銀世界から - from silver world -



ⅰ〕嘆きの吹雪にまつわる伝説

 吹雪に覆われた山奥の村で、ロックとセリスは往生していた。
 ナルシェより更に北西の村スノウ・ヴィリシュは雪の精霊に愛されることで有名な村だ。
 その近くに、精霊が住んでいたとされる遺跡・氷の宮殿があると聞いてやって来たのだが、世界最北の村であり、最も高い場所にあるこの地は一年中雪に閉ざされている。
 村のある場所まで吹雪は届かないが、スノウ・ヴィリシュより北の山中へ少しでも足を踏み入れるとたちまち遭難してしまう場所だ。
 話には聞いていたけれど、実際行ってみると壁でもあるかのように一定の位置から向こうだけ吹雪いているのが見える。
 このままだと諦めることになりそうで、とりあえず一泊した翌日の昼過ぎ、酒場の親父に話を聞くことにした。
「なあ、あの吹雪が精霊の仕業だっていうのは本当なのか?」
 ロックが問うと、丸いテーブルの向かいに座った親父は大きく頷く。
「あれは精霊の嘆きだ。雪の精霊王のな」
「精霊王?」
 セリスは聞いたことのない言葉にキョトンとした。ロックも不思議そうだ。
「言葉通り雪の精霊を統べる者らしい。これは伝説だけどな」
 親父は酒を奢られ上機嫌だった。
「精霊の嘆きっつーのは伝説じゃないわけか?」
 ロックが突っ込むと親父は、
「おかわりしていいか?」
 まだ1杯なのに既に赤ら顔で尋ねてきた。寒い地方は酒が強いからか、元々そういう性質なのか。ロックは苦笑いで頷く。食堂のキッチンで洗い物をしている女将は不満そうだが何も言わなかった。
「んじゃ、まず、その雪の精霊王の伝承からいこうじゃねーか」
 親父はボトルから注がれたウォッカを(あお)るとにやにやした。
「その昔、この村に幸せそうな恋人達が遊びに来た。丁度、あんた達みたいな。所が……女が行方不明になっちまった。村でも捜索隊を出したが見つからない。
 一週間して男が夢に恋人を見たと言った。女は男はこう告げたそうだ。
 『自分は雪の王と生きることを選んだから忘れて欲しい』と。
 男は納得できるはずもなく恋人を取り戻そうと山へ向かったが戻らなかった。その後、何十年かして女が死ぬと魂となり束縛を逃れ、凍り付いた男の亡骸に今でも寄り添っているらしい。一方、それを悲しんだ氷の王は吹雪を起こした。
 以降、この村ではたまに行方不明者が出る。決まって金髪碧眼の女だ。最初の女と似通った容姿のな。その時だけ吹雪は止み、翌日には女は帰ってきて、そうすると再び吹雪が始まる」
 言い終えると男はジョッキを煽った。
「行方不明になって戻るのか?」
 不思議そうなロックの問いに男はニヤリと笑って、
「忽然と消えて翌日には村の入り口に立ってる。別人だからダメなんだと。その女の生まれ変わりだと思って連れて行くらしいが別人だから帰すんだとさ。帰ってきた女達は一様にそう言うから真実なんだろうな。戻ってきた時には覚えているらしく、そのことを話すが翌日には忘れちまうみたいだが」
「へえ~」
 セリスは興味深そうに目を輝かせたが、ロックは嫌な予感がして難しい顔をしていた。
「この村の奴はそれを恐いとは思わないのか?」
 ロックが苦い顔で問う。
「必ず戻ってくるしな。それにこの村に吹雪が届かないのはその精霊王の加護だって言われてる。精霊王が女の生まれ変わりを待ってるから、この村を大事にしてるんだと言う奴もいるが、どーだかなぁ」
「そうか、ありがとな。これ、ボトル代だ」
 ロックは笑顔を作ると立ち上がった。
「戻ろう」
 一言置いて出口へ歩き出すロックに、セリスは違和感を覚える。
 扉を開けると、冷たい風と共に粉雪が吹き込んできた。
「うわっ」
 驚いたロックは一度扉を閉める。来るときはちらほらと降っていただけだった。
「なんだか今夜は久々に吹雪いて大雪になりそうだね」
 女将が呟く。さっきこの村に吹雪は来ないと言っていたはず……。
 二人か顔を見合わせると、女将は笑った。
「雪山の中にありゃたまには自然に吹雪く日もあるさ。うちの人は言ったのは、一年中止まない吹雪が手前で止まってる現象のことさね」
「そうなんですか」
 ロックは複雑そうに呟く。心を覆い始めたもやもやは消えず、逆に強くなった気がした。
「ひどくならないうちに宿に戻りな」
 女将の言葉に頷き、二人は民宿『白銀亭』へ戻った。

 

†  †  †

 

「ねえ? なんで不機嫌なの?」
 セリスが唐突に尋ねてきた。
 夕食まではまだ時間がある。が、外に出れないため客室でうだうだしていた。
 ロック的には諦めて帰るつもりだが、吹雪では宿から出れないのだ。
「いや……不機嫌っつーわけじゃねーんだ。なんか、こう、胸の中がもやもやしてるときってねーか? 嫌な予感つーかさ」
 ロックは気分悪そうに首を傾げる。
「どうしたの? 珍しい」
 セリスは目を丸くした。何があっても真っ向から立ち向かう人なのに……と。
「うーん、なんだろうな。予感っつーか、虫の知らせみたいな感じ、か」
 思えばレイチェルを失った時もこんな風に感じたかもしれないという気がしてくる。戻らないと決めていたコーリンゲンに戻ったのはそのためだ。堪えようもない込み上げる不安───。
「さっきの話?」
 寝ころんでいたロックは、セリスに顔を覗き込まれ苦笑いを浮かべた。
「わかんね。……今すぐにでも山を下りるべきかもしんねー」
 それ程に、頭のどこかで警鐘が鳴っていた。
「心配性ね。私が連れて行かれちゃうかもって思ってるの?」
「あ~、自分でもわかんねーんだ」
 理由なき不安だからこそ、余計に嫌な感じだ。
 セリスは元気づけようとしてなのか、ロックの頬を人差し指でつつく。
 全くロックの言うことを信じていないセリスだが、仕方ないのかも知れない。彼女は何も感じないのだから。
 どのみち、もうすぐ日暮れなのだ。今からの下山は不可能。
「それにしても、どうして女は精霊王と生きることにしたのかしら……」
 セリスは首を傾げる。
「さあな。魂は死んだ男の所へ行ってるってことは、閉じこめられたかでもしたんじゃないのか?」
「恋人が雪山に入って死んじゃったなんて……他の人を好きになってもいいから、生きて幸せになってほしかったでしょうね」
「………………」
 ロックは考えてしまう。自分だったら一体どうするだろう? セリスを失うなんて考えられない。
 不安になって手を伸ばすと、彼女を引き寄せた。
「ロック?」
 ギュッと抱きしめられ、セリスは不思議そうにしたが、何も言わずにただ腕に力を込めたロックに身をゆだねた。
「俺にはお前だけだ」
 ロックは吐き出すように訴える。
「お前のいない人生に幸せなんてない」
「ロック……」
 この人のせぬ情熱が、セリスはとても好きだった。いつまでもこのひたむきで熱い想いに包まれていたい。でも、もし……。
「ありがとう。でももし私になにかあったら、縛られずに忘れてね」
 セリスは静かに願う。
「はあ?」
「もしいつか、私になにかっても、忘れて幸せになってね」
 それは心からの願い。だが、
「何言ってんだよ」
 ロックは明らかにムッとしてセリスを睨んだ。
「いつ何が起きるかなんて誰にもわからないでしょ? あなたの傍に永遠にいられればいいけれど……絶対に確実なことなんてこの世にないから」
 あくまでもセリスは静かに告げる。
「だとしても! 俺はお前を忘れることはねーし、他の誰かを好きになったりもしない。だから、何があっても諦めんなよ。いいな、他の誰に不幸だと思われようと、俺はお前を想い続けることを選ぶからな!」
 怯むことのない実直さに、セリスはどうしていいかわからない。
 涙が溢れそうになるほど真っ直ぐ心に響く情熱に、いつまでも溺れていられたらどんなにいいだろう。
 だが、幸せであればあるほど、同じだけの不安がつきまとう。
「……私のために無茶だけはしないでね。決して私より早く死なないでね」
 静かすぎる波紋一つない水面のようなセリスに、強くなる暗い予感と混じりロックは苛立ちを募らせる。
「いい加減にしろ!」
 怒鳴って立ち上がると、ロックはそれ以上何も言わずに部屋を出て行った。

 

†  †  †

 

 翌朝早く、ロックは異常な寒さに目を覚ました。
 昨夜は喧嘩したままろくに口をきかずベッドに入ったのだが……。
「ふぇっくしょいっ!」
 身体を震わせ大きなくしゃみをして部屋を見渡して、思わず叫び声を上げた。
「………………なんじゃこりゃー!」
 部屋中が雪まみれだった。大きく開いた窓の外はまだ薄暗い。吹雪は止んだようだ。
「どうなってんだ……?」
 そして重大な事実に気付く。
 隣のベッドに寝ていたはずのセリスの姿が無い。
「……おい、冗談だろ?」
 ロックは寝間着にしているスウェット上下のまま床に足を着ける。靴も雪に埋もれて見あたらないので素足のままセリスが寝ていたはずのベッドの掛け布団をめくった。
 ───いない。
 布団は既に冷たく、いつから彼女の姿は無かったのか───。
「まさか、精霊王?」
 ロックは顔を引きつらせて呆然と呟いた。
 嫌な予感は的中したのか……。
「明日には戻るんだよな。そうなんだよな……?」
 唇を震わせて呟いたが、どうしても確信にはならなかった。
 未だ心に巣くったもやは消えず、がんがんと警鐘が頭に鳴り響いていた。

 

■あとがき■

 瑠離(NERO)さんの6000hitキリリク『ロクセリでセリスとロックが2人で旅(ED後)をしていて、セリスが何物かにさらわれて、それをロックが助ける…みたいなの』にお答えします! でも、やっぱり連載。キリリクにこんなに連載ばっかりしてるのって私くらいかしら? ごめんなさい。短編苦手です。6回の予定ですがどうなるかはわかりません。
 内容に関してですが、さらう犯人には悩みました。セッツァーも考えたけど彼を悪者にしたくないので却下です。あと吸血鬼モノも考えましたが、他で使いたいので却下です。最初は犯人をウーマロにしようかとも思ったけど、人語が話せないので……。ファンタジックにいくことにしました。ロクセリじゃなくても読める感じかもしれません。
 まだラストは決めていませんが、ラストはラブラブということなので、勿論それもお答えします。頑張りますので……。(03.8.16)
 ↑ウーマロは人語が話せないとか書いてあるけど、攻略本を読んでいたら話せるじゃないっすか。失礼しました。(03.11.22)

 文章補正を行いました。(06.06.20)

ⅱ〕魂の条件

 最果てとすら呼べる山奥。雪に閉ざされた決しての人の訪れることのない秘境。そこに氷の宮殿は存在する。
 雪の精霊界という異界そのものが宮殿であり、本来人界に存在するわけではない精霊界ごと在るのは、未開の地という特殊状況であるからだ。
 決して溶けることのないだろう氷で造られた宮城は、美しく厳かであるが、同時に生命の匂いは希薄。常に揺らいで変化する外観は幻のようでもある。その中は無限回廊と言える程に広く、その主ですら果てを知らない──必要としない。
 その中心部にある最も広い部屋に、一人の女性が横たわっていた。
 彼女のためにあつらえたような群青色のサテンのシーツの波が床に広がっている。調度品も何もない城において異質なものだ。
 美しい女性───セリスは月色の髪を広げ、微睡まどろんでいる。
 夢に囚われるように、この宮殿の知る過去を、体験していた。
 夢の中で、セリスはエスメラルダという精霊だった。氷の上位精霊であるエスメラルダは、雪の精霊王フリードの恋人だ。母親は氷の精霊王であり、父親は登山家である人間。珍しい半精霊だ。それでも上位精霊なのは母親の力の強さを示していた。
 だが、千年前の魔大戦でエスメラルダは亡くなってしまった。ほとんどの精霊が魔力とは関わらないようにしていたが、老いた父親を助けようとして精霊界を出たエスメラルダは父親もろとも殺された。フレアと呼ばれる爆発魔法の直撃を受けたのだった。
 精霊に『死』という概念はない。人間で言う『死』とは自然への回帰だ。自然から生まれ自然へと還る。魂の循環という理念は精霊にはない。魂も身体も全てが自然と同等であり、存在そのものが森羅万象と一体であり一部だから。
 しかし、エスメラルダは回帰することなく『死んだ』。半人であった故───。
 彼女は最後にこう言い残した。
「必ず生まれ変わってあなたの元へ戻ってくるから」
 と。
 人の血を持つが故の言葉。彼女は自分で人として死ぬことを選んだ。生まれ変わるという選択をした。
「待っている」
 フリードが答えると、エスメラルダは息を引き取った。


 セリスは次に、村の宿屋にいた。
 スノウ・ヴィリシュだが、セリスがいたのとは全体的に違う。が、再びセリスは別の人物と同調していたため、違和感は持たなかった。
 今度も女性で、アマンダという20歳の旅行客だった。エスメラルダと雰囲気がよく似ていて、薄い金髪と青い瞳をしていた。
 恋人のアートと共にスキーをしに来たアマンダだが、雪の精霊王に連れ去られてしまう。
 初めこそそれを嘆いたアマンダだが、フリードの孤独に触れ彼を癒したいと思うようになる。
 フリードはエスメラルダの生まれ変わりだと確信をしていたが、アマンダには前世の記憶は無かった。が、それは大した問題ではなかった。魂の輝きが同じであったから。
 時という概念の無い精霊界で穏やかに暮らしていた二人だが、精霊界でただ人が暮らすには無理があったのか、200年弱で亡くなってしまう。
 その時のフリードの余りの嘆きに、アマンダの魂は昇天できず生まれ変わることもなく、今でも氷の宮殿を彷徨っている───。

 

†  †  †

 

「ん……」
 目を開けると、冷たい輝きに襲われた。セリスは眩しそうに目を細める。
「目覚めたか?」
 広い空間に響いた低く優しい声に、身体を起こし周囲を見回す。
「私……」
 高い天井も、細かい彫りの柱も、色のないステンドグラスのような壁も、全てが氷だ。
 そして、見知らぬ男がセリスを見下ろしていた。
 人外の美貌。全ての造形が人の範疇を越えている。どんな精巧な彫刻よりも美しい歪み一つないその端正な顔は逆に不気味なほどだ。真っ直ぐの白髪は長く後ろで緩く一つにくくっている。切れ長の目は淡い紫に澄んでいるが切なげな色が浮かんでいた。全体的に線が細く中世的だが、容姿自体は儚げなのに存在感に溢れている。
 白地に紺の縁取りの長衣を纏った男に、セリスは訝しげな目を向けた。
「あなたは……精霊王フリード?」
「……そうだ。私が分かるのか?」
 フリードは意外そうに目を見開く。
「夢を……見たから……」
 セリスは複雑な表情で答えた。
 自分は伝説通り連れてこられてしまったのだ。だが夢の内容は伝説と少し異なっていた。
「前世を覚えてはいないのか?」
 フリードの問いに、セリスは首を横に振る。
 彼はセリスがエスメラルダの、アマンダの生まれ変わりだと思っているのだろうか。だがあの夢が真実ならば有り得ない。アマンダの魂はまだ転生できていないはず。
「私はエスメラルダとアマンダの生まれ変わりじゃないわ」
 セリスは静かに告げた。フリードには悪いがそれが真実だ。
「何故だ? お前は氷の精霊の血を引いているではないか?」
「?」
「アマンダは純粋な人であったため、死んでしまった。お前は私と永遠を過ごしてくれるのだろう?」
「何を言って……」
 セリスには理解できなかった。
「精霊の血を引いている?」
 怪訝そうにフリードを見る。
「そうだ。お前は気付いていないかもしれないが、思い当たることがあるのではないか?」
「………………思い当たること……?」
 セリスは記憶をひっくり返して総動員する。
 そいうえば、普通の人間には耐えられない程の容量の魔力に耐えうることができた。ケフカのように正気を失うこともなかった。魔導の中では氷と格段に相性がいい。それに寒さにめっぽう強い。
「まさか……」
 セリスは恐る恐るフリードの顔を見る。フリードは満足げに頷いた。
「何代か前であろうが、確実にお前には精霊の血が混じっている。その血が目覚めれば、どちらにしろ人と同じ時は歩めない」
「! そん、な……」
 セリスは唇をわななかせた。同じ時が歩めない。ロックだけが老いていくかもしれない。先に死んでしまうかもしれない。
 耐えられなかった。老いたロックが嫌だとは思わないけれど、確実に置いていかれることになる。
「でも、人のまま死ぬかもしれないわ」
 懇願するようにフリードを見た。フリードは首を横に振り、
「私が精霊の血を目覚めさせてやろう」
 ほっそりとした白い手を伸ばす。
「いやっ」
 セリスは咄嗟にその手を払った。震えながらフリードを見やる。
「…………今は無理強いはしまい。もしお前に何かあっては元も子もない」
 フリードはあっさりと引いた。急ぐ必要はないと考えているのだろう。
「せ、精霊の血が混じってるとしても、私が生まれ変わりだとは限らないわ」
 セリスはなんとかして考えを変えてもらおうとした。今までの女達はどうやって帰ったのだろう。
「お前は私と認めているではないか。怯えなかったのはお前が初めてだ。そして夢を見たというではないか。その夢が前世を思い出したと呼べないか?」
「そんなの……」
 セリスには何を言っていいかわからない。神とだって剣を交えてきたセリスが、今更精霊王だからといって怯えたりはしない。
「名はなんという?」
 優しく尋ねられたが、「…………」セリスは名を告げる気にはならかなかった。
 力在る者にあとって、真名として己を縛ることになりかねないと聞いたことがあるから。
「あの恋人がどうしているか気になるか?」
 フリードの言葉に、セリスはつい顔を上げてしまった。表情に出ていたのか彼は苦い笑みで、
「心配することなかろう。人間の一生は短い。お前を忘れきっと他の女と結ばれる。人の心はうつろう。永遠ではない」
 ある意味真理であるそれに、セリスは下唇を噛みしめた。
「でも、アマンダさんの恋人は、彼女を捜して遭難して死んだんでしょう?」
「いや、自分のせいで死なせてしまうとアマンダが嘆くから、私が救った。雪のあるぎりぎりの所まで飛ばしたよ。その後どうしたかは知らぬ」
「村ではアマンダさんの魂はその恋人の死体に寄り添ってるって聞いたけど……」
 夢が真実ならそれが嘘であることをセリスは知っているが。
「アマンダは私を愛してくれた。孤独を理解し、癒そうとしてくれた。人間であるアマンダの恋人だった男はその後も幸せになる可能性を持っていたが、私にはアマンダしかいなかった……」
「──────」
 哀れな人だと想う。そして多分それはこの人の罪じゃない。
「精霊はあなただけなの? 他にはいないの?」
「王である私を癒せる精霊など存在しない。彼等にとって私は絶対者だからだ。癒そうなどと思う者はいないよ」
「…………」
 セリスはどうしていいかわからなかった。何を言っても無駄なことだけがわかる。
「お前にとって愛とは絶対か?」
「…………」
 答えられない。絶対に嫌だけど、もしロックが死んでしまったら他の誰かに癒されてしまうかもしれない。死んでもなお愛し続けられる程にセリスは強くない。
 ロックはああ断言していたが、それは今の気持ちだ。そして気持ちは変わる。現にレイチェルを愛していて生き返らせるつもりで、セリスに惹かれていったのだから。もう一度そうならないと言い切れない。
 そしてそれはどんな人間にでも言えることだ。可能性はゼロではなく、実際に起こらないと結果は出ないけれど。
「お前の恋人も、お前だけだと言いながら、10年後には他の女と結婚し家庭を持っているだろう。私は孤独を選ぶしかなかった」
「でも……」
 セリスは掠れた声で呟く。
「私は本当に生まれ変わりじゃないわ。あなたは魂が同じだと思っているから私がいいんでしょう?」
「お前は間違いなく同じ魂を持っているよ。魂の輝きがそっくりだ。外見も気性もな」
 聞く耳を持たぬフリードに、セリスは深いため息をついた。
「例えもし生まれ変わりでなくともかまわない。私を孤独にしないでくれ」
 懇願とも言える言葉に、セリスはかぶりを振った。
 この人も昔のロックを同じだと思う。似ているからとかそういう理由で過去の女を重ねている。そう考えると深い虚無に襲われた。
「もし生まれ変わりが現れたらどうするの? 前世を覚えていてあなたの元へやって来たら、私はどうなるの?」
「私はお前が間違いなく生まれ変わりだと思っている。その仮定はありえない」
 もういや! 叫び出したくなる。だが逃げ場も何もない。それだけはわかる。
「どうあっても帰してはくれないというの?」
 セリスは真っ直ぐにフリードを見た。
「お前を失うわけにはいかない」
 長い年月をかけて重なった妄執に、セリスはなす術なく項垂れるしかなかった。

 

■あとがき■

 うーん。なんだか話自体は進んでません。しかもロック出てこない!(私はこれでもロック至上主義のはずなのに……!)ごめんなさい。伝説の真実でした。
 この頃思うのは、ロックを「大人げない」と言うけれど、実際25歳である自分は大人ではありません。自分と比べるとロックは大人だと思います。中途半端だとは思うけれど、自分は甘ったれなので己に厳しくあったりはしません。それを考えると、やっぱりロックは大人です。「最初から生き返らせようと思うな」なんて言うのは、そう考えることもできない人の負け犬の遠吠えかもしれません。勿論、身勝手に生き返らせることについては、彼は浅はかすぎたと言えますが。
 ロックやセリスの年齢は、ED後はプラス2歳で考えております。少なくともセリスが寝ていた1年は経過しているはずですし、この話なんかはED後何年かなので、ロック29歳、セリス22歳くらいでしょうか。 (03.8.23)
 文章修正・補正を行いました。(06.06.20))

ⅲ〕氷王の遣い

 セリスが連れ去られたことで、村は騒然となった。
 有名な話であっても、実際連れ去られた娘を見た者は年寄りしかいなかったからだ。
 だが、「帰ってくるだろう」ということで、誰もが楽観視していた。
 ロックだけは、とてもそんな風には思えず、雪まみれの部屋の掃除を手伝いながら、胸が張り裂けそうだった。
「とりあえず二日ぐらい待ってみれば帰ってくる」
 誰もがそう言う。
 だが、その保証は無い。
 しかしできることは無かった。吹雪は止んでいるが、もし戻ってくるなら今探しに行くことは無駄になる。もしすれ違ったらセリスが心配する。
 だけど帰ってこないことがわかるまで待っていることも時間の無駄に思えた。
 昨日セリスと交わした会話が思い出される。
───もし私になにかあったら、縛られずに忘れてね
 何故あんなことを言ったんだろう。
 ロックにだって永遠が絶対じゃないことぐらいわかってる。だからこそ努力をしたい。
 彼女は心細くないだろうか。本当に雪の精霊王とやらの所にいるのだろうか。
 今すぐ彼女を抱きしめたかった。
 どれだけ好きだと言っても足りない。彼女が大事で、大事で───。
 彼女はロックの気持ちを疑っていたわけではないのだろう。その想いの深さを知っているからこそ、忘れて欲しいなどと願ったのだろう。
 部屋の掃除は一日がかりだった。木に染み込んだ水分を取るのが何よりも大変だ。
 それも終わって夕食をとると、ロックは昨日とは別の部屋でため息をついた。掃除を終えたとは言っても水分が全て無くなったわけではない。当分使えないだろう。
 ベッドに腰掛け、腿に肘をつき頭を抱えた。
「セリス……」
 答えてくれない。答えてくれるはずの人はいない。
 待っている時間のなんて辛いことか。
 例え帰ってこなかった所で、一体どこを探せばいいというのか。
 氷の神殿は精霊の世界で、人間が探したところで決してみつからないと聞いた。
「くそっ」
 ロックはバンダナを取って床に叩き付けると、頭をかきむしった。
 何もされていないだろうか。様々な心配が浮かぶ。
 今夜は眠れそうになかった。

 

†  †  †

 

 気が付いたら夢の中だった。
 眠った記憶はないが、考えているうちに疲れて眠ってしまったのだろう。
 夢の中で、ロックは雪の中にいた。だが寒くはない。夢だからか───。
 晴れ渡る青空の下、新雪に足をとられながら、愛しい恋人を探していた。
 歩けど歩けど景色は変わらず、そこがどこだかもわからない。だけどセリスを求め彷徨っていた。
 フと、一陣の風が吹く。
 粉雪が舞ったかと思うと、セリスがそこに立っていた。
「セリス!」
 ロックは走り出す。そして彼女の身体を抱きしめようとしたけれど、通り過ぎてしまった。
「セリス……?」
「ごめんね」
 セリスは澄んだ青い瞳を(かげ)らせて言った。
「え?」
「私はあの人と生きることに決めたから」
 口元に湛えられた静かな笑み。それはとても穏やかで満ちたもの……?
「何言って……」
 ロックは呆然と呟く。
「あの人の孤独を癒したいの。私が癒してあげたいの。だから、ごめんね」
 彼女が長い金の睫毛を伏せた。
「……全然理解できねえ……」
 ロックは唸る。セリスは何を言っているのだ?
「あなたの夢に入り込んだの。あなたに別れを告げるために」
「なんでそうなるんだ?」
「私は出会ってしまったから」
 セリスの憂いを湛えた笑みは、何を示すのだろう。
「あの人に出会ってしまったから。……あなたの事は好きだったけど、でも、あの人に出会ってしまった……」
「冗談、だろう……。脅されてるのか?」
 全くついていけなかった。ロックは停止しそうな脳を必死で動かし、考えようとする。
 が、セリスはゆっくり首を横に振った。
「永遠の孤独を癒せるのは私だけなの。私が傍にいてあげたい」
 セリスが本当にそう思っているのかどうか、よくわからない。彼女の笑みは悲しいような幸せなような、余りに静かなものだから。
「俺は! お前を忘れないぞ!」
「…………ごめんなさい」
「絶対に忘れないし諦めない!」
 ロックは尚も叫んだが、再び風が吹いたかと思おうと、セリスの姿はかき消えていた。
「俺は往生際が悪いんだ。そして執念深い。マジで、諦めねーからな」
 セリスが立っていた場所を睨みながら、ロックは拳を握り締めて呟いた。

 

†  †  †

 

 翌朝、嫌な夢のせいでよくない寝覚めだった。
「伝説と同じ、なのか?」
 夢は真実なのか、自分の弱い心が見せたものなのか、ロックには判断が付かない。
 とりあえず身支度をしていると、扉が鳴った。
「はい?」
「クポー」
「…………へ?」
 ロックがこの上なく抜けた顔をすると、扉が開いて白いフワフワが目に入った。
「あ、あの、お客さんです……」
 宿の主人がものすごく困っている。モーグリのお客なんて初めてだからだろうか。
「モグ……? どうしたんだ?」
「クッポー!」
 モグが部屋に入ってくると、その向こうにまた白い毛皮。今度はフワフワではなく少し硬質だ。
「……ウーマロ?」
 雪男まで一緒じゃあ、宿の人は困っているに決まってる。
「話があるクポ」
 モグは言うと、続いて部屋に入ってきたウーマロが頷く。
 ウーマロは人間の言葉がしゃべれない。通じるけど向こうが言っていることはわからない。モグに通訳してもらわないと。
「セリスのことクポ」
「…………」
 ロックは黙ってモグの話を聞くことにする。
「ウーマロはセリスを助けたいと思ってるクポ。ウーマロは氷の精霊王の(しもべ)なんだクポー。だから、氷の精霊王に一緒に会いに行くクポ!」
 唐突で随分要約された話だったが、ロックはそれに飛びついた。
「助けられるのか!?」
 肩を揺さぶられのほほんとしたモグの顔が少しだけ困ったような表情に見えた。
「その可能性がある、ってことクポ」
「それでも構わない!」
 成す術もなく呆然としているだけだったのだ。可能性が1%でもあるのなら試してみたい。
「じゃあ、早速向かうクポ」
「……どこへ?」
「氷の精霊王の所クポ」
「それって、どこなんだ?」
「……知らないクポ」
「………………」
「ウーマロが案内してくれるクポ! 僕も一緒に行くクポ!」
「……サンキュ。んじゃ、ちょっと待ってろ。簡単に荷物まとめる。セリスの分は置かせてもらうか」
 二人分の荷物を合わせても大量というわけではないが、不要な物を持って歩く余裕はないだろう。
 ロックは素早く用意をすると、宿の人に挨拶をして村を出た。

 

†  †  †

 

 氷の精霊王のところへは、人間は南極からしか行くことができないということで、時間がかかるがセッツァーを頼ることになった。
 運良くフィガロに滞在していたセッツァーを捕まえることができ、話を聞いたセッツァーは二つ返事をしてくれた。エドガーも行きたそうだったが、ツェンで起きた洪水の援助をしなければならず忙しいようで仕方なく断念していた。
 セリスが消えてから五日。
 すれ違うことを懸念したロックだったが、ウーマロによると、雪の精霊王はセリスを返すつもりがないらしいので、先を急ぐと割り切ることにした。
 そして、南極───。

 氷の大地は、防寒服を身に着けていてもしみるような寒さだった。
 セッツァーは飛空挺が痛むため同行はしない。氷の精霊王に会えば直接送ってもらえるらしいので、「必ず助けろ」そう言い残して帰って行った。
 ウーマロに案内され、氷の上をしばらく歩くと、不意に視界が閉ざされた。
 と、思うと、次には別世界が開けていた。
「これが氷の精霊界クポ。別に南極大陸にあるわけじゃないクポ。空間が繋がる場所があるだけクポ」
 モグに言われてロックは荘厳な佇まいの城を見上げた。城と呼んで良いのかどうかもよくわからない。宮殿の方が表現的に正しい気がした。
 太陽は見えないのにキラキラと純粋な光を受けて輝く宮殿は不純物の全く混じらない透明な氷で出来ていた。
 高さは低い山ほどあるだろうか。振り返ると氷の大地が永遠に続くだけだ。その地面も美しくガラスのようだ。
 氷の下には何も見えない。どこまでこの氷は続いているのか……。
「この靴、氷傷付けないか?」
 ロックが尋ねた。南極に行くに当たって、滑らない棘を付けている。だが取れば転ぶだろう。
 ウーマロが黙って頷く。モグもそれに頷いて、
「心配いらないクポ。ここの氷は精霊王が望まない限り形を変えないクポ。傷付くことも決してないんだクポ」
「へえ~」
 ロックはただただ感心するばかりだ。人間界とは本当に次元が違う世界。
「行くクポ。精霊王が待っているクポ」
 促され、ロックは歩き出した。
 宮殿へと続く長い階段。手すりも氷でできている。手袋をしているが触って登ると手が凍りそうだった。
 その階段を過ぎると高い扉があった。観音開きの扉は、触れてもいないのにゆっくりと外側へ開いた。
 宮殿へ入っても氷しかなかった。全ての装飾も丁度も氷だけだ。
 精霊とはどうやって暮らしているのか。こんな時でも疑問が浮かぶくらい不思議な空間。
 広いホールを過ぎ、長い廊下を過ぎて、最奥、祭壇のような王座に、女性が座っていた。
「………………」
 その余りの美しさにロックは唖然とした。人外の美貌は綺麗という範疇を越えている。完全な美の調和が存在することが信じられない。
 高く結い上げた髪は銀色の細いピアノ線のようで毛先に向かうにつれラベンダー色を帯びている。抜けるような白い肌は人間で言えば死人ほどに色が無いのに、彼女は存在感に溢れていた。
 そう。そこにいたのは女性だった。
「よく来たな。人の子よ」
 彼女はうっすらと微笑んだ。ロックはぞくりと背筋を震わせる。その威圧感は言葉では表せない。決して立ち向かうことのできない雪崩に飲み込まれたよう。
「あなたが……氷の精霊王?」
 ロックは生唾を飲み込み掠れた声で尋ねた。冷たい空間なのに息が白くなることもない。
「そう。私が氷の精霊を統べる者エラネーダ」
 氷の女王エラネーダは小さく頷くとウーマロを見た。
「ウーマロ、ご苦労だった」
 そして再びロックを見ると、
「お前達の話はウーマロから聞いている。三闘神を倒したこともな。昔は精霊と魔力でさえ共存できていた。魔力は強くなりすぎた。人が利用したためにな。……それはいい。恋人を助けたいんだな?」
 エラネーダの言葉にロックはしっかりと頷く。見下ろされていても卑下された気分にはならない。
「条件がある。私の、娘の魂を、救って欲しい」
「魂……?」
 ロックは繰り返して呟いた。
「正確にはちょっと違うんだがな。私の娘エスメラルダは人の血を引いている。私がまだ精霊王になる直前の子だ。精霊王になってしまうと精霊界を離れられぬ故。
 精霊には魂という存在はないが、雪の精霊王フリードの恋人であったエスメラルダは人として転生することを選んだ。フリードと再会するために。そして再会したアマンダという人間に転生したエスメラルダだが人間であったため精霊界であっても長く生きられず死を迎えた。だが、フリードの嘆きが強すぎて魂が雪の精霊界を彷徨っている。お前の恋人はエスメラルダの魂を持ってはいない」
「じゃあ……」
「フリードの勘違いだ。お前の恋人、セリスと言ったか。彼女はいくらか氷の精霊の血を引いている。そのことでフリードは盲目になっているようだ。奴は余りの悲しみに魂が昇天できないことにすら気づけないでいる」
 そこでエラネーダは言葉を句切り、立ち上がった。ゆっくりと祭壇を降りてくる。長い薄青のドレスを引きずり、音もさせずに。
 ロックの前に立つと言った。
「魂を解放してやってくれ。さすれば自動的にフリードは勘違いに気付くであろう。どうだ?」
「わかった」
 話を聞く前から受けるつもりだった。セリスを助けられるというのなら、どんな条件も飲むつもりだった。
「では、お前を雪の精霊界へ送ろう。ここもそうだが精霊界は広い。これで私と連絡が取れる」
 エラネーダは一つの指輪をくれた。透明の大きな石(もしかしたら氷かもしれない)が付いた無骨な指輪。
「私の精霊王としての時間はフリードよりも短いが、それでも氷は雪より上位属性だ。奴に劣りはしない」
 そう言うと、エラネーダは右手を高く掲げた。
「その指輪をしていればフリードに気付かれることもないだろう。だが言葉を発してはならない。気配は消すことが出来ても音は消せない。私と連絡を取るときは思うだけでいい。わかったな」
 ロックが頷くと、エラネーダの右手から光が降り注いだ。
 辺りが白く覆われたかと思うと、ロックの姿はかき消えていた。

 

■あとがき■

 まためっちゃファンタジー入ってます。だけど面白いED後を書くにはやっぱりオリジナル設定がどうしても入ってしまう。これじゃあパラレル仲間入り?
 精霊についての概念はオリジナルノベルで結構書いてるから改めて考えたりはしてません。だから使いやすいみたいです。勝手な設定ですみません。でも、ED後って魔力が消えて力在る者がいなくなってるからさあ。
 そして話が余り進まずごめんなさい。次回はセリス視点に戻ります。白背景はロック。黒背景はセリスってつもりだったけど、最後は関係なくなりそう……。(03.09.05)
 文章補正を行いました。(06.06.20)

ⅳ〕絶望と希望

 雪の城、それは人間であるセリスにとって、恐ろしく退屈なところだった。
 フリード以外に話し相手もいない。そして本当に時の止まった空間だった。
 空腹を感じることはなく、喉が渇くこともなく、トイレに行きたくもならない。フリードの言うとおり、精霊として彼女が変化したからなのか、それはセリスにはわからないことだ。
 たが睡眠はやってくる。フリード曰く、身体は休めなければならないから、眠りの術がかかるようになっているらしい。
 この城にやって来て五日───。
 考えないようにしなければと思えば思うほど、ロックのことを想っている自分がいた。
 セリスはそんな己をどうすればいいのかわからない。
 人の心はうつろう。だが時には執着となって変化してしまう。それは悲しいことで、それを防ぐために心を変えることができるようになっているのだろう。人の自己防衛なのだ。
 大抵の場合、フリードはほとんどの時間を、広間の台座に腰掛けて過ごす。
「何をしているの?」
 セリスが問うと、
「雪を感じている」
 彼は静かにそう答えた。
「雪を感じる?」
 セリスが理解できずにいると、フリードは小さく笑い、
「私は雪を統べる者だが、強制力で調伏し、好き勝手にしているわけではない。他の自然との調和を保ち、雪の精霊達が悪さをしないか見張っている。王は絶対者であっても力を振るう者ではない。無論、わざわざ監視しようとせずでもできることだが、こうしているのは長年の習慣にすぎないな」
「…………」
 それ以上、何も尋ねる気も起きなかった。
 彼は必要以上にセリスに近寄っては来ない。
 彼なりに気を遣っているのだろう。心を強制しないと言った。
 時間が永遠にあるのだから、彼は何百年でも待てるのだろう。セリスがこの城に存在するだけで、孤独でないと言う。
 しつこく延々言い寄られるのは嫌だが、この退屈な時間をどう過ごせと言うのか……。
 仕方なしに、セリスはこの城の中を歩き回った。ちょっとした探検気分だ。無限の広さを持つという宮殿の果てでも気にしてみようかと思って。
 ところが、やはり無限というのは果てなどないのだろう。歩いても歩いても、全てを見ることは適わず、まるで迷路のようになっていた。
 なのに、そろそろ戻りたい、と考えていると、いつの間にかフリードのいる広間へ通じている。
 果てがないとは、そういう意味なのか。無限回廊となっているわけではないだろうが、要するに形状が一定ではないのだ。
 本当は、どこかに彷徨うアマンダの魂を見付けることができたら、そう考えていたのだが、ちょっと不可能そうだと諦めた。いつか、見つかるかも知れないが、一朝一夕では無理だ。偶然に頼るしかない。
 空間が安定してないというわけではないらしいが、人間の感覚で見ると安定しているとも思えなかった。


 歩くのにも疲れ、セリスはテラスでぼんやりと外を眺める。
 城の外は一面の雪景色だ。
 山や丘、森も見えるが地平線まで全て雪に覆われている。
 この地の果てはどうなっているのかとフリードに問うと、果てはないと言われた。城と同じことなのだろう。空間的に無限なのだ。
 セリスは逃げることも適わない。彼はこの雪の精霊界全てを五感と同じように把握しているようだから。
 彼が孤独なのはわかる。それでも彼が狂わないのは精霊だからなのだろうか。でも、セリスはまだ人だ。人の心を持っている。身体が精霊に変化したところで、心はどうなのだろう? エスメラルダは人として死んだと言っていた。何百年も経てば精霊として生きられるようになるのだろうか……。
 ロックに会いたかった。
 1日以上離れているなんて、何年ぶりだろう?
 ケフカを倒し旅に出てから、こんなに長く離れたことはなかった。
 そしてもう二度と会うことはない。
 忘れて欲しいと思う。同時に忘れないで欲しいと思う。
 ワガママで勝手なことを考えているとわかっているけれど。願わくば、あの人が幸せであるように……。
 自分は忘れてしまうだろうか。セリスは考える。
 忘れてしまうことができたらどんなに楽だろう。
 人として生きることを諦めた時点で、セリスから死がなくなった。
 幸福な死とは全てを許される時だ。永遠に想い続けなければならないとしたら……
 そんなわけはないと考え直す。セリスは己がそれ程には強くないことを知っている。何百年どころか何十年も経たないうちに忘れてしまうかもしれない。それを想像すると、深い虚無に襲われた。
 忘れたくなどなかった。どんなに辛くともいつまでも想っていたい。でも永遠という言葉に打ち勝つことができない。忘れたくないなんて思うのは今だけかもしれないと考えている。
「ロック……」
 セリスは泣き出しそうな顔で呟いた。
 狂おしい程の情熱を思い出す。
 真っ直ぐに心をぶつけてくる人。
 力強い腕に抱きしめられたい。
 優しい声で名前を呼んでほしい。
 不器用な仕草で頭を撫でてほしい。
 一挙一動が脳裏に浮かび、今すぐ彼に会いたいと願う。
 「大丈夫」と低く囁いて安心させてほしかった。
 ありえないのに。それを望むことも全て無意味なのに。
 不意に涙が溢れた。
 手すりにもたれ、嗚咽を漏らす。
「ロック……!」
 会いたいという想いが、今までのどんな時より溢れて止まらなかった。
 彼に会うために立ち上がり、孤島を出た時すら及ばない。あの時は希望があった。再会できると信じていた。でも今回は違う。希望などない。それを抱くことすら虚しい。
 どうにもならないのだから、簡単に忘れられると思った。長い時間をかければフリードを愛するようになれるかもしれないと思った。千年も経てば確かにそうなるかもしれない。他に誰もいないのだから。
 でも、こんなに辛い。長い時間? どれだけの間、こんな悲しい想いを抱えることになるのだろう?
 止め処ない悲しみに打ちひしがれていると、フと、背中にぬくもりが生まれた。
(え……?)
 フリードかと思ったが、回されたしなやかな腕がよく日焼けしていて、驚愕した。
「ぁ…………」
「泣くな」
 苦しそうに呟かれた声に心が震えた。
(幻覚?)
 セリスは思い切って振り返る。すると、すぐ目の前に、整った童顔があった。濃紺の瞳に優しい色を湛え、切なげにセリスを見つめていた。
「氷の精霊王と取引をした。エスメラルダっていう娘の魂の解放と引き替えに、お前を取り戻す。少しの間、待っててくれ。迎えに来る」
 ロックは穏やかに微笑んだ。セリスは胸が締め付けられ、再び涙で視界が霞む。
「本当に、ロックなの……?」
 信じられないと言葉を震わすセリスに、ロックは困ったようにはにかみ、
「そうだよ。勝手なこと言い逃げしやがってさ」
「だって……」
 瞳を揺るがすセリスを、ロックはきつく抱きしめる。
「俺も八方塞がりだったんだけどな、ウーマロが手助けしてくれたんだ」
「ウーマロが?」
「そ。モグと一緒にな。ウーマロは氷の精霊王の配下らしいんだ」
「それでエスメラルダの魂を……」
 セリスは納得したが、首を横に振る。
「見つからないわ。私も探したもの。この城は広くて無限なのよ。一定の形ですらない。見つからないどころか、あなたまで彷徨うことになるかもしれない」
 セリスは長い睫毛を震わせて目を伏せた。
「見付けるよ。必ず。俺を誰だと思ってるんだ?」
 ロックのいつもの口調。叶うと信じて疑わない強さ。
 セリスは少し心が軽くなってはにかむと、
「世界一のドロボウ?」
 戯けて言ってみる。
「お前まで……。トレジャーハンターだって知ってんだろ?」
 呆れ顔でロックはセリスの額を弾いたが、すぐに真顔になり、
「俺は氷の女王の力でフリードからは存在を感知されないようになってる。できるだけ早く見付けてくるから、大人しく待ってろよ」
 そう告げた。
 セリスは胸が熱くなり、何も言葉にできず、ただ頷く。
「お前を忘れて生きるなんて有り得ねーんだからな。二度と言うなよ」
 真っ直ぐに突き刺さるロックの視線は、セリスを捕らえて離さない。彼に囚われるその心地よさ……。
「うん……本当は忘れないでほしい。ずっと想っていてほしい」
 多分これが本当の気持ちだった。ワガママだとしても。
「お前が嫌だって言っても、好きでいるさ」
 ロックは小さく呟くと、セリス腰に回していた腕に力を入れた。
 奪うように唇を重ねられ、甘く深い口づけにセリスは酔いしれる。
 深い虚無に沈んでいた心が満たされていく。
 長い長い口づけの後、ロックは言った。
「必ず探してくるからな」
 無理だとはもう言わなかった。ロックなら成し遂げるのではないかと、セリスは信じることができる。
「うん。気を付けて」
 セリスが答えると、彼は一歩後ろへ下がり、
「俺が迎えに来るまで、大人しく待ってろ」
 そう言い残して、城内へ姿を消した。
「……ありがとう」
 セリスは微笑んで、ロックの消えたテラスの入り口を見つめていた。

 

■あとがき■

 相変わらず話は進んでませんが、遂に二人は再会。でもまだセリスは取り戻せません。
 フリードとの直接対決はあるのか!?

 小説を書くとき、大抵、なんとなくの全体像とかで書くので細かいことを決めてません。書きながら決めていくんですが、余り壮大になりすぎると、設定を活かしきれず逆にショボい話に見えてしまったりするので、本当に難しいです。
 わかっていながら、収拾がつかなくなるのは、私の実力不足です。許してください。(03.09.13)
 誤字脱字修正を行いました。(06.06.20)

ⅴ〕果てなき迷宮

 雪でできた宮殿は、氷の女王エラネーダのいたそこよりは複雑な造りに感じられた。
 氷の城も入口から女王の間までしかわらかないから何とも言えないが、もっとシンプルだったように思う。
 精霊王の居城は、精霊王の力により保たれているらしい。無意識のうちに精神状態や心が反映されているのかもしれない。だからこそ、エスメラルダの魂は、この城に閉じこめられて彷徨っている。
 大体の間取りだけでも把握しようとしたロックは、渡り廊下に入ろうとして踏み止まった。
 中央にフリードが立っていた。手すりの前で遠くを見ている。
(なんて悲しい目だ───)
 憐れまずにはいられなかった。
 余りに長い孤独に耐えなければならないことを慮れば、憎むことすらできなかった。だが、エスメラルダの魂が解放されれば輪廻の輪へ戻り、いつか再会できるだろう。どんな哀れでもセリスを渡すことなどできないが、せめて救いがあれば、と思う。
 女王はロックの姿も気配もばれないと言っていたが、それでも気を付けるにこしたことはない、と早々にその場を立ち去った。
 エラネーダが言葉を発してはいけないと言ったこと、セリスの前で言葉を発してしまったことなど、すっかり失念していたのだ。
 奥へと続く通路を探して歩き回る。
 それは思いの外、簡単に見つかったが、どうやら奥に進むにつれ不安定な空間になっているようだった。来た道を戻っても同じ場所に出ることはない。迷ったと言えるのだろうが、ロックは落ち着いていた。
 必ず成し遂げられるという自信があった。自分でもその確信がどこからくるのかわからなかったが、予感めいたものなのだと思う。
 小さな結晶が輝くラメホワイトの階段を登りながら後ろを振り返った。
 建物の構造は明らかに変化している。なのにそれを目に捉えた事が無い。変換するのはいつも来た道、後ろだ。
 もしかしたら進行方向も変化しているのかもしれないが、錯覚なのか気付けなかった。
 規則性もなく不安定な変化であるならば、切り離された空間、孤立した小部屋なんかもあるはずだ。そういう所が怪しいのだろうが、通じてないのでは行くことはできない。偶然に任せるならばいつ辿り着けるかわからないではないか。
 少し悩んだ挙げ句、ロックは手近な窓から外へ出た。
 2メートル四方の出っ張った屋根部分に立ち、建造物を見上げる。
 城と呼んでいいのか微妙な感じだ。人間界にあるどんな形とも違う。氷の城は、どんな彫刻家にも造れないような抽象的なオブジェのようだった。雪の城は、尖った3つの岩が並んでいるように見える。飾り気もない無骨な外観。3つの鍾乳石が立っている感じだ。
 変化により突然足下がなくなったらどうしようかなんて考えも一瞬頭を過ぎったが、余計な心配は後回しだ。
(高い建物の割りに登りの階段は1つしかなかったんだよな)
 ロックは首を捻る。その階段も1フロア上がることができただけだった。上の方まで窓があるのだから、中が2階しかないということはないはず……。
 ロックはヒップバッグから、カギ付きロープを取り出した。正直、雪で形成された城では、カギを引っかけたところで崩れてしまうかもしれないとは思うが、ものは試しだ。精霊王の城がそんなにヤワではないだろう。
 カギから50センチ程の所を持ってぶんぶん振ると、勢いをつけてそれを放った。
 狙い通り、熊手状のカギは上の階の窓に掛かる。そして思い切り引いた。
(大丈夫そうだけど、登ってる途中で崩れたりしないよな)
 変な顔で心中一人ごちたが、
(考えても始まらねーか)
 思い直した。大丈夫だと感じた時は平気なものだ。
 ロックは自分の勘を信じることにしている。無論それは危険と紙一重であることも承知しているが。
(それにしても……登りにくいな)
 ブツクサ口の中で言葉を噛み殺しながらも、カギの掛かっている手すりに手をかけたロックは、片手けんすいの要領で這い上がる。
 下の階よりひんやりした空気が漂っていた。雪の気配が濃厚と言うのだろうか。
(俺の予想だと最上階なんだよな)
 魂が天へ還ろうと上へ向かうだとうという予想もあるが、囚われの姫は塔の上、という定番の考え方からだ。
 それでも念のため見てみることにした。窓から外へ出れば迷っても心配ないだろう……多分。
 永遠に白い空間は威圧感に溢れ、真実孤独な場所だった。
(こりゃ、気も狂うわ)
 10分程歩き回って諦める。城内というよりは、まるで遺跡の中にいるようだった。一体何階まであるのだろうかすらわからない。
(やっぱ、直接最上階へ向かうか)
 このフロア(多分3階)には上への階段が二つあった。行ける所まで登り、5階分は上がっただろうか───再び窓の外を見る。
「つーか、戻ってるから!」
 思わず声に出してハッと口を塞いだ。先程外に出た時と同じ位の高さだ。
(やべっ、そういえば……しゃべったらいけねーんだっけ。でも、さっきセリスと話しちった……)
 眉をしかめて後悔するが遅い。フリードが何もしてこないなら気付いてないのだろう、ということにする。
(中は変わるから外から行くか……)
 途方もない頂を見つめて、再びカギ付きロープを取り出した。先程と同じように放る。
 1つ上の窓へ上がることを何度繰り返しただろうか。
 指先の無い革手袋はすり切れ、手の皮は剥け、爪もいくつか割れている。全身の筋肉が悲鳴を上げていた。
 それでも諦めず、チャンスには限りがあるのだから、必死になって一番上に見えた窓まで辿り着いた。
 最上階は、息が凍る程に寒かった。間違いなく零下10度以下だ。凍った窓に手を掛ける。滑りそうなのでロープを持つ方の手に力を入れて状態を上げ、ロックは絶句した。
「なっ……」
 先端に向かうにつれ細くなる頂の部屋はそれでも20畳はあった。1部屋しかない。そこにあったもの───それは、氷漬けの女性だった。
 美しい女だった。曇りや気泡一つない氷に包まれた女は、月色の髪で、目を閉じている。ともすると眠っているようだ。
(エスメラルダ……? いや、アマンダか……)
 エスメラルダは転生してアマンダとなっている。
(だから、昇天できないのか……)
 滅びぬ肉体に魂が縛られているのだ。かつてのレイチェルのように。
「とにかく女王に連絡だな」
 ロックが呟いた時だった。
「おやおや、どこからかネズミが入ったのかと思ったが……」
 呆れたような声がした。
(やべっ、また声に出してた)
 ロックが慌てて窓から中に入ると同時に、すうっと男が姿を現した。秀麗な容姿から冷気を漂わせている───フリードだ。
(くっそ、しゃべっちまったからか)
 己の浅はかさが嫌になる。
「こんな所で一体何をしているんだ?」
 優しい口調とは裏腹に、ゾッとするような冷たい視線。その威圧感を必死ではね除けようとしながら、ロックは言った。
「哀れな子羊を救いにね」
 皮肉っぽく唇を歪める。子羊とは誰を指すのか───。
「何のことだ?」
「……あんたはエスメラルダでありアマンダである魂を持つ者を待っているんだろう?」
「何故知っている?」
 フリードの冷たい氷色の瞳がすうっと細められる。
「さあな。その遺体は、アマンダだな?」
「……ネズミには関係のないことだ」
 フリードは全く取り合わない。それでも落ち着き払っているのは絶対的に勝てる力を持っているからだろう。
「そういうわけにはいかねーんだ。セリスを返してもらわなきゃな」
 ロックはフリードを睨み付けたが、雪王はそれを一蹴した。
「それでやって来たというわけか。想いで何かが成せるなら誰も苦労しない。どんなに想っても現実は非常なものだ」
 その言葉にロックは唇を噛む。それは彼自身が経験してよく知っていたからだ。レイチェルを生き返らせることはできなかった。無論、今はそれを後悔してはいないけれど……。
「だからって諦めるわけにはいかねーんだよ。何もせずに終わるよりはいいんだ」
 後悔だけはしたくない。今、自分ができる精一杯をするしかなくとも、結果が伴わなくとも。
「それでは諦めさせてやろう」
 フリードが右手を振り上げる。ロックが身構えたと同時に、吹雪が襲いかかった。
「くっ……!」
 窓際に立っていたため、もろにそれを喰らったロックは吹き飛ばされ、あわやというところで窓の端に掴まる。冷気に対するダメージ自体を負ってないのは、女王の加護なのかそれはわからない。
「彼女のことは忘れ、人間界に戻るがいい」
 フリードの言葉に、ロックはポケットの中の珠を握り締めた。
(エラネーダ……!)
 祈るように心で叫ぶ。と、珠がカッと熱を持った。

 

■あとがき■

 ⅲで、言葉を発した設定にしたかしてないか忘れていて(会社とか電車の中で書いていると確かめようがなかった……)、まあ、フリードに気付かれるようにするつもりだったんでいいんですが、ⅳでロックはしゃべりすぎですよね。アハハ……すみません。 (03.10.23)

ⅵ〕訪れた救い

「貴女は……っ!」
 突然声を上げたフリードに、ロックが固く閉じていた目を開けると、窓の脇に氷の女王エラネーダが立っていた。
 その壮麗な姿が透けている。氷の精霊界から動けないと言っていたから、実体ではないのだろう。
「久しぶりですね、フリード」
 エラネーダは穏やかに、しかし凛とした声で言った。
「……はい……」
 対するフリードは借りてきた猫のように畏まる。
「あなたは……何故気付けないのです?」
 悲しそうに目を伏せたエラネーダは、氷に閉じこめられたアマンダを見た。最愛の娘エスメラルダとそっくりの容姿。同じ魂を受け継いだ人の子。
 一方、ロックはフリードが攻撃してこない事にホッとしながら、なんとか這い上がり部屋に戻る。
「私が何に気付かないと?」
 フリードは眉をひそめた。しらばっくれているわけではなく、本当にわからないのだろう。
「エスメラルダの……アマンダの魂は、あなたがアマンダの身体を氷に閉じこめて留めているがために、天に還れないことを……」
「どういうことです? 私には彼女の魂なんて感じられない」
 フリードは更に不可解そうな表情になった。顔が美しいだけに少し恐い。
「あなたが見たくないと思っているから……。認めなさい。さすれば彼女は再びあなたの元へ戻ってくる。さもなくば、あなたは永遠にエスメラルダの、そしてアマンダの魂とは出会えない」
 エラネーダは静かに、そして厳かに真実を告げた。
「私は……」
 愕然として呟いたフリードは、
「なんてことだ……!」
 がっくりと膝を着き項垂れた。
「娘の、そしてアマンダでもある魂は、あなたの孤独を癒せぬことに魂を痛めている。いつもあなたの傍にありながら何もできぬことを、とても悲しんでいる」
 慈悲深き氷の女王は決して怒っていなかった。ただただ悲しそうな表情で、フリードを見つめていた。我が子を見るように。
「なんてことを…………」
 フリードは一粒の涙を落とした。
 すると、彼の周囲にもやもやとした淡い光が生まれる。フリードを取り巻くように漂う光はゆっくりと集結し、ぼんやりと形を成した。
「アマンダ……」
 フリードが顔を上げてそれを見た。
 ロックにははっきりとは知覚できなかったが、その霧のようなアマンダの魂は柔らかく微笑み頷いたように見えた。
 フリードは立ち上がり、氷の前に立った。
「お前を縛っていたのは私だったのだな……」
 自嘲気味に呟くと、そっと氷を撫でた。
 すると、ゆるゆると氷が溶けだし、同時に中の遺体が淡い光をんって空へ消えていく。
「待っているよ。もう間違えはしない……」
 フリードの言葉に、彼の周囲のもやがさあっとかき消えた。
 彼は暫くそこに立って余韻に浸っていたが、一つ大きく息を吐くと、ロックとエラネーダに向き直り、
「すまなかった……」
 心から詫びた。エラネーダはフッと笑みを漏らしただけで何も言わない。
 ロックは少し複雑な想いで、口を開いた。
「別にセリスが戻ってくれば俺はそれでいいよ」
 それを聞いたフリードが頷くと、
「私は失礼するわ。影を飛ばすのは疲れるから」
 そう言い残し、エラネーダは二人が何か言う前に姿を消してしまった。
 フリードが苦笑いで、
「お前とセリスと帰さねばならないな」
 そう言うと、フッとロックの目の前が暗くなった。

 

†  †  †

 

 気が付くと広いホールにいた。
「ロック!」
 驚きの声が上がる。セリスがホールの入り口で目を丸くして立っていた。
 ロックは微笑んで手を差し伸べる。
「約束通り迎えに来た」
 しかしセリスは戸惑ってロックの斜め後ろにいるフリードを見た。何故一緒にいるのか不思議なのだろう。彼は一つ頷き、
「すまなかった」
 セリスに向かって謝罪の言葉を口にした。
 それでもセリスは、何故かロックの手を取れずに躊躇していた。
「セリス?」
 ロックは彼女のタンザナイトのような美しい瞳を見つめる。揺らいで何かを訴えていた。
「……私は……あなたと同じ時を生きられないかもしれない」
 セリスは目線を落として呟く。最初ロックが来てくれた時は喜びでそんなことを忘れていたのだ。
「…………は?」
 ロックは首を傾げた。唐突に言われても意味がわらかない。
「精霊の、氷の精霊の血を引いているんだって。もし精霊として目覚めたら……」
 ロックはギョッとして目を剥いた。精霊の血を引いている?そういえばエラネーダもそんなようなことを言っていたかもしれない。
 本当かと後ろを振り返ると、フリードに頷き返され、言葉を失う。なんと言えばいいかわからなかった。
 ロックがそれでも構わなくとも、取り残されるのはセリスだ。
 思い沈黙が降りる。
 それを破ったのはフリードだった。
「私が目覚めることのないようその血を封印しよう。お前が人として死ぬことができるように……」
 そう言って前に進み出た。
 額に手を翳されたセリスは、得も言われぬ大きな力を感じぎゅっと目を閉じる。
 フリードが手を引くと膝から崩れ落ちたセリスを、ロックは慌てて受け止めた。
「しばらくすれば目覚める。精霊化することもないはずだ」
「あ、ああ……」
 ロックはいまいち状況が飲み込み切れてなかったが、どうやら万事解決らしい。
「これは?」
 意識のないセリスの白い手の甲を見て尋ねた。雪の結晶のような紋が浮いている。
「私の加護だ。雪の精霊の力を借りることができる。詫びだと伝えて欲しい」
「へえ~って俺には?」
 図々しいというか、ちゃっかりしているというのか、普通に尋ねたロックに、フリードは失笑した。
「お前はエラネーダ殿から既に加護を受けているではないか」
「へっ? って、あれ? いつの間に……」
 ロックの左手の甲に、氷をモチーフにしたような紋があった。
「さあ、お前達をどこに送ればいい? とは言っても、雪のあるところだけだが」
 フリードに言われ、ロックは一瞬考えた後、
「スノウ・ヴィリシュへ」
 告げた。セリスの分の荷物がまだ置いてある。
「承知した」
 フリードが言うや否や、前触れもなく周囲が白く覆われた。ひどい地震の中にいるような違和感だった。

 

†  †  †

 

 いつの間にか、セリスを抱えたままの体勢で、スノウ・ヴィリシュの村へ続く街道にいた。もう村の入り口が見えている。
 突然村の中に送ったら驚かれるから手前にしたのだろう。
「帰ってきたのか……」
 ロックは深くため息をつく。
 結果的に全てが良い方向へと向いたようだ。もし何も知らずに生きて精霊に目覚めていたら、年老いることのなくなったセリスは辛い想いをすることになっていた。
 感慨深い想いで立ち上がると、
「ん……」
 セリスの瞼が震えた。
「私……」
 ぼんやりと目を開ける。
「大丈夫か?」
 優しく囁かれた言葉に、セリスは目を瞬いて周囲を見回した。
「あれ? ここ……」
「戻ってきたんだ。立てるか?」
 彼女を抱えて歩くのが苦なわけではないが、雪の上のため、セリスを抱えたままバランスを崩したりしたら大変だ。
 ロックの言葉に彼女が頷いたので、膝を落としてそっと立たせる。足下がおぼつかない彼女を抱き寄せ、
「辛かったか?」
 そう尋ねた。セリスは惚けたような表情で、
「ううん……何だか夢でも見てたみたいな感じ。狐につままれたよう」
「ははっ、狐ね。でも、次同じことが起きてもまた迎えに行くよ」
 慈愛を込めた濃紺の瞳が細められ、セリスは切なくなって俯いた。
「ありがとう……。──────私、諦めてた。もう二度と会えないって、諦めてたの……」
「心配すんなって。嫌でも俺が連れ戻すから。必ず。何度でも」
 確信に満ちたロックの言葉に、セリスは思わず彼にしがみつく。
 この情熱だと思う。ロックの褪せぬ情熱に浮かされていたい。
 ロックはきつくセリスを抱きしめ返し、
「俺はお前を失うわけにはいかないんだ」
 そっと囁いた。身じろぎしたセリスは、
「離さ、ないでね」
 そう呟やく。頷き返したロックは、
「離さないさ。俺は執念深いからな」
 軽口を叩いた。
 凍えるような雪の寒さの中、心だけが熱を持っていた。
 途切れることのない愛しさは、どこまでも共に行くのだろう。


 幾多を乗り越え絆は深まる。
 今までも。そして、これからも───

 

・ fin ・

 

■あとがき■

 6回に渡るおつきあいありがとうございました。これを持ちまして、瑠璃さんに捧げたいと思います。
 さらわれたセリスを助けに行くロックだったけど、もっと戦闘とか入れるべきだったかもと思ってます。相手を強敵にしすぎました。どうあっても戦って勝てない相手じゃん! 最後のめっさラブラブだけ微妙に未消化かしら……? 宿に帰ってからはめっさラブラブだろうけど、そこまで書くのは無理矢理かしらと思ってここで留めました。許してください瑠璃さん。話の雰囲気を壊したくなかったの。でもラブラブな行為はしてないけど、充分熱いわよね。いつも我に返ると恥ずかしい台詞書いてるなあ、と思います。
 手の甲の紋は、私が書いているオリジナル小説と連結しています。精霊紋の始まり、みたいな感じで……。これからロックの世界でも、精霊契約が流行するのかしら……(って勝手に流行らせんなよ!)
 この連載が終了したので、土曜からは瑠璃さんの7000hitリク「TIME」の連載開始です。
 同じ方からの同時連載は避けようと思ってます。順番変わるのは許してくださいね。 (03.09.23)

【この頁で使用させて頂いた素材サイト様】 ClipArt:トリスの市場, Salon de Ruby

Original Characters

スノウ・ヴィリシュ ナルシェの奥にあるの最北の村(その他の登場小説「螺旋」)
フリード 雪の精霊王。恋人である氷の精霊王の娘エスメラルダに死なれ、 その生まれ変わりであるアマンダにも死なれ、再び生まれ変わってくるのを待っている。
スノウ・ヴィリシュに立ち寄ったセリスを生まれ変わりだと思い、さらってゆく。
エスメラルダ フリードの恋人であり、氷の精霊王と人間の男の間に生まれた娘。 魔大戦の時に父親を庇って死ぬ。
アマンダ エスメラルダの生まれ変わり。恋人のアートと共にスノウ・ヴィリシュを訪れたところを、 フリードに見つけられる。人間であったため精霊界になじめず死んでしまう。
アート アマンダの恋人。彼女を連れ去られた後追い掛けるが及ばず、記憶を奪われ別の人生を歩んだ。
エラネーダ 氷の精霊王