螺旋



1.夢の続き

 またあの夢だ……。
 俺は眠りの縁で呟いた。
 幼い頃から幾度となく繰り返し見てきた夢。
 それはカイ・スペアトという一人の男の人生で、彼の時間軸に関係なく唐突に様々な場面が夢に現れる。
 一体、それがなんなのか、俺にはわからなかった。小さい頃俺の話を聞いたばあちゃんは「前世じゃないかね」なんて言ったが、そんなことがあり得るのかどうか俺は知らない。
 夢の中で、俺=カイは、吹雪のまっただ中にいた。
 視界は閉ざされ歩みを進めることもできず立ち尽くす。
 ただ右手にある小さな手を握る感覚だけが全てだ。
 カイの隣に立つのはソフィアという少女だ。だが顔はぼやけていていつもわからない。夢を見ている俺はその顔を見たいと知りたいと願うのに、彼女の顔はいつもぼんやりとしかわからなかった。
 カイとソフィアは追っ手から逃げるために北上し続けた。そしてナルシェの更に山奥で、命尽きようとしていた。
「すまない……」
 ソフィアを抱き寄せたカイが囁く。唇が凍り感覚が無い。
「いいえ。あなたが謝るのはおかしいわ。……ありがとう」
 掠れた彼女の声が愛おしい。カイと同調する俺の胸が張り裂けそうになるほどに、切ない。
「最後まで、あなたといられて良かった」
 彼女が微笑む。雪まみれの笑みはぎこちないが、優しかった。
    ゴゴゴゴゴ……!
 どこからか低い地鳴りが響く。
「!!! まさか!」
 雪崩だった。
 それは、本当に一瞬のことで───。
 怒濤のごとく押し寄せた雪の波に、カイもソフィアも飲み込まれる。
 この手を離すものか!
 彼女が言った言葉を、最後まで一緒にと言った言葉を守りたくて必死に踏ん張ったが───。
 無情にも手は解かれた。
 真っ白な視界に、意識が途切れる。

 真夜中、目覚めた俺は頬が濡れているのに気付いた。
 この場面を夢見た時は、必ずこうだ。一番、多くみるこのシーンが、最も悲しい。
 この世で無二の愛する女と、逃げようと、守りきると誓い、それを果たせなかった男の一生。
 やはり恋人を守りきれずに死なせてしまった俺と、ダブる。
 小さい頃は同じような想いをするなどとは思ってもみなかった。ただ悲しくて、よく夜泣きをしたらしい。
 もし本当に前世なら、ソフィアも生まれ変わっているのだろうか。幾度となくそう思ってきた。だが関係ない。前世の因縁を引きずって現在の自分が振り回されるのはおかしいからだ。だから探そうとしたりはしなかった。
 一人だけ、もしかしたら彼女かもしれないと思った人に出会ったことがある。
 初恋の人だ。俺が13歳の時、憧れていたナディアという女性。もう5歳の子供がいたが、20歳過ぎの彼女はいつまでの少女のようだった。長い金髪がソフィアを思わせた。勿論夢の中のソフィアの顔はわからないが、漠然と似ていると感じた。逆にだから憧れたのかもしれない。だから初恋だったのかもしれない。彼女は今は亡く、その娘もどうなったのかは知らかった。

 

†  †  †

 

 カイ・スペアトは、ゾゾルニア・ゾールという国の特殊工作員サイレンス・ホークに属する24歳の男だった。
 前王弟の末姫カレンを母に持つカイだが、カレンの母親であるカイの祖母は元旅芸人と身分が低い。カレンはジドール貴族の元に嫁いだが、旅先で賊の襲撃に遭い夫を目の前で惨殺された上、誘拐されて強姦された。助けられた時、カレンは誰の子か分からぬ命を身ごもり、狂っていた。
 引き取り手のないカイは、幼少からの訓練を必要とする特殊部隊サイレンス・ホークの隊長であったホブ・ギルマンの姉メグに母と共に引き取られる。
 本来、特殊工作員というのは家族にも内密の仕事であるが、メグとホブの姉弟は孤児として幼い頃共にサイレンス・ホークとしての訓練を受けた。その過程で足を悪くし本来なら機密保持のために殺される運命にあったメグだが、優秀なホブのお陰で生きながらえている。そして、やはりサイレンス・ホークの一員である男と結婚したが、結婚して2年で夫を亡くしその後子供も無く寂しく暮らしていた。
 メグは喜んで二人の面倒を見たが、カレンはカイを見る度「自分の子ではない」と発狂し、ノイローゼの末、カイが6歳の時に死んだ。どちらの家系にもないカイの黒髪と紺色の瞳が、カレンを陵辱した男を彷彿させたからだった。
 6歳まではメグに面倒をみてもらったカイだが、自らサイレンス・ホークに志願をする。母親が自分のせいで死んだことが原因だ。その後は、氷の男とまで呼ばれる鉄面皮のギルマンに育てられた。だがギルマンはカイに笑うことを要請した。人に打ち解けてもらえるような態度がとれる人間も、情報収集員としては必要だからと。
 結果、カイは明るく笑顔を絶やさぬが、その下に本音を隠した青年に成長した。無論、情報収集員としてはそれで当然であったのだが、メグは喜ばなかったのは勿論だ。
 24歳になったカイは、世界中のハンターズギルドを渡り歩くハンターを装って旅をしている。そうやって様々な場所の情報を手に入れるのがカイの仕事だった。


 長く紅陽国に潜入していたカイは、久々にシティ・ゾゾに戻りメグのところでのんびりしていた。一週間ほどしたある日、老いてなお現役のギルマンに呼び出された。春風がやっと届いた季節に課せられた任務は、魔術大国であるサマサ・ルダに潜入し一人の女性を探ることだった。
 世界中が戦争に突入しそうな今、ゾゾルニア・ゾールもどの国につくか見極めなければならない。
 サマサ・ルダは王を議長とする議会制の国だ。幻獣と共に暮らすことでも有名で、その血の交わりから国民は皆魔術が使える。
 幻獣を制圧してきた翠月帝国とは昔から犬猿の仲で、現在は一触即発の状況だ。
 ゾゾルニア・ゾールは八大老制を敷く貴族の国ジドールと同盟を結んでいるが、翠月帝国とはほとんど交流がない。威圧的な軍事国である翠月帝国と繋がりがあるのは近隣の碧星王国ぐらいなもので、やはり隣である紅陽国すら絶縁状態だ。
 サマサ・ルダとは交易がある。できれば対等なそちらにつきたい。だが、サマサ・ルダの負けが分かっている戦であれば、よほど考えなければならなかった。
 しかしサマサ・ルダには、剣と戦の女神エーレンダーファの娘とまで呼ばれる姫君がいて、2年前から戦場に立ち翠月帝国との小競り合いに勝利してきたという。その姫君ソフィア・レイラがターゲットだ。
 彼女についてわかっているのは、現議長を務める王レドラードの末娘(王家の血が流れてはいるものの養子で血の繋がりは薄いらしい)で20歳。誰よりも魔法を使いこなし剣にも長け、二つを融合した技を持つという。その強大な魔力から本国で待機している幻獣を呼び出すことすら可能らしかった。髪は金で瞳は氷色。絶世の美女だというが、その辺の噂はアテにならないしカイには関係のないことだと思う。
 カイがサマサ・ルダの首都シティ・サマサに行くのは二度目だった。
 気球船で一週間を要しサマサに到着したカイは、真っ先にハンターズギルドへ向かった。
 全世界にあるハンターズギルドはハンターに万国共通のカードを配布している。そのカードで身分証明や実力が人目でわかるようになっていた。
 IDカードを差し出すと、受付の眼鏡くんはギョッとしてカイを見た。
「ぎ、銀風のカイ!?」
 大声をあげられ内心うんざりしたカイだが、
「お、こんなところまで知れ渡ってんのか? 俺もなかなかのもんだな」
 そんな風に言ってニヤニヤした。
 本当は二つ名なんて恥ずかしくてすっげえ嫌だが、サイレンス・ホークとは全く違うタイプの人間に振る舞うことで正体が露見するのを防いでいる。二つ名があるということはハンターとして実力があるということで、仕事も豊富に選ぶことが可能だ。
「なんか、いい仕事ない?」
 受けるつもりがあるわけではないが、社交辞令として尋ねた。
「あ! あの、丁度、先程、大きな仕事が……。この間まで紅陽国にいらしたんなら、月晶大陸の地理には詳しいですよね」
「ん? ん、まあなあ」
 かなり色々な所を歩いている。地理には自信があった。
「それなら……」
 眼鏡くんは仕事の一覧表の付いたボードを寄越す。ハンターのランク別に仕事は違う。信用度の高いハンターは難しく秘密裏な仕事が回ってくる可能性も高い。
「大きな仕事ねえ」
 文字を目で追いながら、紙をめくりカイはギョッとした。特別な仕事として色の違う紙に書いてある簡潔な内容は、極秘で当然のものだった。
「こりゃあ───!」
 絶句するような仕事の内容、それは皇女ソフィア・レイラの護衛だった。
 ランクが低ければその仕事があることすら知らされず、信用がなければ「必ず受ける」という前提にならないと内容を知らされない。
(なんて運がいいんだ)
 カイは内心ほくそ笑む。
「大仕事でしょう? 現在、ここにはランクの高いハンターが在駐していなくて実は困っていたんです。丁度良かった」
 眼鏡くんに言われカイは頷いた。
「報酬は?」
 本来の仕事優先でありハンターで金を稼いでいるわけではないので報酬が欲しいわけではないが、真っ先にそれを聞かないハンターはいない。見合った報酬をもらってこそのハンターであり、それは仕事に対する礼儀でもある。
「前金で5万、成功報酬が50万」
 破格の報酬だった。カイもこれにはたまげる。絶対に何か裏がある仕事だ。
「受けよう」
 カイはにやりと笑った。
「あ、では宮殿のツーバ次官を尋ねてください。そちらで話すそうです」
 そう言いながら、眼鏡君は紹介状をカイに渡した。
「ああ、いい仕事をありがとな」
 片手を上げてギルドを出たカイは、宿も決めずに宮殿へ向かう。
 ギルドの紹介状のお陰でツーバ次官にすぐに取り次がれ、その内容を聞いてカイは唸るのを堪えた。
 移動の魔法陣の出口となる“門”の魔法石を持って翠月帝国のある月晶大陸の西端へ行く。ソフィアはサマサから門を通って移動し、それからカイが翠月帝国まで案内する。それが大まかな内容だった。
(ソフィア姫を翠月帝国まで案内する……? しかも俺とサマサの騎士二人で!?)
 信じがたい依頼だ。ソフィア姫に死んでくれと言わんばかりの内容だが、そんなことをする理由を尋ねるハンターはいない。雇い主に「何故」と問うのは反則だからだ。無論、それを尋ねることもある。どうしても理不尽なものだったらカイでも尋ね、そして断ることもある。内容によっては訴える。だが国家が企むことにカイが反発するのは愚かだ。彼は間諜としての使命があるのだから。
「やって、くれるな」
 ツーバ次官に見据えられ、カイは珍しくも真剣な表情になった。
「この仕事、受けさせて頂きます」
 誠実な返事に、ツーバは大仰に頷いた。
 どんな裏があろうとカイは、自分の仕事をやり遂げるだけだ、そう自分に言い聞かせた。


 翌日、顔を会わせたカイは、ソフィアの容姿に度肝を抜かれた。綺麗だと感じ驚いているのはわかっても、残念ながらやはり夢を見ている俺にはその顔はわからなかったけれど。
 詩人がこぞって美しいと歌うという噂もあながち嘘ではなかったようだ。とても戦で前線に立つようには見えなかった。
 身長は一般女性より高く、178㎝あるカイより拳一つ低いだけだが、剣が振るえるのかというほど華奢に映る。細身のドレスのせいかもしれないが、とにかく可憐だった。
 ソフィアはよく通る声で、
「よろしく頼みます」
 頭こそ下げなかったが、誠意のこもった声で言った。
「受けた依頼は必ずやり遂げる。何があってもな」
 余裕たっぷりの表情で答えると、ソフィアは少しだけ口元をほころばせた。笑うと暗雲から一筋の光が差したような印象を受ける。女性の容姿に興味などなく、性欲のはけ口程度にしか考えてこなかったカイだが、正直に可愛らしいと思った。


 一足先に月晶大陸へ向かったカイは、ジールという騎士と共に西端の港町バルバリにいた。この辺は自治都市であったが現在は既に翠月帝国の勢力下にある。
 ジールはソフィアの近衛騎士の一人だ。カイより四つほど年上で生真面目な性格らしい。
 バルバリへ着くまでの船内で、カイは知りたいと思っていた裏事情を知ることができた。ジールが自ら話してくれたのだ。
「あんた、俺のことそんなに信用していいの?」
 呆れて尋ねると、
「もしカイ殿が敵のし向けた者であったら、信用しても信用せずとも既に終わりだ。それならば信用した方がいい」
 そう言い切られ、感服してしまった。相当の覚悟らしい。
 内容を聞けば当然とも言えた。
 翠月帝国の王子との婚姻、それがソフィアが翠月帝国へ向かう理由だった。しかしハンターの案内で徒歩で近衛騎士二人(一人は門からソフィアと共に来る)だけというのは勿論、解せない。
 交渉をしたのはソフィアを疎んじる一派で、この婚姻により和平を結ぶと言う。それこそ嘘臭いが、ソフィアを疎んじる一派はソフィアがいなくなればどうでもいいと踏んでいるらしい。
 現王の娘という立場ではあるものの、実際は前王が外で作った子供の更に子供であるという血筋的には最も王位継承権から低いソフィアだが、国民からの人気があり、「戦の間だけでも彼女を女王に」という声もあったらしい。
 翠月帝国の王子は父王を暗殺し王位を乗っ取る計画で、それに合わせソフィアを妻に迎え戦争を終結させたいから内密に進めたい。そのためこれほどの少人数で行かなければならない。ということだった。
「……正直言ってもいいか?」
 全てを聞き終えたカイは苦々しい顔でジールを見た。ジールは固く頷く。一挙一動が本当にどこまでも生真面目だ。
「ソフィア姫は……殺されるんじゃないか?」
 ジールは別段驚いた顔もせず、ただ静かに答える。
「そう心配されている。ソフィア様を疎んじる派閥の中には翠月帝国との戦争を望んでいる輩もいる。だから刺客を差し向ける可能性が大いにある。また王子の企みが本当であっても翠月の王に露見すれば勿論ソフィア様を殺そうとするだろう。王子の企みが嘘で、サマサへ戦争をしかける前にソフィア様を殺してしまいたいだけ、という可能性も高い」
「それでも受けなければならなかったのか?」
 王族の立場が微妙であることはカイもよく知っていた。それにしても横暴すぎる内容だ。
「従妹を婚約者に持つ第一王子が、ソフィア様との婚姻を望んでいる。それを阻止する考えも大きかった。なんにしろ、議会で決定されたことだ。我々は従うしかない。彼等全員を敵に回して逃げることは不可能だ」
「──────わかった。王子が本当の事を言っていて、成功する可能性にかけるしかないんだな。そして、必ず彼女を守る」
「随分、勝手な依頼だとは思う。あなたから見れば勝率など無いに等しいかもしれない。それでも我々は……」
「わかってる。俺も全力を尽くすよ」
 心からそう思った。自分の任務以前に、そうしたいと思った。勿論、失敗すれば自分の命がなくなるということもあるけれど……。
 ソフィアが見知らぬ男に嫁ぐ、それが心にわだかまっていた。

 

■あとがき■

 11111Hit hikariさんのキリリク☆ 『ロクセリがもし過去に出会っていたら』です。hikariさん、お待たせいたしました。
 でも何故かすっごい過去の話です。魔大戦の数年前の話。読んでわかると思いますが、ゾゾルニア・ゾールは現在のゾゾ。サマサ・ルダはサマサ。翠月帝国はガストラ帝国。碧星王国はマランダ。紅陽国はツェンです。
 また会話の少ない文ですね。しかも読みにくい。難しいです。魔大戦の事って全然わかんないし……。一応、攻略本の略年表見ましたけど、全然参考になりません。ちょっと色々なこと盛り込みすぎ? でも過去に出会っていたっていうのも、年の差が結構あるのでこの方が運命的かなと……。
 これから勿論、現在に繋がります。誰の夢かって? 決まってるでしょ。うふうふ。過去から繋がる螺旋の絆が、2倍楽しめるようにできたらいいと思ってます。難しいけど頑張りますね。1話目は他よりかなり長いけど、2話目からはそんなことないかと思います。多分ね。
 と、書き終わって謝罪です。これで夢の話は終わるはずだったのに……。終わりませんでした。続きは以降に持ち越しです。話進んでない上に、主要キャラが出てきてない。本当にすみません。壮大な話すぎたかな……。 (04.01.09)
 文章補正を行いました。 (05.11.03)

2.交わる運命

 帝国軍を足止めし、サウスフィガロから抜け出すため貴族の館へ潜り込んだ俺は、地下で意外な人物を発見した。
 常勝将軍と謳われるセリス将軍だ。
 遠くから見たことはあったが、間近で見て口から心臓が飛び出るかというぐらい驚いた。よく比喩として使う表現だが、本当にそんなことがあるんだな、なんて思ってしまったぐらいだ。
 初恋の人ナディアに似ていた。瓜二つだった。だから、見捨てられなかった。セリス将軍がナディアではないことなどわかっていたけれど、見捨てられなかったんだ。
 セリスは、不器用な女性だった。うまく笑うこともできない、心を欠かしたような彼女は、レイチェルともダブった。
 記憶を失ったレイチェルは、笑わなかった。いつも悲しそうな顔をして、家族さえも分からず途方に暮れていた。
 セリスを助けた俺が、彼女は不可解らしかった。当然だろう。昨日までの敵を助けるなんて自分でもどうかしていると思った。だけど、見捨てることなんでできなかった。
 足を怪我した彼女を庇いながら俺はナルシェを目指した。
 初めは無口に戸惑っていた彼女も、サウスフィガロとフィガロを結ぶ洞窟を抜ける頃になると、やっと打ち解けてきた。
 ナディアのように奔放な性格では決してない。どちらかというと、その警戒心は夢に出てくるソフィアに似ていた。固く女らしくない口調や強がった表情も、似ていると感じた。夢で見るソフィアはいつも顔がわからなかったのにも関わらず、「似ている」その想いは日増しに強まった。
 ナディアに出会った時よりも明確に「似ている」そう感じ、既視感を覚える。それはセリスが年下であったせいかもしれない。ナディアに対する想いは憧れだった。セリスに対する想いは庇護欲だ。救えなかったソフィアと重なるから、彼女を連れて逃げたいと思ってしまったのかもしれない。
 そして何より、彼女に出会ってから頻繁にあの夢を見るようになった。毎晩のように、以前より詳しく、俺は夢を見る───記憶を辿るように。
 夢を見ている俺は、時たまうなされるらしい。必ず二人の最期の時を迎える夢だ。
 そんな時、俺はセリスの子守歌で目覚める。どこかで聞いたことがあると思っていたら、唐突に思い出した。ナディアが娘を寝かしつける時に歌っていた曲だった。他の人間が歌っているのは聞いたことがなく、世間一般的な子守歌ではない。勿論、地方によって違うのだろうけれど、微かな望みをかけて俺は尋ねた。
「その曲は?」
 きょとんとした彼女は、困ったように笑って答えた。
「小さい頃、母がよく歌ってくれたの」
「どこの人?」
「わからない」
 セリスは小さく首を横に振る。悲しそうな目をしていた。
「ドマの北東の高原じゃないか?」
 必死に問うと、セリスは目を丸くして俺を見ている。俺は我に返り、
「いや、その……セリスさ、俺の初恋の人に似てるから」
「初恋の人!?」
 予想外の言葉だったのだろう。彼女はただでさえ大きな目をますます丸くする。
「そ。ナディアって言うんだ。シェリーって娘がいた」
「!!」
 何故かセリスが息をのんだ。
「ん?」
「ううん。子持ちの人を好きになったの?」
「いや、そのナディアがさ、小さい頃から夢に出てくる少女にそっくりで、ガキだった俺は“運命かも”なんて思っちまったんだな」
 照れ隠しに頭をかくと、彼女は興味深そうに首を傾げた。
「夢?」
「ああ。俺さ、ガキん時から同じ夢見るんだよ。何度も、カイって男の一生を綴る夢。そのカイの恋人がソフィア。ナディアに似てるって思ってたけど、お前の方が似てるな、きっと」
「………………」
 何気なく言っただけだったのだが、セリスは困ったような複雑そうな顔になった。当然かもしれない。これじゃあ口説いているみたいだ。
「いや、その変な意味じゃないんだ。ただ似てるってだけだから」
「別に気にしてないから」
「そうか? それにしても、本当に、似てるんだよ。ナディアに出会ったのはさ、俺が13歳の時なんだけどさ」
 自分からナディアのことを人に話すのは初めてだった。彼女が娘であるシェリーかもしれない、その想いが拭えないから、彼女に聞いてほしかったんだと思う。
 彼女は、静かに俺の話を聞いていた。


 親父が死んで、初めて一人でトレジャーハントに挑戦した俺は、目的の宝を手に入れたものの、浮かれていたんだろう。帰りに罠にはまり大怪我を負った。
 なんとか一番近くの村まで行こうとしたけど、体中が痛んで頭がふらふらして「もう歩けねえ」そう思ったとき、彼女、ナディアに出会ったんだ。
 高原の村に暮らすナディアは、遺跡近くに生息する野草を取りに行くところだったらしい。
 朦朧とした頭で、彼女が近寄ってくるのを見たとき、冗談抜きに、ソフィアが天使として迎えに来たのかと思ったよ。
 俺は怪我が治るまでの間、ナディアの家に世話になった。ナディアは不思議な力を持っていた。癒しの力で、村人は彼女を神子と呼んでいた。ある日突然村にやって来た救いの聖女だとね。
 普段は年より若く少女にも見えるんだけど、その力を振るう時だけは年齢相応に見えた。とにかく綺麗で、俺の中のソフィアのイメージとかぶった。
 ナディアには5歳になる娘がいた。幼くともナディアによく似てシェリーと言った。俺によく懐いてくれたシェリーに、
「大きくなったら嫁さんにしてやる」
 と言ったこともあった。半分は本気だった。成長すれはナディアとそっくりになるだろうなんて考えていたんだ。本当にガキだった。
 一月をそこで過ごした俺は、必ず会いに来ることを約束して村を後にした。
 そして半年後───
 彼女はその村には、いや、この世から消えていた。
 俺が再び村を訪れる一週間前、帝国が彼女の力を聞きつけてやって来て抵抗した彼女は死に、シェリーは連れて行かれた。
 そう、彼女の家の隣に住んでいた老婆から聞かされた。
 そこから俺の帝国への憎しみが始まった。
 シェリーを救い出そうと思い手掛かりを求めたが、まだ仲間もいなかった俺は何の情報も掴めず、結局諦めちまったんだ。


「………………」
 ロックの話を聞き終えたセリスは、こっそりと嘆息した。
 やはり間違いないと確信を深める。
 ロックの言っているナディアは、セリスの母親だ。
 幼かった時セリスは、舌っ足らずで自分のことを「シェリー」と呼び、ナディアや周囲の者もそうしていた。
 このことを思い出したのは、ごく最近、サウスフィガロへ遠征してきた直後だった。
 自分は何も知らず、母親を殺した者に従って、母親が最も憂うだろう事をして生きていた───その事実に耐えきれず、帝国に反旗を翻した。
 将軍だったとは言え、孤独であったセリスはあっさりと裏切り者として捕らえられてしまったが。
 何故急に思い出したのかはわからない。何故忘れていたのかもわからない。何らかの催眠術か何かで忘れさせられていたのかもしれないし、母親の死のショックで忘れていたのかもしれない。だけど、思い出したからには今までと同じではいられなかった。
 そして、ロックに再会した。
 サウスフィガロの地下牢で、部屋に入ってきたロックを見た時目を疑った。小さい頃、憧れていたお兄ちゃんにそっくりだったからだ。
 だが記憶が戻ったばかりで名前まで思い出せずにいた。ロックという名。そうかもしれないという気もしたし、違うかもしれないという気もした。
 だけどこれで、はっきりしたのだ。彼は、あの人だ。母の助けた、優しいお兄ちゃん。
 思い出しかけの上、5歳の時の記憶なので、遊んでくれた程度にしか覚えていない。でも彼の話を聞いて確信した。
 言えなかった。自分が「シェリー」だとは、言い出せなかった。
 ロックの初恋の人かつ夢の中の恋人が自分の母親であるという事実が、セリスの心に翳りを与えた。
 自分に対する彼の態度を見れば、未だナディアを忘れていないということがよくわかる。ナディアに似ているから助け、ナディアに似ているから守りたいという彼の気持ちが。
 知れば彼は更にナディアをセリスに重ねるだろう。今以上に、セリスをセリスとして見てくれなくなる。
 守れなかったソフィアの、ナディアの、シェールの代役性が、強まるだけだから。

 

†  †  †

 

 日々、カイとソフィアの物語を話しながら、俺達はコーリンゲンへ到着した。
 レイチェルの存在を知ったセリスは、複雑そうな顔をしていた。
 でも、俺は正直に言った。
「ソフィアに似ているとかじゃなくて、もし本当に前世がカイだったのなら、ソフィアに関係ないレイチェルを好きになって、俺は変われると思った。だけど結局、また守れなかった───。レイチェルに出会い俺は幸せを手に入れたけれど、その幸福にあぐらをかいていたのかもしれない」
 いつもセリスは、俺の話を黙って聞いていた。
「全てが俺の夢、カイとダブる。愛する者を救えなかった。その事実だけが残って、後悔だけが増えた。レイチェルを生き返らせることだけが、俺が前に進める機会だ」
 レイチェルの話を聞いた彼女は、朽ちることのない遺体を前に、
「きっと、あなたは前に進める日が来るわ」
 静かにそう言った。彼女の儚い笑顔に、胸が軋んだ。
「今まで、誰かにこんな風に夢の内容を話したことなんてなかったんだ」
 俺の言葉に、セリスは首を傾げた。不思議そうな仕草と表情は年相応で可愛らしい。
「何故?」
「大抵の奴は頭がおかしいって思うだろ? 俺だってばあちゃんの言った通り、前世だなんて思ってるわけじゃない。ただ何らかの意味があるのかもしれないとは思う。勿論、意味なんてないのかもしれないともな」
「あなたは、どうあってほしいと思う? どれが真実であってほしい?」
 セリスは不思議なことを聞く。随分と哲学的な質問だった。
「前世であってほしくはないよ。真実なら悲しすぎる。適わなかった想いを現世に持ち込むことも無意味だ。もし『せめて来世ではソフィアと幸せに』っていう願いで俺が夢を見ているんなら、俺がロック・コールじゃなくってカイ・スペアトの意志で動くことになっちまうからな」
「そうね。でもあなたはレイチェルさんに出会って、彼女を愛した。彼女は絶対にソフィアさんとは無関係だって思うんでしょ?」
「全然似てない。まあ、同じ容姿であるわけもねーんだろうけどな。他に根拠を出せないし。少なくとも、夢の中のカイは俺と同じ容姿だ」
 カイの方が多少背が高いし、髪の色は違う。俺はカイのように漆黒の髪じゃない、黒みがかったブロンズだ。瞳が紺ていうのは同じだ。世界でも珍しいかもしれない。
「あなたは自分で選んだ人生を歩めてるじゃない。夢に振り回されたりしてないわ」
 彼女の言葉が虚しく俺の心に響いた。
 全くもって、振り回されている。レイチェルを好きになった事実なんて虚勢にもならないほどに小さな事のような気さえしてくる。
 セリスに出会ってから、俺は更に迷っていた。
 自分が本当に望んでいることが、わからなくなっていた。レイチェルを生き返らせることが正しいのか、そんな風に考えるようになっていた。
 ソフィアに似ている彼女に惹かれてゆく自分が、恐かったんだ。
 正体の知れない夢に出てくる女性に拘ることが馬鹿みたいだと思った。拘っているつもりなどないのに、似ていると感じ、同時に愛しいと思う自分がいて、だけど想いは止められなかった。
 もし、前世なんてものが存在するとしても、前世と今の俺は別の人間だ。それに振り回されるのはおかしいし、前世の想いを抱え続ける意味もない。はずなのに───。
 カイは確かに俺だった。夢の足りない部分が補われ、カイの心への同調が強くなるにつれ、俺はそう思ってしまう。
 一体、どんな悪戯なんだろう? 何が俺にそんな夢を見せるのだろう? 俺にはわからない。
 ただ、俺がソフィアを重ねることも、ナディアを重ねることも、セリスは憂いていた。それだけはわかった。

 

†  †  †

 

 オペラ座でマリアに扮したセリスは、ドレスを身に着けた時のソフィアにやはり似ていた。
 ドレスを着たソフィアは、初めてカイに挨拶をした一度したか見たことがないが、印象が同じだ。たおやかで女性らしいのに毅然としている。
 何より、敵国の王子に娶られるマリアが、ソフィアと重なってしまう。
 こんな風に、些細なことに心をかき乱されるのが鬱陶しい。
 自分の気持ちがどこにあるのかわからなくなってゆく。セリスに対する気持ちが、自分のものなのか、カイのものなのか……。
 だから、彼女に、
「ロック。なぜあの時、私を助けてくれたの?」  そう聞かれたとき、言葉に詰まった。
 思考回路の止まった自分の口から出た言葉は、俺自身驚くようなものだった。 

「好きになった女に 何もしてやれずに失ってしまうのは……もうゴメンなだけさ」
 自分の気持ちに自信が持てないのに、それを言葉にするなど無責任なことをしていると我ながら呆れた。
 案の定、セリスが返してきたのは、
「あの人のかわりなの……私は?」
 という問いだった。
 彼女が気にしていることに気付いていたのに、本当に無責任なことを言った。
 あの人というのは、レイチェルも、ナディアも、ソフィアも指しているのだろう。誰一人守れなかった不甲斐ない男だから。
「……にあうぜ。そのリボン」
 誤魔化すように言ったそれが、精一杯だった。
 どんな言い訳もできなかったし、代わりじゃないと自分でも言いきれなかった。
 傷付けたくないそれだけは思っていたのに、勝手なことを言ってしまったと思った。
 多分、俺が彼女を好きなのは確かなんだろう。
 それが恋なのか、カイの想いなのか、レイチェルに対する気持ちを越えるものなのか、俺にはわからなかっただけだ。
 言うべきではなかったにしろ、もう言ってしまったら取り消せはしない。
 俺はいつかどこかで、この気持ちを見極められる日がくるんだろうか。それまでセリスは待ってくれるんだろうか。
 更に自分勝手なことを考えている己に、深い、溜息が出た。

 

■あとがき■

 話が進んでいるのかいないのか……。なんだか色々な要素が絡み合いすぎて、自分でも混乱気味です。レイチェルの事があるから余計でしょうね。彼女の話がなければもっとすんなり行くんですけど、ロックにとっては欠かせない話なので、そこまで勝手に変えることはできません。
 オカルト否定派の桜は前世を信じてません(他の人に存在したとしても、桜にはない)。が、小説ではいいんです。現実世界じゃないんだし、魔法があるんだから何でもありでしょ!
 ゲーム未プレイの方には話がわからないですね。割愛しすぎ? しかも再び会話が少ないです。う~ん。話をうまくまとめようとすると、会話がなくなってゆきます。無駄に長いのは問題だけど、コンパクトすぎるのもどうだ? と自分で思います。が、そのバランスをとるのは本当に難しいです。やっぱり精進します。 (04.01.16)
 文章補正を行いました。 (05.11.03)

3.銀の風

 ソフィアを迎えたのは海岸から入る洞窟だった。
 刺客がいることを想定すれば、町中は勿論、森や平原も危険だ。
 この洞窟は、カイがハンターの仕事をした時仲間に教えてもらったもので、地元の人間しか知らないと言う。港町バルバリから30分ほどの漁村から更に1時間の場所にある───教えてくれた者はこの漁村の出身だった。断崖絶壁の下にあり降りるのは容易ではない。
 ロープ一本でそこを降りたカイとジールの二人は、入り口の光が届かなくなる直前の位置で、約束の時間───互いが同時に門を開く準備をしないと成立しないためあらかじめ日時を決めてあった───サマサの明け方6時・バルバリ近隣での9時になる30分前から、魔法石を持ってソフィアを待った。
 9時丁度、ソフィアは魔法石から溢れた光の奥から騎士を伴って現れた。
 騎士はクロウ・ストラビンスキーという中年で、口元のヒゲが威厳をかもしだしている。が、鎧でなくくたびれた旅装であり、頑固な熟練ハンターに見えた。
「おはようございます。ご苦労様です」
 軽く頭を下げたソフィアは、金の長い髪を後ろで一つにくくっている。男物の旅装に軽鎧を付けている。ミスリルの胸当てはくすんでいて使い込まれたものだ。戦場でも使っていたのかも知れない。
 ドレスを脱いだ彼女は印象が変わり、優雅な少女ではなくなっていた。
「早速ですが、状況の確認をよろしいですか?」
 凛とした声で尋ねるソフィアは、かなり緊張しているようだ。
「敵らしき気配は今のところ感じてない、尾行もな。帝国にも目立った動きはないようだ」
 カイは簡潔に述べた。帝国の動きについてはバルバリにあるハンターズギルドから仕入れてあるから、公式なものだけだが仕方ない。
 サマサにスパイが潜入している可能性は高く、こちらの予定はある程度知れていると踏んでいたが、今のところ敵の動きが見えない。見える方がやりやすいのだが───。
「まあ先は長い。気負わずに行こうぜ」
 カイはいつものヘラヘラ顔でソフィアの肩を叩いたのだが、
   パシッ
 いい音と共に手を払われてしまった。
(肩の力の入りすぎだっつの)
 カイは気にせず、
「んな恐い顔すんなよ、可愛い顔が台無しだぜ」
 軽口をたたいた。勿論、ワザとであり、カイは表向きこういう人格を演じている。
「なっ……!」
 ソフィアは顔を真っ赤にして拳を握り締めた。二人の騎士はハラハラした表情で戸惑っている。カイは肩をすくめて言ってやった。
「だから! そうやって緊張しすぎていると怪しいっつーの。それに疲れる。最初からそれじゃ先が思いやられるぞ。今は誰も見てないけど旅人に出会った時とか、町中でとか、普通の何でもないフリをしているべきなんだよ。わかるか? 力抜いて、自然体で、それでいて何かあった時も対応できるように。できなくともやらなきゃならねえ。わかんだろ?」
 畳みかけられ言葉に詰まったソフィアは渋々頷いた。


 洞窟は帝国へ続く森へ出られる。ランタン二つで黙ったまま道を進み、出口の光が見えたとき、カイは立ち止まった。
「待ち伏せだ。……10人弱。訓練された奴じゃない。雇われたんだろう」
 ジールをクロウが柄に手を掛ける。逡巡したカイは、
「俺の武器は近くに味方がいるとやりにくい。俺がどんな戦い方をするのか知っておくべきだろう。あんた達はここで待っててくれ。背後も念のため気を付けろ」
 洞窟の入り口を爆破か何らかの手段で塞がれたら、という懸念もないわけではなかったが振り返らずに告げた。
 二人の騎士は顔を見合わせたが、
「……わかった。手並み拝見といこう」
 クロウが静かに答えた。カイはちらりと3人を振り返り、
「なんで俺の二つ名が“銀風”なのか、わかる」
 ニヤリと笑って駆け出した。
 その気配に男達が姿を見せる。やはりチンピラだ。
 カイは走りながら左手を軽く一閃した。どちらの手にも何も持っていないが、銀色の何かが閃き、手前の男3人に裂傷が生まれた。
「うわあっ!」
 まるでカマイタチのような攻撃に驚いたチンピラは、次の瞬間には頸動脈から血を吹き出し、目を見開いたまま倒れていく。
「な、なんだ……?」
 洞窟の外にいた残りの男達が後ずさる。
(逃がすのは面倒だな)
 内心で呟いたカイは、右手の指を滑らかに動かす。外から見ると何もしていないように見えるぐらい些細な動きだ。
 すると困惑していたチンピラ達はそのままの体勢で固まった。
「かっ、身体が……」
 右側にいたチビが情けない声を上げた。
 己の身体に巻き付いたものを見てひしゃげた鼻の男が驚愕の表情で唸る。
「銀糸だ! ハンターの銀風のカイだ!」
 それを聞いて男達の顔色が変わった。どうやら自分で思っている以上に有名らしい。
 不敵な笑みを浮かべたカイは、ゆっくり彼等に近付き幼子にするように尋ねた。
「誰に頼まれた?」
 男達は顔を引きつらせ、仲間の様子を窺う。自分は言いたくないといったところだろう。
「誰に頼まれたと聞いているんだが?」
 口調と表情は一見優しいが、目が微塵も笑っていない。
 必死に目を逸らそうとする男達をつまらなそうに鼻で笑い、指に力を入れた。
「いっ……!」
 男達に絡んでいた銀糸が締まり、それに沿ってツ……と血の筋ができる。切れない程度だが鬱血が始まっている。
「誰に、頼まれた?」
 3度目の問いに、最も凶悪そうなハゲが、唾を飛ばしながら叫んだ。
「知らねえ! 眼鏡のじじいだよ! 高そうな服着て訛りもねえ偉そうなじじいだ!」
「ふん、金の羽振りがいいから引き受けた、そんなところか」
 面白くもなさそうに呟いたカイは、
「口の軽い奴を生かしておくとロクなことがない」
 無表情に右手を振り上げた。
 同時に、男達に巻き付いていた銀糸がしなり、短い悲鳴と共に血飛沫が上がった。
 それは一瞬で、すぐに辺りは静寂に包まれる。
 カイは振り返り肩をすくめた。
「相手にならない」
 言葉を発することも(はばか)られるのか、黙ったままゆっくりと出口まで来た3人は、惨状を目の当たりにし眉をひそめた。
 ソフィアの瞳が憂いを帯びて揺らいでいる。だが彼女も自ら戦場に立ち、多くの命を奪ってきた。「殺す必要はなかったんじゃない?」そのような類の言葉を言われるかと思ったが、口に出したりはしなかった。
(意外に肝が据わってるのな)
「まとめて燃やすぞ」
 ゴミでも集めるように死体を拾って、一ヶ所にまとめながらカイは言った。
「な、何故?」
 ソフィアが尋ねる。純粋な疑問だろう。
 カイは大男を引きずりながら、
「この特徴的な殺し方は、知ってる奴が見ればすぐに俺とわかる。それなりの策を講じられると面倒だ。それに置きっぱなしにすれば魔物や野犬に食いちぎられるだけだし夏だからすぐ腐る。依頼した奴が確認にここに来たとしても葬るとは思えない。俺達に墓を作ってる暇はねーし、そこまでする義理なんてない。本当は消せれば一番いいけどな」
 説明してやると、ソフィアは少し迷った後に、
「……それなら私が消します」
 そう申請した。対し、カイは面食らって動きを止める。
「魔法、か?」
「ええ。異次元に消し去る魔法があるわ」
 そんなことをやらせていいのかとジールとクロウを顔を見ると、二人は複雑そうな表情を浮かべていたが止めようとはしなかった。
「それなら頼む」
 死体をひとまとめにし終わったカイは頷いて場所を空けた。
 煙で居場所が露見する事に関しては、男達が待ち伏せしている時点で敵は既に知っていたと考えていい。だが敵は、帝国側にもサマサ側にもいる可能性がある。サマサでソフィアを疎ましく思っている者。王子の話が本当だとすればそれを知って阻止したい者。王子の話が嘘だとすれば王子等。今回がどの差し金か分からないが、もう一方にも狙われていて居場所を知られていないのなら自ら知らせることはない。
 それを考えると、正直言って燃やすのは得策とは言えなかった。だがカイがいることが知られるよりはマシだと判断したのだ───自分に対する特別な対策を講じられなければ切り抜けられるという自信から。
(ラッキーだな)
 カイは素直に思う。彼に出来ることも限界があり、何かを犠牲にせねばならない選択が迫られるのは面倒だ。万事解決する策があるのが、一番いいに決まっている。
 死体の前に立ったソフィアは両手を広げて瞳を閉じた。
「我 求むは異空への扉 今開け デジョン!」
 声高に叫ぶと、彼女の前の空間が揺れた。そして漆黒の点のような小さなものに気付いたかと思うと、次の瞬間それは膨れあがり、一瞬にして死体の山を飲み込んだ。
 ふうっ、と息をついたソフィアは振り返る。
「血は残ってしまうけど、仕方ないわね」
 吸いこまれそうな闇の空間を見て呆気にとられていたカイは、我に返り頷くことしかできなかった。

 森の中へ入り獣道を行く。
 時々振り返っては後続の3人を確認した。誰か一人でもはぐれたら大変だ。
 二人の騎士は勿論のこと、ソフィアもしっかりした足取りで歩いている。
(出だしは順調か)
 内心、一人ごちた時だった。
「カイ・スペアト、あの技は一体どんなものなの?」
 突然ソフィアに声をかけられ、カイはびっくりする。
 もしかしたらソフィアは、話しかける機会を窺っていたのかもしれない。何故か不安そうな顔をしている彼女を、カイはチラリとだけ見ると答えた。
「とりあえず俺はカイでいいよ。いちいちフルネーム呼ばれるのはなんだか慣れない」
「ごめんなさい。わかったわ。それで、カイ、あなたが使うのは武器なの?」
「俺が使ってるのは魔法の武器・魔器の一つさ。魔力と物質が融合して作られたものらしい。俺のこれは一見単なるゴツい指輪にすぎない」
 言いながら指輪が見えるよう手を上げた。精巧な銀細工の指輪が人差し指に填っている。漆黒の珠を頂いていて、そこから銀の糸が出る。
「魔法の糸を俺の思い通りに操ることができる。っても、相当訓練したけどな」
「じゃあ、その腰の剣は飾り?」
 聞かれて苦笑いをした。
 武器を持たないハンターは不自然だとしても、それを隠すためだけに使えない物を持つわけがない。決して軽くはないのだ。
「まさか、一応使える。まあ騎士と比べられるとどうかわからんけどな。第一、多人数相手だとこっちのが手っ取り早い。味方を攻撃するようなヘマはしないが、制限を課せられると困る。戦闘中はなるべく俺に近付くな。俺が敵を引き付けて、ジール達は直接姫さんを守る、っつーパターンが理想か」
 最後の言葉は独り言に近いが、それを聞いていたソフィアは呆れ顔で、
「姫はやめて。知らない人が聞いたらそれこそ変に思うわ」
 そう言った。もっともなことを言われ、カイは破顔する。
「悪いな。俺としたことが」
 すると何故かソフィアは驚いたような顔をした。
「……?」
「あなたそんな顔するのね。いっつも人を見下したような顔してるんだもの」
 きっつい一言は全く飾らないもので、やはり姫君だとカイはげっそりした。
 後ろで真面目なジールまで笑いを堪えている。
 悔しくて、カイは黙って道無き道を進んだ。

 

†  †  †

 

「カイはソフィアの恋人じゃないの?」
 夢の話をしていた俺が、一息つこうと煙草に火をつけると、それまで黙っていたセリスがそう尋ねてきた。
「出会った最初から恋人の奴なんかいるわけないだろ」
 俺は呆れ顔で煙を吐く。
 今、俺達は飛空艇ブラック・ジャック号の船室にいる。ティナを救う手段を求めて、帝国へ向かう船の中だった。
「じゃあ、いつ、どうして? カイは初めからソフィアが好きだったの?」
「急かすなあ。初めは気になっていた程度だと思う。さっき俺が話したあの後、騎士二人は死んで、カイとソフィア二人だけになるんだ。だけどカイは気付いていながら、自分の気持ちに嘘をついていた」
「何故?」
 セリスは子供のように尋ねる。
 そういえば自分も小さい頃は祖母にこんな風に色々なことを聞いた気がした。そんな経験など無いと言っていた彼女が不憫に思える。
「絶対に手に入らない相手だと思ってたからだよ」
「二人で逃げればいいじゃない」
「そんなことをしたら約束を反故にしたと帝国はサマサに攻め入るだろう?」
 俺はそんな約束が無意味であったことを知っているが、話の前提としている時点でのカイは知らないからそう言った。
「そっか……」
 セリスはしょぼんと頷いた。素直な反応が可愛らしい。
 普段の彼女はどちらかと言うと無口だ。他の奴がいると余計なことは話さない。俺が一番話すし、オペラ座を出てからは大概一緒にいる。
 そんな彼女は、カイの夢の話を聞くときは特に饒舌になる。お伽噺をねだる子供のように。
「なんでお前がショボくれんだ?」
 ロックの問いに、セリスは目を瞬かせ、
「だって悲しいじゃない」
 そう呟いた。拗ねたようなそれは随分と女の子らしい表情で、俺は一瞬言葉に詰まったが、すぐに平静を取り戻す。
「まーな。でも、どうせ恋人になるんだぞ?」
「わかってるけど。でも、どうして恋人になれたの?」
「おいおい、もう寝ないと明日に響くぞ。続きはまた話してやるから」
 俺が呆れ顔で言うと、彼女は素直に頷いた。
「そうね。おやすみ」
 部屋を出ていった彼女を見送ると、俺は盛大な溜息を吐きだした。
「なんか、俺……」
 一人ゴチてベッドに腰掛けると、バンダナをむしりとる。
 真剣に話を聞く彼女は素の表情で、とびきり魅力的だ。だけどあんな風に拗ねたような表情は、更に魅力的だった。
 思わず、抱きしめたいと思ってしまうことがある。
 その衝動のまま彼女を抱きしめられたらどんなにいいだろう。
 そんなことを考えると、彼女がたまらなく愛しかった。部屋に帰したりしなければ良かったなどと考えてしまう。
 レイチェルのことも中途半端で、そんなことが許されるはずがなかった。
 彼女に尋ねられた「代わりなの?」その問いに、まだ自分自身、断言できる答えが出せていないんだから───

 

■あとがき■

 ま~た、過去の話ばっかです。ごめんなさい。「出会って恋をしたけど守りきれずに死んだ」っていうような説明で終わらせるべきだったかしら……。しかし書き始めてしまった以上、ちゃんと書きたいワガママな桜です。hikariさん、ロクセリ小説なのにロクセリがあんまり出てこない。ううう、許してくださいね。話作り自体はかなりしっかりやってるつもりなんだけど……。もしも設定入りすぎです。
 さすがに全く出てこないんじゃアレかなと思い、ラストにロクセリ出しました。相変わらず微妙です。ええ。いつでも二人は微妙です。ゲーム中だから。しかしこのシーン、下書きではジドールの宿屋が舞台でした。でも2を読み返したら、オペラ座まで書いてあるじゃん! う~ん、失敗です。連載って難しいですよね。全体を割ってうまく振り分けて書かなきゃいけないし。って、回数が決まってるわけでもないので、そんなに大変じゃねーだろ!と言われるとそれまでです。 (04.01.23)
 文章補正を行いました。 (05.11.03)

4.希望の道

 魔導研究所で彼女を手放して、俺はやっと気付いた。
 夢とか過去とか、そういうことに関係なく彼女を好きになっていたことに───。

 サマサでケフカに利用された俺達だが、再びセリスを迎えることができた。
 師とも父とも慕っていたレオ将軍の死は、セリスにもティナにも考える機会を与えたらしい。
 先に信じられなかったのは俺だけれど、本当は彼女を仲間だと思っていたことをわかってほしかった。だけど彼女は頑なにそれを拒否した。当然の報いだ。
 レオ将軍がいなければ、再びセリスが仲間になることはなかったろう。だから彼女が戻ってきてくれたことを、必然だとは全く思わない。
 せっかく与えられた機会だからこそ、俺はセリスに自分の気持ちを伝えることを決心した。

 サマサを出た飛空艇は、決戦前の調整とバナン様への報告のためにナルシェへ向かっている。
 俺は捨て身の覚悟で──正直言うとケフカの挑むより勇気がいることだ──彼女の部屋を訪れた。
 すると彼女はこう言ったのだ。
「丁度良かった。あなたに言わなきゃならないことがあったの」
 それを聞いた途端、俺の決意が萎む。情けない話だが仕方ない。大体、俺には負い目があっていい話だとは思えないからだ。
 一体、何のことだろう? 脈拍が上昇し緊張で足が震えそうだったが、全てを表に出さないよう振る舞う──ポーカーフェイスの苦手な俺がどこまで動揺を隠せているのかは微妙だが。
「なんだ?」
 ベッドに腰掛ける彼女を見て訪ねた。俺は彼女の前、1メートル半の距離のところに立っている。
 セリスは泣きそうな顔で俺を見上げて、諦めの滲んだ表情ではにかむと、告げた。
「私の母の名はナディア。あなたの初恋の人に間違いないわ」
 突然の告白に、俺は言葉を失った。頭が整理できない。ありえないと思っていたことだった。
 彼女は構わず続ける。
「舌っ足らずだった私はセリスって言えなくて、自分のことを“シェリー”って呼んでた。母もそう呼んでた。
 私が5歳の時、怪我をしたお兄ちゃんを母が助けたの。私はその人を実の兄のように慕ってた。それが、あなた」
「───お前、最初から、知ってたのか……?」
 俺は声を絞り出して尋ねた。
「あなたが母の話をした時に確信したわ。思い出したのはサウスフィガロに行ってから。あなたに出会う直前ね。
 母を殺したのは帝国だって事に気付いて、反旗を翻した。……黙っていてごめんなさい」
「何故、黙っていた? 何故、今になって言うんだ?」
 それが全くわからなかった。それを俺に告げることに何の意味があるのか。
「言えば、あなたは更に私を私として見てくれなくなると思ったから。娘だっていうだけで、あなたにとって特別になる。私には嬉しくもなんともない特別。でも、隠しても私が母に似ていて娘である事実は変わらない。自分を偽ったまま本当の自分を見て欲しいなんて、ずるいのかもしれないって気付いたから。
 ……本当は少し恐いわ。でも、今更特別視する理由が一つ増えたって変わらないかと思って」
 言い終えると、彼女はすっきりしたのか艶やかに微笑んだ。
「そうか…………」
 とりあえず頷いた俺は、頭の中を整理しようとする。
 だが、大して考えることなどなかった。セリスがナディアの娘だったからといって、俺にとっての彼女の存在は何も変わらない。
 確かに更に特別になる。数奇な運命は皮肉なものだと、思わないでもなかったけれど。
「俺は、お前をソフィアやナディアと重ねてなんかいない。いや、重なっちまうんだ。けど、それが嫌だった。ちょっとしたことで似てるとか懐かしいとか感じる自分がすげえ嫌だった。振り回されないって息巻いてることで、余計に振り回されてたんだ。そんなことにばかり気をとられて、俺は大事なことを見落としてた」
「大事なこと?」
 セリスは不思議そうに俺を見上げる。子供のような仕草がすごく無防備に感じられて、俺の中に熱が生まれる。
「俺がどうしたいのかってことだ」
 上目遣いに次の言葉を待つセリスは可愛らしすぎて、俺は己の感情に呑まれる前に続けた。
「過去も夢もどうでもいい。囚われて今を見失いたくない。だから、お前を護りたい。お前を傷付けるもの全てから。いつでも笑っていられるように。できることなら、俺の隣で笑っていてほしい」
 俺の真っ直ぐな言葉に、セリスは目を白黒させた。
「え……と……?」
 この反応はどうなんだろう? 赤くなるとか嬉しそうにするとか照れるとか、はたまた困った顔をするとか……そのどれにも当て嵌まらない。要するに、俺が何を言いたいのか全く理解できていなかったらしい。
「お前、俺の言ったこと聞いてた?」
「う、うん。でも、私が……笑ってればいいの?」
 不思議そうに問われ、遠回しだと気付かないらしいことがわかる。
「ナディアとかソフィアとか関係なく、お前が好きだっつったんだ!」
 ヤケクソ気味に言うと、
「えっ!?」
 彼女は飛び上がりそうな勢いで驚いた。
「でも……レイチェルさんのことは……?」
 困惑しているのだろうセリスは、俯きがちに尋ねた。
「守れなかった後悔が消えることはない。けど、それは恋とか愛じゃない。俺は、今、生きてるお前を大事にしたいんだ。これ以上の後悔をしたくないから」
「ロック…………」
 熱っぽさを帯びた瞳で、セリスが顔を上げた。俺の視線とかち合い、俺は逡巡する。彼女が欲しくてたまらない。けれどそこまで性急に求めていいのかどうかわからない。
「夢の意味も、もうどうでもいいんだ。ただ、俺はお前が好きだってことを伝えたかった」
 そう告げた俺は大きく一つ深呼吸をすると、踵を返した。これ以上ここにいたらヤバい。
 だが、ドアノブを掴もうとした俺は、背中に軽い衝撃と熱を感じて固まった。
「セリ、ス……?」
「……行かないで」
 彼女の掠れた声は震えていた。細い腕で俺にしがみついている。
「一人に、しないで」
 その言葉に、魔導研究所で彼女を置いていったことへの後悔が蘇る。同時に、彼女を離したくないと思った。俺のものにしたいと。
 俺の胸に回っていた腕を引き剥がすと、向き直って彼女を抱きしめた。
 込み上げる愛しさが溢れて、彼女への想いだけに支配される。
 焦がれるような切なさで唇を求めた。桜色をした薄い唇を何度もついばむ。全てを求めるように舌を絡めると、甘い吐息が混じった。
 互いしか見えなくなって、鼓動を肌で感じたいと望む。
 言葉だけでは足りず、決して見ることはできない心を渇望するように、有り得ない絶対的な絆への確信を探すように───。
 夜の冷たい空気の中、彼女の肌を彷徨った。

 

†  †  †

 

「もう、無理です」
 腹の傷を押さえながらジールが呟いた。
 癒しの魔導が使えるソフィアの魔力も切れ、応急処置ではどうにもならない致命傷は誰が見ても明らかだった。
「置いて、行ってください……!」
 大木に背を預けたジールが、息絶え絶えに懇願する。
「嫌です。置いていくなんてできません」
 涙を堪えて首を横に振るソフィアは痛々しい。
 クロウ・ストラビンスキーは既にいない。三日前の襲撃で頸動脈を切られ即死していた。
 ジールとクロウはソフィアを守るためにいるのであって、カイの仕事に彼等を守ることまでは含まれていなかった。余裕があれば援護しただろうが、元々一人で戦うことの多いカイは、「間違えなくソフィアを守る」ために騎士二人を気にする余裕はなかったのだ。それなりに腕の立つ二人だったが、敵はそれ以上に卑怯な戦い──不意打ちや暗殺──に慣れていた。
「ジール、俺だけに任せるつもりか? 信用しすぎだぞ」
 そう言ったカイだが、ジールの死が間近なことはわかっていた。本来はここで話している時間も惜しい。一刻も早く逃げなければならない。
「貴方は信頼できる」
 痛みに顔を歪めながら笑みを浮かべるジールに、カイは苦い表情になる。
「どんな根拠だ……」
「話さないで! 傷に響きます!」
 ソフィアは頼んだが、ジールは穏やかに微笑んだ。それは確信に満ちた表情。
「根拠なんてない。だけど確信できる」
「……他人にそこまで信用されるとなんだかうすら寒い気さえする。もしかしたら、ソフィアを連れてどこかえ消えてしまうかもしれないぞ?」
 カイはわざとニヤニヤと笑いながら言ってやった。死の間際に辛気くさい顔などされたくないだろうと思って。
「───ええ。それがいい。だから、貴方は信頼できると言っている」
 ジールの返事にカイは顔を歪めた。
(気付いてたのか───)
 カイがソフィアに惹かれていることに。
「それじゃあ、連れて行くぞ」
 カイが諦めの溜息を飲み込んで告げると、ジールはホッとしたような笑みをこぼす。
 無理矢理腕を掴まれたソフィアは、
「カイ!」
 抵抗したが、それを無視したカイは筋肉がついていても細い腕を力任せに引っ張る。
「ジール!」
 空いている方の手をジールに伸ばしたソフィアだが、ジールは静かに目を閉じて返事を寄越さなかった。
「…………ジール……!」
 ソフィアは涙を溢れさせたが、嗚咽を飲み込むとカイの手を振りきり、
「自分で歩けます!」
 はっきりと言った。
「泣くな。体力を消耗する」
「……あなたを冷たいと言ってはいけないんでしょうね」
 そう呟いたきり、彼女は何も言わなかった。


 夜中になって、やっと洞穴らしき休める場所を見つけた二人は、食事を終えた後も黙っていた。
 焚き火は消してしまった。必要以上に自分の居場所を知らせることなどない。
 森の中で休むことも考えたが、四方八方を警戒するのは分が悪すぎた。
「身体を休めないともたないぞ。美容にも悪い」
 眠る気がないらしいソフィアに、カイは笑顔で言う。元気づけようとしたのだが、全く逆効果だったようだ。
「……私はは命を賭して守られる価値などない…………!」
 絞り出すように言ったソフィアに、驚いたカイはちらりと視線をやる。悔しそうに歯を食いしばる姿など似合わない。
「あんたに死なれたら困る奴が大勢いるだろう」
「私は……私は……王族でもなんでもないんです」
 小さく零した言葉に、驚いたカイは顔を向けた。俯いた肩が震えている。
「どういうことだ?」
「私は……辺境の貧しい村で家族と暮らしていました。心臓の悪い弟がいて……私の力を知った議会が……取引を持ちかけたんです」
 胸くそ悪い話だった。余りにもかけ離れた血筋の姫が見つかりすごい力を有しているなんて、物語のように出来すぎていると思っていたけれど……。
「弟の病気は治ったけれど、後には引けなくなっていた。私はお金のために人を殺すことを選んだただの田舎の娘です。王族でもなんでもない」
「だけど帝国はそうは思ってない」
「同じことです。わかってるんです。ジールは『希望を捨ててはいけない』と王子が信頼できることに賭けていたけれど、私は殺されに行く。だからどこで死んでも同じことです。私がここで死んでも王子に殺されてもサマサ・ルダは攻め入られるでしょう。彼等が死んでまで私を守る意味など……!」
 理屈では彼女の言っていることはもっともであり、正しい。だが、カイもソフィアに死んでほしくなどなかった。死なせたくなかった。
「俺にはあんたを守る理由がある」
 カイの言葉に、ソフィアは皮肉っぽく唇を歪めた。
「ハンターは命よりも依頼の達成を優先する?」
 俗に言われる言葉だ。金と名誉の為には命も惜しまないと、一部では軽蔑されている。
「……正直、俺はハンターなんて仕事はどうでもいんだ」
 本当の仕事の隠れ蓑にすぎないのだから。
「どういうことです? 王子だから?」
 ジールに剣の筋について尋ねられ、自分がゾゾルニア・ゾールの王族の血を引いていることは言ってあった。ジドールの一貴族に嫁いだ母から生まれたため王子ではなく、両親が殺されハンターになったと。
「王子なんて身分じゃないと言っただろう? 王族の血が混じってるっつーだけの話だ」
 カイは嫌そうに眉根を寄せて答える。王族の血など必要でも不要でもない、カイにとって意味のないどうでもいいものだ。
「じゃあ、何故……。あなたまで命を無駄にする必要なんてないわ。私を置いて消えても構わない。いえ、そうするべきよ」
「無理言うな」
 うんざりしたような表情になったカイに、ソフィアは真っ直ぐな視線を向ける。
「私には死しか待っていないとわかっているんでしょう? その時まで私を守る意味がある?」
「─────────」
 カイは迷っていた。昼間、ジールに言ったのは半分は冗談だった。だが、残りの半分は……。
「俺の本業はハンターじゃない」
 観念したように告げる。
「本業?」
「そうだ。ゾゾルニア・ゾールの特殊部隊にいる。今回も任務があってサマサ・ルダに入った。……あんたの実力を調べることだ」
 苦々しく告げると、ソフィアは目を見開いて顔を歪めた。
「サマサ・ルダにつくか、翠月帝国につくかを見極めるために任務を負った。最初、あんたの護衛を引き受けたのは、だからだ」
「残念ね。でも私は死ぬ。私の実力なんて関係ないわ」
「もし王子の所まで辿り着いた時、罠だったなら、彼等も巻き込んだ魔法でも使って自殺か?」
「そう、しろと言われているわ」
 痛々しい彼女に、カイは大きな溜息をつく。
 彼女を死なせる選択肢を選ぶことは、絶対に無理だった。初めて自分の意志で何かをやり遂げたいと思ったのだから。
「あんたは、それでいいのか?」
「他にどうしろって言うの? 何をどうしようとしても死しか残ってない───!」
 悔しそうに食いしばった歯の間から漏らした声が、カイの胸に突き刺さる。
 カイの選択を、彼女が理解してくれるとは思えない。だけど、何がなんでも実行するつもりだった。
 騙して別の道を行くこともできたけれど、いつかは言わなければならなくなる。特にこの大陸を出るとしたら、船か飛空艇が必要だ。
「逃げよう」
 カイの言葉に、ソフィアは眉をひそめて顔を向けた。予想通り、理解不能という表情だ。
「必ず俺が守ってやる。誰にも殺させたりしない」
「何を考えて……」
 ソフィアは動揺したようで、視線を中に彷徨わせる。
「誰の手も届かないような遠くまで、逃げるんだ。自分がここで死んでも同じ結果だと考えているのなら、できるだろう?」
 いつにない真剣な目で見つめられ、ソフィアは狼狽していた。
 いつもふざけた顔ばかりしているのに、カイはたまにこんな顔をする。戦闘の時ではなく、フとした瞬間に。そういう時、ソフィアはどうしていいかわからなくなるのだ。何故か息苦しくて、身動きが取れなくなる。
「何のために? 私が、余りにも可哀想になった?」
「そんな同情で、特殊部隊を抜けられるか。隊長である義父が理解してくれればいいが、おそらく無理だろう。下手すると俺にも追っ手がかかるんだ」
「じゃあ、何故…………」
 ソフィアにはさっぱり理解できないらしかった。だけど問答無用に「嫌だ」と言われないのは救いだ。
(言わなきゃならねーのか……。くそっ)
 本気で恋をしたことなどない男が、初めての告白を前に躊躇するのは当然と言えば当然なのか───。
「俺は……あんたに惚れてんだよ。だから死なせたくない。守りたい。…………あんたに、俺を選べと言っているわけじゃない。ただ、少しでも生きたいと思っているなら──────」
 続けようとしたカイだが、呆然としていたソフィアの瞳から涙が溢れるのを見て言葉を失った。狼狽して慰めようとする。
「わ、悪い。あんたにとって重荷になるだろうから、本当は言いたくなかったんだ。その、俺の気持ちとかそういうのは、気にしなくてもいいから」
 ソフィアは黙ってかぶりを振った。
「あ~、そりゃ、気にするよな。あー、その、なんだ、大体、俺の追っ手が加算されるかもしれないとか言われたら、嫌だよな……ハハハ」
 何か気の利いたことを言おうとしたカイだが、うまい台詞が浮かばない。遊びでさえ恋愛をしてこなかったツケが回ってきているらしい───。
(情けね~……ダメだ俺)
 自分にダメ出しをしたところで何も出てこない。だがソフィアは、小さな声で呟いた。
「あの、そうじゃないの……」
 何度も洗っては使っているハンカチで涙を拭くと、顔を上げる。
「もし本気で言ってくれているのなら……すごく、嬉しい」
 恥ずかしそうに頬を染めた彼女の可愛らしさに、カイはビール瓶で頭をかち割られたような衝撃を受ける。
「でも、やっぱりあなたを巻き込むわけにはいかないわ。って言っても、私があなたから逃げられるとも思えないし、あなたを納得させられるとも思えないけれど」
「……そうだろうな。諦めろ」
 カイは片頬を緩めて言った。
 例え彼女が自分を想わなくても、彼女の未来を守るため、いつか来る彼女の笑える日のためなら、辛くても構わないと思った。元々、サイレンス・ホークの者は任務中に命を落とす確率が多く、結婚などする者はごく稀だ。カイも結婚や家族を築くことを考えたことはなかった。だから、彼女を自分だけのものにしたいという気持ちまで及ばない───今はまだ。
「あなたの手を取ってしまって、もしあなたが死んだら、私は後悔するわ。辛くて辛くて、その時こそ死を選ぶかも知れない」
 戦場でどれだけその白い手を血に汚していようと、彼女は優しい普通の少女だった。
「死なない。俺は死なないよ。君を悲しませることは一切、しない。それじゃあ意味がないからな」
「──────ありがとう」
 ソフィアは小さく柔らかい笑顔を浮かべた。野に咲く花のような、王族にはない素朴な笑みが、カイの心を温かくする。
「私を連れて、逃げてくれますかか?」
 真っ直ぐに見つめられ、カイは微笑んで頷いた。
「いつか、ソフィアが静かに幸せに暮らせる日まで」
 それが叶うと、信じていたから──────

 

■あとがき■

 ちょっと豪華な内容かしら? プチアダルティーロクセリと、過去の話です。どっちもラブラブ(?)。ていうか、このペースだと夢の話が書き終わらず現代の話が終わりそう。次回は夢の話だけとかになるかも。そういう回があってもご容赦くださいね。しかも6回のつもりだったけど、どうか怪しいところです。
 それにしてもセリスが珍しく誘ってます。たまには違うパターンと思ってね。流れ的にOKな感じだったので。
 告白は毎回困ります。だってさ、同じ言葉にはしたくないけど、どうしてもそっくりになっちゃう。桜は困ってばっかりですね……^^; しかし、カイはロックと外見は似ていても性格は違います。真っ直ぐだけどね。もう少し荒っぽいかな。で、ロックよりも更に不器用。ありがちな性格設定だ~ (04.01.30)
 文章補正を行いました。 (05.11.03)

5.秘めたる想い

 カイがまず最初に考えたのは、祖国ゾゾルニア・ゾールに支援を求めることだった。
 しかし明らかな罠とわかっていても、その確証がない以上、保護は期待できない。ソフィアの力がサマサ・ルダから無くなったことで、翠月帝国につく可能性すらあった。
 仕方なく二人は、話し合った末、危険を覚悟で翠月帝国へと入った。
 首都ヘクトに入ってからは刺客に遭うこともなく、そのことから王子が直接放った刺客ではないと考えられたが、油断はできない。
 先方の指定した宿に到着すると、カイは尋ねた。
「もし、王子が本当にあんたを妃に迎え、サマサ・ルダと和平を結ぶのならばあんたは逃げない、それでいいんだな?」
 約束の日は明日の正午。王子の迎えが直接宿に来る手はずとなっている。
「……はい。サマサの命運を私のワガママで変えることはできない」
 水を湛えたような穏やかなアクアマリンの瞳に悲しい色を浮かべられ、カイは拳を握り締めた。
(俺は、そんなことどうでもいいから、あんたを連れて逃げたいよ)
「あんたが望めば、何が犠牲になろうと俺は必ずあんたを助け出して逃げてやる」
 深い海のような青い瞳に見つめられ、ソフィアは戸惑いながら答えた。
「そんなことを言われたら、望んでしまいそうです」
 泣きそうな表情で、しかし笑顔を浮かべようとする彼女は可愛らしい。
「本当は───」
 カイは逡巡して言葉を句切ったが、結局想いを言葉にした。
「本当はあんたの望みに関わらず、奪い去ってやりたいよ。だけどあんたのせいでサマサが滅びたら、あんたは笑わなくなるな……」
「…………いろいろ、ありがとう」
 他に言葉が見あたらなかったのだろう。ソフィアは消え入りそうな声で呟く。
「礼を言われるようなことはしてない。俺が勝手に望んでしていることだ。……俺は、きっと後悔するな」
「え?」
 ソフィアは不思議そうに顔を上げた。子供のような表情になった彼女に、カイは苦笑いを浮かべる。
「あんたが王子に嫁いだ姿を見たら、後悔する」
「……ごめんなさい」
「謝らないでくれ。あんたは何も悪くないだろう。俺の、身勝手な想いに過ぎない」
「……………………」
 ソフィアは何も言わなかった。何か言いたそうにカイを見つめていたが、それを言葉にはしなかった。


 翌日、ソフィアを迎えに来たのは4人の騎士と、年老いた身なりの良い男だった。自らをラルド・ナールグと名乗る年寄りは、慇懃なほど低調にソフィアを馬車に乗せ、カイの前から連れ去って行った。
 カイにとっては身分などどうってことのないものだ。大した価値がないと知っている。だが、離れてゆく馬車を見ていると、彼女と自分の運命は重ならないのかもしれないと、その時は痛感した。
 感傷に浸ったのは一瞬で、ソフィアの小指に填められていた細い指輪に巻き付けておいた魔糸を頼りに、行き先を突き止めることにする。まだ彼女を助けなければいけない可能性の方が高い。
 魔糸は攻撃だけが能ではないが、追跡などに使っている間は武器として使えない。不便だが暫くならなんとかやり過ごせるだろう。武器のほとんどは一通り仕込まれている。体術もかなりの腕前だ。
 ソフィアが連れて行かれたのは、アルブルグに近い湖のほとりの宮殿だった。彼女の取引相手である第二王子オルヴァー・レリック・マールサイデスの私物だ。
 更に王子の単独行動である可能性が高くなる。第一王子は既婚のため、第二王子である理由はそれほど考慮されなかった。翠月帝国全てがグルであるよりも、王子の単独である方がソフィアの危険度は高い。
 だが、取り込めば戦力となるソフィアはすぐに殺されることはないだろう。彼女にはそれだけの価値がある。
 だからといって楽観視はしていない。死より辛い恐怖もある。彼女をそんな目に遭わせるわけには絶対にいかない。
 白磁の外観と無慈悲な翠月帝国の行為を揶揄して、アルブルグの国民からは“雪宮”などと呼ばれる城は、思いの外警備も手薄だった。それも王子の私物であるせいだろう。全権をオリヴァーが持っているに違いない。
 客室の一つにソフィアが閉じこめられていることを確認したカイは、夜明け前、その部屋に侵入した。
 そっとソフィアを起こすと、彼女は言葉を無くして驚き目尻に涙を浮かべた。
 ベッドから出ようとするソフィアを止め、端に腰掛けてカイは声を潜めた。
「ひどいことはされてないか?」
 慮る響きに溢れたカイの問いに、彼女は声を詰まらせて頷く。
「王子には会ったのか?」
「明後日、アルブルグから戻るらしいです」
 アルブルグは昨年、翠月帝国に制圧されていた。その管理を任されているのがオルヴァーである。本人は小国の管理ではなく他国への侵略を望んでいるようだが、父の命令には逆らえないようだ。
「部屋の外には出られないけど、今のところは平気です」
 カイの顔が近いせいか、恥じらうように俯いたソフィアは小声で囁くように言う。
 平時であれば、このまま彼女を押し倒したいところなのだが、生憎そうもいかない───彼女の意志を無視してそんなことをするはずないけれど。
「わかった。できるだけ宮殿付近にいる。何かあったら必ず駆け付ける」
「───どうしてそこまで…………」
 言いかけてソフィアは泣きそうな顔になった。
「愚問、ですね」
 どうやらカイの想いは認めてくれているらしい。
「でも、気を付けて」
 心からカイを心配している様子のソフィアを見ると、離れがたいと感じてしまう。
(らしくもない……)
 思ったけれど、不思議なほどに心地よい感情だった。
「あんたこそ、かなり無防備だ」
 想いを振り切ると、屈み込んで彼女の頬に口づける。
「! カイ……!」
 薄暗がりの中でも、彼女の顔が朱に染まったのがわかった。照れたような表情が、たまらなく可愛らしい。
「絶対、諦めんなよ」
 余裕たっぷりの笑みを残し、カイは窓から姿を消した。


 二日後、姿を現したオルヴァー王子は挨拶もそこそこにソフィアに言った。
「お前の力があれば、戦争などすぐに無くなる。世界を一つにするんだ」
「……どうやってです?」
 ソフィアは震える声で尋る。
「まずはこの国を手に入れる。僕が全権を握る」
「私の……力を、暴力として使うつもりですか?」
 固くなったソフィアの声に対し、オルヴァーは当然といった感じで答えた。
「そのための力だろう」
「それではサマサとの戦をやめるというのは!?」
 ソフィアの声が荒げられる。彼女はそのために来たのだ。
「君の祖国への攻撃はしない。君との婚姻により、サマサと帝国は一つになる」
 誰が聞いても有り得ない話だった。方法があるとすれば力で脅すのみだ──ソフィアを手放すことを承諾したサマサ・ルダが彼女の力をそれほど恐れるとは思えないが。そしてそれが叶ったとしても、他の国は滅ぼされる。
「私は人を傷付けたくなどありません」
 静かに答えたソフィアの言葉などなかったように、
「まだ僕のことも良く知らぬだろう。大丈夫、お前のすぐに私に賛同するようになる。すぐにな」
 言い終えた王子は、部屋を出ていった。
 一部始終を隠れて聞いていたカイは、今夜、ソフィアを連れ出すことを決めていた。


 夜、ほとんどの部屋の灯りが落ちた頃、チョコボの手配などの準備を終えたカイは、雪宮の周辺まで戻ってくると慎重にソフィアのいる客室を窺った。
 灯りの消えた部屋は真っ暗で何もわからない。今夜迎えに行くことを伝える暇はなかったが、無理矢理でも連れ出すつもりだ。
 巡回の兵を見送りテラスに上がると、カイは眉をひそめた。室内の空気がおかしい。
 魔糸を使い続けていると魔力の消費が激しくなりいざというときに困ると思い、ソフィアから離してしまったのが裏目に出たかもしれない。
 カイが入りやすいようにとの配慮だろうか、開け放たれた窓から、微かに漏れる声に耳を潜める。
「いっ……何を…………?」
「黙っていろ。すぐにわかる」
 薄いカーテンの向こうで絡み合う人影に、タガが外れた。
 魔糸を放つと同時に部屋に飛び込み、男が声を上げる前にソフィアから引き剥がす。
「ぐうっ……」
 勢い余って扉近くまで引きずられた男の首筋に絡みついた魔糸が思い切り絞られ、苦しそうに呻く。すぐに死なれぬようそれを少しだけ緩め、それとは別の魔糸で男の動きを封じると、カイはソフィアを抱き起こす。
「大丈夫か!?」
「……体、が…………熱い……」
 ソフィアは(うな)されるように訴えた。
「?」
 彼女の足下に何かが落ちていることに気付く。手にとると、空の注射器……。
 立ち上がり男に向き直ったカイは、
「何をした?」
 低く尋ねた。男は現在置かれている自分の立場よりも、自分の地位に力があると考えているのか掠れた声で言う。
「貴様、こんなことをしてただですむと……」
「お前がオルヴァーか。それはこっちの台詞だ。何をしたんだと聞いている」
 ぎしぎしと全身の魔糸を締め上げると、
「ゔああ゙っ!」
 オルヴァーは身をよじろうともがくが、余計に苦しくなるだけだった。
「答えろ」
 怒りを含んだ冷たい口調に、オルヴァーは苦し紛れに叫んだ。
「スカイルビーだっ……!」
 聞いた瞬間、カイは体中の血が逆流するかと錯覚した。
 スカイルビーは強力な催淫剤だ。常習性があり、使い続けると中毒症状を起こす。
「クソがっっ!!」
 ギリリと歯を食いしばり、悩んだ末気絶することに留めた。殺して余計な追っ手を増やすことはしたくない。奴の野望を王に知らせれば暫くは動けないだろう。
 ソフィアを肩に担ぎ上げたカイは、兵士の有無を確認してテラスから飛び降り、易々と塀を越える───魔糸がなければ、身一つでもないのに不可能な芸当だ。
 暫く走り森へ入ると、待たせてあったチョコボに飛び乗った。
 追っ手がいつ掛かるかはわからない。ソフィアは心配だが、寝間着姿に外套を被せると支えられるように自分の前に乗せてチョコボを出立させた。
 向かう先は紅陽国だ。ここからだとかなり距離があり、チョコボでも二週間はかかるが仕方がなかった。
「大丈夫か?」
 木々をすり抜けるチョコボの上で、ぐったりと自分にもたれ掛かる少女に尋ねた。片手は手綱を握り、もう片方の手でソフィアを支えている。
 ソフィアは黙って首を横に振る。
 スカイルビーは、一時的に思考を麻痺させ理性を奪う。アドレナリンを大量放出させ興奮させ、更に身体を外刺激から敏感にするものだ。一晩で抜けるはずだが、チョコボに乗っているのは楽ではないだろう。
 森の中程にある泉で、カイはチョコボを止めた。適当な枝にチョコボを繋いでソフィアを下ろす。
 自身は大木の幹に(もた)れるように座り、投げ出した足の上に彼女を座らせた。
 ソフィアの息がかなり上がっている。今日、これ以上動くのは無理かもしれない。
「水、飲めるか?」
「ん……?」
 意識が朦朧としているらしいソフィアは首を傾げ、
「飲ませて」
 掠れた声で告げ、薄く唇を開いた。
 片膝を立てて彼女の身体を支えながら、渇いた唇に水の入った革袋の飲み口を添え流し込もうとしたが、口に力が入らないのか唇の端から水が零れてしまう。親指でそれを拭ってやると、舌っ足らずな口調で、
「水、飲ませて」
 潤んだ目で見上げられ、カイはたじろいだ。
(ヤバイだろう……)
 この誘惑を振り切るのは無理だ。諦めたカイは水を口に含み、屈み込むように彼女に顔を近付けた。
 唇を重ね、そっと舌を出して彼女の唇を割る。ゆっくり水を流し込み、彼女が水を零さないようにそのまま押さえた。
 ソフィアの喉が動き、水を飲み込んだことを確認すると、身体を離した。彼女は閉じていた瞳をうっすらと開き、甘い声でねだった。
「もっと」
 水より口づけをねだられているような錯覚を起こしカイは一瞬動きを止めたが、余計なことを考えるのはやめて再び水を口に含んだ。
 二度目は彼女が水を飲み込んでも離さず、柔らかい唇を吸った。陶酔しているような吐息がもれ、それすら奪うように唇を重ねる。
 その心地よさは、カイがいままでこなしてきたどんな口づけも比ではなく、ひたすらに甘い。
 下半身が熱くなるのが止められず、それでも理性は口づけ以上を求めない。
 まるでカイを求めているかのように口づけに答えるソフィアだが、薬のせいだと知っていたからだろう。
(くそっ……)
 心中で毒づき彼女を離すと、ソフィアはうっとりと微笑んだ。
 酒と似たようなもので、スカイルビーは記憶を無くすものもいれば、しっかり覚えている者もいる。
 いつの間にか寝息を立て始めたソフィアを見て、カイは前者であることを願うことしかできなかった。


 翌朝、目覚めたソフィアはカイの顔を見て頬を染めた。願い虚しく、どうやら覚えているらしい。
 カイは渋い顔で、
「昨日はすまなかった。……俺も忘れる。だからあんたも忘れてくれ」
 苦々しい声で頼んだ。しばらく黙っていたソフィアだが、俯いたまま、
「はい……」
 小さく答えた。

 

†  †  †

 

 カイと共に逃亡する日々が始まった。
 今のソフィアにはカイしかいない。他の誰も信じられず、頼ることができない。カイが全てであり、何かを自分で決めることすらできない───それが情けなくもあり、カイを信じて付いて行けばいいという現状が心地よくもあった。
 東から翠月帝国を迂回しながら山沿いを進む。山と海に挟まれた地は逃げ場が少ないのが難点だが、ヘクト近郊を行くよりは危険が少ないと踏んでいた。
 カイの話によると、紅陽国からゾゾルニア・ゾールへの連絡船に乗り込むらしい。既にゾゾには連絡をしてあって、納得してくれれば迎えてくれるという。多分、ヘクタに着く前から逐一報告はしてあって、その時から予想して頼んであったのだろう。でなければ、この短時間で了承が下りる可能性は薄い。
「でも、私は王族でもない。保護を要求なんてできるの?」
 不安そうなソフィアに、カイは肩をすくめた。
「ゾゾの連中は取引道具と見るかもしれない。だけど、一時しのぎでいいんだ。あんたの意にそぐわないことになるようなら、また逃げてやるよ」
 こともなげに言うカイが、ソフィアにはわからない。
 自分を好きだと言ってくれる。だけど、答えなくていいと言う。普通好きなら答えてほしいはずだ。ソフィアだって、そう思うのだから……。
 あの夜の、オリヴァーの城を出てきたあの夜のように、求めてほしいと……そんな浅ましいことを願ってしまう。それともあれは流されただけなのだろうか。カイは経験豊富そうに見える。
 自分の想いを口に出せないのは恐いからだ。カイを信じている。でも、どこかでもし彼すら自分を騙していたら──そんな風に考えているから。
「どうして───逃げてくれるなんて言うの?」
 小川の水を飲むチョコボの傍らで、ソフィアはカイを見ないで呟いた。
「言った、だろう?」
「私が好きだから?」
 何故か挑むように睨まれ、カイは面食らったようだ。
「それ以外に何がある」
「答える必要もないなんて、おかしいわ。それで私のためにそこまでするなんて、変よ」
 ずっと聞きたいと思っていた。なんとなく口をついたら、もう知るまで止まらない。
「……別にあんたのためじゃない。俺があんたに生きていてほしいと、死なせたくないと思っているだけだ。あんたのためじゃないんだ。俺のエゴにすぎないんだよ」
「──────」
「言っただろ、俺はサマサがどうなろうと、あんただけを助けることを本当は望んでいた。結果的に、俺はあんたを苦しめる選択をせずに済んだ。サマサを見捨てて逃げるっていうな」
「あなたは私の選択に納得したって───」
「建前だけだ。例えサマサが救われても、あんたがあんな男に嫁ぐんなら、奪って逃げてた」
 カイはあっけらかんと言う。まるでどうでもいいことのように。それが彼の本音を隠すスタイルだというのはもうわかっている。ではこれは、照れ隠し?
「それに俺は、俺を選べと言っているわけじゃないと言ったはずだ。あんたを連れて逃げてやるかわりに俺の女になれなんて脅迫みたいなこと言う奴いるか? そんな虚しいこと望んだりしない。もし───いや、なんでもないよ」
 カイは疲れたような笑みを浮かべた。二人きりになってからは、こういった素の表情をしてくれる方が多い。
 ソフィアは望んでほしいのだ。全てを望んでくれたなら、自分も伝えられるかもしれないから───長い時間をかけて育てた想いを。
「俺の気持ちは、重荷か?」
 すまなさそうに顔を覗き込まれ、ソフィアは首を横に振った。
「なら、いいんだ。重荷になりたくないから、答えなくていいと言った。それだけだ」
「逃げ切って、いつか、私が誰かと恋をしたら、あなたはどうするの?」
 至極、失礼な質問をした。だけど、聞きたかった。ソフィアの望む答えがほしかった。案の定、カイは苦虫を噛み潰したような表情で唇を歪める。
「きっついこと聞くのな。あんたの意志を無視することはあっても、あんたの想いを無視することはないよ。つーか、正直、どうしていいかわかんね」
 ぶっきらぼうに呟くカイは、頭をかいた。
「え?」
「俺さあ、なんか知んねーけど、女慣れしてるように見られるんだよな」
「そう、ね」
 それはソフィアも頷く。最初の軽薄な態度が、そう思わせた。また整った顔の造形も、甘い笑顔もモテそうな印象を増長していた。
「自分でこんなこと言うのも情けねーんだが、正直言って、誰かを好きになったことなんてなかった。女なんてすぐ恋人面するし、面倒な生き物だとか、思ってたよ。ありがちだな」
 カイは笑ったが、ソフィアは笑わなかった。ということは、ソフィアが初めて好きになった女であるというのか。
「女をあしらうのには慣れてても、口説いたりするのは苦手らしい。なんで俺、こんなこと自分で言ってんだろうな」
 いつもの軽薄さに紛れて、茶化してしまいたいのだろう。だけど、誠実な人だとソフィアは思う。
「それなのに、どうして、私、なの?」
「さあ。それに理由がいると思うか?」
「思わない。私もそうだもの。理由なんて些細なことで、どうしてって言えるようなものじゃない」
 ソフィアの言葉に、カイは片眉をつり上げた。
「好きな男がいるのか?」
 直球で尋ねられ、ソフィアは迷った末頷いた。
「…………ええ」
「祖国に?」
「いいえ」
「遠いのか?」
 何故そんなことを聞くのかと、胡乱(うろん)気にカイを見た。カイは困ったような笑みを浮かべる。
「もしそいつの所へ行きたいのなら、いつか連れて行ってやるよ」
「なっ……!」
 ソフィアは唖然としてカイを見た。何故、そんなことが言えるのだろう。その程度の想いであるのか。
「あなたは、あなたは好きだという女をわざわざ他の男の元へ連れて行けるの!?」
 突然叫ぶように言われ、カイは驚いたように一瞬目を見開く。そして逡巡した後、力無く言った。
「俺を想っていないあんたを傍に置いておく意味なんてないよ。俺もあんたも辛いだけだ」
 理屈で未来を予想できてしまうのは、悲しいことかもしれない。一時の感情で過ちを犯すことを、彼は避けようとしているだけだ。
 普段落ち着いたように振る舞っては見せても、その実、まだ子供で直情的な自分が、ソフィアは恥ずかしくなる。
 彼を信じ切れずに恐い、そんな理由で何も告げずにいたら、逆にいつか後悔するかもしれないのだ。
「どうして私の気持ちを勝手に決めるの? どうして確かめようとはしないの? 何故!?」
「どうしてって……ハンターの仕事を放棄して、祖国も裏切るかもしれない俺は、未来の保証がない。そんな奴と未来を描ける女がいるのか?」
 言われてソフィアは押し黙った。ソフィアは未来のことなど考えていなかった。逃げたその先など、考えていなかったのだ。ただ、今、カイが好きだというだけしか見えていなかった。それでも───
「そんなことに関係なく、私は……あなたが好きなんです」
 俯いて涙を零しながら告げたソフィアに、カイは眉をひそめた。
「選択権のないあんたは、今、俺しか選べない。そうだろう? 本能で、二人きりの男女は惹かれ合う、そういう風にできている」
 なんて人だろう。信じてくれないのだ。ソフィアは歯を食いしばって顔を上げると、カイを睨み付けた。涙にまみれた頬を隠しもせず、自分を真っ直ぐ見つめる瞳にカイはたじろぐ。
「だから! どうして決めつけるの? あなたがそうじゃないと、どうして言えるの?」
「すま、ない……」
 困ったような顔で謝罪の言葉を口にしたカイの胸を、ソフィアは両手で叩く。
「私が聞きたいのは、そんな言葉じゃない! 私は……私は……ずっと、初めて会った5年前から、あなたのことが…………」
 苦しそうなソフィアの背に腕を回し抱き寄せながら、カイは首を傾げた。
「5年、前?」
「そうよ。サマサの辺境の村に来たでしょう? ハンターとしての仕事をしに。魔物を退治するために!」
「確かに行った。───まさか、あの時の子供、なのか?」
 カイが指しているのは、男の子のような格好で短い銀髪をした過去のソフィア。魔物の居場所を案内したやんちゃな子供。
「次官からあなたの名前を聞かされ、夢かと思ったわ。再会できても、あなたが気付くはずがないこともわかっていた。あなたに好きだって言ってもらっても、王子に嫁がなければならないだろう私は言えなかった……!」
 悲痛な叫びを上げると、背中に回されるカイの腕に力が入る。
「ごめん。泣かないでくれ」
「泣きたくなるわよ。私は、姫でもなんでもない、普通の女なの!」
「わかってる。そんなことはどうでもいいよ。俺には価値のないことだ」
 背中を撫でるカイの手が優しくて、涙は止まることを知らなかった。

 

■あとがき■

 ロックの夢であるため三人称だけどカイ視点です。だからソフィア側の感情が書けないのが悲しかった。だけど、やっと……ソフィア側が書けました! しかし、恒例になってますが、謝罪せねばならないことがあります。やはり───遂に、ロクセリが出てこない回となってしまったのです。すみなせん。自分では気に入っているんですが……ロクセリ好きさに読まれている方には無意味でつまらなく感じるかもしれません。hikariさん、許してください~。次はロクセリ出てきますが、全体的にこの話のカイ×ソフィア比率が高いのは、もうどうしようもありません。しかも大事なシーンを入れたかったんですけど、長くなりすぎて次回へ回ります(つーか、既に他よりかなり長いですが)。7回で終わるかな……^^; (04.02.07)
 文章補正を行いました。 (05.11.03)

6.汚された魂

 チョコボ1匹に対して人間二人はやはり速度が落ち、10日してやっと山脈を迂回できる所まで来た。
 それまで刺客一人現れずホッとしていた二人だったが、北の漁港を出て少しして、怪しい人影に出会った。
 漆黒のローブを纏う小柄な人物は、とても旅人には見えない。背を丸め道端の岩に腰掛けている姿を見ると年寄りだと思われる。
 二人が近付くと、そのままの姿勢で何者かは口を開いた。
「待っていたぞ」
 嗄れた声は男女の区別すらつきにくいが、おそらく女だ。フードを深く被った老婆は、得体の知れない存在感をかもし出していた。
「………………」
 カイはソフィアを庇うように背後に回しながら身構える。
 殺気は無く、味方ではないようだが刺客だとも思えない。老婆一人の刺客など考えられないことだ。
「世界の流れに逆らうなど、愚かだが同時に愛しい」
 カイにもソフィアにも、老婆の言っている意味がわからない。
「誰の手の者だ」
 何があってもいいようにと、老婆に魔糸を巻き付けたカイは問う。
「サマサ・ルダのトライエル卿よりオルヴァーの元へ遣わされたミネルバって名前のババアさ」
 名乗った時には、老婆の姿は消えていた。
「馬鹿な!」
 確かに魔糸を巻いていたはずで、その手にも手応えがあった。傷付ける目的ではなかったが、常人に抜けられるはずがない。
 感覚を研ぎ澄まし辺りを見回すと、ミネルバは背後にいた。その小柄な身体を宙に浮かせて。
「あなたは……天魔の魔女ミネルバ!?」
 ソフィアが驚愕に近い声を上げた。
 人と幻獣の血を引く母と、魔物の父を持つと言われるサマサ・ルダでは伝説の魔女だ。
 有り得ない人と魔物の子として産まれたミネルバは強大な力を持ち、人々に恐れられた。不死と言われ悠久の時を過ごし恐慌を好むミネルバは、平和な時代には眠りについていると語られている。
「そんな風に呼ぶ者もいるね」
 少女のような声色で笑ったミネルバは、深く被っていたフードが落ちると、燃えるような赤い髪を持つ美女に変わっていた。
「そう。私は混沌を愛する」
 紅い唇が笑みを描く。鮮やかな赤は血の色だ。
「オルヴァーの叶うはずのない愚かな野望より、戦争の起こる直前の疑心暗鬼な均衡が好き。闇へ染まりきった世界より、絶望へ染まっていく様が好き」
 狂気を(はら)む声で告げるミネルバに、ソフィアは震える声で尋ねた。
「帝国に幻獣を売り渡しているのはあなた!?」
「私はそんなことに手出ししない。ほんの少しの導きを与えるだけ。優しく絶望へ続く道を囁くだけ───。
 自らより過酷な道を選んだお前達も、悪くない。ありえない希望を抱いているわけではなく、非業の死を覚悟で進むのはステキ。でも、足りない。このままじゃお前達は死んでも絶望しない。ねえ、私の心を満たして。絶望を感じて」
 夢見る少女のように陶酔した口調に、本能的な恐怖を感じたカイは魔糸を横薙ぎに放った。だが、魔女を捕らえることはできなかった。
「私は殺せないわよ。万能ではないけれど、お前達と比べると遥かに万能に近い」
 くすくすとミネルバは笑みを零す。絶対的な勝者の余裕を前に、カイとソフィアにできることなどない。
「ねえ、ソフィア。聖女の仮面を被った殺人鬼」
 容赦ないミネルバの言葉に、ソフィアは真っ青な顔で息を飲んだ。
「そうでしょう? どれだけサマサ・ルダの人間が崇めようと、お前がしてるのはただの人殺し。お前の手が血に汚れなくなるのは悲しいわ。己が汚れることを覚悟で、人より多く殺せる女。愛しいと思っていたのに───だから、代わりにステキな呪いをあげる。お前の愛する人は、大事な者を全て失うわ。そしてお前はそれをずっと見続けなければならない。愛する人が絶望するのは、あたながその人を愛しているから。あなたのせい。あなたの愛する人は、いつあなたを憎むかしら?」
「ふざけんなっ!!」
 怒号と共に再び魔糸を放ったがやはり効果を成さず、カイは悔しさに拳を握り締めるしかできない。
(きっとこの魔女は、世界を一瞬で滅ぼせることが可能な力すら持っている)
 そう思った瞬間、悔しさより虚しさが込み上げ、どうしようもなく悲しくなった。
「カイ、お前はきっと呪いなど信じずソフィアと共にあるでしょう。ソフィアを憎みはしないでしょう。それはソフィアにとって逆に苦痛となる。さあその時お前達はどんな選択をするの? 痛ましい程の絶望を見せて。ウフフフフ……ソフィアのことは気に入ってるの。だから、魂に呪いを刻み込んであげる」
 ミネルバの陶酔した言葉に、カイの額がずきりと痛んだ。ソフィアもどこか痛いのか胸を押さえ顔をしかめている。
「生まれ変わっても、何度でも、絶望してゆく姿を見せてね」
 言い終えると、すうっとミネルバの姿は消えてしまった。後には甲高い笑い声だけが、響いていた。
 その日より、カイの額には逆さ五芒星が、ソフィアの心臓の上には逆さ十字が刻まれた。永遠の呪いとして……

 

†  †  †

 

 眩しい……?
 突然、自分に降り注ぐ光に気付き、俺はうっすらと目を開けた。
 目覚める直前まで夢を見ていたこともあり、記憶が混濁している。うつろな意識のまま身体を起こすと、小さな部屋に寝かされていたことを知った。
 木の床に直接薄い布を敷いただけの寝床のせいか、身体のあちこちが軋んだ。床ずれが出来ている。ひどく喉が渇いていて、部屋の片隅に置いてある水差しを勝手に拝借した。
 眩しいと感じたのは小窓から降り注ぐ朝日で、外には木々が並んでいる。森の木こり小屋みたいに見受けられた。
 とりあえず俺は記憶を整理しようとする。
 まずは現実の話。
 最後に見たのは青空だった。魔大陸脱出後、壊れた飛空艇でセリスの手が離れてしまい、呆然としているうちに俺自身も投げ出された。──以上だ。
 誰かが助けてくれたのだろう事実にやっと思い当たり、俺は部屋を出た。
 扉の向こうは質素な食堂で、小さな台所がある。他に部屋はなく、おそらく一人暮らしなのだろう、が人気は見あたらない。
 玄関から外へ出ると、先程窓から見えた森とは反対側で、小屋は湖の畔に建っていた。少し小高くなっている場所で湖が一望でき、岸辺で小柄な人物が細い枝に糸を付けただけの釣りをしているのが見えた。
 その人物目がけて歩いて行くと、
「あんたが助けてくれたのか?」
 俺は声をかけた。
「おお! 気が付いたとか?」
 振り返ったのは人の良さそうな初老の男だった。
「満身創痍でこの湖に浮いちょるけ、最初は死体かと思ったとよ」
「そうか……。まず礼を言う。助けてくれてありがとうな、じーさん」
「オリは、大したことはしとらん。できるわけででもなか。あんたが自分で回復したと」
 老人の言葉には軽い訛りがあるが、素朴な響きを持っていて俺は何故だかホッとした。
「ところで今日は何月何日で、ここはどの辺りだ?」
「確か2月20日ぐらいとね。一番近い町は一応ジドールと。じゃけ、歩いたらオリの足で半日かかるとね。
 それにこの前、久しぶりに買い物に行って知ったと、ベクタ跡地に変な塔ができちょって、世界中を壊してるらしいとよ。その影響でかなり地形が変わったとか聞いちょる」
「2月20日か……」
 俺が仲間と共にケフカに挑んだのは12月末のこと。既に2ヶ月が経過していた。
「とりあえず、魚も釣れたけん」
 老人は立ち上がると、釣り竿にしていた木の枝を持ち上げた。垂れた糸の先で小さな魚が跳ねている。傍らの小さな木桶にも何匹か入っていた。
「メシでも食え。あんた、かなり衰弱しちょる」
 老人の言うとおり、体重も落ちて身体が重い。以前と比べものにならないぐらい体力が低下している。少し体力を取り戻さなければならない。
「そうだな。まずは腹ごしらえだな」
 大らかな老人に、俺は素直に頷いた。


 旅に出られるようになるまで老人の元で過ごすことを決めた俺は、湖畔の岩に腰掛け夢のことを考えていた。
 太腿の上に肘を置いた体勢で頬杖をつき、ぼんやりと茜色に染まっていく水面を眺める。
 気になることが二つあった。
 一つは、ぼんやりとしかわからなかったソフィアの顔がはっきりしていたこと。まるきりセリスそのままだった。自分の認識の問題なのか、それとも別の理由があるのかはわからない。
 そしてもう一つ、ミネルバの存在と呪いの話だ。幼い頃から夢を見続けてきたが、あの場面を見たのは初めてだった。今まではソフィアやカイの言動に不自然な部分があると思っていたが、ミネルバが原因だったのだ。
 魂に刻まれた呪い───馬鹿馬鹿しいと思った。あんなものは夢に過ぎない、そう切り捨てたかったけれど、無視することは不可能だった。
 何故なら……俺の額には、逆さ五芒星がある。ひどくはっきりしているのが嫌でバンダナを巻いてきた。そして、セリスの左胸の上には逆さ十字の痣があった。もうセリスがソフィアの生まれ変わりかどうかなど考えていなかったが、深層意識がそれを勝手に関連づけて夢を見ただけなのか…………。
 もしあれが事実ならば、自分が憧れたナディアが死んだのも、レイチェルが死んだのも関係があるのかもしれない。ましてやミネルバはまだ生きている可能性すらあり、帝国の裏に潜みケフカすら操っている可能性すら───有り得ないと考えつつ、そう思ってしまう自分が捨てきれなくて、俺は行き場のない苦々しい思いを消化できずにいた。

 

†  †  †

 

 天魔の魔女に会ってから、ソフィアの口数はめっきり減った。
 どんな選択をしても“最良”にはならない。最も“マシ”を選ばなければならないが、五十歩百歩といったところだ。
 もしソフィアが持つカイへの思慕を消せるなら、それが最良であるが、無理だと本人は思っている。例え離れても、忘れられる自信はゼロだ。
 このままでいるか、ソフィアが死ぬか、二つの選択肢を前にどちらも選べない。
 両親を亡くし秘密部隊に所属するカイとて大事な人ぐらいいるだろう。ソフィアが死ねば呪いが無くなるのならばそれで済むはずだ……が、彼女がカイを愛したまま死ぬと呪いは生き続ける可能性も強い───魂に刻み込まれた呪いなのだから。ソフィアの頭の中ではカイが深く悲しみ己を責めるだろうことなどは二の次だ。
 となるとソフィアの死は解決にはならず、どうあってもカイを傷付けてしまうことが決められてしまった。
 呪いが嘘であるかもしれないとは考えなかった。カイの魔糸に掴まらない者など人間には存在しないだろうし、楽観視して後悔するのも嫌だ。
 カイを愛することをやめよう、強く思っても、気付くと目で追っている。彼の姿が見えないだけで不安になる。
 どうすることもできず、ただ、ゆるやかな絶望に押し潰されそうになるのを必死で耐えるしかできなかった。


 ツェンに入国し、ゾゾルニア・ゾールの連絡船に乗り込む手はずが整った夜、時々考えるような素振りをしながらも明るく振る舞っていたカイは初めて呪いのことを口にした。
 宿は同室でツインベッドだ。別々の部屋では何かあった時に対処できないかもしれなず、ソフィアも納得済みである。カイは「何もしないから」などと言っていたが、ソフィアはそんな断りはいらないと思う。しかし彼も気を遣ってくれているのだろうことはわかっていたので、何も言わなかった。
「俺にとって大事だなんて言えるのは、あんた以外には二人。育ての親だ。隊長が義父だってことは言ったよな。その妹が母代わりだった」
「……私はその二人を殺してしまうかもしれないのね」
 ソフィアは自嘲気味にはにかんだ。
「あんたが殺すんじゃないだろう」
「同じ事です。そういう呪いなのだから。でも、あなたが嘘をついて大事な人などいないと言わないでくれてよかった」
「あんたが俺を傷付けたくないと思ってくれるように、俺もあんたを傷付けたくない。でも、嘘は言わない。決して君を欺かないと誓える」
「……ありがとう。でも、そこまで言ってもらえる資格なんて……」
 悲しそうに言葉を漏らすソフィアを、カイは強い口調で遮った。
「資格とか、関係ないだろ。俺はどんなに傷付いたとしても、あんたが傍にいてくれるのなら救われる。例え死が待っているとしてもだ」
「強いのね。私は……あなたを忘れてしまいたい」
 零された本音に、カイは眉をぴくりと上げ目を細める。
「だけど、どうすれば想いが消えるのかわからないの。嫌いになりたいと願えば願うほど、あなたを好きな自分に気付いてしまう!」
 俯いたままのソフィアは膝の上で両の拳を握り締めている。
「私があなたを愛さなければ……!」
 顔を上げた反動で、涙が彼女の手の甲に零れ落ちた。
「そんな風に言うのはやめてくれ。どう反応していいか正直わからなかったんだが、あんたの想いを知って俺は嬉しかった。受け止められる自信がなかったが、今は違う。少なくともなんであれ、俺の気持ちは変わらない」
 余りに真っ直ぐなカイの視線に、ソフィアは更に涙を落とした。
「恐いの……」
 小さく漏らした嗚咽混じりの声を聞き、ベッドの向かいに座っていたカイが手を伸ばしてソフィアの腕を引き抱きしめてくれた。
「恐い……。あなたに憎まれる日がくるかもしれない。私に関わらなければ、あなたが辛い想いをする必要はなかった……!」
 カイの胸に顔を埋め、震えながら想いを吐き出した。
 力強くソフィアを抱きしめ、カイはそっと囁く。
「あんたに出会わなければ……再会しなければ、確かに俺は今までと変わらぬ生活を送ってた。誰かを愛することも知らず、軽薄な仮面をつけて虚しく生きてただろう。そんなのは多分、生きていても死んでいると変わらない。少なくとも、俺はあんたを大事だと思う今の方が幸せだ。例え辛くとも」
「優しいこと言わないで!」
 右の拳でカイの胸を叩いたソフィアは、上目遣いにカイを睨み付けた。
「今だけで、あなたは変わるかもしれない。私を許せなくなる日が来るかも知れない」
 カイは動じず、静かにかぶりを振る。ソフィアの頬に触れ親指で涙を拭い、切なそうな顔をする。
「来ないよ。来ない。俺は変わらない。何かを守りたいという気持ちがどれだけ強いか、初めて知った。俺は全身全霊で、あんたを守るよ。できれば、あんたの心も」
「本当はっ、離さないでほしい。あなたの傍にいたい。でも……」
 苦しそうに嗚咽を堪えるソフィアを再び抱きしめると、カイは断言した。
「約束するよ。俺の命が尽きるまで、あんたを守り続ける。決して離さないよ。誰にも渡さない。例え互いがどんなに傷付いても、俺は離れるという選択をしないと、約束する」
 少しだけ涙の引いたソフィアは、カイの真意を探るように彼を見上げた。
 夜の海のような深い青を封じ込めたサファイアの瞳は焦がれそうなほどにソフィアを見つめている。
「だから、あんたも覚悟を決めてくれ」
「かく、ご?」
「決して一人で消えたりしないと。最後まで共にあると」
 その言葉に暫く考え込んだソフィアだが、小さく頷いて答えた。
「私が消えることは多分解決にならない。そんな選択はしないと約束するわ。……あなたが傍にいてくれるなら、どんなに傷付いても構わない」
 決意を込めて告げると、フッと表情を緩めたカイはソフィアの顎に手をかけた。
「どんな生であろうと、共に歩もう」
 言葉が終わらぬうちに、唇が重ねられる。
 彼に求められることをずっと待ち焦がれていたソフィアは、ねだるように口づけに答えた。

 互いの想いを確認するように、求め、求められ、何度も肌を重ねた。

 決して絶望しないことを、心にも体にも刻み込もうとするように───

 

■あとがき■

 名前が一度も出てきてませんが、真ん中の章はロックです、勿論。老人が使っている訛りは宮崎弁もどき。一緒に暮らしてる旦那の祖母が使ってる言葉を少し拝借。標準語に近い宮崎弁ですかね^^;
 この話の重大なキーポイントがやっと出てきました。つーか、途中(四話か五話辺り)で考えたんですけどね^^; 前世、過去と出会っていた、それだけの話ってどうよ? と思いつきました。しかし、最後、どうまとめるか……悩んでます。
 またソフィア&カイの話ばっかですね。次回はセリスを出したいと思ってますけど……どうだろ?
 なんかカイの台詞ってくっさいよね。ロックはそこまでくさい台詞を言わせないようにしているけど(エドガーじゃあるまい歯が浮くようなことは言って欲しくない)、まあ、それも微妙よね。結局口説き文句なんだから、くさいにきまってる。つーか現代物だったら有り得ない。でも時代が古いということで、許して頂こう!
 カイはソフィアを「あんた」と呼び、ロックはセリスを「お前」と呼びます。そういうのって意図的に変えてる。エドガーはティナを「君」、セッツァーはリルムを……やっぱり「お前」? ソフィア、セリス、ティナは相手を「あなた」、リルムはセッツァーを「あんた」です。
 ミネルバって名前はあのゲームからです(気に入った響きだったので)。ミネルヴァにしなかったのはなんとなく。「天魔の魔女」って呼び名は魔術師オーフェンの義姉アザリーよね。ここでは至極悪い意味で呼ばれています。アザリーもいい意味とは言えなかっただろうけどさ。 (04.02.13)
 文章補正を行いました。 (05.11.03)

7.戦乱の渦

 ゾゾルニア・ゾールへ到着すると、カイは育ての母であるメグの元へソフィアを連れて行った。
 メグは元サイレンス・ホークの一員とは思えぬほどに穏やかで優しい女性で、サマサ・ルダを出てからというもの気の休まる時間のなかったソフィアも、初めて肩の力を抜くことが出来た。
「じゃあ、よろしくな」
 メグに言い置いて、カイはどこかへ行ってしまったが、
「気兼ねしないでゆっくりしていて」
 そう進言してくれたメグに、ソフィアは素直に世話になることにした。

 カイは二日ほど戻っては来ず、ソフィアはメグと様々な話をした。そのほとんどはカイの幼少の頃のことで、知らなかった彼の姿を聞けたソフィアはとても穏やかな時を過ごした。
 だがメグがカイの大事な人であり、いつか自分のせいで死んでしまうかもしれないことが心の片隅に棘となって食い込んでいる。
 二日後の夜、戻ってきたカイは蒼白な顔をしていた。
「どうした、の?」
 嫌な予感がして恐る恐る尋ねると、
「……だめだ。全く取り合ってもらえない」
 カイは肩を落として、居間のソファーに腰掛けた。
「兄さんは?」
 メグの問いに、カイは力無く首を横に振る。
「あの人は根っからの軍人だ。上の言うことに逆らったりはしない」
 ホブをそう評価するカイに、メグは悲しそうに目を伏せた。
「…………お茶を入れるわね」
「ああ」
 頷くと、カイはテーブルに肘をついて暫く顔を埋めていたが、メグがお茶を持って戻ってくると顔を上げた。
「ソフィア、あんたはサマサへ戻りたいか?」
「……え……?」
 ソフィアは意味がわからず惚けた。今まで聞かれたことのない問い。そんな選択肢を考えたことはなかった。
「あんたが王族の血でなかろうが、サマサがあんたを必要としていることに変わりはない。
 帝国の方は王子の独断だったから取引が失敗したところですぐにサマサに責め入りはしないだろうしな。オルヴァー王子があんたを娶る話を知っているとしても王子の野望は知らない。王子のことは一応皇帝に密告しておいたから、まずそっちをどうにかすると思われるな。まあそれで稼げる時間なんて本当に僅かだが。
 ゾゾルニアとしては、できればサマサにつきたいんだろうな。だがあんたのいないサマサに加勢することに不安がある。あんたをサマサに引き渡したいらしい。恩も売れるからだろうな」
「私、は……」
 ソフィアは答えられなかった。サマサに戻るのが一番丸く収まる方法であることは理解している。頭ではわかっているが、二度とカイには会えないだろう。
 本当は全てを捨ててカイといたい。でもきっとそれは叶わない。多くの人を傷付けてまで自分の我が儘を通すことに躊躇が生じるのは当然だ。
「……ゾゾルニアに戻るんじゃなかった……」
 カイは深く息を吐き出す。戻らずに逃げれば良かったのだと。だが呟いた言葉などなかったかのように続けた。
「またはゾゾルニアの戦力として残るか、だな。サマサはあんたを売った。この国は罠に填められそうだったあんたを保護した。そして戦力になってもらう。このシナリオに乗るか……その選択を突き付けられたよ。
 あんたのことはまだ公にはなってない。義父を通じて上と相談している状態だ。だが近日中にあんたを連れに来るだろうな。それは明日かもしれない。……完全な俺の選択ミスだ」
 苦い表情のカイにソフィアは何も言うことが出来ず、ただ無力さを感じていた。足掻くことは簡単だ。それよりも、見捨てることの方が難しい。
 事前にもらった連絡とソフィアの話で多少の事情を理解しているメグは、優しく尋ねた。
「あなたは、どうしたい?」
 母親のような表情で聞かれ、ソフィアは鼻の奥がツンとする。そんな風に優しくされたら、甘えて本音を吐きだしてしまいそうだ。
「私は……もう戦うのは嫌です。でも、私が戦わないことで他の多くの同胞が犠牲になるのは……もっと嫌です」
「サマサに戻る、か……」
 諦めきった表情のカイが悲しい。
 行くなと言ってほしかった。全てを犠牲にしても行くなと、抱きしめて欲しい。
 なんて勝手な感情だろう。自分で選ぶことはできないのに、カイに罪を背負わせようというのだ。
「そんな死を覚悟するような表情での決意なんてやめなさい」
 優しい口調で、だけど厳しいことを言ったのはメグだった。驚いてメグを見たソフィアは、じゃあどうすればいいのかと言いたくなる。
「自分の心を殺してまで人を助ける意味などないのよ。多くの人はそれに感謝もせず当然と感じるわ。もしあなたが見捨てればあなたを恨むでしょうね。そうだとしても、彼等は自分たちが幸せになりたいがためにあなたを犠牲にしようと考えているのよ? どうしてあなたがそんな人達のために無理をするの?」
「………………」
 メグの言っていることはもっともだ。だけど理屈で割り切れない。
「カイが戻ってきて、すごい驚いたの」
 突然、脈絡のないことを言ったメグを、ソフィアもカイも不思議そうに見つめる。
「物心ついてから、全てがどうでもよさそうな顔しか見たことがなかったから、本当に驚いたのよ。こんな真摯な顔するようになったんだって」
 そんな風に言われてしまうとカイはひどく恥ずかしいらしい。困ったような顔で頭をかく。
「兄もそうだけど、カイも国のために自分を殺してきた。私はそれをずっと悲しいと思っていたわ。でもどうすることもできなかった。カイが初めて自分から何かを望んだのに、あなたを守りたいと望んだのに、それが叶わないなんて私は嫌なの。親の勝手なエゴだとしても、それは当然の想いよ」
 カイは複雑そうな表情で瞳を揺らしている。ソフィアはそこまで想われるカイが羨ましいと感じると同時に、メグの命を散らしてしまうかもしれない自分が憎かった。
「世界を敵に回してどこまで逃げられるかわからない。すぐに殺されてしまうかもしれない。確かにその通りだけど、希望を持って生きることができる間は、絶対に幸せだわ」
 死んだような心で長い時を生きるよりも、充実した短い生を望める。それは並大抵の人間にできることではない。
 サイレンス・ホークとして教育されながらも挫折したメグならではの考えだろう。多くの仲間が過酷な訓練に死ぬところを見てきた。非情な仕事の中で心が壊れていく姿を見てきた。
「でも……ごめんなさい。私は、サマサに戻ります」
 ソフィアは静かに告げた。
 カイは死ぬまで離れないと約束してくれた。その言葉を信じていないわけではないけれど、いつか別の女性に出会って癒される時が来るかも知れない。それも希望と言える───勝手な言い分だとわかっているけど。
「ソフィア……」
 カイは呆然とソフィアを見つめた後、眉根を寄せて顔を背けた。
「わかったよ。あんたが決めたなら、それでいい」
 掠れた低い声に苦悩が滲んでいて、彼の想いが嬉しくもあり重荷でもあった。

 

†  †  †

 

 世界崩壊後、イカダに乗って孤島を出たセリスは、アルブルグの港を出てツェンへ向かっていた。
 仲間を捜すための旅。
 身体を慣らすために徒歩の旅を続けながら、彼女は夢の意味を考えていた。
 シドによって助けられ目覚めるまでの一年間。長い、長い夢を見ていた。
 夢の中で自分はソフィアと呼ばれる少女だった。それが当たり前でセリスである意識はほとんどなかった。
 黒髪のカイという名の青年と共に、運命に抗おうと必死にもがいていた。
 ロックに聞いていた夢と……ほとんど同じだった。ただ彼から聞いている夢は、サマサの騎士ジールが死ぬところまでだった。セリスの見た夢は……その後も続いた。孤島で目覚めたのはゾゾへ向かう連絡船辺りだ。それからも眠る度に夢に見る。
 ただの夢であればいい。心からそう願うのは、セリスの心臓の上に逆さ十字が記されているからだ。ミネルバの呪いの証しがあるから。ロックの額にも逆さの星形が刻まれていた。勝手にそれを自分が深層意識の中で関連づけて夢を見ただけだと割り切れない不安が沸き上がるのは何故だろう?
 もしあの夢が真実で、ミネルバがもし生きているとしたら……呪いは未だに生きている。それは何故か確信に近い感情。前世など有り得ないと楽観的に言い切って、ロックを苦しめることだけはしたくない。
 ソフィアから紡がれる魂のせいで、ロックはナディアもレイチェルも失ったことになる。そして、これからも失い続けるかもしれない。セリスにとっても大事な仲間達……。
 その不安に耐えきれず死んでしまいたいと何度も考えた。だが夢の中でもソフィアは命を絶たなかった──解決にならないからと。だとしたら解決方法は一つだ。ミネルバを探しだし、殺す!
 仲間を集めケフカを倒して、旅に出ることを決めていた。ミネルバを探すための旅。呪いを解くための旅に……。
 そうすれば呪いから解放される。そう希望を抱く他、生きる糧にできるものがなかった。

 

†  †  †

 

 サマサ・ルダと話がつき、祖国へ帰るソフィアの護衛につくことを辛うじて許されたカイは、苦い思いでいっぱいだった。
 最期の時まで共にあると誓ったばかりなのに……互いにそれを破ろうとしている。
 だが、自分が戦うことで救えるサマサの民を見捨てられない、繊細な彼女の想いを切り捨てることができなかった。
 浚って逃げてしまうことができたらどんなにいいだろう。だけどソフィアは嘆き続けるだろう。どこかで多くのサマサ人が死んだと言う噂を聞いては、悲しい顔をするだろう。笑顔を失うかもしれない。想像するだけど胸焼けがして、とてもその選択をすることができなかった。
 祖国へ戻ったとしても、彼女が笑わなくなる可能性は大きい。人を守るために人を殺さなければならない。だけど戦争が終わる時がきたら……彼女は解放されるかもしれない。まだずっと先の話かもしれないけれど……その時には、彼女を奪おう。そう、心に決めていた。
 だがまずはその前に、今、できることをしなければならない。まだ、ソフィアの傍にいる可能性がゼロになったわけじゃないのだから。
 今まで義父に意見をしたことなどなかった。今回、やっと真正面から言いたいことをぶつけたがほとんど取り合ってもらえなかった。それでも、まだ言うことがある。認めてもらわなければならないことがある。
 カイは決意を固め、義父のところへ向かった。


「もうすぐサマサだな」
 危険だからと船室の外へ出してもらえないソフィアを訪れたカイは、呟いた。
「……怒って、る?」
 彼女がそんなことを問うのは初めてだった。ソフィアが決断をしてから、そのことについて話題にしたことはない。意図的に避けていた。
「いや……怒れるはずがない」
 カイは力無く肩をすくめる。幸せになる選択肢を与えてあげられない己の不甲斐なさが、情けないだけだった。
「愚かな選択だと、思う?」
「思わないよ」
「でも、約束を破ったわ……」
「俺との約束と、多くのサマサの人の命と、比べる方がおかしい」
 決意を変えられしないのに、未だソフィアは迷っている。
「それに……」
 続けようとしたカイを、ソフィアの叫びが遮った。
「二度と! あなたに会えなくなる……!」
 涙を溢れさせたソフィアを見て、カイは思わず笑みを零す。
(先に言っておけばよかったな……)
 ベッドに腰掛けていた彼女の隣に座り、肩を抱いて囁いた。
「そのことなんだけどさ、あんたを返すのに条件を付けることになったんだ」
「……条件?」
「俺は特殊工作員だって言っただろ? 元々、スパイが目的だった。俺はあの国でそういう位置にいるんだよ。死んだジールの代わりに、あんたの護衛に付く、それが条件。ゾゾルニア側から見ると、スパイだな。サマサがゾゾルニアを裏切らないように見張るスパイ」
 思ってもみなかった言葉に、ソフィアは涙を止めて目を見張る。
「それって……言っちゃったら意味ないんじゃないの?」
「義父が取り計らってくれた建前だからいいんだよ。恐ろしく任務に忠実なサイレント・ホークの人間があんたに心酔してるなんて邪推する奴はいない」
「……なんだ……」
 脱力したソフィアは大きく息を吐き出す。
「一緒に、いられるんだ……」
「まあ、四六時中ってわけにもいかないが、それなりに対面を保ってくれるだろう。俺もせいぜい、品行方正なフリをするさ」
 当たり前のように澄ました顔をしているカイに、ソフィアは「あれ?」っと思う。
「だったら……どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」
「決まったのは出航直前だし、それまでは了承されるかわからなかった」
「私のこと欺かないって言ったのに! 意地悪!」
 ソフィアはむくれた顔で顔を睨んだ。迫力はゼロ。余りにも可愛らしくて、カイは思わず口づける。
「んもう! ずるい!」
 甘えたような表情は、既にカイを許している。
「そう言うなよ。欺いたわけじゃないだろう? なかなか二人になれなかったし、言うタイミングが見つからなかっただけだ。サマサにつけば、こんな風にできなくなる」
「…………そうよ、ね」
 突如、ソフィアの表情が萎んだ。出会った頃よりも遥かに表情豊かだ。年齢相応の少女に戻っている──5年前のソフィアほどではないが。
「どれくらいの期間、あんたに触れなくなるかわかんねーなんて……かなりキツそうだ」
 本音を漏らし苦笑いして、カイは再び唇を重ねた。
「浮気、しないでね」
 ついばむだけのキスの合間に零れた可愛らしい願いは、余りに女の子らしくて、自然、カイの頬が緩む。カイからすれば浮気だなんて、他の女に少しでも心が奪われるなんて絶対に有り得ないのだが、女の子の発想としては違うのだろう。
「しないよ。だから……」
 彼女の肩に回していた腕を引き、共にベッドに転がる。
「俺を満たしてくれ」
 囁いて口づけを再開した。
 桜色の可憐な唇から漏れ出す吐息は熱くカイを求める。躊躇うように答える辿々しい口づけがたまらなく愛しい。
 そっと唇を割って舌を絡めると唾液が混ざり合い、思考は忘却の彼方へ起き去られ、ただ一つになることだけに本能が動く。
(どこまでも共に……)
 カイのささやかな我が儘は、もしかしたらソフィアを苦しめているのかもしれない。これから苦しめることになるかもしれない。
 それでも共にありたいから。

 甘く熱い二人の一時を、ミネルバは笑いながらどこかで見ているのか───



 サマサ・ルダ最大の港に到着すると、内密ながらもしっかりとした出迎えが待っていた。
 ソフィアの前に立ち船を下りたボイスが、待ち受ける一団の前に膝を着き口上を述べる。
「ゾゾルニア・ゾールの騎士団・黒獅子団長ボイス・ドナン、無事、ソフィア・レイラ姫をお届けいたしました」
 背後から姿を見せたソフィアも、一礼をして言う。
「心配をおかけしました。無事、ソフィア・レイラはサマサ・ルダに戻って参りました」
 そして隣に立つカイを見てから、手で彼を指して紹介した。
「彼が私の護衛を務めてくださるカイ・ステアトです」
「以後、お見知り置きを」
 カイはボイスと同じように片膝を着き、頭を垂れる。
「ご苦労であった。このイシス・リドニア、確かにソフィア姫をお迎えいたしました」
 サマサ・ルダの将軍がソフィアの手を取った。
 更に船から下りてきた男が頭を下げる。
「この度は新たな同盟を築けるこの地を踏めたことをありがたく思います」
 ゾゾルニア・ゾールの外務大臣ギニシブル・オーエンだ。
「ご足労頂きまして、有り難く存じます。あなたも顔を上げて」
 鈴を転がすような声音でカイに声をかけたのは目も眩むような美しさの女性だった。銀の長い髪を頭の高いところで一つに結わいている。身に着けているのは踊り子のような肌を露出する装束で、身体に文様が刻まれていた。人間に近い姿形だがきっと幻獣だ。
「どうか、ソフィア様をよろしく」
 手を差し伸べられ、カイはその手を取って立ち上がった。
 すると女性は、目を丸くして、
「……!」
 呆気にとられたような表情をすると、ソフィアを見た。
「いい出逢いをしたのね」
 何故かそんなことを言った。するとソフィアは、かあっと頬を染めて、
「バルバリシア! 読んだわね!」
 ムキになって叫んだ。バルバリシアと呼ばれた女性は、くすりと笑みを零す。
「目付に寄越されたような人間を確かめないわけにはいかないもの。でも、心配いらなそう」
 バルバリシアの言葉に、明らかに向こうの一団はホッとする。
(読んだ? って、まさか、俺の心、とか?)
 幻獣なら不可能ではないだろうことに気付き、カイはめっさ恥ずかしい気がするが一切顔には出さない。
「信用して頂けたなら良かったです」
 さわやかな笑顔で言ってやると、ソフィアがすまなそうに口を添えた。
「ごめんなさい。バルバリシアは人の心が読めるの。優しくて私には姉のように接してくれるんだけど……」
「ええ。心配しましたよ。内密に嫁にやられるなんて冗談じゃありません。あの一派は充分掃除しておきましたから、ご安心を」
 そう言ったバルバリシアは、ソフィアの頭を優しく撫でる。なるほど、確かに妹のように可愛がっているらしい。
「王都ルダにご案内いたします。カイ様、ボイス様も共にどうぞ」
 将軍ではなくバルバリシアがそう言ったのは彼女がかなりの力を持っていて、同時に女性である方が角が立たないからだろう。
 一行は、素直にそれに従った。


 サマサ・ルダに到着して三日後、ソフィアは早速出陣することとなった。勿論、カイも付いて行く。
 オルヴァー王子の身勝手な画策のせいで、帝国との関係は更に悪化した。
 だが最近、帝国はサマサに手出ししてこなかった。幻獣の力を欲する帝国としては真っ先に手に入れたい国であることは確かだが「制圧しにくい国は後回し」という考えに変わったのか、二国の戦いは帝国がモブリズを責めようとし、サマサ・ルダがそのの応援に回る時のみとなっていた。
 ジドール、ゾゾルニア・ゾールと陥落させる予定であった帝国だが、ゾゾルニア・ゾールがサマサ・ルダと同盟を結んだ事で標的をモブリズに変更してきたのだ。モブリズを拠点にサマサ・ルダを落としたいのだろう。既に一週間前、紅陽国が制圧された───白旗を上げ植民地となる道を選んだため犠牲は少ないらしい。
 帝国とサマサ・ルダの二国が小競り合いをするのは海上が多い。いくつもの艦隊を持つ帝国とサマサ・ルダが渡り合えるのは、魔導士や幻獣が空を飛べるが故である。しかし今回、帝国軍は近日中にモブリズの西の海岸へ到着するという話だった。それならばカイも戦いに参加できる。
 モブリズは軍隊を持たない国で、現在は傭兵と寄せ集めの兵士のみだ。サマサ・ルダにとって最も近隣にある親密な貿易相手であるモブリズは、ほとんどサマサ・ルダが守っていると言って過言ではない。
 カイは多くの過酷な戦いを経験してきたが、大きな戦場に立つのは初めてだ。やはり多少の不安がある。サマサ・ルダの者達の戦い方をこの目で見たことがない。魔法を使った戦いであり、帝国も同じように幻獣を操って向けてくる。無理矢理意志を奪われている仲間達を相手にするのは辛いらしいが、「決して情けをかけない」ことが決められていた。ソフィアにとっては何よりも辛いことだろう。
 ただ一つのものを守りたいだけのカイの想いは、多くの者を守る戦いに巻き込まれる結果となった。その守りたいはずの一つ、ソフィアの心は、これからも傷を増やしていく───

 

■あとがき■

 セリス登場~。久々? しかも短い……えへ。ロクセリメインの話なはず!なのに~。何故?
 8話で終わる予定でした。しかし過去の話が終わらなそうだから、現代はちょっとずつしか進めません。なので、9話になりそう……こうしてどんどん伸びて行く……--; と思っていたけど、なんとか次で終わりそう。
 もっと詳しく現代書け? ゲーム本編と同じ内容の部分は大抵はしょってます。どの小説にも入れてくと、同じ表現ばっかになっちゃうからさ。下手くそなので、その辺はご勘弁を頂きたいです(そんなのばっかしね^^;)
 夢の中の視点は、ソフィア視点だったらいカイ視点だったりしてます。どっちも同じ夢を見ているけどね。なんとなく変えてます。
 バルバリシアは、Ⅳの四天王の一人から名前をもらってます。風の幻獣って設定。う~ん、懐かしい (04.02.21)
 文章補正を行いました。 (05.11.03)

8.円環は巡らない

 モブリズで帝国陣と対峙したサマサ・ルダの軍勢だが、戦意がないことを示す白旗を揚げた単機の伝令がもたらした書状に誰もが驚愕した。
 正式な翠月帝国帝王からの書状であり、その内容は驚きを通り越して呆れるようなものだった。
 オルヴァー王子の行いを詫びるまではいいとしよう。しかし代わりに第三王子スウァルタとソフィアの結婚を条件に両国の和平を望むものだった。
 モブリズやゾゾルニア・ゾール等の他国に関しては全く触れておらず、この和平により侵略を止めるわけではなさそうだ。そんな条件がのめるわずもない。
 しかし、
「考える時間が欲しいため今回は引いてほしい」
 というサマサ・ルダ側の要求をあっさり聞き入れたということは、今回のモブリズ侵略はデモンストレーションにすぎなかったのだろう。
 サマサ軍は一個中隊を残し本国へ引き返した。魔術による通話の報告を聞いた議会は先に話し合いを始めていたが、ソフィア達が戻っても結果は出ていなかった。
「何故だ? 条件を呑むということは、少なくともモブリズを見捨てることになるんだぞ?」
 カイには全く解せない。締結されたばかりのゾゾルニア・ゾールとの同盟も反故となってしまう。
「受けるかどうかは別にしても、和平会議の場は設けたいんでしょうね。こちらも要求を付けたいだろうし、会議の間は戦が止まるのが基本だから」
 バルバリシアがテーブルにハブティーを置きながら言った。ソフィアは消沈した表情で、目の前に出されたカップを両手で包む。
 3人が話し合っているのはバルバリシアの私室だ。彼女はソフィアの側近として隣に部屋を持っている。
「帝国が和平を望むと思うか?」
「いいえ。有り得ないわ。誰も信じてないでしょうけど、正面きって否定はできない。和議で決裂という形に持ち込むのが理想ね」
 美しい瞳に翳りを落としたバルバリシアを見上げ、ソフィアが遠慮がちに尋ねた。
「ミネルバは……どこまで介入しているのかしら?」
「どうでしょうね。彼女は直接介入を好まないみたいだし。あなた達に接触したことは報告したけど、彼女はどこにいるも何をするにも万能に近いもの。再生に関しての力を持たないぐらいで、できないことはないと言われている」
 カイからもソフィアからも事情を読みとっているバルバリシアだが、余計なことは他言しないでいてくれているようだ。
「カイ……もし、どうしてもの時は……ソフィアを連れて逃げなさい」
 バルバリシアの固い声に、ソフィアはハッとして顔を強ばらせ、カイは眉をひそめた。
「シア……?」
 ソフィアは唇をわななかせ、何を言っているのかと目で訴える。
「弟さんのためとはいえ、あなたは充分すぎるほど戦ったわ。不甲斐ない議会の連中が断り切れずあたなを売るようなことになったら……」
「そんなことしたらサマサは……!」
「同じ事よ。サマサに攻め込まないことを盾に、あなたに他の国を攻撃することを要求するかもしれない。そしたらどうするの?」
 帝国に行けばそういう選択を突き付けられる可能性は高い。ソフィアは何も言えなくなって俯いた。
「議会だってそんなことはわかっているだろうけどね。口先三寸に丸め込まれる可能性もあるわ。自国民だけでも守りたいなどと愚かな選択をするかもしれない。だから……」
「言われなくても連れて行くよ」
 カイはバルバリシアの言葉を遮った。
「ミネルバにかけられた呪いのせいで全てを裏切り俺はソフィアを浚う。そんなシナリオにしておいてくれ」
 ミネルバの責任のようなシナリオだとしても実際彼女を裁ける者はいない。実質的な罪を一人で被ろうとするカイに、ソフィアは蒼白になり、だが何を言えばいいのかもわからない。
「あんたとの約束は、俺にとって信念だ。何があっても貫き通す。あんたにとって最も喜ばしい選択とは言えないとしても、だ」
 言い切ったカイは、どんな言葉も受け入れないだろう強い意志を宿した瞳をしていた。
 サマサ・ルダに戻る前とは事情が違う。今度こそ、ゾゾルニア・ゾールもサマサ・ルダも裏切り見捨てることになるのだ。
「ありがとう」
 それでもソフィアはそう言った。涙を必死に堪え、
「もしもの時は……連れて行って下さい」
 確かな決意を秘め、静かに願った。

 

†  †  †

 

 和平会議の間は侵略も止まる、誰もがそう思っていた。しかしそんな常識的な考えなど翠月帝国には通用しなかったのだ。
 アルブルグで和議が始まって三日後、ジドール国が翠月帝国の襲撃を受けた。突然のことでゾゾルニア・ゾールの援軍も間に合わず、ジドール国は早々に白旗を揚げる。
 そこを足掛かりに狙われたのは勿論、ゾゾルニア・ゾールだ。和議の途中でそれを知ったサマサ・ルダ陣営は、締結されたばかりのゾゾルニアとの同盟を破棄した。
 その時点で、カイがソフィアを連れて逃げることを決定した。バルバリシアの協力の元、サマサ・ルダを抜け出す時にゾゾルニア・ゾールが壊滅したという訃報が飛び込んできたが、それを悲しむ暇すらなかった。
 サマサ・ルダを抜け出した二人はモブリズからドマへ向かった。
 以前、翠月帝国内で逃げ回った時よりも多い追っ手が、サマサ・ルダより向けられたが二人は必死で逃げた。
 ソフィアが消えたことでサマサ・ルダと翠月帝国の和議は白紙となり、全面的な戦争に入る。
 その頃には追っ手の数は減ったがそれでも皆無となったわけではなく、のんびりできたのはドマ鉄道で北上している時ぐらいだった。
 半年かけてナルシェに到着した頃に、翠月帝国に操られていた幻獣達が暴走を始めたと噂で聞いた。そのことで翠月帝国は自滅し、南半球から徐々にそれは北上し、世界を浸食していった。
 破滅へ向かう世界の中で、元々北上してたカイ達は、最後まで比較的平和な地にいた。
 しかしどこへ行く宛もなく、サマサ・ルダの追っ手がなくなった後も、心を失った幻獣達から逃れようとした。
 ナルシェの更に北にあるスノウ・ヴィリシュが世界最北の村であり、そこに辿り着いた二人だが、一週間も経たぬ内に幻獣達が飛来した。
 幻獣は共鳴しあうため、翠月帝国に操られていたわけではないサマサ・ルダの幻獣達も正気を無くし、バルバリシアの姿もそこにあった。
 涙を流すソフィアを連れて雪山に入ったカイだが、狂った幻獣から逃れた所で雪山で生きていけるはずもないことはわかっていた。
 それでも二人は前へ進む。それ以外にできることがなかったから───。
 突然起きた雪崩に埋もれて潰えた命だが、精一杯最後まで生きられた二人は、満ちた気持ちでいっぱいだった。
 後生に魂の呪いがが繋がることすら、忘れていた───

 

†  †  †

 

 秘宝を探す男の噂を聞く前から、セリスはロックを諦めていた。彼がレイチェルを生き返らせることはセリスにとっても願いだ。もしもレイチェルが生き返ったら、ミネルヴァの呪いを破ったことになるのだから。
 例えロックがセリスを見てくれなくなるとしても、呪いから解放され幸せになってくれるのならば最も喜ばしいことだ。
 だから、フェニックスの洞窟でヒビの入った魔石を見た時、たまらなく嫌な予感がした。小さな望みが萎んでゆく中、再会したロックをまともに見れなかった。
 夢を見てきたロックは呪いのことを知っているはずだ。ソフィアと同じ逆さ十字がセリスに刻まれていることも見ているはずだ。前世など関係ないと言い切ったロックは、単なる偶然だと思っているのかもしれなけれど───。

 コーリンゲンに到着すると、ロックは一人、レイチェルの待つ北西の家へ向かった。
 少し遅れてその家の前に着いたセリスは、胸の前で両手を組んでひたすら祈ることしかできない。
 自分の命を引き換えてもいいから、誰か、ロックをこの呪いから解き放ってください。
 必死の思いが届いたのか、どこからか声が聞こえた。
「その望み、叶えてやろうか」
 くすくすと笑みを含む女の声は、どこか聞き覚えがある。
「誰?」
 訝しげに身構えたセリスだが、声の主は姿を現さない。
「今なら間に合う。あの娘の魂が消えてからでは遅い。どうする?」
 嘲笑うような口調に、セリスはハッとして眉根を寄せた。
「まさか……ミネルバ!?」
「さあ? それより早くしないと生き返らない。お前の命を引き換えるか?」
 その問いにセリスは咄嗟に答えられない。願いを叶えると言っている相手が信用でいるような者ならばいい。だがミネルバは呪いをかけた張本人なのだ。
「あなたが呪いを解けばいいじゃない」
 憤慨して言うセリスの前に、闇が集結した。そこからぼんやりと白い顔だけが浮かび上がり、真っ赤な唇が笑みを作る。
「この呪いは誰にも解けない。この私にも」
「そんな……。じゃあ、もし私が命を捨ててレイチェルさんを生き返らせても、また彼女は死ぬの?」
「さあね。呪いが作用した結果までは知らない。生き返ってすぐ死ぬのかもしれない。50年後かもしれない。………………ああ、グズグズしている間に魂が消えてしまった。愚かなお前は、自分可愛さにあの女を見捨てた」
 混乱と悲劇を好むミネルバの申し出を受ける方が愚かであり、戯れ言だとわかっていたがセリスは否定できない。あやふやな賭けに乗れないぐらいには己の命が惜しいのは事実だ。
「さて、次に死ぬのは誰だろうね」
「やめて! もう誰も殺さないで!!」
 セリスは必死に叫んだが、ミネルバは狂喜の笑みを深めるだけだ。
「私が殺しているわけじゃない。お前があの男を想うことが誰かを殺しているんだよ。深い愛が綺麗だなんて感じるのは、真実の見えない愚か者だけ」
 愛おしそうにセリスを見つめていたミネルバは、いつの間にか闇に解けて消えてしまった。
 セリスはただ呆然と立ち尽くす他、なかった。


 レイチェルを見送った俺は、彼女が生き返らなかったにも関わらず、それまでより晴れやかな気持ちだった。
 不甲斐ない自分を許せない後悔が消えたことで、一瞬呪いのことも頭から消えていた。
 新たな一歩を踏み出すような気持ちで外に出ると、セリスが惚けた顔で突っ立っていた。心配で待っていたにしては様子がおかしい。
「セリス……?」
 不審に思ってゆっくり近付くと、やっと俺の存在に気付いた彼女は悲嘆にくれた表情になり俯いた。
「どうしたんだ?」
 彼女の肩に手を置いて顔を覗き込むと、小さな声で、
「レイチェルさんは?」
 と尋ねてきた。俺は彼女の頬に触れて優しく言った。
「魂は天に昇ったよ。俺のせいで長く地上に留めてしまったけれど、彼女は安らかに逝った」
「ごめん、ね」
 唇を噛みしめて涙を堪える彼女は見るに耐えないほどに痛々しい、が、何故謝っているのか。
「……え?」
「ごめんなさい……!」
 苦しそうに吐き出すと、セリスは突然駆け出した。
「あっ! ちょっ……セリス!」
 俺は慌てて追いかける。嗚咽を堪えながら走る彼女に追いつくのは容易かった。
「どうしたんだよ、急に。何でお前が謝るんだ?」
 腕を掴んで引き寄せると、力の抜けた彼女の身体は簡単に俺の腕に収まる。
「私の……せい、で…………」
 何故、彼女がそんな風に言うのかわからなかった。一瞬呪いのことが頭を掠めたが、夢の話は途中までしか聞かせておらず、更に俺自身が呪いのことを知ったのは離れ離れになった後だから違う。
「何があったのか、話せるか?」
 嗚咽を無理矢理引っ込めた彼女の肩を押さえ問う。しかしセリスは俯いたまま答えなかった。
「何故、何も言ってくれない? 俺には話せないのか?」
「…………なんでも、ないの」
 セリスは手の先で俺の胸を押し、後ろに下がった。
「なんでもなくねーだろ! どうしてそんな風に……!」
 憤慨しかけて俺は言葉を止めた。それ以上声が出なかった。彼女の背後に突如出現した白い顔に……釘付けとなっていた。
「ソフィアの魂を持つ女。何故言わない? 己の命惜しさにあの女を生き返らせなかったのだと。結局自分が一番可愛いのだと。そのくせ、お前が愛するが故に、カイの魂を持つ男は大事な者を失うのだと、何故言わない?」
 人間離れして整った白磁の顔は陶器のようで、そこに不気味に浮いて見える血色の唇から紡がれた言葉に、俺の頭が真っ白になった。
「ありえねえ……」
 呟いた自分の声がどこか遠くに聞こえる。
「ミネルバぁぁぁっ!!!」
 絶叫してセリスを庇うように背後に回した。ミネルバ相手に庇うなどという行為は無意味だとわかっていたが、反射的な行動だ。
「ありえないと決めつけるのはお前の勝手だけどね。前世も存在するんだよ。魂は時の螺旋に乗るものだから」
「俺の家族も、ナディアも、レイチェルも、呪いのせいで死んだというのか!? 死ぬことが決められていたと!」
 俺は興奮してミネルバに問いかけた。決めつけていたわけではない。信じたくなかっただけだ。
「さあね。既に起きた偶然は必然になるだけ。それが理。呪いがなかったら生きていたという保証もない。過去となっては同じこと」
「何故、こんな呪いをかけた! 何のために!」
 俺の血を吐くような叫びも、ミネルバの顔色一つ買えることはできない。変わらず陰惨な笑みを浮かべているだけ。
「その声が聞きたいからさ。それともまさか、“何故自分たちなのか?”なんて問いたいか?」
「…………」
「自分じゃない他の誰かであればよかったのにと、思うか?」
 くそっ、俺は舌打ちをして、
「下らねえこと聞くんじゃねえ!!」
 怒号と共に銀のダガーを投げ付けた。ダガーは何も存在しないかのように、ミネルバの眉間をすり抜けて草むらに落ちる。
 実体ではないからか、彼女にはどんな物理攻撃も通用しないからなのか。
「私を殺すしかないと思っているか? さすれば呪いがとけると思っているか?」
「………………」
「叶わぬ希望を胸に挫折を繰り返し、絶望してゆく姿を今生も見せておくれ」
 ミネルバは夢で見た前世と同じように、高らかな笑いを上げ消えていった。
 しばし拳を握り締め虚空を睨み付けていた俺だが、諦めの溜息を飲み込んでセリスを見た。彼女は真っ青な顔で俯いている。
「いつ……自分がソフィアだと知った?」
 責める口調にならないようにしたつもりだったが、固い声しかでなかった。
「崩壊後、私は一年も眠っていて……その間に、長い夢を見たの……」
「ミネルバが言った、レイチェルを生き返らせなかったってのはなんだ?」
「………………私の命を引き換えてでもレイチェルさんが生き返ってくれるのなら、呪いが消えるのならばと祈っていたわ。でも、いざミネルバに取引してやると言われたら……答えられなかった」
 震える声で吐き出された言葉が痛い。
「ミネルバは呪いを消してくれると言ったわけじゃない。呪いが消えなければ生き返ったとしてもまたレイチェルさんは死んでしまうかもしれない。そんな風に言い訳して……本当はただ恐かったのよ! 死ぬことが恐かった。結局、私はカイやソフィアのように割り切ることも潔くあることもできない!」
 悲痛な叫びを上げた彼女だが、泣かなかった。虚ろな瞳はどこも見ていない───俺さえも。
 俺は大きく息を吐いて、彼女を抱きしめた。
「馬鹿な話に乗らないでいてくれてよかった……。例えレイチェルが生き返ったとしても、呪いが消えたとしても、その時お前がいなければ意味がない」
 彼女は答えず、ただ凍えるように小さくなっていた。
「下らない前世に縛られているんだとしても、今生きている俺はお前を失いたくない。失うわけにはいかないんだ」
 俺の心からの言葉に、彼女は歪んだ表情で顔を上げた。
「次に死ぬのは仲間のうち誰かかもしれない。魔力が消えたらティナも消えるかもしれないってみんな心配してる。それが現実になるかもしれない。それでも構わないと? カイのように大事なもの全て失ってもいいと言えるの?」
 頭の中では分かっているつもりだったが、改めて問われ、俺は答えられなかった。
「もう、終わりにしましょう」
 不意に呟かれた力無い声は、俺の胸に鋭く突き刺さった。
「なんの、ために?」
 そのことにどれだけの価値があるというのか。
「あなたから離れたら、ソフィアみたいに強くない私はきっと誰かに恋をする。その時点で、呪いは不成立になるわ。……あなたといるのは辛いの」
 大して力も入れず彼女は俺の胸を押した。俺から離れ後退した彼女は、草原の夜風に消えてしまいそうだ。
「お前にとって……俺は、その程度なのか……?」
 ソフィアの決意と比べて言っている言葉が失礼なのはわかっていた。だが言わずにはいれなかった。多分情けない顔をしているだろうが、なりふり構っていられなかった。
「ええ」
 苦々しく自嘲気味に答えたセリスの返事は、俺に想像できないほどのショックを与えた。
「嫌だ……!」
 みっともなくても構わない。俺は心のままに言う。
「偽善なんてどうでもいい。他の誰が生きていても、お前がいなければ意味がない」
 傲慢なエゴだとしても、彼女を失ってまで生きていく価値が見いだせない。いつの間に自分がここまで彼女に心酔したのだがわからないけれど、一時期の思いこみなんかじゃなかった。
「俺はケフカを倒した後、ミネルバを殺すために旅に出る。待てないか?」
 それがどれほど困難で確立の低いことかはわかっていたが、俺は言いきった。動揺に瞳を揺らすセリスは、今にも泣きそうに顔を歪めた。
「……待てないわ。ケフカとの決戦はティナだけじゃない。他のみんなも命を落とすかもしれない。それまで待てない」
「お前の方法はすぐに実行できることなのか? ……まさか、誰か……惹かれてる男でもいるのか?」
 尋ねたくなかったが、うやむやにすることもできない。
「ええ。その人となら、きっとあなたを忘れられる」
「そんなすぐにか? 俺達がケフカを倒すまでに?」
「……ええ。もう、私の心のほとんどはあの人のものだから」
 彼女の言葉に、俺は胃の腑が落下したような衝撃を受ける。
 嘘だと叫びたかったが、声が出なかった。どうすれば彼女を引き止められるか、繋ぎ止められるか頭の中がぐるぐるするが、答えが出てこない。
「それでもまだ、少しは俺に心を残してくれているんだろう? 少しでいい。一週間でも構わない。時間をくれないか? それまでに俺がミネルバを殺すことができたら……」
 女に縋る男は滑稽でしかない。だけど俺はそんなチャチなプライドなんて持ち合わせてはいない。本当に大事なものを守ることが、後悔せずに生きる方法だと思ってるから。
「不可能なことで時間を無駄にするのはやめましょう」
 すげなく答えたセリスに、つい俺はカッとなる。
「なんで決めつけるんだ! やってみなければわからないだろう?」
「……私はまだあなたを愛している。でも共にありたいわけじゃない。あなたの想いは嬉しいけど重荷で、あなたといても幸せな未来が想像できないの。理由を問われても困るわ」
 全ての望みをばっさりと絶ち切られ、俺は呆然とする以外なかった。
「──────わかったよ。確かに、俺はそんなにできた男じゃねえ。ただお前を好きだって気持ちだけでなんとかなるとか考えてる。ガキだな」
 虚しくて悲しいとも感じなかった。ただ自分に何も残らないという強い喪失感に襲われただけ。
「その男と、幸せになれよ」
「ええ。きっと幸せになれると思うわ」
 答えた彼女の笑みが引きつっていたことも、声が強張っていたことも、俺は気付かなかった。

 

†  †  †

 

 ミネルバに関しての情報はないに等しく、サマサで「ミネルバという恐ろしい魔女がいた」という口伝があるのみだった。
 ロックが危険を冒す必要などない──実体のあるケフカよりも恐ろしいミネルバに挑むなど、命が残るはずがない。
 命に宿る力を使ってもミネルバを倒す、そう決めて一人旅立ったというのに、各地を放浪するだけの日々。
 ロックを傷付け、欺いてまで実行しようとしたことが、叶わないかもしれない。
 焦りよりも失望が先立っていた。彼等がケフカを倒すまで、もう日がないだろう。瓦礫の塔へ挑むのは10日後と言っていた。期日は昨日、既に過ぎている。
 ミネルバから接触してくれることも期待したが、現れる彼女はどうせ実体ではない。必ずどこかに実体があるはずだ。そう信じてサマサ周辺を中心に探し回った。しかし地形が大きく変化したことにより捜索も思うようにいかず───。
「もう、無理なのかな……」
 大事な戦いへ赴いている仲間を想い、胸が締め付けられた。
 もし誰か一人でも欠けたとしたら、なんとかすると豪語した挙げ句仲間から抜けたセリスを、ロックは更に憎むだろう。憎まれることなどどうってことはない。それを覚悟で下らないな嘘をついた。だけど彼はまた傷を増やしてしまう。
「お前は愚かだね」
 草原の木陰で蹲るセリスに声が降ってきた。待っていたその声は、天魔の魔女。
「ミネルバ!」
 セリスはハッとして剣を構える。無駄だとしても、チャンスを逃したくない。
「ソフィアもカイも愚かではなかった。だから絶望を私にくれはしなかった。お前の愚かな選択は、私にカイの魂を継ぐ男の絶望と、お前の失望を与えてくれる」
 うっすらと笑みを浮かべるミネルバが、セリスの前に姿を現した。黒いローブを纏った魔女は、姿が透けている。投影しているだけなのか。
「最後に、心地よい失望を味わえたことは運が良かったらしい」
 いつものような陰惨な笑みではなく、もっと儚い情緒に溢れた表情をしているような感じ。その言葉の意味は?
「最後って?」
「この世界も飽きた。絶望があれば希望がある。絶望に埋め尽くされる世界は有り得ない。わかっていながら、虚しいことだね。無論、希望があるから絶望が映えることだってわかっていたけれど」
「飽きたって……」
 セリスにはさっぱり意味がわからない。
「世界から魔法が消える。多分、それでいいんだろう。私のように退屈な永遠を生きる者はいなくなる。絶望だけを求めて生きる者はいなくなる」
 ミネルバの意味深な言葉に、セリスは一つの事に思い当たり目を見開いた。
「魔法が消えたら……あなたも……」
「鈍いな。だから愚かと言ったんだ。あの男を傷付けなくとも、自動的に呪いなど消えたのに。愚かな女。もうあの男の元には戻れない」
「……そんなの最初から覚悟してるわ」
 そう答えながらも、後悔していた。他にどんな選択をすればよかったのかもわからないけれど。
「またお前は絶望に沈む。ああ、心地いい。最後の時まで私に絶望を与えてくれるなど、愚かな女……」
 くすくす笑うミネルバの姿が薄らいでゆく。
「私の跡を継いで、全てに絶望を求めて生きろ。冥い世界を……」
 最後の言葉はセリスをいっそう、暗く悲しい気持ちにさせた。
 ミネルバが消えるとセリスの身体から何かが失われていくのがわかる。魔力だ。
「ケフカを……倒した、のね……」
 己の上衣を緩め心臓の上を見た。逆さ十字の刻印が消えている。
「呪いも、消えた……!」
 大きく息をついて、空を仰いだ。曇っていた空がゆっくりと晴れてゆく。
 清々しくそよぐ風も、ゆっくりと大地を照らし始めた太陽も、セリスの心の翳りを消せはしない。
 それでも、ロックはこの先誰かを愛して失うことはないのだ。
 セリスの頬を涙が伝う。悲しいのか嬉しいのかわからなかった。
 涙で霞む視界に、淡い桃色に光る何かが飛び込んでくる。どこかで見たような既視感。その後に……黒く大きい物体が続いている。
「!!! ティナ……!? 飛空艇!?」
 偶然、上空を通り過ぎただけなのか。全員かどうかはわからないが、彼等が無事であったことにセリスは更に涙を落とす。
 すると徐々に近付いて来たティナは、セリスの前に降り立った。
「…………どうして…………」
 セリスは呆然と呟く。
「よくわからないけど、ロックがここへ飛べって」
 ティナははにかんだ。人と似ていながら異なる彼女は美しく優しい笑みを湛えている。
「……無事で、よかった」
 止まらない涙を隠そうともしないセリスに、ティナは微笑むと振り返る。
 草原に停泊した飛空艇から、人影が出てくる。気付いたセリスは身体を強張らせた。逃げ出したいけど、足が震えて動かない。
「ロック、見てられないほど辛そうだったよ。ケフカとの戦いでも、死ぬつもりだったみたい」
「───!」
 どうして、その一言すら声にならず、セリスはただ首を横に振った。
 ティナはフッと身体を浮かせると、光となって飛空艇に戻ってしまう。ロックは既にすぐ目前まで迫っている。これまでに見たことないほどに恐い顔をして、足を進めていた。
「なんで、こんなところにいるんだ?」
 手が届くほどの距離まで来て、やっとロックは口を開いた。嗚咽を堪えるセリスはやはり首を振ることしかできない。
「一人でミネルバを殺そうとした、本当か?」
「…………わた、し、はっ……」
 全身に力が入らず立っていることもできなくなって、セリスはしゃがみこんだ。
「ケフカを倒した後、ミネルバが現れた。消えかけていた彼女が教えてくれた。本当なんだな?」
 ロックも目線を合わせて膝を着く。
「死ぬつもりだったって…………」
 ロックは涙で視界を滲ませて、声を詰まらせた。
「ばかやろう……!」
 掠れた声で吐き出して、セリスを力強く胸に抱きしめた。
「なんであんな嘘なんかついて……」
「ごめん……なさい。ごめんなさい! あなたが、死ぬかもしれないなんて……どうしても、嫌で……」
 しゃくり上げながら必死で言葉を漏らすセリスを、ロックは更に抱きしめた。
「俺だって同じ気持ちだって、なんでわかんねーんだ! 辛くても他の男のものになっちまうとしても、お前が幸せになってくれるなら、そう思って我慢しようと思ったけど……。お前が死んじまうなんて! もし俺がそれを知ったら、俺だって生きていけねーよ……」
「ごめんなさい。ごめんなさい…………」
「二度と、離れていかないでくれ。いや、離さない。お前が何を言うと、絶対にだ!」
 泣きながら喘ぐように囁かれた言葉に、セリスの中に巣食っていた絶望と言う名の二文字が消えて、名前もわからぬ切なさと幸福に満たされる。
 何度挫折しても、きっと共に越えて行けるだろう。
 絶望と希望は、必ず共にあるものだから───

 

・ fin ・

 

■あとがき■

 やっと、完結しました。心残りは魔大戦の全容が書けなかったことかなあ。まあリクに関係ないんで省きました。ソフィアの召喚シーンも入れられなかった……これは残念。しかしこれ以上伸ばすのも忍びなく、頑張って終わらせました。
 いつも色々なものを盛り込もうとしすぎるんでしょうね。今回は、前世・過去・呪い・魔大戦とまた多かった。しかも一つ一つが深い。う~ん、もう少しコンパクトにまとめられるようになりたいです。
 hikariさん、長い連載になってしまいましたが、これで終わりとなります。リクに答えられているのか微妙なんですが(過去より前世が深くなっちゃったから)、捧げさせて頂きます。
 しかもゲームと違う最後になっちゃったよ~。セリスが決戦に行かない。行かせようと思ったのですが、かなり矛盾が生じるので(仲間が死ぬのに決戦になんてセリスは行けない性格でしょ)。なのでこういう終わり方となりました。ケフカを倒した後、二人で呪いが消えたことに驚く───ってしようかと思ってたんですけどね、えへ。 (04.02.28)
 文章補正を行いました。しかし気付いたんですが、魔大戦の時って、幻獣の使い方は魔石にしてたんだよね。サマサの魔導士達は魔石から魔力を引き出して使っているうちに魔法が使える子供が産まれるようになったとかストラゴスの台詞にあった気がするし……。修正していて気付いたので今さらそこまで大幅な修正はできないです。ちょっと残念です。すみません;; (05.11.03)

【この頁で使用させて頂いた素材サイト様】 ClipArt:Silverry moon light

オリジナル設定

現在の登場人物(ゲーム内キャラ以外)

ナディア 不思議な癒しの力を持ったロックの初恋の相手。帝国に殺された。
シェリー ナディアに似た彼女の娘。「シェリー」と呼ばれていたが愛称。

《螺旋》内の1000年前の設定

カイ・スペアト 出身国:ゾゾルニア・ゾール
ゾゾルニア・ゾール国の特殊工作部隊サイレンス・ホークに属する24歳。 母は前王弟の末姫カレンだが狂死しサイレンス・ホークの隊長とその姉に育てられる。
黒髪に紺の瞳。お茶らけてなかなか本心を見せないタイプ。
ソフィア・レイラ 出身国:サマサ・ルダ
剣と戦の女神エーレンダーファの娘とまで呼ばれるサマサ・ルダの姫君。
魔法を使いこなし剣にも長け、二つを融合した技を持ち、幻獣を呼び出すことすらできる。
ホブ・ギルマン 出身国:ゾゾルニア・ゾール
ゾゾルニア・ゾール国の特殊工作部隊サイレンス・ホーク隊長。鉄面皮。カイの父親代わり。
メグ・ギルマン 出身国:ゾゾルニア・ゾール
ホブの姉。足を悪くしている。カイの母親代わり。サイレンス・ホークに属していたが、怪我をしてやめる。夫も任務中に亡くした。
カレン・スペアト 出身国:ゾゾルニア・ゾール
カイの実母。ジドールの貴族に嫁いだが旅先で賊に襲われカイを身ごもる。
エーレンダーファ 剣と戦の女神。古代の神の一人。
ツーバ 出身国:サマサ・ルダ
サマサ・ルダの次官。
ジール 出身国:サマサ・ルダ
ソフィアの近衛騎士の一人。28歳。どこまでも生真面目。
クロウ・ストラビンスキー 出身国:サマサ・ルダ
ソフィアの近衛騎士の一人。45歳。
ラルド・ナールグ 出身国:翠月帝国
王子オルヴァーの城の執事
オルヴァー・レリック・マールサイデス 出身国:翠月帝国
翠月帝国の第2王子。王位の乗っ取りを目論んでサマサ・ルダに取引を持ちかける。29歳。
ミネルバ 出身国:サマサ・ルダ
サマサ・ルダ伝説の「天魔の魔女」。人と幻獣の血を引く母と、魔物の父を持つ。
ボイス・ドナン 出身国:ゾゾルニア・ゾール
ゾゾルニア・ゾールの黒獅子騎士団団長。32歳。
ギニシブル・オーエン 出身国:ゾゾルニア・ゾール
ゾゾルニア・ゾールの外務大臣。
イシス・リドニア 出身国:サマサ・ルダ
サマサ・ルダの将軍。46歳。
バルバリシア 出身国:サマサ・ルダ
風を操る幻獣であり、サマサ・ルダの女騎士。人の心を読む力も持っている。 ソフィアのよき理解者でもある。
スウァルタ・マールサイデス 出身国:翠月帝国
翠月帝国の第3王子。
ゾゾルニア・ゾール 現在のゾゾ。ジドールと同盟を結んでいる。
サイレンス・ホーク ゾゾルニア・ゾールの特殊工作部隊。通常の軍とは別の枠にあり、主な職務は情報収集等のスパイ活動。
ジドール国 現在のジドール。8人の貴族から選出された議会から成る八大老制を敷く貴族の国。
サマサ・ルダ 現在のサマサ。王を議長とする議会制の国だ。幻獣と共に暮らすことでも有名で、 その血の交わりから国民は皆魔術が使える。
翠月帝国 現在のガストラ帝国。相変わらずの軍事国で幻獣を制圧しているため、サマサとは犬猿の仲。
碧星王国 現在のマランダ。翠月帝国と唯一交流のある国。
紅陽国 現在のツェン。翠月帝国とは絶縁状態。
月晶大陸 翠月帝国や碧星王国、紅陽国のある大陸。
バルバリ 月晶大陸の北東にある港町。かつては自治都市であったが翠月帝国に占領されている。
ヘクト 翠月帝国の首都であり、現在のベクタ
ウルベダ サマサ・ルダ最大の港。サマサ・ルダの真東に位置する。
ルダの都(王都) サマサ・ルダの首都。王城と議会がある。
スノウ・ヴィリシュ 世界最北のナルシェの更に北にある雪に囲まれた村。