「なんか、あの女の子マシュマロみたい」
町中を歩いていたセリスが突然呟いた。
「ん?」
ロックがどうしたのかとセリスの視線の先を見ると、仲良いカップルが歩いていた。
世界崩壊から立ち直ったとは言い難い町並みだけれど、二人の周りだけ幸せな空気が漂っているのが見てとれた。
女の子はフワフワとした髪を揺らして、男の腕に自分の腕を絡めて微笑んでいる。
男が何かを囁くと、女の子は笑みをもらして組んでいた男の腕に顔を寄せた。
「……そうだな……」
ロックは珍しいセリスの言葉に、複雑な気持ちで同意するとセリスを見た。
セリスは物欲しげに、そんな二人を見つめていた。
† † †
いつも素直になれない。いつまでも素直になれない。
だって不安だから。自信がないから。
どうすれば素直になれるんだろう? いつになったら素直になれるんだろう?
あの人、レイチェルさんみたいに───。
† † †
ケフカを倒した決戦の後、セリスはロックに誘われて旅に出た。
あてのない旅だ。
時にトレジャーハントをし、時に皆で戦った思い出の地を訪ね、3ヵ月が過ぎていた。
ロックは相変わらずセリスに優しい。童顔だし子供っぽいところもあるけれど、その実しっかしていて頼りになる。
だけど、セリスはただ甘えて後ろを付いて行くだけの女にはなりたくなかったため、隣に並んで歩けるよう、自分の荷物は自分で持っていられるよう、対等であるために頑張っている。支え合って行きたいから。
無理をしているつもりはなかった。けど、そういう面が強いせいか、恋する女の子として可愛らしく振る舞っているとはやはり言い難い。相変わらずロックが女として扱うとムッとしてしまうのだから。
本当は甘えたい時もある。ロックの腕の中で安らげたらと思うこともある。けれど、それをどうやって表に出していいかわからない。それ以前に、そんなことを思っているなんて、恥ずかしくて知られたくなかった。
ロックが女の子として扱ってくれても、女として見てくれているとは思えないからかもしれない。
ロックは前と変わらず優しいけれど、それは妹をあやすみたいな感じがする。何故だろう?
たまに無理に笑っているのでは? と思うことすらある。
セリスへの気持ちが恋ではなかったと気付いてしまったのだろうか───そんな想像をして、セリスは落ち込むこともしばしばだ。
本当は、ネガティブ方向に考えるなんてしたくないが、キスすら、数えるほどしかしたことがないのだ。仕方あるまい。
淡白なのかな、なんて考えもしたが、ロックと淡白は全く結び付かない単語だ。ロックは驚く程の情熱家だから。
「私、魅力ないもんね───」
セリスは宿の浴室で一人ごちた。自分の骨張った身体を見て、いつもため息だ。
本人が思っているよりは遙かに女性らしいのだが、帝国将軍時代に、散々兵士たちの陰口を聞いてから仕方あるまい。
「マッチ棒」だの「まな板」だの「男女」だの「鉄面皮」だの……もう上げればキリがない。将軍である時は、プレストアーマーで胸をつぶしていたから外から見ればそりゃあまな板だろう。
「可愛らしさのかけらもないし……」
セリスの独り言は可愛らしい内容なのだが───。彼女はどこをとっても『キレイ系』なのだから仕方あるまい。
本人は自分の良さを全く分かっていない。
ただでさえ背が高くて男みたいなのに、正直、胸も巨乳とは言えない。まな板などでは全然ないが、どちからと分類すれば小振りに入る。自信がないから不安になってしまうのだ。
その微笑みがどれだけ美しいか。決してからまることのないプラチナブロンドの輝きに多くの者が振り返ることも。抜けるような白い肌に淡いオレンジピンクの口紅を乗せたような潤った唇に、どれだけロックが困っているか、勿論、セリスは知らないから。
決戦後、ロックは「俺と行こう」そう言ってセリスを誘ってくれた。けど、考えてみれば、彼がどういうつもりでセリスを誘ったのかわからない。行くあてもなく途方に暮れていたセリスを放っておけなかっただけかもしれない。
数回しか交わしたことのないキスは触れるだけの軽いもので、あれでは家族や友人に対するものより軽いのではないのだろうか。
勿論、はっきり聞けばいいのだろうけれど、もし一緒にいることすらできなくなってしまったら……そう思うと尋ねるのを躊躇ってしまう。少なくとも今は二人でいられるのだから。
風呂から上がったセリスは、股まである長いTシャツにサブリナパンツを身に付けた。寒くなければ寝間着兼部屋着である。
大きめのタオルで髪の水分を取りながら、ベッドに腰掛けた。
大抵、二人部屋だが、ロックはいない。着替える時と風呂の時はいつも部屋を出ていく。気を遣ってくれているのだろう。有り難いような、でも少し寂しい気もした。
ある程度髪が乾くと、バレッタで髪をアップにして部屋を出た。
この山奥の村に1件しかない宿屋は酒場も兼ねている。勿論、他に酒場などない。客のほとんどが村の住人だ。今日は早めに夕飯を済ませた。ロックは酒でも飲んでいるだろう。
仲間と共に戦っていた頃は毎晩飲んだりしなかった。無論、野営時以外だが、ここ最近ではないだろうか。酔うまで飲んだりしないから、咎めたりはしないが。
セリスが階下に降りると、案の定、グラスを前に煙草の紫煙をくゆらせているロックがいた。呆けてどこも見ていないような感じだ。どちらかと言えば憂い顔。
セリスが一瞬躊躇すると、
「うわっちっ!」
煙草の火種が手元まで来ていた事に気付いていなかったロックが軽い悲鳴を上げた。灰皿に煙草を投げ入れて、セリスに気付いて頭をかく。
「あはは……」
間抜けな所を見られた事が恥ずかしかったのか、ロックははにかんだ。
セリスはカウンターの女将さんに声をかけてから、ロックの前に座った。
セリスはあまり酒を飲まない。酒と煙草は脳細胞が死ぬからと、ずっとやらかなった。今は、煙草は吸わないが、酒は付き合う程度には飲める。とは言っても1杯以上飲んだことがないのだが。
「どうしたの? なんか浮かない顔ね」
セリスは言ったが、
「は? んな事ねーよ」
答えたロックは動揺している風もない。普通だ。思い過ごしかな、セリスはとりあえず気にしないことにする。しつこく言ってうざったがられたら嫌だったから。
「はいよ」
女将さんがセリスが頼んだ酒を持ってきた。ファジーネーブル。柑橘がさっぱりしていて飲みやすいカクテルだ。この地方ではどこの酒場にもある。
「何、飲むのか?」
ロックがキョトンとした。
「ロック一人で飲んでてもつまらないでしょ? それとも一人の方が良かった?」
ファジーネーブルを一口飲んだセリスは何気なく言ったのだが、ロックはムッとして、
「んなわけねーだろ」
セリスの頭を小突く。こういう瞬間は満たされているのかもしれないと思う。だけど何かが足りないとも同時に感じる。
「次はどこへ向かうか決めたの?」
セリスは話していないとダークな方向へ思考が沈むので、適当に話しかけた。
二人は山中の遺跡へトレジャーハントをしに行った帰りだ。大したものはなかったが、凝ったカラクリの仕掛けがあって面白かった。
「ん~、どうしようか?」
ロックは両手を頭の後ろで組んで、椅子ごと仰け反った。テーブルの足に靴を置いてゆらゆらしていたが、
「うわわっ」
ひっくり返りそうになって普通に座る。ロックはこういう子供っぽいところがあるが、セリスは実は、こういうところもとても好きだった。
「こっから近いのはドマだよな。カイエンの様子でも見に行くか」
ロックが言った。カイエンはドマ城に戻り生き残った者たちと復興の為に働いている。
「それでもいいんじゃない? ロックに任せるけど」
風呂上がりで喉が乾いていたセリスは、残りのファジーネーブルを一気に飲み干した。
「っておい! 大丈夫か?」
「へ? 何が?」
カクテルはジュースのような味の割に酒が強い。が、セリスは顔色一つ変えていない。ロックも比較的ザルだが、セリスはウワバミの素質があるのかもしれない……。
「女将さーん、もう一杯!」
セリスは笑顔で後ろのテーブルを片づけていた女将に言う。
「いつも1杯なのにどーした?」
「え? だって空になっちゃったじゃない。喉乾いて足りないよ」
そう言って小首を傾げたセリスが、眩暈を覚える程可愛らしくて……。
「飲んじゃダメ?」
更に上目遣いに唇をすぼめられて、ロックは降参だ。
普段はこんな聞き方はしない。やはり一気に飲んだせいで少し酔っているのだろうか。ロックもそうだが顔に全く出ない者もいる。
「いや、いいけどな……」
ロックは苦笑いをする以外になかった。
その後、なんだかんだ言って、セリスは4杯もおかわりした。
少し眠そうに、目をとろんとさせてきたので、
「いい加減戻るぞ」
ロックは呆れ顔で、セリスを連れて部屋に引き上げた。
部屋に戻ったロックは、奥の簡素なベッドに腰掛けると、
「ふう、俺までいつもより飲んじまった」
肩をすくめて呟いた。
他愛ない一言に、セリスは急に不安になる。もしかしたらあんな風におかわりするのははしたなかったかもしれない。幻滅しただろうか。お金だって無駄遣いだし。調子に乗ったつもりはなかったが、何故か飲んでしまったのだ。
セリスは俯きがちにロックに近寄り、
「もしかして、怒った?」
小さく尋ねる。ロックは呆れたようにはにかんで、
「怒ってねーよ。お前も眠いだろう? 二日酔いになんねーよーに、早く寝とけ」
と言った。だが、セリスは、
「う……ん……」
煮え切らない態度で、ロックの前を動こうとはしない。
「ん? どした?」
尋ねると、頬を染めて首を横に振る。何だかいつもと違うセリスに、ロックは立ち上がると顔を覗き込んだ。
「どうした?」
尋ねられたセリスは、自分でもどうしていいかわからないでいた。
ロックの傍にいたい。触れていたい。離れたくない。
いつも感じることだが、いつもはそれを呑み込む。
今日は消化できない。
気持ちが溢れてきて止まらない。
でも、それを言葉にする事までは憚られた。
一方、潤んだ目で見上げられたロックは、困ったように笑うしかない。
多分、セリスは酔っているのだろうけれど、本人はそれに気付いていない。
酔った時は普段抑制している部分が出ると言うが、セリスは普段、こんな風にしたいのだろうか、そう思うと、少し見ていた気もした。同時に、どこまで自分を押さえられるかただでさえ不安なため、早く寝させるべきだとも考える。
「どうしんたんだよ?」
そう言って、セリスの頭の上に手を置く。
それじゃない。私がしてほしいのはそれじゃない。
セリスは心の中で呟くが、勿論伝わるはずがない。
「あのね……」
何とか伝えようとするが、一体何て言えば伝わるのかセリスにはわからないのだ。
恋愛小説を読んだこともなければ、人に甘えた記憶すらない。
祖父のように慕ったシドには甘えもしたが、こういうのとは全然違う。
「えと……」
セリスは迷いながらロックの手を取った。両手でロックの手を包み込んでみたものの、どうすればいいのかわからない。
「……酔ってるだろ」
呆れ顔でロックが言った。これ以上、何かされてはたまらないと思ったからだ。
セリスは恥ずかしくなってロックの手を離すと、「酔ってるのかなあ」ぼんやりと呟いて彼を見た。
「さあ? 多分な」
ロックは困ったように苦笑いし、
「寝た方がいいぞ」
セリスの頭をぽんぽんと叩いて、ごろりとベッドに横になってしまう。
しょぼんとしたセリスは、
「わかった」
仕方なくバレッタを取るとベッドに入る。
せっかく素直になれそうだったのに……。
例え酔っていてでも、きっかけになったかもしれないのに……。
なんて、多分、今、素直になっても、明日になったら真っ赤になって否定しちゃうだろうな。
考えているうちに、睡魔が襲ってきて、深い眠りへと引き込まれた。
■あとがき■
あやさんへの誕生日プレゼント連載開始です。「こころ」と平行していきますが、「こころ」の方はもうすぐ終わるので……。こちらも長編にはならない予定です。一応、3回の予定なんですが……わかりません。伸びるかも。
とりあえず、酔って甘えることに失敗したセリス。後はシラフで頑張るしかありません。セリスはうまく甘えることができるかな~?
いえ、難しいです。初めて甘える所を書こうとしているから難しいんでしょうけど、ただ、甘えるだけのシーンなら、勿論、いくらでも書けますが、前後も何もない話になってしまうので、それはそれでどこから書き始めればいいかわからず難しかったので却下しました。
セリスが甘える事に辿り着くまでに、私がどうしても入れたかったシーンを入れます。次回です。甘えとは関係ありませんが、いつか絶対に書こうと思っていた、入れ込みのシーンです。こうご期待! (03.6.27)
真夜中、フと目が覚めた。
心持ち頭が痛い。ひどく喉が乾いていて、潤いを求め身体を起こしてあることに気付く。
「ロック……?」
隣のベッドにロックの姿が無かった。
「え? あれ?」
寝ぼけているのかもしれないと思い、目をこすってサイドテーブルの水差しの水を飲んだが、いないものはいない。
「何でぇ……?」
泣き出しそうな声で呟き、薄暗い部屋を見渡す。
眠る前と変わらぬ位置にあるロックの荷物と片手剣アルテマウェポンにホッと息を吐き出した。
自分を置いて、突然姿を消してしまったのかと思ったから。
今は一緒にいられる。だけど、その保証は微塵もない。ロックが黙って姿を消すなどという卑怯な事をするはずはないとわかっているが、感情は不安を沸き上がらせる。
大きく息を吸い込んで深呼吸すると、静かな虫の音に気付いた。
時折駆け抜ける葉擦れの音色と、不自然な水音……?
小さな村は、うねった形であっただろう川から形成されただろう三日月湖と、そこから流れる細い川沿いに形成されており、この宿屋はこの地方では小さい方の湖を背にして建っている。滅多に人の来ない客室からは湖が一望できるのだ。
「?」
大きな魚が跳ねたような水面を打つ音に、ぼんやりと窓の外を見た。
開け放した窓でベージュのカーテンが揺らいでる。
何気なく近寄って外を眺めた。夜の匂いとひんやりとした空気を吸い込む、と、まばらに植わる木々のシルエットの合間に人影……?
まさか、ね……思いながらも目をこらす。
生い茂る葉の間から時折見える人影は、ロックに似ていた。
確かに今日は、部屋の中は少し蒸しているが、水浴びする程だろうか。
セリスは何となく窓から飛び降りた。躊躇もしなかったのは、まだ寝起きで頭が働いていなかったからかもしれない。
湖の岸辺に立ち並ぶ木の陰から覗くと、やはりロックだった。
先程までは泳いでいたようだが、今は岸から5m程の所に立っている。
腰の辺りまで水に浸かったまま、猫のように頭を振って水を飛ばし(人間のすることなので猫ほど水気が取れないのだが)、ゆっくりと月を仰いだ。
もっとよく見ようと木陰から出たセリスはその横顔に思わずドキリとする。
何かを請うように空を見上げているロック。
前髪から滴る雫が、彼の首筋から鎖骨へと流れ落ちて行く。
虚ろに開いた唇。眉根を寄せ焦がれるような視線の先に、一体何を見ているというのか。
ロックは突然眉を寄せて顔を歪めると、
「くそっ」
舌打ちして、拳を水面に叩き付けた。水は勢いよく跳ね上がり散ると波紋を残して湖へと還る。
ロックはそのまま俯いて唇を噛みしめ拳を握り締めた。
更に眉間に深い皺を刻み、目を閉じていたかと思うと、おもむろに水中へと身を沈めた。
頭まで水に沈み、20秒程だろうか、経過した後顔を出すと、肩で息をしながら額に貼り付いた前髪を無造作にかき上げる。
細身なのに引き締まった筋肉をつけた体躯に纏う水滴が、満月から零れ落ちる淡い光を跳ね返しきらきらと煌めく。
その姿に、息苦しい程に身を焦がすような切なさがセリスを襲う。ロックがより遠くなりそうで叫び出したいような切迫した想いと、身体の芯から熱が生まれるようなロックを求める想いに板挟みだ。
ロックが切なげに顔を歪めると、セリスは心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥る。苦しげな喘ぐような口元も、セリスには見えない何かを見つめる熱の籠もった瞳も、全てが綺麗だと思った。
何を想ってロックはそんな顔をするのだろう。
ため息をついて首を振ったロックは、沈んだ顔で湖を上がろうと宿屋の建つ岸辺を向いた。そして立ちつくすセリスにギョッとする。
「よ、よう」
ロックは取り繕うように言ったが、セリスは答えなかった。
アイスブルーの瞳は潤み微かに熱を帯びた視線を投げかける。何かを言いたいのか薄く開いた口元がわなないた。
「えと、起きちゃったのか?」
ロックが困ったように言うと、セリスはそれには答えずに、
「何が───、何がそんなに苦しいの?」
必死な表情で尋ねた。
自分は傍にいる。ということは、求めているのは自分ではないことになる。
セリスではない誰か───レイチェル?
彼はまだレイチェルを忘れられないというのか───。
「あ、いや……」
ロックは珍しく口ごもる。いつもは「何もねーよ」と軽くかわしてしまうのに。
山から下りて来る風が木立を抜けて水面を揺らす。葉擦れの音は夜の静寂を司る唯一のもので、そっと心の琴線を揺らす。
セリスは風に乱れる髪を耳にかけ、ロックの答えを待った。
だが、ロックは俯いたままで答えようとしない。葛藤しているのか、苦しげに顔を歪める。
「私が……邪魔?」
セリスは自嘲するように尋ねた。ロックはハッと顔を上げ、訝しげに眉根を寄せた。
「鬱陶しくなった?」
皮肉っぽく言ってはいるが、今にも泣き出しそうな顔。
「何言ってんだよ」
ロックは不可解そうにセリスに近付く。
先程まではひんやりと頭を冷やしてくれた水も、今は足にまとわりつく枷だ。
セリスは少しだけ後ずさったが、すぐ太い幹に背中をぶつけてそのまま寄りかかる。
「セリスこそ、俺といたくなくなったのか?」
水から上がったロックは、ぽたぽたと雫を垂らしながらセリスの眼前に立つ。
「私は……」
セリスは躊躇した。もし一緒にいたいと言えばロックはセリスを決して見捨てはしないだろう。彼の気持ちに関係なく。
そう考えると答えられなかった。するとロックは、
「本当に、そうなのか……?」
身体が冷えているせいか、それとも別の理由か、青白い顔でセリスを呆然と見つめていた。
違うのに。否定しなきゃならないのに「そうじゃないの。一緒にいたいの」それだけの言葉が出てこない。何か紡ごうと口を開いても、音にならず、
「俺、全然気付かなかったよ」
肩を落としたロックの姿に、セリスの感情が溢れだし、その瞳から大粒の涙を零した。
「げっ、あっ、セリス?」
突然、ボロボロと各紙もせずに泣き出したセリスに、ロックはギョッとする。こんな風に泣くのを見たのは初めてだった。
うっすらと涙を滲ませている姿は何度か見たことがある。歯を食いしばって悔し涙を流している所も一度だが見た。
しかし、こんな風に、迷子の子供のように、止め処なく嗚咽を漏らし、泣くセリスを前に、ロックは狼狽えてしまう。
「ばか……」
嗚咽の合間に掠れた声で小さく漏らす。
「ばかぁっ!」
遂には岸辺にしゃがみ込んで泣き出してしまった。
ロックは触れられる程近くにいたが、触れば彼女は濡れてしまう。
「悪かった……」
今すぐ彼女を抱きしめられないことに苛立ちながらも、ロックは素直に謝った。
セリスはこんなに苦しいのに、涙が止まらないのに、抱きしめてくれたら安心できるのに、きっと涙は止まるのに───触れようともしないロックをとても遠く感じる。
「ごめんな、勝手に決めつけたりして。寝不足で頭回ってなかったみたいだ」
ロックは頭をかいた。自分だって疑われたのだが、そんなことはすっかり忘れている。
「俺といたいって、想ってくれてるって、ことだよな」
そんなことを言われて、セリスが顔を覆っていた指の隙間から向こうを覗くと、ロックは笑顔を浮かべている。
それを見た途端、セリスでは自分でも顔が熱くなったのがわかり、
「ばかっ!」
すくっと立ち上がり、涙でぐちゃぐちゃの顔でロックを睨み付けた。
「はあ?」
「ロックなんか嫌い! 信じられない!」
恥ずかしいが故の八つ当たり以外の何でもないのだが、セリスは「デリカシーのない人!」と憤って叫んだ。
「嫌いって、何でそーなんだよ」
ロックには全く訳がわからない。
「俺、なんか悪い子と言ったか~?」
ボヤくロックを見ても、セリスはまだ恥ずかしくてたまらない。ここで素直になれば進展するのかもしれない。ということは、ロックはセリスに手を出せないのは、セリス自身のせいである可能性が多大ということになる。そのことにセリスが気付くのはいつだろう。
一体いつになったら、素直に甘える、なんて芸当ができるのやら。
前途多難は二人であった。
† † †
翌日、ロックは明らかに不機嫌だった。
ひどく酔っていたわけでもないし、一寝入りした後だったため、セリスは昨日の記憶がしっかり残っている。
ロックが不機嫌である事に思い当たるフシ有り。
勿論、自分の失言が原因と思われる。
ここで謝るのは素直になる一歩よ。
大抵、ロックが許してしまうのがパターンだったが、今度はそのつもりはないらしい。怒っているというよりふてくされているせいかもしれないが。
朝食を食べる時も終始無口で、村を出るまで本当に必要最低限の事しか言葉を交わさなかった。
セリスには気まずくて仕方がないのだが、ロックはただムスッとしてセリスを見ようともしない。
どうしよう。このままドマ辺りで離れることになったら───。
込み上げる不安がセリスの心に影を落とす。
謝らなければ、このまま別れることになる可能性は大いにあり得る。時間が経てば経つ程、その可能性は増す。
だが、「謝ろう」と意気込む程に、意気地が無くなってゆく。
(このまま終わっちゃっていいの!?)
懸命に自分を励ましても、無論効果など成さない。が、それでもなんとか自分を奮起させようとする。
(ここで一歩を踏み出さなきゃ、あんた永遠に素直になんてられないよ! 甘えるなんて夢のそのまた夢!)
心の中で呟いて虚しくなった。そんなことは再確認せずともわかっているのだ。わかっているのにできないから困っている。
(私、自分に甘かったんだなあ)
なんて、思う。ずっと自分に厳しくしてきたと思っていたけれど、他の人間を思い描いて演じていただけだ。帝国将軍という仮面を被っていただけだ。心を殺していたけれど、自分に厳しかったわけじゃない。
素直に生きる事が許されなかった人間に、突然素直になれというのは勿論無理な話だ。ロックはそんなことを強要したことはなかった。
(ロックは───いつも私を尊重してくれた。今だって変わらない。昨日だって私がわけのわからないことを言ったんだ。思いもしないことを口にした。さすがに素直じゃなくてもそんなことはしなかったけど、急に恐くなったんだもの。 素直になることが恐い……。みんな、そうなのかな……)
セリスはロックすら素直になることを躊躇している事実を知らない。セリスを傷付けたくがない故であることも。
(恐いよ……でも……)
セリスは黙って前を歩くロックの背を見つめた。
今すぐその背中に飛びつきたい。後ろから抱きついて彼の匂いを思いっきり吸い込みたい。
けれど、さすがにそれはできそうになかった。
(でも、一歩)
「ロック」
必死で紡ぎだしたセリスの硬い声に、ロックは足を止めた。
「………………」
間を置いてから、身体を斜めにして振り返る。
「あの……」
言いかけたものの止まってしまう。だがここで止まれば次には絶対に繋がらない。怖さも何もかも振り切って言った。
「ごめんなさい! ……あんなことを言うつもりはなかったの……」
セリスが俯いてぎゅっと目をつむり、口早に言うと、フッとロックに張りつめていた空気が和らぐ。
「いいよ。怒ってないから」
ロックはセリスの所まで戻ってくると、彼女の頭をぽんぽんと叩いた。
途端、再びセリスの瞳に涙が溢れた。
「なんだよ、泣くなよ……」
ロックは困ったように苦笑いする。
「だって、ごめんなさい。ごめんなさい。…………恥ずかしかったの……」
懸命に伝えようとするセリスの後頭部に手をかけると、ロックは一気に引き寄せた。
「わかってる。だから泣くな」
セリスが頷くと、ロックは彼女を離して、綺麗なバンダナで涙を拭ってあげる。
「笑ってくれよ。お前は、笑ってる方がいいよ」
少し照れくさそうに言ったロックに、セリスはまた顔を赤くして俯くと、
「ばか……」
小さく言った後、
「でも、ありがと」
はにかんで続けて、柔らかく微笑んだ。
「おしっ」
余りに綺麗なセリスの笑みに(ちくしょー参った)ロックは照れ隠しに、彼女の髪をぐしゃぐしゃっと混ぜると、肩を押した。
「もうっ! やめてよねっ!」
「ははは、悪い悪い」
全く悪びれないロックは、彼女の髪を撫で付けながら、ゆっくりと歩き始めた。
二歩目を踏み出す日のために。
■あとがき■
ずっと書きたかったワンシーン。どうでしょうか。私的にはなかなか気に入っていますが、私の頭の中の映像を表現しきれなかったのが悔しいです。自分の語彙の少なさにがっくり。まあ、こんなもんでしょう。いっぱいいっぱいです。
3話のつもりでしたが、もう少し長くなりそうです。次話では終わらないです。別展開でオリキャラまで出張ります。すいません。ED後なのでもしもシリーズではないですが……。頑張ります。 (03.07.04)
「た・い・く・つ」
少女は真っ赤な唇から言葉を吐いた。
幼げな顔なのに、その仕草や目線からは妙な色気を放っている。
虹色の空間。
空も地面もない、淡い虹色をした空間。
常人であるならば眩暈を起こしそうだ。
「あーあ」
少女は、宙に浮かぶ無数の扉に囲まれた中心で、大きな銀盤の水鏡を覗きながらため息をつく。
「やっと私の時代が来たと思ったのになあ」
少女は整いすぎている容姿をしていた。
猫に似た耳が少し高い位置にあり、白目は少なく金緑の瞳は瞳孔が細い。そして形良いヒップからゆらゆらと尻尾が揺れている。
水鏡は目まぐるしく映し出す光景を変えていた。
少女はぼんやりそれを見ていたが、
「ん?」
一つの被写体に注目すると、水鏡の中が固定した。
「うーん、好みかも……」
少女が見ているのは二人連れで山道を歩いているうちの青年の方だ。なかなか可愛らしい顔をしている。
「隣の女はなんかろくな夢見てないわね。暗っ! そのうちこの男も悪夢に食い尽くされちゃうわ。私が救ってあげないと!」
悪戯っぽい笑みを浮かべた少女は、くるんと宙返りをしたかと思うと姿を消した。
同時に少女がいた空間も、風化したようにさらさらと崩れて落ち何もなくなった。
† † †
ロックとセリスは、山を下りドマに向かう街道を歩いていた。
二人とも無口なのは、歩き通しでこれ以上無駄な体力を使いたくなかったからだ。
とは言え重苦しいような沈黙ではなかった。黙っていても互いの気配が優しい事がわかるから。
単調な道のり。
のはずだったが、小高い丘を越えた時、二人は倒れている人を発見した。
急いで駆け寄ると小柄な少女だ。仰向けにすると、美しい少女だった。
ふわふわの綿菓子のような髪は淡いピンクで、服はひらひらでラベンダー色をしており、どこかの踊り子のようだった。
「賊にでも襲われたのかしら。それにしては無事みたいだけど……」
荷物一つ落ちていないため、セリスが不思議そうに首をひねった。
「てゆーか、その前にこの子人間か?」
訝しげな顔のロックに、
「猫耳に尻尾……そういう種族もあるのかしら」
セリスはのんびりと答える。
「ありえないから。俺はほぼ世界中回ったけど聞いたことがない。幻獣ぐらいだな」
「でも幻獣のわけないものね」
魔法も魔力も、ケフカが死んだと同時にこの世から消えたのだから。
二人が首を捻っていると、
「ん……?」
少女が目を覚ました。金緑の大きな瞳がぱちくりと不思議そうに瞬く。
予想通りの美しさと、その人間らしからぬ目に二人は一瞬呆気にとられたが、
「えと、大丈夫か?」
ロックが尋ねると、少女は一瞬呆け、すぐに「あ、はい」と上半身を起こした。
「こんな所でどうしたんだ?」
「え? えと……?」
少女は困ったように記憶を辿る。が、
「……う~ん……………………あれぇ…………?」
泣きそうな顔になり俯くと、「……わからない、みたい」不安そうに呟いた。
「記憶喪失!?」
ロックとセリスは顔を見合わせた。
「そう……なのかな?」
少女は首を傾げる。その仕草一つ一つが女の子らしい。彼女の甘い声を聞く度にセリスの胸が疼く。
ロックがでれ~っとしていないのは救いだ。
「名前もわからないのか?」
「名前? 名前は………………リーマ、そう呼ばれていたかも……」
「誰に?」
「………………わからない……」
リーマは力無く首を横に振った。ロックは気を取り直して、
「とりあえずドマに行こう。歩けるか?」
「何とか」
リーマは緩慢に立ち上がったが、すぐによろけてしまいロックに支えられる。全体的に細く小柄で軽そうだ。身長差を見ても、二人が絵になってセリスは疎外感を拭えない。
(この子もマシュマロみたい……)
フワフワの髪が余計そう思わせるのかもしれない。儚げで可憐な美少女を前に、セリスはしょぼんとしてしまう。
「うーん、無理しない方がいいか。俺がおぶるよ」
ロックが言ったので、
「あ、じゃあ荷物持つね」
セリスはロックの分の荷を引き取る。ひがむような態度はロックに見せたくない。
「おしっ」
少女をおぶさったロックと、結構重い荷物を背負うことになったセリスは、ゆっくりと歩き出した。
20分程歩くと、どうやらリーマは眠ってしまったようで、
「ごめんなさい。重いでしょう?」
などとしきりに言っていた声がしなくなった。
「この子、一体なんなんだろうな」
ロックが不思議そうにボヤく。いくら少女が華奢でも荷物よりは勿論重い。ずっと背負っているのは大変だろう。
セリスは心中複雑だが、ロックが困っている人を放っておけない事をよく知っているから、普通の顔で、
「精霊の仕業かしら」
唯一思い当たることを言った。
「そういや魔力がなくなってから頻繁に噂に上るもんな。ありえんのかもな」
ロックも頷く。魔力の無い今、それが考えられる唯一の可能性だと思われた。というより、他に説明がつかなかった。
† † †
ドマに到着すると、忙しいカイエンの代わりに滞在中のマッシュが出迎えてくれた。
二人ともくたくたで、リーマを城の者に任せると、風呂に入ってお茶を頂いた。
「へえ? 不思議でござるな」
仕事も一段落したらしいカイエンも交えて、リーマを拾った経緯を話す。
「あの子、ネコ!?」
カイエンを手伝ってドマにいるガウが首を傾げる。
「どっかの猫が人間の姿にさせられてたりしてな」
ロックが冗談を言うと、皆苦笑いを返す。さすがにそれはないだろう。
「でも、本当に精霊とやらの仕業かもな。他に説明がつかない」
マッシュがうなった。正直、噂には聞いても彼等は見たことがない。
「異様に整ってるもんなあ」
ロックは思い出して呟く。美少女というのを通り越していると思った。当のリーマは、客室に寝かされているはずだ。
「って、それじゃ彼女が精霊みたいじゃない」
セリスが呆れて言うと、ロックはきょとんとしてから、
「そうだよな……ハハ」
頬をぽりぽりかいた。
「にゃっ!」
リーマが気が付くと、見知らぬ場所で……驚いて飛び起きる。
「夢界から出ると結構疲れるのね。魔力が無くなったとはいえその影響が大きかった世界だしなあ。慣れれば平気かなぁ」
ぼんやり呟いて部屋を見渡す。質素だがきちんと片づいた部屋だ。
「あの人、ロックはどこに行ったのかな?」
首を傾げて、ベッドから下りる。首を逆に捻り、ぽんっと手を打つと、
「むむむ……」
難しい顔になった。すると、ぽろっ……彼女の大きな瞳から涙が零れ落ちる。
「ぐすん、ぐすん……」
心細げな鳴き声が大きくない部屋に響き始めた。
3分程すると、若い女性がすっ飛んできた。
「お目覚めですか? どうかされましたか?」
心配そうな女性の問いに、
「あの人は……?」
リーマは泣きながら尋ねる。
「ああ」
女性は頷いて、
「こちらですよ。さあ、お顔を拭いて」
綺麗な手ぬぐいを差し出してくれた。
結局、どうすればいいのかなんてわからないまま、いつの間にか雑談になっていた。
そこへ泣き腫らした目のリーマが姿を現して、皆ギョッとする。
「あの……気が付いたら……知らない所で……」
記憶喪失なのだから、どこもかしこも知らない場所なのだろうが、リーマは言った。ロックだけを見つめて。
ロックは自分だけに言った事には気付かず、
「ああ、ドマに行くって言っただろ? 心配いらない」
笑顔で頷いた。
ロックの態度は極めて普通だ。が、セリスはもしリーマの立場だったら、あんな風にできるだろうかと思う。何もかも忘れていたら、もしかしたら可愛らしい素直な態度になるかもしれない。又は記憶は無くとも態度は変わらず素直じゃないかもしれない。
「不安にさせたな」
ロックが言うと、リーマは照れたように首を横に振って、「座っていい?」と尋ねる。ロックが頷くと、空いている一番手前の席(でもロックの隣だ)に腰掛けた。
「ところで、この世界の地理とかそういうのは覚えているのか?」
マッシュが尋ねると、リーマはきょとんとする。その顔も魅力的だとセリスは思う。もしかしたら僻みすぎかもしれない。そんな自分がとても見苦しい。
「要するに、自分の事に関してだけ忘れちゃったのかってことだよ」
ロックが口添えすると、リーマは頷いたが、
「何を覚えているのかって言われても、よくわからないの。どうしてだろう……」
答えを求めて、ロックのことを上目遣いに見つめる。熱っぽい視線。
(そんな目でロックを見ないで)
セリスは心の中で叫ぶ。浅ましい独占欲が心の底から湧いてくる。
「記憶喪失の原因ていうのは色々あるみたいだけど、あんな所で何も持たずに倒れてたから、相応の理由があるんだろうな。でも俺達にはわからないんだ」
ロックは生真面目に答える。他人から見ればリーマが色目を使っているように見えても、鈍感なロックには通じていないのかもしれない。
「ううん。私こそごめんなさい。突然知らない人にこんなこと言われても困るよね」
リーマは悲しそうな笑みを浮かべると、ロックは慌てて、
「そんなことない。困ってるなら放っておけないよ。な?」
一同の顔を見渡したが、困惑気味な曖昧な笑みが返ってくるだけだ。ガウだけはにこにこしている。
「ありがとう。みなさんも、迷惑をかけてすいません」
リーマがきちんと頭を下げる。セリス、マッシュ、カイエンは顔を見合わせて苦笑いだ。
「ネコ?」
突然ガウが声を上げる。あのゆらゆらした尻尾が気になって仕方ないのだろう。
セリスでさえ少しだけ触ってみたいと思うぐらいだ。
「尻尾! ネコ!」
はしゃいだガウに、リーマはその金緑の瞳を大きく見開いてから、自分の耳に触れ、尻尾に触れ、目を潤ませた。
「げっ」
ガウ以外の全員が、心の中で呻く。
「???」
ガウはまったくわかっていない様子だ。マッシュがとりつくろうように、
「か、かわいいよ。な、ロック!」
ロックに会話を振った。ロックは一瞬顔をしかめたが、すぐに笑顔を作ると、
「ああ、勿論。な、カイエン」
カイエンにバトンタッチだ。カイエンは苦虫を噛み潰したような顔で必死に笑みを浮かべると、
「そうでござるな。愛らしいではないか」
大きく頷いた。
男が女の涙を面倒だと思うのは、どうやら本当かもしれないとセリスは思う。
「変じゃ、ない?」
リーマはまた、ロックを見る。何かを請うような視線。
ロックはしっかりと頷くと、
「ああ。俺は記憶を失ったって、見捨てたりはしないさ。なんとか戻す方法を探してやるよ」
そう答えた。
(やっぱりロックの琴線に触れてしまった……)
レイチェルを死なせてしまったことへの後悔は消えたわけではないのだろう。癒されつつあるだけで。
すごく!イヤだったが、さすがに困っている人を見捨てるようなわがままはセリスには言えない。元々、わがままなんて言えないのだ。言ったことがない。受け止めてもらったことがないから。
(ロックは、別に……私の恋人じゃないんだもの……)
そう考えて諦めるしかなかった。せっかく素直になれそうだったのも、おしゃかだ。
この事が終わったら、もうはっきりさせた方が、自分のためにも楽かもしれない。セリスは思う。
「と、とりあえず、少し様子をみた方がいいよな。少しずつ記憶が戻るかもしれないし」
セリスは優しい表情を浮かべているように見えるが、無理矢理作っていることに気付いたマッシュが無理に明るく言う。
「そうでござるよ」
カイエンもしきりに頷いた。
確かに放ってはおけないが、ドマの復興も忙しいので、何ができるとも言えない。
「フィガロの医者に一度見せてみればいい。来週、セッツァーが来るだろうから、その時にでも乗せていってもらおう」
マッシュが引きつった笑みで言った。
† † †
眠れないというリーマに、ロックは彼女が寝付くまでついていてやった。
何でもいいから話してなどと言うリーマが、なんだか妹のように思えてくる。
結局、夜中までリーマになってやっとリーマが眠ると、ロックは部屋に戻りさっさと寝てしまった。
ドマ城の客室は一人部屋のためロックとは別々だ。
セリスは、カイエンの部屋でマッシュと3人、話をしていた。
「まあ、気にすんなよ」
マッシュが言う。セリスは儚い笑みを浮かべるだけで答えない。
大体、気にするななんて無理な話だ。
「拙者はあの娘は苦手でござる」
カイエンがしかめっ面で本音を零すと、セリスは苦笑いをした。
「素直で可愛いじゃない。羨ましいわ」
彼女の少しだけ本音を漏らす。
「セリスは素直ではござらぬのか?」
カイエンに問い返され、セリスは更に苦笑いを強める。
「どちらかっていうと意地っ張りかも。どこまで本音を出していいのか、素直になっていいのか、わからないのよ」
「ロックなら全部受け止めてくれるんじゃないのか?」
マッシュが不思議そうに言うが、セリスは首を横に振った。
「例えばあの子には関わりたくないなんて言ったら、『見捨てるのかっ!』って怒鳴られると思うわ」
思わずマッシュもカイエンも納得してしまう。ロックは真っ直ぐすぎるのだ。
「ロックがそういう人だから、私は今、ここにこうしていられるんだし」
セリスの言葉にカイエンは感慨深げに頷いた。
「そうでござるな。あの時、ロックが止めてくれて、セリスを斬らずにすんで本当に良かったでござる」
「カイエン……」
セリスは思わずじんとなる。カイエンに許されているのだと思うと、心が少し軽くなった気がした。
「もう、あんな風に甘んじて殺されようなんてしないだろ?」
マッシュに問われ、セリスはきょとんとしてから考え込んだ。
「どうしてそこで悩むんだ? もしセリスが死んだりしたら、ロックが辛い思いをするんだぞ」
「そうよね……」
それはわかっていた。ロックが自分を女としてレイチェルのように想っているのでないとしても、彼はとても気に病む。再び大きな傷を作ることになる。
「罪を背負うことが辛くとも、生きなければならないでござる」
「ありがとう」
厳しくとも優しい人生の先輩の言葉にセリスは心から感謝して、微笑みを浮かべた。
■あとがき■
微妙な展開です。しかも、やっぱり全然長いかもしれません。とりあえず、暫く辛い話が続くでしょう。後の甘さを引き立てるためです。ご容赦を。
珍しくマッシュとカイエンが出張ってます。エドガーも使いやすいけどね。たまにはこの二人もいいでしょう。なかなか気に入ってます。
一応、これからは他と平行させて行くつもりです。マシュマロ優先ですけど、他が滞るので。
このマシュマロは想ったより気に入ったできになりそうです。いろんなこと詰め込んでしまってます。あやさん、リク以外の要素もたくさんでてきていてすみません。 (03.07.11)
「お前ってホント、素直じゃないな」
突然ロックが言った。何の脈絡もなく、突然。滞在中のドマの私の部屋で。
「え……」
私は思わず固まってしまう。そんなことはわかっていたけど、ロックがうんざりしたように言うなんて……。
いや、もしかしたらそういう不安は常にあった。でも、彼は大丈夫だっていう期待もあったから。
「可愛くない態度ばっかりとるしな。女らしくしようともしないしな」
ロックにそんなことを強要されるとは思いもしなかった。
そのままのお前で、そう言ってくれる人だと勝手に決めて甘えていたんだ。
「しかも努力の欠片も見えないなんて、お前ってダメな女」
ロックは吐息混じりに吐き出した。
「あ……」
私は何か言いたくても言葉が見つからず、震える体を必死に押さえることしかできない。
「いくら国のためだって、大勢の人間を平気で殺せるような女だもんな」
冷たい台詞に、私は涙を一つ落とす。止められなかった。
ロックにそんな風に思われていたなんて信じられなかった。
いつでも私を励ましてくれたのに。幸せになっていいんだって言ってくれたのに。
「へえ? 泣くんだ?」
意地悪い笑みを浮かべたロックは、更に続けた。
「もしかして自分のこと可哀想とか思ってるわけ?」
「ちっ、違……!」
「まあ、もう俺には関係ないけどな」
全てが悪夢だった。残酷すぎる悪夢だった。
悩みながらも幸せだったからこそ、突然に豹変に私は心がついていけなかった。
「どっかで野垂れ死ぬのがお似合いじゃねーのか? お前には」
言い捨てて、ロックは部屋を出ていった。
私は床にしゃがみ込み、ただ泣くことしかできなかった。
突然絶望の淵に追いやられた私には、為す術などなかった。
† † †
「お前もあの位、素直になれば?」
言ってからヤバイと思った。てゆーか、俺、なんでこんな事言ったんだかもわからん。
そりゃ、セリスが素直に俺を頼ったり、甘えたりしてくれたら嬉しいさ。だけど、それができない不器用なセリスが、俺の知ってる彼女なんだ。
案の定、セリスは顔色を変えた。しまったって思ったってもう遅い。謝った所で彼女は今傷付いたんだから。
「いや、ほら、甘え上手な方が特だろ?」
取り繕うように言ってみたが勿論無駄だ。これなら素直に謝ったほうが良かっただろう。
「そうね……」
彼女は低い声で無表情に言った。恐い。
「素直で甘え上手の方が可愛いわよね」
そしてニッコリ笑う。その笑みの迫力といったらない。
「別に私が素直になったり甘えたりする必要はないでしょう? 私はあなたの恋人じゃないんだし」
「え……?」
俺はぽかんと口を開ける。きっと間抜けな顔だ。
「一緒に旅をしているだけだもの。別にあなたに甘えなくても、私だって恋人には甘えるわよ」
言い放たれたその意味を理解し、俺はすごいショックを受けていた。
「あなたなんか甘えるに値しないじゃない。偉そうなこと言わないでくれる?」
怒りに満ちたセリスの瞳。
だが、俺はそんなことはもうどうでも良くなっていた。
俺は恋人のつもりだった。少し未満かもしれないけど、それは彼女が奥手だろうことを考慮してだ。慣れてないだろうことを思慮に入れて、急がないようにしてただけだ。
これだって俺にすればすっげー大変なことだ。俺は感情に正直な方だから、それを理性で押し止めるのは簡単にはいかない。そのせいで少し冷たい態度になってしまうことだってあったけど……。
「なんかずっと兄のように考えてきたけど、がっかり。サイテー」
更に追い打ちをかけられる。
兄、兄ね……。
もうサイテーでもなんでもいいよ。
気付くとセリスはいなくなっていて、入れ替わるようにリーマがやって来た。
「私がついてるよ」
リーマが甘い声で囁く。
正直、今は鬱陶しい、はずなんだが、首に腕を回して抱きついてきた彼女を俺は振り払えなかった。
「だって、私はあなたが好きだもん。好き。全部。ずっと……」
リーマは囁きながら、俺の耳に口づけを落とす。
「私はあなたに甘えたいよ。全部、受け止めて欲しい。あたなも受け止めたい」
心地よい声に、俺は夢と現実の境がわからなくなるような錯覚に陥り……
† † †
ガバッ
突然身体を起こして、ロックは肩で息をした。
(なんつー夢だ。悪夢だ、悪夢。有り得ない……。)
頭を横に振った。そこで気付く。右側が妙に温かい。そして柔らかい。
嫌な予感がした。
恐る恐るそちらを見ると……毛布にくるまって、可憐な美少女が、裸同然の格好で横たわっていた。
「ちょっと待て……」
ロックは記憶を探る。有り得ない。昨日はリーマを寝かしつけてから一人で眠った。
(じゃあ、これは悪夢の続きか……?)
「んにゃ……」
少女がむにゃむにゃを目を開けた。ロックに気付いて幸せそうに微笑む。
(何故だ!)
「お・は・よ」
身体を起こしたリーマは、透けそうなスリップドレスを身に着けている。
(つーか、その服はどこから出てきた!)
ロックは目を逸らして、
「なんでここにいんだ?」
尋ねる。さすがに少しムッとしていた。が、リーマは、
「ご、ごめんなさい……。夜中に目が覚めて……不安で……一人で眠れなくて……」
涙声で呟く。そんな風に言われたらロックはため息をつくしかできない。
「ごめんなさい」
リーマはもう一度言って、ロックの右腕をとった。自分の腕を絡めてすがりつく。
「お前……」
怒ってやろうかと思ったが、腕に押し潰された豊かな白い胸が目に入り、急にその感触が気になってロックは言葉を止める。
(地獄だ……)
無論怒鳴って部屋から追い出すべきかも知れないが、知り合いもいないこの少女をそこまで無下には扱えない。なんとかわかってもらいたいが、どうすればわかってくれるのか皆目検討も付かない。
「とにかく離れろ。そして自分の部屋に戻れ」
言ってから思う。この格好でロックの部屋から出ていったらめちゃくちゃ怪しいではないか。
再びロックがジブラルタル海峡より深いため息をつくと、
コンコン
ノックがした。
「はい?」
答えてしまったと思う。何だか今日は朝から最悪だ。
「ロック……?」
案の定セリスだった。少しだけ扉を開けて中を覗いて、彼女は固まる。当然だろう。
「ご、ごめんなさい」
小さくなってそう言うと、セリスはパタンと扉を閉めてしまった。
「あああっ! くそっ!」
ロックはリーマを振り解いてベッドから出ると、裸だった上半身にTシャツだけ着て部屋を飛び出した。ちなみに下は普通にスウェットだ。
とりあえず隣の部屋を覗く。セリスが与えられた客室だ。いない。マッシュやカイエンに知れたら更に文句を言われる。彼等にとっては大事な仲間だ。あげくセッツァーに知られた日には浚われかねない。
城中を探し回って、やっと見付けた時には30分も経っていた。それだけ広いのだから仕方ない。
彼女は城の周りを囲む堀の石団に腰を掛けてしょぼんとしていた。
「セリス」
ロックは後ろに立って肩に手を掛けた。
ビクッ
彼女は一瞬驚いたのか震えて恐る恐る振り返る。
「さっきのは違うからな。つーか、起きたら勝手に隣にいた。夜中に目が覚めて一人じゃ恐くてとか言ってた。俺にはこれ以上説明できない」
一気にまくし立てると、セリスは不安そうな表情をしていたが頷いた。
「うん。驚いただけ。それにどう反応すればいいかわからなかったし」
柔らかく微笑む。ロックが追いかけてきて弁解してくれた事を嬉しく思ったからだ。何とも思ってなければ弁解する必要もないのだから。
彼女がすんなり納得してくれたことにホッとしたロックは、隣に腰掛け呟く。
「しかし、どーしたもんか」
「リーマ?」
「ああ。さすがに俺でも少し疲れる」
ロックのボヤきに、セリスはくすっと笑みをもらし、
「でも可愛いじゃない。甘え上手で」
「まあそうかもしれないけどな。あんまし俺には関係ないし」
どうでもよさそうに言うと、セリスは小首を傾げる。リーマが首を傾げるより、セリスがやった方がロックには効果があるのだ。だって、セリスだから。
お前がいればいい、と言いたかったが恥ずかしくて言えるわけがない。勢いで言ってしまう時はいいが、平静では無理だ。
誤魔化すように話題を変え、
「ところでさ、さっきは用があったんじゃないのか?」
「あ、ううん。ただ、ちょっと夢見が悪くて……」
セリスが苦笑い混じりに言うと、
「そうなのか? 実は俺もなんだよ」
ロックは思い出すのも嫌でげっそりした。
「ロックも!?」
「ああ……。クソ、夢で良かったよ」
「私も」
セリスもため息混じりに頷く。
それから二人で顔を見合わせて吹き出した。
「一体、どんな夢みたんだ?」
「ロックこそ」
二人とも苦笑いだけで言えない。言えるわけがない。
「まあ、夢は夢だ。気にすることじゃない」
「そうよね」
二人が現実が変わらないことにホッとしていると、
「こんなところにいたのか?」
マッシュが探しに来た。
「リーマはどーすんだよ。何故か、ロックの部屋でしくしくしてるぞ」
マッシュに言われ、二人は再び顔を見合わせた。今度はため息だ。
「正直、手に負えなさそうだ」
ロックが呟くと、マッシュは目を丸くした。
「珍しいな。ロックがお手上げだなんて。絶対に投げ出したりしないのに」
「なんつーか、俺の理解を超えた存在だ」
ロックは力無く首を横に振った。
「まるで地球外生命体でも見たような口振りだな。んじゃ、どうするんだ?」
そう聞かれてしまうと返答に困る。
「そうだよな。前ならまだしも、彼女を保護できるような場所は今はないもんな。悪いとは思うがエドガーかティナを頼るしかないか」
「彼女がそれで納得するかしら」
セリスに突っ込まれてロックは再びため息をついた。
「そうだよな。大体、一度言ったことには責任をとらなきゃなんねーもんな」
ロックは決意したように立ち上がる。
「お、じゃあ、朝食の用意できてるからとりあえず食ってくれ。終わる頃行く」
マッシュは手を振って戻って行く。
「そうね」
セリスも立ち上がると、「しかし」とロックは呟いた。
「夜中に忍び込むのはどうなんだ? 言ってやめると思うか? 別に俺は本気で嬉しくないぞ。全然」
「アハハ……」
セリスは空笑いをした。喜んで良いのかなんなのかわからない。少しリーマが不憫に思う。
「怒鳴ったりできねーし……。困った……」
ぶつぶつと繰り返していたロックは、突然顔を上げると、
「なんだ」
自分の手の平をぽんと叩いて、セリスを見た。セリスは「ん?」ロックを見返す。
「セリスと一緒に寝てれば来ないよな」
至極普通に言われ、セリスは一瞬ぽかんとしたがすぐに顔を真っ赤にする。
「ななな、何言って……」
「大丈夫、なんもしねーって」
「そういう問題じゃ……ないんだけど……」
何もしないと言い切られてしまうのも悲しい。全然女として意識されてない証拠だ。
「まあ、セリスがどーしても迷惑っつーなら仕方ねーからマッシュの部屋でソファーに寝かせてもらうけどな」
「迷惑とかいう問題でも……」
恥ずかしいのかセリスは歯切れが悪い。ロックは苦笑いで彼女の頭をぽんぽんと手のひらで叩き、
「アハハ、ま、いいよ。今夜はマッシュの所に世話になる」
「……別に……嫌なわけじゃ……」
「ん? そうか? でも、あのベッドそんなに広くないからな。落ちたら困るし。大丈夫だ」
そう言われてしまうととても残念だ。さっさといいと言えば良かったと、セリスは後悔する。今更だが。
「じゃあ飯にするか。腹減ったな」
頷いたセリスを伴って、ロックは歩き始めた。
† † †
「何だか顔色悪いな」
ロックは朝食をとるために食堂に入りるなり言った。
セリスが青白い顔をしている。目の下にはうっすらと隈も見受けられた。
ドマに来てから4日が経過していた。事態は全く進展していない。
「ロックもあんまりいいとは言えないけど……」
セリスの言葉に、ロックは頬をかいた。確かに寝不足だ。あれから毎晩変な夢を見るせいで眠りは浅く、目覚めると疲れている。
「まあ、俺はまだ平気だけどさ。お前、唇も青いぞ」
「ん……」
セリスは出てきた朝食の中でもサラダのみを食べて、デザートのヨーグルトを口に運ぶスプーンがすごく重そうだ。
「食欲もないみたいだしな。昨日も余り食べなかったじゃないか」
「うん……」
セリスの返事には覇気が感じられない。生気も抜けたようだ。
「どうしたんだよ」
ロックは心配で仕方が無くなる。
「まさか、お前もまだ夢見が悪いのか?」
「え? てことは、ロックも?」
「……まあ、な」
ロックは返事に迷う。自分の心配はこの際置いておいてほしい。ロックより遙かにセリスの調子の方が悪そうだ。
「一体、なんなんだ……? おかしくないか?」
ロックが訝しげに吐き出すと、
「おはようございます」
リーマがやって来た。
「あ、ああ、おはよう」
ロックが答えるとにっこり微笑んで席に着く。
そして斜め前に座るセリスに気付き、固まった。
「?」
セリスが不思議そうな顔をすると、
「……恐い……」
リーマが震えるように呟いた。
「??」
セリスには何が恐いのかよくわからない。自分が、だろうか。ロックも不思議そうにリーマを見た。
「だって、だって……どうしてそんなに多くの人に恨まれてるの?」
リーマの言葉にロックは目を見張り、セリスは持っていたスプーンを落とした。ガシャン、と音を立てて立ち上がる。顔色が真っ青だ。
「リーマ、お前、何言って……」
ロックが問うと、
「だって、後ろでたくさんの人が……恐い顔でくっついてる……」
リーマは涙ぐみながら答える。無論、ロックにはそんなもの見えない。リーマには見えるのだろうか。俗に言う霊感が強いのか……。
「冗談は……」
ロックが止めようとしたが、
「冗談なんか言ってない! だって、いるんだもん! いや! 恐い!」
リーマの叫びに、セリスの身体が傾いだ。
「セリス!」
ロックが慌てて駆け寄るより先に、彼女は床に崩れ落ち、そのまま意識を手放した。
「さっき言ってたのはどういう意味だ?」
気絶したセリスをベッドに寝かせると、ロックはリーマに尋ねた。彼女は責任を感じているのかしょぼんとしている。
「ごめんなさい。わからないの。だって、見えたんだもの」
「そういうの、見えるのか?」
「わからない」
リーマは首を横に振るだけだ。記憶喪失ならわからないだけ、不安だろう。ロックはそれ以上尋ねることもできなかった。聞いてもわからないのだろうから。
本当に、セリスの背後に彼女を恨む者たちがいるのだろうか───。
ロックには信じられなかった。
† † †
「んね、ロック」
幼げな顔の割には妙な色気を伴った少女が、すり寄ってきた。
「どうした?」
俺は手を伸ばすと、そっと耳の裏を撫でてやる。
「んふふ」
リーマは嬉しそうに甘えた声を出した。
(……? あれ?)
「ロック、私の事、好き?」
大きな瞳で上目遣いに俺を見るリーマを愛しく感じる。
「当たり前だろ」
俺は微笑んで彼女を抱き上げた。
(これって、なんか変じゃないか? つーか、いつから当たり前になった!)
俺は頬を寄せて、彼女の柔らかい頬にくっつける。
「くすぐったい」
身をよじるリーマに、俺は口づけを落とす。
(なんで、脈絡もなしに俺、こんなことしてんだ!?)
† † †
ぱちっと目を開けると、石の灰色が目に入る。天井だ。
ここは……かかっていた毛布をどけて、ロックは身体を起こした。
ソファーの上。セリスの部屋だ。
昨日、あのまま気絶して目覚めない彼女が心配なこともあり、勝手にソファーで寝た。
「何でセリスが倒れたってのに、俺はあんな夢を見るんだ?」
自分が信じられない。それとも、本当はリーマに惹かれている部分が少なからずあるのだろうか。
「いや、ありえねえ。セリス以外の女が気になるてぜってーありえねえ」
言葉にしたのは本当は自信がないからかもしれない。レイチェルの事だって絶対に彼女だけだと思っていた。例え死んでも、彼女だけを愛し続けると思っていた。でも自分はセリスに出会い、惹かれた。
(自覚がないだけでもしかして、俺っていい加減なのか……?)
頭を振って立ち上がる。
(大体、昨日まではセリスに振られて慰めてもらうっつーパターンだったのに、今日のはいきなり普通に恋人同士みたいな感じだったもんな。俺、絶対、そんなこと望んでないはずなのに……。夢が潜在意識の現れなんて嘘だ!)
ため息をついて、セリスのベッドの脇に立つ。
「セリス……」
彼女が目覚めた様子はない。
ただ苦しそうに丸まって、眉根を寄せている。
「辛い、のか……?」
尋ねても彼女は答えない。「ん……」軽く呻いて寝返りを打つだけだ。
「医者は疲労だっつったけど……それだけじゃない気がすんだ」
ロック自身も辛そうな表情で、彼女に手を伸ばした───が、ビリッ! 突然痺れが走り、「うわっ」ロックは手を引っ込めた。
「なんだ?」
眉をひそめてセリスを見ると、先程までは、一瞬前までは彼女は普通にベッドに寝ていただけなのに───薔薇に囲まれていた。
「一体、どうなってんだこりゃ───」
呆然と立ち尽くす。
「セリス!」
叫んだが彼女は答えない。
美しい青の大輪が咲き誇り彼女を護るかのようだ。
「くそっ!」
ロックは思わず蔓を引きちぎろうと手を掛けたが、
「っち!」
先程と同じような痺れを受け、断念する。棘に触れたわけでもないのに、まるで魔法がかけてあるかのようだ。
自分だけでは事態を収拾できないと判断し、マッシュとカイエンを呼ぶことにした。
「一体どうなってるんだ……!」
マッシュが目を見開いて呻いた。
「これは一体……?」
カイエンがロックに答えを求めた。
セリスの眠るベッドをぐるりと囲んだ一面の薔薇。美しい青は自然では有り得ない色だ。
咽せるような甘い香りが部屋に充満している。
「ロック、何がどうしてこんなことに?」
マッシュに詰め寄られ、ロックは肩を落として首を横に振ることしかできなかった。
「本当に一瞬で、彼女に触れようとしたら突然、こうなったんだ」
そう答える意外に何もできない。
自分の無力さを突き付けられ、ただ誰かに助けを請うことしかできない。
「それまでは何もなかった。手を伸ばしたら、静電気が起きたみたいに感じて手を引いたら、もうこうなってた」
いつものような元気のうかがえないロックの肩に、マッシュが手をかける。
「まだ何もわからないんだ。原因を追及してみよう」
勿論、慰めにもならない台詞だとマッシュ自身もわかっていたが、他にかける言葉が見つからなかった。
「まるで童話の茨姫でございるな」
カイエンが信じられないとでもいう用に頭を振る。
「駆除できないのか?」
「触ると電気が走るみたいな感じなんだ」
ロックの答えに、マッシュは好奇心なのか自分も青い花びらを摘もうとして、
「うぉっっっと!」
バシッというひっぱたかれたような痛みに、手をぶんぶんと振る。
「心当たりなど、ござらぬか?」
「こんなことになる心当たりなんてないよ」
「こりゃ、本当に精霊の仕業か……」
マッシュが諦めたように肩を落とす。
「ん……」
セリスが突然呻いた。
「セリス!」
目が覚めたのかとロックが名を呼んだが、彼女は答えない。
「っ! い……や……」
魘され、もごもごと何かを呟くが何を言っているかはわからない。苦しそうな表情で、布団から出ている白い片腕がシーツをギュッと握り締める。
「セリス!」
ロックはその手を握ってやることもできぬもどかしさに苛立ちながら彼女を呼ぶが、彼女は気付かない。苦しそうに顔を歪めた顔を汗が伝う。
「くそっ! 何だってこんなありえねーことばっか起こるんだ!?」
イライラして、壁を蹴ることを辛うじて堪えたロックはハタと気付く。
「ありえねーって言や、リーマもそうだな……。待てよ、だけどセリスを恨んでいる奴らが見えるとか言ってたな」
その話はマッシュもカイエンも、セリスが倒れた時に聞かされている。
「怨念、でござるか?」
「聞いたってどうせわかんないぜ」
リーマが苦手らしいマッシュが投げやりに言う。
「とりあえず、精霊のことは聞いてみるか」
3人は頷き合うと、リーマが使っている客室へ向かった。
だが彼女の姿は無く、世話を頼んでいた女性に尋ねると、花壇にいると言われそちらに行くことにした。
リーマの姿はすぐに見つかった。花壇の際に立ち、ぼうっと空を見つめている。
絵になる美しさだが、今はそれどころではない。
「リーマ!」
呼びかけると彼女はゆっくりと振り返る。
「何も覚えてないって言ってたよな」
ロックは言いながら彼女に近付いた。
失礼かと思って尋ねることができないでいたが、「そのさ、尻尾とかは……生まれつきなのか?」と聞いてみる。
「え?」
リーマはキョトンとした後、困ったような泣きそうな顔で俯いた。
「……よくわからない。変、だよね。みんな、こんな姿じゃない」
その不安そうな様子に、ついティナが重なりロックの胸が痛む。
「悪い。……でも、違和感とかはないのか? ごく普通に受け入れてるのか?」
痛んだ心を無視して更に突っ込む。普段のロックは絶対にこんなことはしない。相手が傷付くようなことを尋ねたりはしない。
カイエンとマッシュも気の毒に思いながらも、生唾を飲み込み答えを待った。
「……? わからないよ…………」
呟くと、リーマは大粒の涙を落とした。一応の覚悟はしていたが、やはり辛い。
「ごめんな」
ロックはリーマのふわふわの頭を撫でながら、
「悪い……。でもあのさ、もしかしたら精霊の仕業じゃないかって思うんだけど、心当たり無いか?」
優しく尋ねると、リーマは涙に濡れた頬を隠しもせず、
「精霊……?」
不思議そうに呟く。ロックは頷くと、
「ああ、いろんな物に宿るって言う精霊だよ。今、結構噂になってる」
リーマの返事を期待したが、彼女は首を横に振り、
「わからないの……何もわからない……ごめんなさい…………」
余計に泣き出してしまった。
■あとがき■
文字色はセリスの夢がピンク、ロックの夢が青になっていることに気付きましたか? 夢は突然一人称なのでわけました。
とても痛い回です。すいません。次回もすごく痛いです。でも乗り越えるにはどうしても向き合わねばならず、こういう事件がきっかけでもいいかと思い……。その方がドラマチックでしょ? なんて……恥ずかしい……。でも、ドラマチックはFFのいい所なので……。私がFF派なのはやっぱりこのドラマチックさです。DQも一応出るたびプレイしますけどね。こう切ない幻想的な雰囲気に欠けるので物足りないです。DQⅢに関してはRPGとしては名作ですけどね。同じエニックスならスターオーシャンの方が好きです。作ってるのは子会社だけど。そして今は合併しちゃったから会社で分けても意味が無いけど。
今回ちょっと長いです。6回か7回で終わる予定です。もう少しおつきあい下さい。 (03.07.15)
気が付くと漆黒の闇の中に立っていた。
辺りは何も見えない。ただ闇が広がっているだけだ。
「ロック……?」
不安になって愛しい人の名を呼ぶと、少し向こうに、ぼうっとロックの姿が浮かび上がった。
「ロック!」
ホッとして駆け寄ろうとしたが、傍らの人物に気付き足を止めた。あの不思議な少女リーマだ。
「あのね」
リーマが上目遣いで甘えた声を出す。私には絶対にできない……。
「ん?」
ロックは優しい目でそんな彼女を見た。いつも私を包んでくれたあの穏やかなブルーグレイの瞳で。
「ギュって、してくれる?」
恥ずかしそうにはにかんだリーマを、両腕を広げたロックは笑顔で包み込む。
「うそ……」
私は呆然と呟いた。鼓動が早くなる。目の前にしている光景が信じられない。何かの間違いであってほしい。だけど……。
ロックは優しくリーマを抱きしめて、彼女の髪に触れる。
「くすぐったいよ」
幸せそうなリーマが、顔を上げて瞳を閉じると、ロックの顔が近付く。
「いや!」
私は思わずは叫んでいた。
「やめて!」
目を閉じて、全てから逃げ出してしまいたいと願う。
「………………?」
何の音もしない。声もない。そして妙な臭気に気付いた。
「な、に?」
恐る恐る目を開けると、たくさんの死体の中心にいた。
目を大きく見開いて周囲を見渡す。
私はいつの間にか愛剣ファルシオンを握っていて、そこから生々しい血が滴っていた。
おびただしい数の無惨な死体は……私が作った……?
過去の記憶が蘇る。
そうだ。私はこうして死体の山を築いた。
ムッとする血なまぐさい死臭。生きている者は誰もいない。敵も味方も……。
四方八方どこを見ても、延々と死体が転がっていた。
『何故殺した』
どこからかゾッとするような低い声がしたかと思うと、足首にぬめりという感触があった。
ぎょっとして下を見ると、顔が半分潰れ、両足の無い男がどろっとした脳漿を垂らしながら私を見上げていた。
「っっっ!!!」
声に鳴らぬ悲鳴を上げる。
できるだけ一撃で仕留めるようにしていた。戦闘を長引かせぬ意味も込めて、苦しまなくていい様残酷な殺し方をしないようにしていた。だが、自分だけがそのつもりだったのかもしれない。これが実際に私がしたことだったのかもしれない───。
『俺が、何をした』
別の所から声がした。思わず顔を向けると、折れた首をだらんと下げて、そこから虚ろな目が私を見つめていた。
「あ……」
後ずさりたくとも、後ろと呼べる場所がない。
『俺のこれからを返せ』
また他の声。
『未来を奪った……』
『未来を奪った……』
『返せ!』
『人殺し!』
『女のくせに……』
地獄から響くような恨み言の大合唱に責められ、私は剣を放って耳を塞いだ。
身体を這い上がってくるおぞましい感触。
『お前もこの苦しみを知るべきだ……』
腐った手に捕まれ体液が腕にまとわりつく。
「い、や……」
私は首を横に振った。
為す術がない。
勿論、死体は私の言葉を聞き入れてくれるはずがない。私が殺したのだから。
いつの間にか全ての死体が起きあがり、私を見ていた。死の世界……私が作り出した世界……。
「いやぁ────────────っ!」
無我夢中で叫ぶことしかできなかった。狂気の世界で、私は正気と決別することでしか、自分を救えなかった。
気付くと、ベッドの上だった。
ドマ城で与えられた客室だ。
「夢……」
ホッとして息を吐き出し、額の汗を拭う。
よろよろとベッドを下りて、廊下へ出ると、隣の部屋──ロックが寝ているはずの部屋から女の子の声。
また押し掛けられたのかな、なんて思い、10㎝ほど開いていたドアから覗くと、
「!!!」
悪夢の続きだと思った。
上半身裸で煙草をふかすロックと、それに甘えるように寄り添っている少女リーマ。
ロックは片手で少女の耳や首筋をくすぐっている。その度にリーマは甘い声を上げて身をよじる。
「な……んで……」
セリスはよろよろと後ずさった。
自分の鼓動がやけに耳に付く。
夢も現実も変わりなかった。この前は弁解してくれたのに、あれは嘘だったのだろうか。
信じられない。信じたくない。だけど現実は目の前にある。
『お前に幸せになる資格などあるはずがない』
誰かが耳元で囁く。
『あれだけ多くの人を殺して幸せになれると思ってるのか?』
さっき夢で見た亡霊か───?
『人殺しが人に愛されるものか』
亡霊は私を嘲笑う。
『因果応報と言う言葉を知らないのか?』
それらの言葉は私に深く、深く突き刺さる。
自分でもそう思った。何度もそう思った。その度ロックに励まされて立ち直ってきたのに───。
『奴の恋人もお前が殺したんじゃないのか?』
『そうだ。殺したも同然だ』
『愛されるはずがない』
わかっていた。わかっていたけど、期待していた。ロックだから───。
『お前もこの苦しみを知るべきだ……』
『苦しめ』
『絶望の闇へ』
『落ちろ』
それらの言葉を聞きながら、私は意識を手放した。
そして気が付くと、一人、闇の中に立っている。
悪夢の無限回廊は、決して尽きない──────
† † †
「くっそ、手掛かりゼロか……」
情報を得るため、各地へ散っている仲間の所へ伝書鳩を飛ばした後、ロックはドマ城の書庫で書物を漁っていた。
何か少しでも手掛かりがあればと思ったのだ。
精霊は魔力が表舞台にある時は全く報告されていない。
力同士がぶつかると弱い者は消されてしまうという法則の元に、身を潜めていたのだろう。
魔大戦後は、魔力もほとんど使われなかったが、戦争のとばっちりでその数をめっきり減らすこととなった精霊が、姿を現さないのは当然のことだったのかもしれない。そのため、幻獣よりも現実味を帯びない、伝説でもないお伽噺の中だけの生き物だと思われていた。
「あいつが何したってんだよ!」
ロックが机を叩くと、長く放っておかれているためにもうっと埃が舞った。
何度かセリスの様子を見に行ったが、ずっと魘され続けている。そして時折助けを求めるようにロックの名を呼ぶ。例えすぐそばにいても、薔薇の壁に隔たられ彼女には届かない。
このまま彼女が目覚めなかったら……そんなことばかり考えてしまう悲観的なロックがいた。
「ロック、余り根を詰めるのもよくないと思うの。カイエンさんが食事にしようって」
リーマがやって来て言った。何だか一生懸命な顔だ。さすがに少し責任を感じているのかもしれない。
ロックは何も知らないリーマを責めるのはお門違いだと知ってるから、少しだけ顔を綻ばせると、
「そうだな」
彼女の頭を撫で、書庫を出た。
とりあえずは夕食だ。どれくらい期間を要するかもわからないのに、食事を抜いたりはしない。いざという時に動けないと困ることを知っている。食べられる間は食べなければならないのだ。例え辛くとも。
食事の後はセリスの部屋で、精霊関連の書籍を読んだ。書籍と言ってもこの辺りの伝説を集めたようなもので、知的文献ではない。ロックは本が嫌いではないが、一日中読めるほど好きとはとても言えないので、子供向けのお伽噺に目を通すのは楽だ。
せめて少しでも近くにいたかった。
だから、そのままソファで寝てしまうことにする。
初めのうちは、セリスが魘される度に目覚めていたのだが、いつの間にか眠りの底から足を捕まれ、深く、ずぶずぶと引きずり込まれていた。
† † †
「ロック♪」
リーマが俺の首に腕を絡め、頬をすり寄せる。
俺はその腰を支え、ひらひらとした服の合間に指を滑らせた。滑らかな背中に触れると、彼女がくすぐったそうに身をよじる。
(ちょっと待て)
「にゃん」
リーマは甘えた声を出して、俺にたくさんのキスをくれる。
(なんでだ! いらん!)
俺はリーマのむき出しの肩にキスマークを一つ落とす。そのまま唇を這わせ、大きく開いた胸元から覗く白い双丘にも印を付けた。
(だ、か、ら! 何やってんだ、俺! やめてくれ!)
そのまま服を下げ──────
「どーしてそうなるんだ─────────っっ!!!」
叫べど声にならなかったのに、突然声が出て、ロックは自分の声に驚き飛び起きた。
「ゆ、夢…………」
ロックはがっくりと肩を落とす。寝ているのに余計疲れる。眠る意味が無い。
「いや、夢に決まってるだろ。つーか、何であんな夢見んだよ!」
己に対して深く憤る。別に特別意識しているつもりはない。最初こそ、放っておけないと思ったが、正直、今はそれどころではないのだ。
大体、ドマに来る前までは夢の相手はセリスだった。当然だ。我慢しているんだから夢にぐらい出てくるだろう。それなのに何故リーマになるのだかわからない。しかも毎晩。まるで、そのまま相手だけすり替わってしまったような感じ。
「変なの。それにしても俺って奴は……セリスが大変だってのにまたこんな夢見て……」
また『夢は潜在意識のあらわれ』という言葉を思い出してしまう。胸くそ悪い。
「ありえねえ」
呟いたのに、この罪悪感は何だろう? ロックは己が不可解だ。
頭を振って、セリスが寝ているはずのベッドへ顔を向け、ロックは唖然とした。
絶対にセリスには見せたくないような間抜けな顔だ。顎が外れそうな程、口をあんぐりと開けたまま固まっている。
セリスを囲む青い蔓薔薇は広がっていた。彼女を包もうとするかのように。守ろうとするかのように。閉じこめようとするかのように。
このままでは顔さえ見えなくなってしまう。
「何でだ……?」
ロックはぞっと背筋を震わせた。
何とか茨の隙間から覗こうとすると、
「いや……」
彼女が掠れた声をもらした。全く水分を取っていない。このままだと脱水症状になってしまう。
「……やめて……。もう、殺したくない」
もしかしたら泣いているのかもしれないセリスの呟きに、ロックは心臓が鷲掴みされたかという衝撃を受ける。
彼女はまだ引きずっているのだ。いや、一生その罪は消えることなどない。償う術など存在しないのだから。だからこそ、ロックはセリスのそばで彼女を支えたかった。荷物を半分持ってやりたかった。
「くそっ、こんなもの!」
彼女を守れない自分がもどかしく、乱暴に茨を引きちぎろうとして、
「ちっ」
手がしびれる。火傷したかもしれない。
だがそれでも構わなかった。
再び手を伸ばすと、零下の氷に触れたように煙が上がる。手が焼けているのがわかる。尋常でない痛み。顔を苦痛に歪めながらも、躊躇いもせず、薔薇を排除しようとした。
が、痛みを腕から全身へと登り、いつの間にか意識を手放した。
† † †
気が付くと闇の中に立っていた。夢のような、でもそれよりは現実に近い感覚。
なのに自分の存在は希薄な気がした。存在していないのと同様、そう、精神体のようなイメージ。
俺は訝しげに周囲を見回す。
と、闇の中に求めた人の姿があった。
(セリス!)
叫んで近付くが、彼女は俺には気付かずどこかへ向かっている。
小走りになると追いついたが、腕を掴もうとして失敗する。触れなかった。肩も、どこも。まるでどちらかが幽霊のよう。
とりあえず触れることは諦めて、彼女の後を着いていく。
しばらくすると、彼女は突然立ち止まった。蒼白な顔で目を見開き、口元は震えている。
その視線を先を追うと、広がり続けていた漆黒の闇であったところに、俺とリーマの姿が現れた。
(俺、ここにいるんだけど?)
ロックがその映像を認めると、闇に覆われていた辺り一面の景色が一辺した。
ドマ城だ。ロックが使わせてもらっている客室。
「ねえ、私の事、好き?」
リーマが愛らしい仕草で尋ねると、俺は、
「当たり前だろ」
甘く微笑む。
(何言っとんじゃ──────っ!)
俺は発狂したが、誰も気付かない。俺の声は音になってない。
(いい加減にしろ!)
ぶち切れて二人に近寄り、リーマといちゃついている自分を殴ろうとして胸ぐらを掴んだ、はずが、スカッ……やはりすり抜けてしまう。
(セリス! こんなの嘘だからない!)
セリスが立っていた場所を振り返ったが、彼女は聞こえていないのか身を翻した。
慌てて後を追うと、セリスは廊下で立ち尽くしている。
そしてどこからか聞こえた声が響いた。
『この世で最も醜悪な女』
低い、嗄れた声。
『この世で最も残酷な女』
別の声が言った。
(なんだ……?)
俺は辺りを見回すが、勿論、その声の主は見あたらない。
『何故殺した』
『自らの意志で多くの命を摘み取った』
ゾッとするような響きは、地の底から轟いてくるようだ。
この声は一体なんだ? 疑問が浮かんだが、同時にリーマの言っていたセリスを恨んでいる背後霊を思い出す。まさかな。
『己の罪を見て見ぬフリか? いつまで自分は悪くないという顔をするつもりだ?』
セリスは真っ青な顔をしていた。
(やめろ!)
俺は姿なき声に向かって叫んだが、やはり効果は成さなかった。
「償うことなどできない程、私は殺めすぎた───」
セリスが呟くと、再び景色が暗転した。
今度は闇の中でなく夜だった。戦場、だ。
突然現れた、足下に転がる夥しい量の無惨な死体に、俺はちょっとビビる。
その中心に、必死で剣を振るうセリスがいた。
殺しても殺しても、一向に減らない敵兵。彼女はそれを無下に斬り捨てながら涙を流していた。
俺はもう叫ぶことをしなかった。
(ここは……もしかしてセリスの夢?)
音になっているのかどうかもよくわからないが、言葉にしてみると絶対にそうだと確信した。これは、彼女の見ている悪夢だ。
だが、気付いた途端、意識がとぎれ、夢から弾き飛ばされた。
† † †
ロックの目が覚めると、ドマ城の客室、セリスのベッドの脇で床に突っ伏している状態だった。
ひどい頭痛がして、こめかみを押さえながら身体を起こす。
頭を振って、近くのソファーに深く腰掛けた。
「悪夢に囚われているのか……?」
呟いて長いため息をつく。まるであの時、カイエンがドマ城で夢の魔物に掴まった時のようだ。何か因果があるのか? もう魔物はいないから無関係なのか?
わからないことだらけだった。
確実なのは、セリスはひどく傷付き苦しんでいるということ。
なんて残酷な夢を見ていたんだろう。
ロックが見るのもある種悪夢だが、彼女が見ているものとは別物だ。彼女が見ているのは彼女自身の闇。彼女の心の冥い所そのまま。
それは彼女の傷口を抉り、広げ続けている。
あの薔薇はなんなのだろう? 確かにセリスは薔薇が好きだけど……。
「どうすれば彼女を救える?」
考えるがわからない。根源である何かを探し出すのは難しいだろう。人間である可能性は薄く、姿を持つ者かもわからない。リーマが見たというように亡霊かもしれない。
霊媒師なんて胡散臭くて嫌いなのだが、それでも除霊を頼んでみるべきなのだろうか。ほとんどはインチキなのが難点だ。本物を探している暇はない。そのまえにセリスが衰弱死してしまう。
今、ロックが思いつく方法は一つだ。
決心すると、マッシュとカイエンを呼んだ。
経緯を話すと、ロックがやろうとしていることに対して決していい顔はしなかった。ロックにも危険が及ぶ可能性がある。何もわかっていないのだから。
だが、悠長に構えていられる保証もゼロだ。ロックの気持ちを汲んでくれたのもあるだろう。渋々了承してくれた。
ロックは、生い茂る薔薇を見つめ大きく深呼吸をする。
薔薇はまるでセリスだ。気高く美しいく、それなのに棘がある。それも、この頃はそんな風に感じることもなくなっていたのに───。
「セリスを取り戻すまで、何度でも挑戦してやる」
拳を握り締めて呟くと、花開いた大輪の1つに触れた。
先程と同じような痺れが伝わり、全身に広がる頃、意識を深く引きずり込まれるような、眩暈に似た感覚に襲われ、現実を手放した。
「拙者達はここで、ロックを待つしかないのでござるな」
ロックの身体をソファーに移すと、カイエンは悔しそうに呟いた。
セリスが、戦争で多くの人を殺したことを深く傷に負っている。
その事実はカイエンには複雑なことだった。
それは受け止め贖わなければならないことである。だが、彼女はそのために死を覚悟して帝国を抜け、そしてケフカを倒した。無論、彼女はそれで償ったとは思っていないのだろう。殺した人は戻らないから。
初めて会った時、それを責めた。彼女は殺されることに甘んじようとした。
彼女はケフカに拾われなければ、幸せに普通の少女であったかもしれないのに───。
彼女に選択できたことではなかったのに───。
幸せになってほしいとカイエンは心から思う。
人としての喜びを何一つ知らぬ少女であったから、幸せになってほしいと。
■あとがき■
次がいい所です。クライマックスに突入です。全7回に決まりました。次回予告に似たネタばれ。知りたくない方は読まないでね。この話の意味は、ロックがセリスの心を知ることにあります。全てを受け止めてやろうと思わせることにあります。ロックがそこまで構えないと、セリスは甘えられないでしょうから。 (03.7.19)
「なんでうまくいかないの~!?」
歪んだ扉らしきものを覗きながらリーマは呟く。
淡いパステルカラーの空間は、ゆらゆらと流れるように虹色に変化している。
今にも弾けそうなあやふやさを持った場所。果て無き異界とも呼ぶべき場所には、たった2つの扉があるだけだ。
どちらも定まった形をしておらず、刻々と形状を変え、辛うじて扉とわかる取っ手が付いている。
リーマの正面にある扉は大きく開け放たれ、彼女はその中を見ながらむうっとうなる。背後の扉は少しだけ隙間が開いているが、彼女は見向きもしない。
「あっちはもう手を出さなくっても勝手に自分で悪夢を広げてるのにぃ。ロックは自我が強いのかなあ」
不満そうにボヤく。
「でも想いいが盲目で強いほど、すり替えやすいはずなのに。単純そうだから、暗示にかかりやすいと思ったのにな」
頭をひねったところで答えは出てこない。
「何故か勝手にあの女の夢に入ってるし……。それともロックとあの女の夢が繋がったのかな? どーなってるのよ! 有り得ない! 予定外ばっかりだわ。久々すぎて、何か失敗したかなぁ……? あの薔薇だって、何で夢が具現化しちゃうの? 私、そんな力、使った……? うーん………………使ったかなぁ……?」
最後には声が萎んでいく。
誰にともなく誤魔化すように、
「えへ」
笑顔を作ってみたが、虚しいだけだった。
† † †
そこは真っ白い空間だった。光に溢れているのとは違う無の白?
その中央にセリスがぽつんと蹲っていた。膝を抱えそこに顔を埋めて微動だにしない。
「セリス……?」
俺は気付いたが、先程と同じなのだろう。やはり彼女には聞こえていないようだ。
彼女はじっとして動かなかった。もしかしたらそのまま事切れているのかもしれないと錯覚するぐらい。これは彼女が見ている夢なんだから、と不安になる心を自分で励まし、彼女に近付いた。
触れられないとわかっていながらも、手を伸ばす。
確かに彼女はそこにいるはずなのに、やはり俺の手は何も掴めず空を切った。
瞬間、全てがぐにゃりと歪んだ。ゆったりとした落下感が俺を襲う。
「夢に住まうは 虹色の子猫」
どこからか歌が聞こえた。リーマの声に似ている気がする。
「子猫は夢の住人 夢の支配者
悪戯好きな夢の子猫
今日はどこの夢へ行く?」
不思議な歌だ。聞いたこともない歌。ゆったりとして子守歌に似ている。
「夢の子猫はひとりぼっち いつも仲間を求めてる
甘い夢の罠を張り あなたを捕らえる夢見せよう」
歌声が途切れると、歪んでいたはずの視界が元通りになる。
気が付く最初と同じ場所だと思った。そう、白いだけの空間。
だが座っていたはずのセリスがいない。
背後で声がして振り返ると、セリスとどっかのおばさんがいた。二人はどっかの食堂のような所にいた。でも、そこはこの白い空間であり、境界は曖昧で、やはり夢なのだと思う。
「優しそうな彼氏だねえ。うちの息子も乱暴で困ってるから、あんないい男になってくれればいいと思うよ」
おばさんの言葉に、セリスは曖昧な笑みを浮かべる。ともすれば悲しそうとも見えるそれ。
〔彼なんかじゃないのに……〕
空間にセリスの声が静かに響いた。彼女は口を開かなかった。では、心の声?
「彼氏じゃない、ね」
俺は皮肉な思いで顔を歪める。あれが本音だとしたら、相当ショックだ。
いつの間にか今、見ていた場面は消え、別のところに、俺と歩くセリスがいた。
〔私は……この人にとって何?〕
呟く声が木霊する。
すぐにそれもさあっとかき消え、また別のシーン。やはり俺といた。
軽いキスをした俺を、不思議そうに見つめる彼女。
俺にとってもいい思い出じゃない。何故あんな顔をするのかわからなかった。以降、恐くて何もできない。少なくとも、微塵も嬉しそうには見えなかった。
〔この人は何を思ってこんなことをするんだろう?〕
セリスの声が俺を苛む。
〔今のは妹に対するキス? 友人に対するキス? でも、恋人にするキスじゃないよね……〕
彼女の声に、俺は「うへえっ」と呟いた。
何言ってんだと思ったが、考えてみれば、彼女とは文化が違う。
友人家族に普通にキスする文化圏にいたんだった。彼女自身はそういうことをしてこなくても、周囲がそうならばそれが当たり前になるだろう。
様々なシーンで、彼女は不安を募らせていた。
〔どうして私を誘ったんだろう。未来を描くこともできない私が哀れだった?〕
〔同情? 放っておけなかった?〕
〔守るって言ってしまったから?〕
〔私といるのは苦痛かもしれない〕
〔時々、悲しそうな顔をする。辛そうな顔をする。何故?〕
〔誰を想っているの?〕
〔私といるのが心苦しい?〕
〔他に恋人も作れないものね〕
〔あの直情的な人が何も言わないなんて、しないなんて、変だもの〕
〔もっと魅力的な女の人だったら……〕
〔あんな風に甘えられたらいいのに〕
〔多分、私が甘えたら不気味だわ。こんな大女〕
〔もしかしたら妹と見ていても受け止めてくれるかもしれない。でも……〕
〔恐い……〕
〔不安〕
〔どうせなら突っぱねて欲しい〕
〔妹として優しくなんてして欲しくない〕
〔素直になりたい……〕
〔素直になれない〕
〔抱きしめて〕
〔口付けて〕
〔離さないで〕
〔愛してると言って〕
〔不安にさせないで〕
〔私だけだと言って〕
〔あなたの心に近付きたい〕
〔あなたが遠い───〕
〔あなたはどこを見てるの?〕
〔何にそんなに焦がれるの?〕
〔レイチェルさんはもういないのに───〕
〔私じゃ駄目なんだわ〕
〔私みたいに欠点だらけの前科者じゃなくて、他にいい人がいる〕
〔相応しい人がいる〕
〔振り向いてむらえるはずがない〕
〔それが報いだから〕
彼女の想いが、目まぐるしく交錯し、いっぺんに飛び込んできて、俺はそれを抱えきれなくなって、はじき出された。
かと思ったが、ドマで目覚めたわけではなく、1度目に入った時にも見た戦場だった。時間が夕方だということが1度目とは違う。
セリスの姿はない。
足の踏み場もない程の死体の山。嘔吐を催したくなるほどの腐臭。
彼女の姿を求めて歩くと、すぐに見つかった。
自分の周囲に群がっていた一人を斬り終え、肩で息をしていた。
返り血を浴びて顔を歪めている彼女は、今にも自害しそうな雰囲気だ。
その彼女が、こちらを向いた。
「…………?」
不思議そうな顔をしてから、目を見開く。
「ロック…………」
俺も驚いた。俺の姿が見えたのだろうか。
「あ………………」
彼女は震えていた。たちまち涙を溢れさせて、そして言った。
「見ないで」
俺はできるだけ早足で彼女に近付く。
「来ないで」
その言葉を聞いてやることはできない。
「お願い……」
全くの無防備になったセリス。そこに、敵兵が現れた。忽然と、だ。無論、夢だからあり得るんだろうが……
「セリス!」
俺は走り込んで、無意識に剣を抜こうとする。そんなもの持ってなかったかも、思ったが、手をやるとしっかりと柄がある。
だがそれより先に、セリスは自分の剣で、胴を横凪に切り裂いていた。
泣きながら、震えながら。
敵兵は数を増していく。フッと姿を現し、セリスに斬られては無惨な姿になって転がるだけのもの。
「見ないで!」
セリスが叫ぶ。
俺は群がる敵兵をセリスを同じように、斬り殺した。
本当は殺したくない。帝国兵と闘っても、出来る限り命まではとらないようにしていた。無論、その余裕がある時だけだ。戦争をしているのだから、全く殺さないでというのは無理は話だ。
そういう意味では俺も人殺しになる。
帝国と闘うと決めた時点で、その全てを受け入れるしかなかった。数的な問題でいけば、俺達は世界を救ったことにはなるだろう。だが、全てを救うことはできなかった。できるはずがない。そんな理想を抱ける程に俺は子供じゃなかった。
闘う時は、相手を人間だと思ったことはない。思えば躊躇が生まれ、負けにつながるからだ。俺でさえそのぐらいの思いでいた。見て見ぬ振りはしないようにしていたつもりだが、そのことを責められたら、俺は言い訳できない。
彼女との違いは、自分から攻め込んだかどうかだ。彼女は奪うための戦いだった。俺は守るための戦いだった
そして、彼女は情け容赦ない。多分、情けをかけると自分が保てなかったからだろう。冷酷な将軍に徹さなければ、なりきらなければいられなかったから。
俺は全ての敵を殺し終えると、彼女の前に立った。
彼女は剣を捨て、泣いていた。
「見ないで……」
掠れた声で懇願する。
「大丈夫だ」
俺は言った。だが、彼女は首を横に振る。
「見ないで」
彼女は嗚咽混じりに声を絞り出した。
俺と旅に出るようになってからは大丈夫だったみたいだが、ケフカを倒す前は、よく夢を見ると言っていた。魘されて目覚めると言っていた。彼女に巣くう傷は深い。
「手が……真っ赤なの」
彼女は自分の手を見る。真新しい血に濡れた手は、ぬるりとどす黒い赤に染まっている。
「殺したくない……殺したくないのに……」
「わかってる」
俺は頷いて、彼女を無理矢理抱きしめた。
「やだ!」
彼女は暴れたが、そんなのは無視する。
「もういい。二度と殺さなくていい」
俺は囁いた。
「お前が手を汚さなくていいように、俺が守ってやるから」
殺さなければ進めないのなら、俺が殺してやる。
お前の傷が増えるぐらいなら、俺が殺してやる。
それがどんなに罪深いことか、知っているけど。
「私は……あなたにそんなことまで強要してしまうのね……」
彼女が呟いた。
「え?」
俺はぽかんとする。
「あなたはそんなことする必要もないのに。あなたが汚れる必要なんてないのに……」
セリスは自嘲の笑みを浮かべて泣いていた。
「違うよ。必要とかじゃない。俺が、お前にこれ以上傷付いてほしくないだけだ」
俺が告げると、彼女は不思議そうに俺を見た。
「お前の過去も、罪も、全て受け入れてやる。受け止めてやる。一緒に背負ってやりたいだけだ」
だが、俺の言葉に彼女は首を横に振る。
「そんなこと、する必要もない。してほしくない───」
言って、俺を突き飛ばすと、彼女は放った剣を拾った。
「セリス!」
俺は死体の中に尻餅を付いていた。体勢を立て直し立ち上がるより早く、彼女は剣を己に向けた。
「やめろ!」
俺が立ち上がった時には、剣は、彼女の身体を貫いていた。
「セリス──────っ!」
「……くそっ」
先程のことを思い出して虫唾が走る。絶対に、あんなことをさせるわけにはいかなかったのに。救えなかった。
救おうという考え自体、傲りなのだろうけれど───。
また白い空間にいた。
セリスが蹲っている。最初の場所だ。
俺のイメージ的には、さっきのは、このセリスの中、みたいに思えた。
俺は彼女のすぐ斜め前に片膝を付いて言った。
「戻ろう」
彼女はぴくりとも動かない。
「全然、気付いてやれなくてごめんな」
やはり彼女は答えなかったが、俺は構わず続けた。
「お前より7つも上だってのに、自分のことしか考えてなかった。お前のこと考えてやってるつもりで、結局、恐かったんだ」
俺は自嘲した。
ずっと彼女の気持ちを測れずにいた。
俺を嫌っていないことも、どちらかといえば好意を持っていることも、頼っていることも知っていた。けれど、それ以上を掴めなかった。
俺はオペラ座でも言ったし(考えて見ればあの告白は魔導研究所の件でチャラかもしれない)、勿論、そういうつもりで、彼女に「俺と行こう」そう言った。
彼女は俺が好きだと思っていたから、わざわざもう言葉にする必要がないと思ったんだ。
だけど彼女が俺を見る目は、いつも不思議そうで。その視線を向けられる度に戸惑った。
それでも何も言わなかったのは、そばにいたかったからだ。そばにいれば変わるかと思ったから。
「正直に言うよ。俺の今の想い。───お前が好きだ。だから、戻ろう。一緒に戻ってくれ。お前と共に生きたい。現実に戻ったら、守らせてくれないか? お前の心を」
必死の思いで告げると、ぴくりとも動かなかったセリスが、ゆっくりと顔を上げた。
「ロック……?」
「帰ろう」
俺が微笑みかけると、彼女は目をパチパチさと瞬かせる。
「もう、何も怖がらないでいい」
「……?」
彼女は惚けた顔で俺を見ている。
「もう、一人で抱え込まなくていいから」
更に言うと、セリスは1粒の涙を落とした。
「な? 帰ろう」
俺は立ち上がり手を差し伸べる。
セリスは戸惑いながらも、俺の手を取り立ち上がった。
すると、どこからか光が溢れ、何も見えなくなった。
† † †
二人は同時に意識を取り戻した。
セリスはまだ脳が覚醒しきらないようで、ぼんやりと天井を見つめていた。
ソファに寝かされていたロックは、ガバッと勢いよく起きあがると、
「セリスは!?」
叫んで部屋を見回す。
「大丈夫だ。ほら」
マッシュに言われ、視線を向けると、咲き乱れていたあの青い薔薇はもう存在しない。
ソファから飛び降りると、
「セリス!」
ベッドに駆け寄った。
「ロック……?」
何日も水分を取ってないせいだろう。セリスが掠れた声でロックの名を呼んだ。
それだけのことなのに、ロックは目尻が熱くなるのを止められなかった。
「ロック?」
セリスがよろよろと手を伸ばす。ロックはその細い手を取り、顔を寄せると、
「よかった……」
呟いた。涙が溢れて止まらない。
「本当に、よかった」
そう繰り返した。
マッシュとカイエンが目配せをして、部屋を出ていったことにも気付かない。
「どうして泣いてるの……?」
状況が把握できず、不思議そうな顔をしているセリスに、ロックは笑顔を作って、
「何でもねーんだ。喉、乾いてるだろ? 水飲むか?」
尋ねる。彼女がこっくり頷いたので、水差しから水を汲んで渡すと、身体を起こした彼女は喉を鳴らしてそれを飲み干した。
「長い、夢を見たいた気がするわ……」
彼女はぽつりと呟く。
「悲しい……夢だった」
ロックはベッドの端に腰掛けると、
「もう終わったんだ。悪夢は終わったんだよ」
そう言って、彼女を抱きしめた。
「お前が無事で、本当によかった」
吐息と共に呟き、息を吸い込むと、セリスはむせ返るような薔薇の香りがした。
入浴を終えたセリスは、食事をしながらマッシュとカイエンから事の経緯を聞いてびっくりしていた。ちなみにメニューは、久々の食事のためセリスだけ別、おかゆなどだ。
「覚えてござらぬのか?」
「断片的にしか……」
セリスは困ったように答える。夢の全部を覚えていることなど、少ないことだから仕方がないかもしれない。
ちなみにロックは、姿の見あたらないリーマを探しに行っている。
「あの必死なロックを見せてやりたかったよ。きっと惚れ直すぜ」
マッシュに言われてセリスは赤面する。見てみたかったと思った。
「ロックは誰のことでも必死になれる優しい人なのよ」
そう言ったのは照れ隠しだ。さっきの態度でもう十分だった。
結局リーマは見つからず、
「突然、記憶が戻ったのかしら」
不思議そうなセリスに、
「かもな」
ロックは答えておいた。
カイエンは捜索隊を出すかと尋ねたが、いらないと思うと伝えた。
真実は分からないけれど、多分……。
† † †
その夜、二人は川辺にいた。
もう少し休んだ方がいいのだろうが、「動きたい!」と言ったセリスを連れてロックは散歩に来た。ずっと悪夢を見ていたのだ。気分転換をした方がいいだろうから。
長い間、黙って川縁に座っていた。
ロックは言いたいことがありすぎてまとまらず、どこから切り出せばいいかわからなかったのだ。
先に口を開いたのはセリスだった。
「たくさん迷惑をかけちゃったみたいで、ごめんなさい」
不安そうにロックの顔色を窺う。ロックは苦笑いして、彼女の頭を片手でわしゃわしゃすると、
「いんだよ、お前が無事にここにいる。それだけで」
優しく言った。彼女の本音(らしきものであって確定では勿論ない)が聞けたし、それはラッキーだったと思う。
「うううっ、ボサボサになっちゃったじゃない」
「悪い」
ロックはぐしゃぐしゃになってしまった彼女の髪を撫で付けて梳いてやる。
「痛っ」
からまっているのに、そのまま指を通そうとしてしまい、セリスに小さく睨まれてロックは首をすくめる。
ロックはぽりぽりと頬をかき、気を取り直すと言った。
「あー、なんだ、お前のことたくさん不安にさせた。ごめんな」
ロックが夜空を見上げていった。気恥ずかしいから彼女の顔は見れなかった。
「え?」
突然言われても、セリスは何のことだかわからない。
「俺がさ、言わなくてもわかってるなんて勝手に思ってたんだ。お前が帝国出身だっつーことを忘れてたわけじゃねーんだ」
「?」話に付いていけず、セリスは怪訝そうな表情でロックを見た。
「私が帝国の人間だと、なに?」
硬くなった彼女の声に、ロックは視線を下げ、
「いや、なんつーか」
頭をかいて、困ったように続けた。
「帝国じゃ家族や友達で挨拶にキスしたりするみたいだけど、他はそーじゃねーってことだ」
「は?」
セリスは想像もしなかったことを言われてキョトンとなる。
「だからさ、お前、変な顔してただろ? 前、俺がキスした時」
「…………そう、かな?」
セリスは恥ずかしいのか顔を俯かせる。
「何、思った?」
「え?」
「だから、何、思った?」
「…………なんでそんなこと聞くの?」
セリスは目を伏せてロックを見る。
(少し意地悪い言い方だったか……)
ロックは苦笑いで、
「普通さ、帝国じゃどうかわかんねーけど、最初は軽いキスするだろ?」
「うん?」
「その時にさ、お前が変な顔してるから、嫌なのかなって思ったらさ、それ以上できないだろ?」
「…………そう、なの?」
顔を赤らめているセリスは可愛らしい。
「別に俺だってさ、好きで何もしなかったわけじゃねーんだよ。要するに」
「え?」
「いや……」
言っていてロックも恥ずかしくなってきた。
「夢、ほとんど覚えてないんだろ?」
「うん……」
「俺が言ったこととかも、覚えてないよな」
「何か言ったの?」
不思議そうに聞かれて、ロックは腹を据えることにした。照れたってどうしようもない。
「お前が好きだよ」
さらりと言った。ちなみに普通の顔で言ったが、内心は結構緊張している。
「……あ………………」
セリスは一瞬惚けて、かあっと頬を染めると俯いた。ロックはそれを見て、少しだけ落ち着く。
「そんなに器がでかい男じゃねーかもしれないけど、お前のこと全部受け止めたいと思ってる」
どうしていいかわからないのだろう。セリスは恥ずかしそうに小さくなっていた。
「お前が何を言っても、受け止めるよ、必ず。嫌ったりは絶対しない。怒ることもあるかもしれないけど、嫌ったりはしない。つーか、多分、俺の想いの方が強いだろうし」
「そんなこと……!」
言いかけてセリスは再び俯いた。ロックは苦笑いだ。
「もっと頼ってほしい。思ってること、口に出していいんだ。セリスが思ってること、知りたいから」
その言葉にセリスは小さく頷く。
「できることなら、甘えてほしいよ。つーか、逆だ。俺がお前のこと、甘やかしたいんだ」
ロックがそんな風に想っていてくれてたなんて、想像もしなかったセリスは思考がついていかない。
「でも……」
呟いたセリスに、ロックは「ん?」優しく尋ねる。
「ずっと無理してたでしょ? 辛そうだったでしょ? あの日だって……」
「あの日?」
「ロック、突然、泳いでるんだもの。遠くを見てた」
いつを指しているのかすぐにわかった。ドマに来る前日の夜だ。
「あれは……、なんていうか、夢を見て……ちょっと、な」
「夢? ……………………レイチェルさんの、夢?」
ぽつりと言ったセリスに、ロックは少しだけ声を荒げる。
「なんでレイチェルが出てくんだよ! んなわけねーだろ」
「だって、私はどんなにそばにいても、ロックは足りないんだって。私じゃ満たされないんだって」
セリスは泣きそうな顔をしている。好きだと言われただけでは、自信が持てないのだろう。
「違う! それは……。あの日、見たのは……セリスの夢だよ」
「……私の?」
純粋な目で尋ねられると、ロックは心苦しくてたまらない。
自分がどうして満たされないのかよく知っていた。どうすれば満たされるのかよく知っていた。何を望んでいるのかも。
「……そうだ。お前の、夢だよ」
苦々しい表情でロックは顔を歪めた。
「嫌な、夢だった?」
ロックの痛々しい表情に、セリスは悲しそうに問う。
「そうじゃない。少なくとも俺にとっては。だけど、きっと、お前はぶち切れる」
言ってロックは失笑した。多分、言うことになるだろう。セリスの押しにめっぽう弱いから。
「どうして?」
多分、セリスは本当にわかってないのだろう。予想もつかないのだろう。
「俺が浅ましいから」
「??? 浅ましい? 全然わからない。他に恋人作って私が怒る夢?」
「だから違うって。なんで俺が他に恋人作らなきゃならねーんだ。ありえねえ」
「じゃあ何よ。なんでもったいぶるの?」
セリスは少しだけムッとした。だが別にロックはもったいぶってるわけではなく、言いにくいだけだ。深くため息をついて深呼吸をし、
「お前のこと、抱く夢」
前を向いたまま、それだけ言うと、セリスはほちょっと首を傾げてから、
「!!! ……………………」
膝を抱えて小さくなった。
「呆れたか?」
何も言わない彼女に、ロックが問うと、彼女は首を横に振った。
「俺がそれを望んでいても?」
更に聞いてやる。いつかどうせ尋ねることになるんだから、いつだって一緒だ。
「望んでる、の?」
何故かセリスは変な質問をする。
「だから、そうだっつーの」
「どうして?」
「どうしてって……」
ロックは変な顔になる。彼女は何が聞きたいのだろう。
「だって私、女らしくないでしょ?」
セリスが小さな声で言う。ロックはああそうことかと納得した。彼女は自分の容姿にも自信がないのだ。
「別に、好きな女を欲しいと思うのは、多分普通だぞ。つーか、お前以外はどうでもいいし」
呆れ顔でロックは言った。彼女の場合、怒る以前の問題だったようだ。
「本当、なの?」
セリスが上目遣いにロックを見た。不安そうな、迷子の子犬のような瞳。それを見ると庇護欲を煽られ躊躇うのだ。
「そんな意味不明な嘘ついてどうすんだよ。俺にとってはお前は十分女らしいよ。あの日だって、まあ、夢見るのは結構あんだけど、いつまで我慢できっかなーとか思ったら、な」
アハハと、自嘲すると、セリスは再び顔を赤くしている。
「別にさ、ま、俺は急がないから。不安だったから自分のものにしたかっただけだし」
ロックが付け加えると、セリスは潤んだ目でロックを見た。また照れているのだろう。その仕草が可愛らしくてたまらない。
「あ……」
「ん?」
「あ、甘えて、いいの?」
言いにくそうに尋ねる姿は、もう、リーマなんて目ではない。本人が気付いていないだけで、ロックでなくてもくらくらするだろう。
「勿論」
ロックが微笑むと、セリスは手を伸ばす。
「あのね、その、……抱きしめて、くれる?」
セリスは意識していないのだろう甘い声で途切れ途切れに辿々しくもらす言葉に、ロックは眩暈を起こしそうになる。
(かわいすぎる……!)
ロックは答えずに彼女の腕を引いて、そのまま抱きしめた。
「好きだ。多分、お前が想像してるよりずっと。……早く、言やーよかった」
耳元で囁くと、彼女はくすぐったそうに身をよじる。
「あのね、あの……私も…………………………」
言いかけて彼女はロックの首筋に顔を埋めた。
「ロックが…………好き、だから……」
やっとのことで言うセリスを抱きしめる腕に、ロックは力を強めた。
彼女の鼓動がとても早くなっているのがわかる。
「もう! 苦しいよ」
照れ隠しかもしれないがセリスに言われて、ロックは彼女を少しだけ離す。
顔を寄せて、耳元で囁いた。
「すっげー可愛い」
おいしそうとか、食べちゃいたいとか余計なことは飲み込む。怒らないかも知れないが、彼女を追いつめたくないから。彼女の心構えができてなくても、俺が我慢していると思えば了承するかもしれないから。そんなことはさせたくなかった。
「けど、他の男には甘えるなよ」
耳たぶをそっと口にくわえると、セリスがぴくんと反応した。
(くそっ、たまらねえ……)
「他の人になんて、甘えたくないよ……」
小さな声で呟くセリスの頬にキスと落とす。キョトンとした彼女を目が合った。
艶やかに微笑むんだロックは、彼女の桜の花びらのような彼女の可憐な唇に、吐息のような触れるだけのキスをする。
セリスは戸惑っていた。どうすればいいのかわからなかった。
ただじっとしていればいいのだろうか。ふわふわとした感触。
ロックはそれからゆっくりと唇を重ね、ありったけの想いを込めて彼女の甘い唇をついばむように口づけた。
ロックの唇はセリスが思っているよりよほど柔らかく、優しく唇を吸われる度に頭がぼうっとしてゆく。
「セリス……」
唇を重ねたまま名を呼ばれる。くすぐったような不思議な感じ。
彼がこんな風に自分を求めてくれているなんて、想像もしなかった。
キスがこんなに深く甘いものだということも。
熱い吐息が混じり合い、その行為だけに没頭し酔いしれた。
たっぷりセリスの唇を堪能したロックが、彼女を解放すると、彼女は体中の力が抜けたようにロックにしなだれかかった。
とろけそうな瞳と上気した頬。ぼうっとしているようだ。
ロックは彼女の腰を引き寄せて、しっかりと自分の胸に抱きしめる。
「キスって、甘いんだね……」
ぽやんとセリスが言った。
(くわぁー、だから、たまらんっつーの!)
ロックは苦笑いを浮かべる。耐え難いものがあるが、下手くそと言われるよりはいいだろう。
甘えているという自覚はないに違いないが、その天然さが更に引き立てている。
(こりゃ、これから苦労するか……)
甘えられる度に耐えねばならないことに。ロックは内心で一人ごちた。
「……のね」
セリスは両腕をロックとの間に入れ、身体を離すとロックを見た。
「……あの…………嫌じゃ、ないから」
唐突に言われ、ロックはきょとんとする。
「その……私も……望んでる、から……」
言葉の意味に思い当たり、ロックは思わず吹き出しそうになる。
理性が吹っ飛んで正常に物事が判断できなくなりそうだ。
「ありがとう」
でも優しくそう言った。彼女はああ言ってくれているが、恐怖心や躊躇いがないわけではないはずだろうから。
「戻ろうか。もう今日は、休んだ方がいい」
彼女の言葉だけで今日はいいや、とロックは思っていた。
セリスは思ったより調子が良さそうだが、それでも暫く水も飲めない状態だったのだ。無理は絶対にさせたくなかった。
■あとがき■
背景画像の事情(あの白い木がネック。でも気に入ってる)で文字がすっごく見にくくなったため、黒色使用です(ネスケでは透けるフィルタ効果が使えないため、背景色が表示されない設定です)。今回はこの背景画像シリーズで行きたいので無理矢理使いました。一応、全ての話で使用素材にも拘っているつもりなんで(それも楽しみの一つです)。なんか微妙に変ですが、他の色にすると文字が読みずらくなります。はい。
ロックを泣かせてしまいました。泣いたりする男の人はどうかと思う所もあるんですけど、ロックは素直に泣くだろうな、と。ロックならあそこで泣いても素敵だな、と。えへ。
生まれて初めて甘えるということをしたセリス。初々しい甘えは切なくなるほどささやかなものです(そんなことないかな? 本人が自覚して言ったものは……かな)。
なんかすっごく長くなってしまいました。わけるべきだったかしら。本当は全作同じくらいの長さにしたいんです。勿論。なのにごめんなさい。
『prisoner』の2作目と最後の雰囲気が被りそうで、すごく気を遣いました。ラブシーンて、どうしても似たようなのになっちゃうのかしら。
次回、最終回です。まだ続きます。あと少し、おつきあい下さい。 (03.07.20)
おまけとして、ⅥとⅦの間のシーンが隠しページにありました。内容は……予想が付くでしょう?
JIMDOでは、隠しページとかできないので、パスワードを入力するようにしました。
R18となります。パスワードを入力された方は理解した上でご自分の意志で読むとみなします。パスワードは「suzuR18」です。(Rだけ大文字)
余計なものまで書いた私を、あやさんお許し下さい。
「ロック」
にこにこ顔のリーマが近付いてきた。
うわっ、と思って俺はつい構える。あれ? 俺、自由に動いてる?
「良かったね」
リーマは言った。俺は訝しげに、
「何が?」
「もう、しらばっくれて。セリスとうまくいって、良かったね」
笑顔で言ったのだが、すぐに表情を変え、
「寂しいけどさ」
呟く。
「………………お前さ」
俺は半眼でリーマを見た。大体、こいつの存在自体が変なんだ!
「ん?」
「何者?」
「うふ」
リーマは悪びれずに笑うと、
「夢の精霊です。えへ」
くるんと宙返りをした。一瞬、この間の夢の続きかと思ってゾッとしたけどな。
「そんなんだろうと思ったよ」
俺はがっくりと肩を落とす。あの歌が聞こえた時から、俺はリーマを疑っていた。
「記憶喪失も嘘か?」
「まーね」
リーマは偉そうに言う。俺はがっくりと肩を落とした。多分、精霊に人間の価値観を説くのは愚かなことだ。
「でも、お陰でうまくいったでしょ?」
「さんざんセリスの事苦しめといて、その言い方はないだろうが」
さすがに俺がムッとすると、すぐにシュンとなる。これは彼女の自の性格なのか……?
「ごめんなさい。でも……あの人、すごい悪夢を背負ってたから……。あのままじゃロックまでのまれちゃうって思って……」
「悪夢? ……あれはお前が見せてたんだろ?」
「んー、増長させただけかな。彼女はずっと抱えていたものを、心の奥で病んでいた部分を突き付けただけ」
「………………俺は、わかってやれなかったんだな」
「今はわかって、うまくいったんだからいいじゃない。ね?」
「はあ……」
俺は大きなため息をついた。
「もう、迷惑かけるなよ」
「夢の精霊に言うことじゃないよ~っだ。精霊は何にも縛られないんだから」
そう言うと、リーマは消えてしまった。
「精霊って、みんなあんななのか……?」
俺はすごーく不安になったが、それも夢の中のこと、意識が薄れると俺は再び深い眠りに戻って行った。
† † †
「寝ちゃった?」
草原に寝ころぶロックを、セリスは頬杖をついて覗き込んだ。
「いや……起きてる」
そう答えたロックは大きく伸びをして身体を起こした。
「あふ……」
本当に眠ってなかったのか、あくびをするロックの背から草を払いながらセリスは首を傾げた。
「じゃ、何考えてたの? なんか、幸せそうな顔してたけど」
「いや、なんか急に思い出しちゃってさ」
ロックは苦笑いする。多分言われるだろう。
「思い出し笑い? エッチ」
案の定言われた。別に思い出し笑いなんて誰でもあるだろうに、何故に一般的に『思い出し笑いはエッチ』なのか……。
「言うと思った」
「もう。で、何を思い出してたの?」
「ん? 気になるか? お前が初めて甘えてくれたときのこと」
逆に顔を覗き込まれ、セリスはカッと顔が熱くなるのが自分でもわかった。ロックと二人で旅に出てもうすぐ4年。未だに照れ屋は治らない。
世界を旅して回り、見聞きしたことをエドガーに報告しているうちにそれが仕事のようになってしまった。
どこもかなり復興が進んでいるが、まだまだ不安定だ。貧しい生活を送っている土地も多い。
自国だけでなく、そういう土地のためにもエドガーは動き始めた。そのためロックとセリスも忙しくなって、のんきにトレジャーハントをしている時間などない。
今日は、久々にのんびりしているところだったのだ。
「リーマが可愛かったな~とか?」
照れ隠しにセリスが言った。ロックもそれをわかっているから、逆にニコニコして、
「いや、セリスが可愛かったな~って。今でも可愛いけど」
などと言う。セリスは更に恥ずかしくなり、穴があったら入りたかった。いつになってもロックには適わないのだろう。
「イ、イジワル」
セリスは潤んだ目でロックを睨む。この拗ねたような怒ったような微妙な表情が好きで、ロックはついセリスをからかってしまう。
「好きな子はついイジメちゃうんだ」
ロックは悪びれず言った。一体どこの悪ガキだろう。
大体、いつの間にかセリスが甘える必要はなくなってしまった。ロックが勝手に甘やかしてしまうから。セリス的にはそれは不服なのだ。自分の甘えに屈して欲しいと思ったりする。
ということで言ってみた。
「そんなことばっかり言ってると、もう反省するまで私に触っちゃ駄目」
ロックはキョトンとしてから、「ふーん?」流し目でセリスを見た。
「セリスは俺に触れなくてもいいんだ」
意地悪そうな口元がムカついた。この自信はどこからくるのか、セリスは知りたい。
「全然いいもん。そのうちに他の男の人とくっついちゃうかもね!」
ムキになって叫ぶとセリスは立ち上がった。
「へえ……?」
ロックはニヤニヤしている。
(くやしい~!)
セリスはそのまま宿をとっている村に向かって歩き始めた。
避暑地として名高い高原のため、初夏だがいくらか涼しい風が吹いている。
「ロックのバカ」
ぽつりと呟く。既に後悔していた。大体ほんの冗談だったのだ。
ロックだってわかっているのだろうが、それでも不安になってくる。
(ロックが違う誰かとくっついたりしたら……)
そんなの絶対にイヤだった。だが可能性はゼロじゃない。果てしなくゼロに近くても、絶対にゼロじゃないのだ。
もしそうなったら自分はどうするのだろう。セリスには想像もつかなかった。セリスは他の誰かを愛するなんて絶対にありえないと思う。どんな男の人を見てもロックと比べるから。
色々考えて、セリスは泣き出したくなってきた。
戻ればロックは普通に迎えてくれるだろう。きっと怒ってない。逆に笑われるかもしれない。それがイヤだった。
ロックは不安になることがないのだろうか。強いから常に前向きでいられるのだろうか。
「やっぱり戻ろう」
呟いて踵を返すと、どんっと何かにぶつかった。
「きゃっ」
驚いて一歩引くと、ニコニコしたロックが立っている。
「どした?」
顔を覗き込まれ、セリスは不意に涙を溢れさせた。
「甘やかしすぎ~っ!」
とぼやく。
「あはは。まーな」
全然悪びれずに、ロックはセリスをぎゅっと抱きしめる。
「ごめんなさい」
泣きながら呟くセリスの背を撫でながら、
「泣き虫。あんな冗談で怒るわけねーだろ。甘えん坊だな」
呆れたような声をもらす。
「それはっ! ロックが、甘やかす、から……」
「そーかもな。でも可愛いし、嬉しいからいいんだよっ」
ロックはいつもこうやって開き直る。
さっき思い出したと言っていたリーマの1件以来、ひたすらセリスに甘い。無理している風でもなく、喜んでそうしていた。甘やかしたくて仕方がないかのように。
セリスが不条理なワガママを言っても、笑ってすごしてしまう。そのふところの大きさに、本当にどこまで言っても嫌われないのかと、セリスはつい試してしまうのだ。
ロック曰く「他の奴には絶対見せない姿を俺だけに見せてくれるんだぜ? それだけで昇天もの」らしいのだが……。
「ロックも……不安になることある?」
嗚咽の引いたセリスがロックの首筋に顔を埋めたままポツリと問いかけた。
「ん? ん~基本的にはない。まる1日会えないとか、お前に本気で怒られたとかしない限り、ないな」
「そんなこと滅多にないじゃない」
「だな」
ロックは苦笑いする。
「俺のこと、信じられないか?」
セリスを慮る響きで優しく尋ねられ、セリスはふるふると首を横に振る。ロックは首の辺りがくすぐったくて、少しだけ身体を離した。
「でも……ずっと私が子供っぽいことばかりしてたら、イヤになるかもしれないでしょ? ならないって言うだろうけど、積み重なった時の気持ちは今の気持ちと違う」
「でも、もしそれでお前が我慢したりしたら俺はイヤだからな。つーか、お前の全ては俺のものだから。ワガママ言って甘えるのも含めてな。でも、不安になったらその度に言えばいい。俺は何度でも答えてやるからさ」
「ロック……」
セリスはその想いの深さに、胸がつんとなり切なくなる。
たまらなくこの人が好きだという想いが溢れ、ぎうっっと抱きつくと、ロックは目を丸くした。
彼女がこんな風にしてくるのは珍しい。いや、初めてかもしれない(勿論夜の営みを別にすればだ)。
「……私のこと……好き?」
消え入りそうな声でセリスが問いかける。ロックは照れたように笑って、
「当たり前だろ」
と返し、彼女の耳元に唇を寄せる。
「好きだよ」
囁くと、セリスは更にきつく抱きついた。
「どれくらい?」
続けて尋ねられ、かーっ! なんて可愛いこと聞くんだ! と、ロックも思わず彼女の背に回していた腕に力をこめた。
「うわっ、くるしいっ、よう」
どうやらセリスを潰してしまうところだったらしい。
「わ、悪い」
力を緩め、彼女の顔を覗き込むと、
「毎日、お前を好きになってるよ。出会った頃より今の方が、これからも更に、好きになり続ける。単位とかねーからどれくらいって言ってもわかんねーけど、言葉にすると無限大、だな。俺の許容量を超えて常に溢れ出してる。お前が愛しくてたまんねーよ。いつも、いつでも、お前が欲しいと思ってるよ。本当はずっと抱きしめて離さないでいたい」
紡がれる甘い言葉に、セリスはくらくらしてくる。
普段から甘やかしてくれるけれど、こうやって言葉にして想いを語ってくれることはほとんどない。無論、恥ずかしいからだろう。言っているロックも耳が赤い。
「いつもはそんな風には見えないよう」
目を伏せて呟くと、
「あのな、四六時中ベダベダしてたら非常識だろ? みっともねーし。見せないようにしてんだよ」
ロックは呆れ顔になる。
「で、お前は?」
「へ?」
「お前は俺のこと、好きか?」
聞かなくとも知っているくせに、尋ねる。自分に言わせたのだからお返しなのか。多分、わかっていても言葉にされると嬉しいからだろう。セリスがそうであるように。
「………………」
とてもロックの顔を見て言うなんてできずに、セリスは俯くと、
「好きすぎて……いつもどうしていいかわからない……」
そんな風に零した。ロックは軽い口づけをすると、再びぎゅっと抱きしめる。
「お前、昔さ、カップル見て、マシュマロみたいとか言ったこと、あったろ?」
「うん?」
「お前の方がよっぽどマシュマロみたいだぜ? 甘くてふわふわしてておいしそう」
ロックの歯に衣着せぬ言葉に、セリスはかあっと頬が熱くなるのを感じた。今日は頭に血が上り過ぎだ。脳の血管が切れたらどうしよう。
「風が強くなってきたな」
縮こまったセリスを見て言った。
「そろそろ戻るか」
まだ顔を赤くしたまま、セリスはこくりと頷く。
歩き始めると、セリスは腰を引き寄せられた。普段町中ではこんな風にしてくれない。勿論セリスだって恥ずかしいから困るが、すごく嬉しかった。ふわっと微笑むと、ロックに寄り添う。
彼女は気付いていないのだ。ロックといる時、どれだけ甘い笑みを浮かべるのか。柔らかく幸福そうに色づいた空気を纏うのか。
溶けてしまいそうな程の永遠の蜜月の中にいる二人をみて、きっとすれ違った風の精霊はこう漏らしただろう。
「あの娘、マシュマロみたい……」
・ fin ・
■あとがき■
最終章でした。いかがだったでしょうか。
目論見的には、最終回は回想している二人のシーンだけのはずだったんですが……すいません。構成ミスです。リーマが真実を告げる場面を6に入れられなかったため……。
あやさん、いかがでしたでしょうか。途中の回が予想以上に長くなりましたが、初めての甘える姿と、熟練した(?)甘える姿が読めるようにしたかったので、こうなりました。他のサイト様なんかでは短いワンシーンでリクに答えているところもあるんですが、脈絡も何もないっていうのは、私にはそれはそれで難しいもので───。
7回にも及びましたがこれで終了となります。長きに渡りおつきあいいただきありがとうございました。初キリリクで、右も左も分からず(今もだけど)、ひたすら前を向いてやってきました。ロクセリ小説としては気に入ったできになりましたが、リクにちゃんと答えられたかどうかは不安が残ります。甘えん坊のセリスというのを書くにあたって、人格破壊はしたくなかったんです(要するに名前だけで別人てやつです)。できるだけゲーム中の彼女が変わるという形をとることで、一応自分的にはなんとか課題クリアかと思うんですが。
相当力を入れて頑張ってきました。暗い部分もある話となってしまいましたが、あやさんに捧げさせて頂きます。ちなみに返品不可です。もらってやって下さい。(03.7.26))
【この頁で使用させて頂いた素材サイト様】 ClipArt:Atelier paprika
リーマ | 夢の精霊。ロックを気に入って、セリスに悪夢を見せる。ピンク色でふわふわの髪。 幼顔だが妖艶な色気を持つ。ネコのような耳と尻尾を持つ。 |
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