。
(待たせてごめん……。でも、待っていてくれ……)
 俺は言葉にできず、心の中で呟いた。
 聞こえなかったはずなのに、彼女が微かに頷いたような気がした。

 

・ fin ・

 

■あとがき■

 いつもと違う雰囲気で、書いてみました。そして短い。冒頭はロックの詩みたいですね……^^;
 イメージが少し『草原』とかぶっているのが、自分的には気になるけれど……。
 ロックに似合う場所は私にとって草原なので……
 ところで、二次創作は一人称の方が書きやすいのかもしれません。
 これも、別にロックの苦悩が書きたかったわけじゃないのに、結局そういう方面へ……すいません。 (03.3.29)

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