大人の条件



 小さい頃からずっと思っていた事───早く大人になりたい。
 自由を持たない私は、それが自分の幼さ故だと思っていた。
 背が伸びた私は冷静に振る舞おうと努力して将軍にまでなったけれど、兵士達は私を“小娘”と蔑んでいたのを知っている。
 年齢が低いというだけで見下されるのは嫌で仕方がなかった。
 兵士達の態度は羨望と僻みでしかなかったけれど、自分自身も決して大人ではなかったのだと今では理解できる。かといって、今、大人であるとは言えない。
 理想と現実の差は厳しく、思うようにはいかない。
 唯一の救いと言えば、恋人のロックが子供っぽいことだろうか。いつまでも冒険心を忘れない好奇心旺盛な彼の真っ直ぐさに私は惹かれてきたのだから、大人でないことが悪いとは思わなくなった。
 同時に、大人という定義がよくわからなくなってきていた。あれほどなりたいと願った“大人”とは、一体何を示して言うのか……

 

†  †  †

 

 ケフカを倒して四ヶ月、私はロック達仲間と共にドマの再興を支援していた。
 己のしてきたことに対する罪滅ぼしでもある。
 飛空艇を持つセッツァーによって世界中にドマ再建の噂を流し、今では100人弱ものドマ人が集まっていた。皆で肩を寄せ合い城内に寝泊まりしている。
 エドガーはフィガロ城、ティナはモブリズ、モグはナルシェへと3人は待つ者の元へ帰り、リルムとストラゴスも復興中のサマサを手伝うために帰った。シャドウもいつの間にか姿を消して、私は5人の仲間と共になんとか頑張っている。
 ケフカを倒したら皆、離ればなれになるとばかり思っていたから、セリスにとってはとても嬉しいことだ。
 ロックですら「一緒に行こう」という類の言葉をくれたわけではなかった。瓦礫の塔から帰った翌日にフィガロ城で行われた祝賀会の後 、優しい口づけを一つもらっただけであり恋人など呼べるわけではない。そうなれたらいいな、と思っているけれど。
 確認するような言葉を口にするのは憚られた。今の関係すら壊れてしまうのはひどく恐かったから……。


 現在のドマには幼児や年寄りはほとんどいない。
 長い戦争の中、弱い者は真っ先に淘汰された。だがドマの兵士達も毒殺されており、生き残って集まったのは国を離れていた者がほとんどだ。
 20代~40代が最も多く、親戚を頼って身を預けていた子供も何人かいる。全体的に女性が多いのは仕方ないだろう。男性のほとんどは戦死しているのだから。
 それはいいが、問題は必然的にロック達の人気が高くなるのこは少し面白くない。選択肢が少ないとはいえ、自分の好きな人がちやほやされていたら嫌な気分だ。
 挙げ句、ちょっと仲良くしていると女性陣に睨まれる。鈍感なマッシュとロックが気付いているはずもなく、いればわかってくれるだろうセッツァーは忙しく飛空艇で飛び回っている。
 ティナもリルムも不在で誰か友達でもできればと思っていたが、簡単にはいかなかった。未亡人であるユメカだけは分け隔てなく話しかけてくれたりするが、彼女は誰にでも優しく私の友達と言えるわけでもない。正直、孤独な気がした。
 それは自分が帝国将軍であったことを隠している罪悪感で踏み込めないせいもある。カイエンだって最初、あれほど私を憎んだのだから。
 女性の役割は畑仕事や掃除がほとんどだ。男性の絶対数は足りないのだが、フィガロから応援の人々が来てくれている。
 仕事中は女性だけになるのでその時間は私にはちょっと苦痛だけど、自ら復興参加を望んだからには内容自体は嫌ではない。ただ女性だけの集団というのは恐いものだと感じた。
 噂が好きで憶測が好きで、皆が皆というわけではないが、兵士に蔑まれていた頃を思い出してしまう。もしこれが“セリス将軍”であるが故であったなら享受できただろうけれど、自ら告白することはできない───カイエンにも「黙っているべきだ」と言われている。
 新たな生活を築き上げているところに、苦しい過去をわざわざ思い出されるのは酷だ。言ってしまった方が私の罪悪感は軽くなるだろうが、そんな勝手な言い分は許されない。
 一日が終わると交代で風呂に入る───エドガーが掘削機などを使って温泉を掘り当ててくれた。
 それはいいが、私は他人と一緒に入る風呂が苦手だと気付いた。ドマの女性は皆、小柄で黒髪に黒い瞳をしていてふくよかだ。黄色人種と白人である自らを比べるのは意味のないことだけど、その違いが恥ずかしいと思う。
 筋肉のせいで薄っぺらい胸を気にしているから余計だろう。
 風呂の後は、皆、浴衣を着る。だけど私は着ない。ドマの平均身長より15㎝も高い私が着ると、つんつるてんで足も手も出てしまう。私用にわざわざ作ってもらうわけにもいかず、一人、浮いた洋服ももの悲しい。
 食事は基本的に全員一緒だ。給仕の当番だけが別に食べる。夕食の後は、交代で町を見回る。島国となったものの、海賊などが横行しているという噂もあるからだ。
 二人一組で12時まで行う。毎日交代であり、回ってくるのは二週間ごとだ。基本的に女性は参加しないが私は剣が使えることもあって、望んで参加している。
 今日もその日だ。一緒に組んでいるのはロック。彼が望んでくれたことであり、唯一二人きりになれる時間───私はその日だけを楽しみにしている。
 夕飯の煮込みうどんを堪能した後、城の正門でロックと待ち合わせる。
「ちゃんと食ったか?」
 いつもロックは同じ事を尋ねる。他に聞くことないのかな? ちょっと思うけれど、私もいつも久々の二人きりに緊張して饒舌になり意味無い世間話ばかりしてしまう。突然会話が途切れたりすると、どうしていいかわからなくなる。
「勿論。ロックは? 足りた?」
「あはは。足りるよ。つーか、余分に食うと太るしな」
 そんなことを気にしているようには見えないのだが、彼は言った。冒険している時と変わらないぐらい大工仕事は大変だろうに。
「んじゃ、行くか」
 そう言ってロックは歩き出す。私はランタンを持って、彼の後を追った。
 私はいつも彼の斜め後ろを歩く。城下町を作っているとは言ってもまだまだ小さいもので、見回る距離も大したことがない。たった20分で一週できる。それを12時になるまで延々と繰り返すわけではなく、その後は島の周囲をぐるりと見回る。それには徒歩だと6時間もかかってしまうため、チョコボに乗って回る。チョコボでなら1時間で済むのだ。
 他の人がどうしているか知らないが、私達はいつも海岸で一服する。
 二人で砂浜に腰を下ろし、ロックは黙ったまま紫煙をくゆらせ海を見つめる。私はそんな彼を見ている。不思議な時間。
 今日もいつもと同じように、海岸でチョコボを止めた。賢いチョコボのポジとネガはサウスフィガロからの贈り物だ。
「なんか……悩みでもあんのか?」
 唐突にロックが言った。私は驚いて言葉が出てこない。
「な、なに? いきなり」
「いや、なんかいつも浮かない顔してるからさ」
 頭をかきながら呟くロックに、私は言葉を濁す。
「そんなこと……」
 悩んでいるなんて言えるほどのことじゃない。友達がいない。ドマの女性の目が冷たい。そんな他愛ない事だ。恥ずかしくて言いたくない。
「わかってやりたいけど、俺はそんなに聡くねーからさ。言ってほしいんだ。言ってもらえるような存在でありたいと思ってる」
 自分でこんな風に言える人はすごいと思う。「わからない」と正直に言うのは大人にはきっと難しいこと。
「本当に何もないの。でも、心配してくれてありがとう」
 私が困ったように笑うと、振り返ったロックもはにかんだ。また微妙な沈黙。彼は優しい目で私を見ている。何故かとても切なくなった。
「お前さ、なんでも一人で背負い込むなよ」
「え?」
 ロックの静かな一言に私の心臓がドキリと跳ねる。
「自分の問題は自分で解決するって姿勢はいいけどさ、俺としては、お前の悩みも一緒に抱えたい」
 まるで愛の告白をされているような気分になってくる。ロックはどういうつもりなのだろう? そんなこと言われたら自惚れてしまう。
 そんな自分の意識を逸らすために、仕方なく本当の事を言うことにした。あからさまには言わないけれど。
「なんとなく、ドマの女の子達に溶け込めないなあって……。もう4ヶ月も経つのにね」
「ああ、ドマの女性は内向的傾向があるみたいだからな。文化の違いは仕方ねーのか……」
 ロックは余計なことを突っ込んでこなかったから、ホッとする。ロックを含む仲間達はドマの人々と打ち解けているのに、友達一人作れない私はひどく恥ずかしい。
「だけど、俺は何があってもお前の味方だから」
 さりげない一言だったんだろうけど、何故か私は胸が締め付けられて涙が込み上げそうになる。
「……あり、がとう……」
 答えが声が震えてしまい、私は俯いた。このままだと本当に泣いてしまいそうだ。
 弱く傷付いている人を放っておけないロックだけど、誰にでもそんなこと言わないよね?
 気配でロックが微笑んだのがわかったけど、顔が上げられない。俯いているせいで、溢れた涙がこぼれ落ちそうだった。
 どうしよう? 泣いたりしたら、ロックが困る。
「お前、謙虚だなぁ」
 呆れたようなロックの声がしたかと思おうと、いつの間にか彼の顔がすぐ真横にあって、抱きしめられたのだと気付くのに、数秒を要した。
「もう少し、ワガママでもいいんだぞ? 少なくとも俺に対しては」
 突然そんなことを言われても無理だ。ワガママって何を言えばいいのかすらわからない。
「どうして、そこまで……」
 思わず本音が口に出ていた。ロックの呼吸が一瞬止まる。彼は私を手放すと、
「どうしてはねーだろ?」
 呆れ顔で私を見た。私は眉尻を下げ、どうしていいかわからず視線を彷徨わせる。
「マジで、謙虚すぎんのは考えモノだぞ」
 苦笑い混じりの言葉を吐きだしたかと思うと、ロックは私の腕を掴んで引いた。
 不意に唇が奪われ、私の思考が停止する。
「お前が好きだからって理由以外に、なにがある?」
 余裕たっぷりに呟きながら、再び唇が重なり、今度はその柔らかさを感じることができた。
 ついばむだけの口づけは甘く、溶けてしまいそうなほど優しい。
 長い口づけの後、彼は言った。
「ドマの復興が一段落したら、一緒に行こうな」
「……うん。連れて、行ってね」
 私は不思議と、素直に頷くことができた。

 

■あとがき■

 携帯版サイト【万象の鐘】555hit Larainbowさんのキリリクです。「年齢差」セリスはロックの大人の魅力に気付いて、更に好きになる……にお答えしました。かなり難しい題材でした。いや、何気ない題材なんでしょうけどね。私的に。そのせいでお届けが遅れてしまったことを、深くお詫び申し上げます。
 気付いた方も多いと思いますが、設定的には「flower」と「heart」の中間です。同じ話では決してありません。一人称にしたのはなんとなく。セリス視点の方が可愛く書けるかな~と思ったから。チョコボの速度は時速30㎞ぐらいで計算してます。つーか、FF6の世界の地図の縮尺がわからないといつも悩みます。地球よりは規模の小さい星だと勝手に思ってますけどね。名前は「クリーミーマミ」に出てくる2匹の猫の名前ね。古い? 今の若い人は知らないかなあ。
 友達以上恋人未満みたいな状態から始めました。理由は余りないけど、微妙な空気の中でロックに更に惹かれていくってのがいいかな、と考えてね。
 かなり前から相当悩んだ話です。“大人の魅力”というものについて、どういう風にすればいいのかわからず───特にロックだからでしょうか。優しいのも元からですし。【万象の詩】で詩を書いてくれてるTANちゃんに相談したんだけど、首をひねってしまいました。「お洒落な店を知ってる」とか無理だし、「包容力がある」っていうのも元々セリスのことは何でも許容しそうなロックだしね。私的には「いつもダマ。役牌のみリーのみはしない。引っ掛けが深い。いつでもマンガン以上。鬼ヅモ。ハコりそうな人には振ってあげる」なんていうことを言いました。麻雀の話になっちゃうよ……^^; つーか、どんな雀士だ。
 一応、4話を想定しているけど……いつものごとく全くわかりません。さりげないロックの「大人な一面」が書ければいいなあ、と思ってます。 (04.3.14)

 いつも気になって仕方がなかったみんなの視線。今日は全く気にならない。
 そのことにすら私は気付いていなくて……。
 今まで味わったことのない不思議な感覚。ふわふわしてて、こんなに幸せでいいのかな、なんて心の隅で思ったり。
 そんな小さな罪悪感すら、幸福の感情に押しやられ消えてしまう。想像もしたことなかった恋の成就。
 大人になりたい、早くロックに追いつきたいなんて思ってた自分が、少し馬鹿みたいかもしれない。
 ロックはきっと私のことを子供だなんて思ってない。きちんと女として見てくれていたんだから───

 

†  †  †

 

「今日、ずいぶんご機嫌ね。何がいいことでもあったの?」
 バスタオル一枚のユメカに尋ねられ、湯上がりの私は心持ち頬を染めた。
「そ、そう?」
 脱衣所では皆、頬を上気させているから目立たないだろう。
 そんなに顔に出てたかな?
 また昨日のことを思い出して顔が緩みそうになる。だけど思い出し笑いなんてみっともないし、なんとか堪えようとすると苦い笑みになってしまった。
「いつもお風呂の時、憂鬱そうだから。嬉しい時は素直に幸せそうにしている方がいいわよ」
 ユメカは大らかに言う。年の功なのか、元々おっとりした性格なのか、やっぱり彼女みたいな人は“大人の女性”だと感じる。前ほど卑屈に思わないけれど。
「セリスっていっつも疲れた顔してるんだもの。見てる方が気の毒になっちゃうぐらい。それが今日はすごく柔らかい表情だから」
 好奇心丸出しで尋ねられたりしたら言いたくないと思ったけれど、不思議とすんなり答えられた。
「ドマの女の人と私ってほら、違うでしょ? 浮いてるなーって、気になってたりしたんだ」
 だがさすがにロックのことを言うのは気が引けた。他の人の目がある。知れたらやっぱり少し恐い。
「そんなの、私が他の国に行ったって同じ事になるわ。それにみんな他国から戻ってきた人ばかりだもの。あなたを見てるのは、あなたが綺麗だから」
「……えっ?」
 目を丸くして固まった私に、ユメカは何故か吹き出した。
「自分で全然わかってないのね。うふふ。みんな、羨ましいのよ。白くて染み一つない肌が」
「そんなことない。筋肉質で胸もないもの。近くで見ると傷もいっぱいあるし……」
 私は慌てて両手を振った。人から誉められることに慣れてない。「強い」と言われてきたがそれを誉め言葉と感じていたわけではない。特に同性に女として誉められることは初めてなので(オペラ座で飾り立てられた時は厚化粧だったし)、こそばゆくてどうしていいかわからなくなる。
「何言ってるの。でも、そんなに気にしなくなったのね。よかった。笑ってる方が全然がいいわ」
「……ありがとう」
 素直に礼を言えたのは、相手がユメカだったからだろう。こんな素敵な女性になりたい、心から、そう思った。

 

†  †  †

 

 あれから一週間後、朝食の間ではある話題で持ちきりだった。
「昨日も見たらしいよ」
「一体、なんなんだろうね」
「青い着物の女なんでしょ?」
「やっぱり着物ってことはドマ人よね」
「幽霊なんて存在するの?」
 私の目の前で食事よりもおしゃべりを優先させている3人組の話が、嫌でも耳に入ってくる。
 彼女たちが話題にしているのは島の西にある岩壁に出現すると噂の幽霊のことだ。
 一番最初に見たのは若いカップル。それから見回りの人間にも何回か目撃されている。出現する時間帯は決まっているらしく、夜10時前後らしい。ただ月の翳っている夜は見えないと言われているが、それが真実がどうかはわからない。
 カイエン達も、人々が好奇心に溢れている内はいいが次第に不安になるのではないかと心配しているようだ。
 魂の存在は賛否両論あるけれど、私は信じている。レイチェルさんのことがあったからだ。レイチェルさんの魂と話したというロックを、信じているから。
 それに魔力のあった頃は、悪霊と魔力が結び付いて人に害を為すこともあった。しかし魔力が消えてからまだ短く、魔力がなくなったから害を為さないという保証はない。
 世の中には“霊媒師”とか“祓魔師”と呼ばれる人もいるみたいだけど、それが本物かどうかは怪しい──大抵は詐欺だと聞いている。偽物かもしれない彼等を捜して頼むのも馬鹿らしいし、幽霊だって何か理由──未練などがあるから、止まっているのだろう。
 天へ昇れない理由───それを抱えているのならばとても切ないことだ。
 とても気になった私は、その夜、一人、岩場へ行ってみることにした。


 チョコボは勝手に使うことはできないし、2頭しかいないため見回りの人間が使う。歩いて夜の岩場まで行くのは面倒だったが、カップルだって30分を散歩がてら歩いたのだろうから、大したことはない。
 幸い満月に近いため薄暗いなりに周囲も見渡せる。一応、帯剣して来たが不要となるだろう。
 岩場の手前でレオ将軍の形見である懐中時計を確かめる。見にくいが10時前を指していた。
 外海に接する岩場は足下が悪いから、余り崖近くまでは寄らない。それでもできる限り足を進め、辺りを見た。
 月明かりに満ちた10時前後という条件であるならば、見れるはずだ。
 黙って崖を打つ波の音を聞いていると、遠くに白い何かが見えた気がした。
「あれ……?」
 不思議に思って目を凝らすと、今度は崖のすぐ向こう、地面と同じ高さである空中に白いぼおっとしたものが現れる。
 恐くはなかった。その白い靄は徐々に凝り形を成し、噂通りの紺の着物の女が現れた。
 同姓の私から見ても美しい女だった。一般的なドマの女性より少しだけ背が高く細い。長く結い上げた髪はやはり黒く、伏せられた瞳は漆黒。
 透けた身体の希薄な存在を、私は凝視した。
〈…………〉
 女が口を開いた。だが声は聞こえない。幽霊だから声を発せないというわけではないのだろう──多くは恨み言を口にしたりすると言われているぐらいだ。
「なあに? なにが言いたいの?」
 私は咄嗟に尋ねていた。多くの人を殺してきた私は、死んでいった人々の無念さを思い悔いてきた。この女の幽霊の心残りも、気になってたまらない。
〈─────────〉
 何かを訴えるように私に必死の視線を送る女は、再び口を開く。だが空気は音を伝えない。
「あなたがここに残っている理由はなに? 何をやり残したの?」
 なんとか聞き出そうとする私の問いかけに、女は涙を落とした。実際には泣いているように見えるだけで、水が出ているわけではない。幽霊という思念体は、魂の強い意識により姿を具現化させているだけで、そのイメージを投影しているのだと世間一般で言われている。
〈シラド……〉
 聞こえないと思っていた声が耳に飛び込んできた途端、女の姿は消えてしまった。
「しらど?」
 一体何のことだろう? 名前だろうか? ドマの名前は私にとって余り馴染みある響きではない。
 今日のところは諦めて戻ると、既に11時半。城の入り口で、何故かロックが恐い顔をして立っていた。
「どこ行ってた?」
 怒りを隠そうともしないロックに、私は思わず萎縮してしまう。
「あ、その……」
 好奇心の遊びだと思われるかもしれない、そう考えて咄嗟に言葉にならなかった。
「ユメカさんが、お前が何も言わず出掛けて帰らないって心配して来たんだぞ」
「ご、ごめんなさい」
 縮こまって頭を下げる。誰にも何も言わなかったのは確かに悪かったかもしれない。だが「やめとけ」と言われるだろうから、つい黙って出てきてしまった。
「とりあえず中に入ろう。話は中で聞く」
 彼の静かな口調は、荒々しさを押さえているとわかるだけに痛い。
 食堂でお茶を飲みながら、私は正直に言うことにした。どうしても隠す理由はない。
「噂の幽霊が気になって、どうしても昇天しない理由を知りたかったの。心残りがあるのなら、叶えてあげたくて……」
 俯いたまま白状した私の話を聞いて、ロックは深い溜息を吐きだした。
「それをなんで一人で行くんだ? 危ないだろ? 安全に絶対なんてねーんだぞ?」
「ごめんなさい。下らないことに首を突っ込むなって、止められると思って」
「下らないなんて俺は言わない。俺がそんなこと言うと思ったか?」
 言い返され、失礼なことを言ったかもしれないと気付きドキリとした。
「そ、そういうわけじゃないけど……」
「俺だって気にはなってるさ。カイエン達だって、一応、考えてはいるみたいだ」
 ロックはもう一度深い溜息をついて、私を真っ直ぐに見た。彼のこの視線に、私は弱い。全てを見透かされそうで、全てを繋がれてしまいそうで、その視線に絡め取られ動けなくなる。不快というわけではないけど、心地良いのかどうかもわからない。ただ緊張する。
「俺に対して隠し事はナシにしてくれないか? ……ちょっと勝手な言い分かもしれねーけどな。俺もお前に隠し事はしねー」
 彼は言葉も真っ直ぐだ。人はそれを若さ故と言うかもしれないけれど、彼はきっと一生変わらないと思える。
「う、うん」
 頷いた私は俯いた。なんだか顔が熱くて、きっと赤くなっている。
 フッと空気が和らいだかと思い顔を上げると、ロックが優しい笑みを浮かべていた。こういう時の表情は全てを許容してくれそうで、大人の男の人みたいで、鼓動が早くなってしまう。
「ところで、いたのか?」
 話題を変えられホッとした私は、さっき見てきたものを話す。
「シラドねえ? 明日、カイエン達に話してみよう。何かわかるかもしれない」
「うん。ありがとうね」
 ロックが自分をわかってくれる。その事実は何よりも嬉しいことで、私はこうして見つけていく幸せに日々喜べるのだろうと甘いことだけを想像した。

 

■あとがき■

 今回は幽霊騒動です。起承転結って難しいですよね。何かしら起きないと話ができないのは桜が悪いんでしょうけど……。できるだけ違う話になるように、毎回努力しております。
 懐中時計がレオ将軍の形見。これは新設定。なんとなく加えただけだけどね。普通の時計(クォーツ)というものはまだ存在しないでしょうから、懐中時計。勿論、ネジ式。でも結構高価ではないでしょうか。エドガー、セッツァー、ロック、シャドウなんかは持っていそうですが、他の人間は持ってなさそう。シド博士の形見っつーのも考えたんだけどね、この話ではシド博士が死んだとも生きているとも設定してないので……。
 ロックの大人の魅力を小出しにして行くつもりです。「これ!」って言えるようなものがあるとも思えないので……。1話目は大人の魅力が出ているかどうかはかなり微妙。ロックらしさは出てるんでしょうけど……。今回は「大人の笑み」でした (04.3.2)

 誰かに自分をわかってもらうというのは、本当にすごいことなんだと思う。
 人は同じじゃないから他人を理解するのはとても難しい。
 それでありながら理解したいと望んでもらえるのは、きっと奇跡に近い。それが好きな人ならば尚更。
 もしかしたら、大人っていうのはそういうことをわかっている人なのかもしれない。
 かけがえのない、大事なことに気付いている人。
 少しずつ、私も気付いていきたい。
 ロックは、きっとこれから色々なことに気付かせてくれるだろう。
 私が背伸びをしなくてよくなるように―――。

 

†  †  †

 

 いつもと同じ朝食風景。のはずなのに、何か違う。
 目の前の3人組が小声で何かを囁きあっては私を見る、を繰り返していた。
 わけもわからずひどく居心地が悪い。
 それまでも友好的な態度とは言えなかったが、明らかに陰口を叩かれている気がした。
 小さくなり黙って切干大根の煮物を口にしていると、私の右に座っているユメカが口を開いた。
「あなた達、感じ悪いわよ」
 はっきりした言葉に驚いて顔を上げると、呆れ顔のユメカに対し3人組が固まっていた。
「言いたいことがあるみたいにみえるけど?」
 毅然としたユメカは同性の私から見てもかっこよかった。同時に自分が情けなくなる。胸を張っていたいけれど、自信がなく負い目ばかりがある。
「いえ……」
「別に……」
「ねぇ……」
 3人は目配せをしながら、自分以外の誰かに言い訳をさせようとしている。それもまた情けない図だ。だが私には何故か正面きって彼女達を責められない。
「なんだか知らないけど、そういう態度を好ましいと思う人間は誰もいないわよ」
 ユメカの口調は思いのほかきつい。普段おっとりしているように見えるから、正直、私も驚いていた。
「…………」
 しばらく黙っていた3人組だが、箸を置いた真ん中の少女が一番最初に顔を上げた。確かソラという名で21歳、私と同じ年だ。
「セリスは………ロックとは……その……仲間っていうだけじゃないの?」
 予想もしなかった質問に、今度は私が固まる番だ。
「えっ、な、なに、突然……」
 しどろもどろで俯いた。顔が熱い。なんて答えればいいんだろう。恋人と言っていいのだろうか。
「昨日の夜、アカネが偶然、見かけたらしいんだけど、なんだか親密そうだったって言うから……」
 ソラは一番年下のアカネを見た。ちょっとぽっちゃりした可愛らしい子だが、ソラの右脇で複雑そうな表情を浮かべている。
「どうなんです?」
 そしてソラの左に座る20歳のチェリーが身を乗り出した。いきなり強気な態度に変わられ、私は更にどうしていいかわからない。
 このチェリーが、ロックのことを「かっこいい」と言っていたのは知っている。他の二人はそれを応援していたのだろう。なんだか私は突然後ろめたい気持ちになる。
「そんな聞き方失礼よ。ロックに直接聞いたらいいじゃない」
 ユメカが助け舟を出してくれたけれど、
「どうしてセリスは答えられないの?」
 逆に突っ込まれてしまった。
「いや、あの……」
 私がなんとか声を絞り出そうとすると、
「どした?」
 突然、声が割り込んだ。声の主は入り口辺りに突っ立っていたロック。
 タイミングいいのか悪いのか。
「なんか死にそうな顔してるぞ」
 近寄って来た彼に、私も3人組も硬直してしまう。究極に気まずい。
「ロックとセリスはどんな関係なのかって、知りたいらしいけど?」
 ユメカがため息混じりに口を挟んだ。
「はあ?」
 突然の問いに、ロックは変な顔をしたけど、
「どんな関係って、多分、きっと結婚すると思うけど」
 ごく普通に答えた。って、ええ! 結婚!?
 驚いたのは私だけじゃないだろう。
「けっ、結婚するんですか!?」
 素っ頓狂な声を上げたチェリーが、泣きそうな顔になっている。
「あ? まあすぐには無理だけどな。いずれは。今はまだ婚約者ってとこか」
 こっ、こっ、こっ、婚約者! 私は頭が沸騰しそうで、何も考えられない。
「な、セリス……って、おい、大丈夫か?」
「ううう、うん」
 私はなんとかコクコクと頷く。そんな風に考えていてくれたなんて、信じられない。嬉しくて発狂してしまいそうだ。
「という関係。オッケー?」
「い、いつからなんですか?」
 黙ってしまったチェリーに代わり、ソラがおずおずと聞いてきた。
「いつからって……さあ、まあそんなの大したことじゃねーよ。ところでセリス、カイエンが呼んでんだ。早く食えよ」
 ロックは私の隣に腰を下ろした。この人はまったく恥ずかしくないらしい。これって性格なんだろうか。でも、オペラ座では真っ赤になっていたのに。
「な、なんだか胸いっぱいで、もう、食べられそうにないんだけど」
 私が困った顔をすると、ロックは苦笑いを浮かべた。優しい瞳をして。
「仕方ねえなあ。まだ半分も食ってねーのに。行くぞ」
 ロックは私のお膳を持って立ち上がった。
「じゃ、失礼します」
 ユメカと3人組に言って、おずおずとロックに続く。
「昼はちゃんと食えよ」
 お膳を配膳係に渡したロックは、私の頭に手を置いてそう言った。
 なんだか異様に注目されてる気がするんだけど、もしかして他の人にも聞こえてたかも。穴があったら入りたいと、ちょっぴり思った。


 カイエンは会議室で待っていた。マッシュもいる。
「おお、来たでござるな。昨日、噂の幽霊を見たと聞いたでござるよ。詳しく聞かせてもらいたい」
「あ、うん」
 私は頷いて二人の前に腰を掛けた。ロックも黙って隣に座る。
 そして昨日ロックに伝えたよりも詳しく、事細かにあの幽霊のことを説明した。
「ふむ……」
 聞き終えたカイエンはしばらく難しい顔をしていたが、
「ロックからシラドという名を聞かれた時から思っていたのだが、王弟の息子ではないかと思う。王の末の弟は、帝国との初戦に亡くなってしまった。その息子シラドは17歳だったが病を患い戦には出れなかった為、離宮に静養に行っていたのだが……離宮の近くの村の娘と姿を消したと聞いている。その話も戦の最中のことで、調べる余裕もなくなっていた為、生きて駆け落ちしたならそれでもいいと王はおっしゃったのでござるよ」
 そう述べて、深いため息をついた。
「じゃあ、あの女の幽霊はその駆け落ちの相手……?」
「わからんのでござる。拙者はその女子おなごのその名すら知らぬ。皆に聞いてみるのも一つの手ではござろうが……」
 死者の秘密を暴くなどということはできればしたくないのだろう。その気持ちは私にもわかる。
「他に方法はないのだろうな。我々は残り少なくその村ももう沈んでしまったのでござるから」
 結局、昼に全員に話をすることになった。


 話を聞いたドマの人々は驚き戸惑ったが、誰も何も知らなかった。
 その村の出身者は一人もいなかったし、国を離れていた者がほとんどであるせいだ。
 噂や憶測だけが飛び交い死者を辱めることになるのを恐れ、カイエンはあらかじめそれを口にしたがどれだけ効果があるのかはわからない。
 午後には皆、そわそわして落ち着かなく、ひそひそと囁き合ってばかりいた。
 私はというと、一人で黙々と雑草を引っこ抜いていたのだが、不満そうな顔のソラがやって来て、私の隣にしゃがみこんだ。ぶちぶちと草を引き抜きながら、彼女は地面を見つめたまま言った。
「さっきのあれ、本当?」
「シラドの話?」
 私は顔を上げて彼女を見たが、ソラは変な顔になった。
「は? 違うわよ。ロックとの婚約の方」
「あ、ああ……」
 再び顔が熱くなる。真実かと聞かれても、プロポーズされた覚えはない。好きだということと、一緒に行こうということは言われたけど……。
「う、うん。本当」
 結婚の約束をした覚えはないけど、否定することはできない。ロックが私とのことをちゃんと未来まで考えてくれていたと思えばいい。でも嘘をついたような後ろめたさがある。
「いつからなの? チェリーがロックのこと好きだって知ってたんでしょ? それを見て馬鹿みたいとか思ってたの? いつも澄ました顔してさ」
 突然責められ、私は驚いた。
「そんなこと思ってないわ。……私は自分に自信がないし、いつ彼に愛想をつかされるか不安で仕方がないもの」
 咄嗟に口から出た言い訳は、本音だった。納得いかないのだろうソラは、ムスッとして私を睨む。
「だからって、黙ってることないじゃない。知っていれば好きにならずに済んだ可能性だってあるのよ?」
 そんなことを言われても、つい最近、心が通じ合ったのだから困る。しかしそれを言うのもまた恥ずかしかった。
「ごめん、なさい」
 私は謝ることしかできない。
「なんであなたって、なんだか人の顔色窺ってビクビクした態度なの? 図体でかいくせに」
 ソラはそう捨て置いて、小走りに去ってしまった。図体がでかいのは余計だ。ただでさえ気にしているのに。
 小さいため息を一つついて、私は再び草むしりに集中した。


「今朝、あなたが言ったことなんだけど……」
 寝る前、ロックを呼び出した私は言った。普段は人前で彼と話すのが苦手で、呼び出すことすら躊躇していたが、別に知れてしまったならいいだろう。草原を散歩していれば野次馬もいない。
「ん? 今朝?」
 ロックはキョトンとしたが、次の瞬間夜目にもわかるぐらい顔を真っ赤にした。
「わ、悪い。つい、な」
 ついって、なんだろう? どういう意味? 私は思わず首を傾げてしまう。
「その、お前の気持ちも確認せずにあんなこと言って、わるかったよ。恋人って言っても悪くはなかったけど、でも俺はそういうつもりだからさ」
 早口に言ったロックは、一歩私の前を歩くようにして顔を隠した。照れているのだろうか。
「それに人前だとお前、なんだか俺と話したがらねーだろ? 俺としては他の男に、セリスは俺んだから手ぇ出すなよって、示しておきたいっつーか……悪い、自分勝手だな」
「う、ううん。そんなこと、ない、けど……」
 私まで顔を赤くして、しどろもどろに答えた。ロックに照れられたら私まで照れてしまう。
「けど、なに? そういや、俺、お前の気持ち、なんも聞いてねーんだよね。なんか当たり前のように決め付けてたけど……」
 確かに私は何も言ってない。これはずるいことだろう。伝えようとしたけど、なんだか震えが出て、声がうまく音にならない。緊張の極限だ。初陣の時だって緊張したりしなかったのに。
 それでも踏ん張って、声を絞り出した。
「私も、ずっとあなたと一緒にいたい」
 それを聞いたロックは立ち止まると苦笑いを浮かべて振り返った。
「俺としては好きだって言ってほしかったんだけどな」
 その優しい笑みに、私は胸がぎゅうっと締め付けられて、どうしようもなくロックに対する愛しさがこみ上げてきた。
「う、ん。私、ロックが好き」
 聞こえないぐらい小さな声だったんだけど、草原は風もなく静かで、聞こえたのだろうロックは満面の笑みを浮かべた。
「くうっ」
 ロックは子犬にするみたいに私を抱きしめて頭を撫で回す。
「ちょ、ちょっと、髪の毛が……」
 そう言いかけたものの、私も本当は嬉しくて邪険になんてできなかった。

 

■あとがき■

 実家で妹に相談しながら書いてます。土曜日から月曜日まで実家に戻っているので、そこからアップです。しかしいくつか欠点が。やっぱり使い慣れたパソでないとね。日本語変換ソフトもMS-IMEは苦手だし(私はATOK派)、FFFTPってサーバーにファイルをアップロードするソフトがないので、面倒なんだけどね。でもyahooはそれがなくてもアップできるのは助かる。日記とかはyahooでないサーバーを借りているので、アップできず更新できない状態^^; 月曜日に帰ったら更新したいです。
 なぜか好評なこの話。何ヶ月も悩んだ挙句、答えが出ぬまま書き始めたのですが、ホッとしてます。
 ただ「ロックの大人の魅力」がやはり難しいです。うう。いつもすみません。難しいばっかり言ってて、努力はしているんですが。。。
 話が進んでおりません。ロックとの関係を問い詰められるセリスを書きたかったみたい^^; それにしてもなんだか単なるラブ話になってる~。あはは。 (04.3.29)

 大人になるっていうのは、経験を積み重ねていくことなんだと、感じるようになった。
 定義があるわけじゃなくて、その人の人生そのものが、大人になるってことだと。
 だから誰かを大人だと感じる瞬間は、その人の人生を垣間見る瞬間。
 決して知ることのない他人の人生に、少しだけ触れた気がする不思議な瞬間───

 

†  †  †

 

 ロックと二人で散歩をしながら、噂の崖まで行ってみることにした。
 時間的には少し早いから、幽霊に会えるかどうかはわからない。
「一体、何があったのかな」
 死して尚、地上に留まり続けている理由とは。
「生きている奴が引き止めているのかもな」
 ロックはムスッとした顔で呟いた。自分がレイチェルの魂を引き止めていたように───そう思っているのだろうか。
 暫く黙って歩いていると、私はわけもなく心がもやもやとしだす。
 もしロックが死んでしまったら……そんな愚かな想像をしてしまった。
 口を噤んで少し前を歩くロックに向かって、心の中で呟いた。
「置いていかないでね」
 声に出していないつもりだったのだがロックは突然立ち止まって私を振り返ると、手を差し伸べてくれた。
 草原が終わり辺りはごつごつした荒れ地に変わる。地殻変動の名残なのか、西側の海辺は無骨な岩肌だ。
「なあに?」
 不思議そうに私が手を伸ばすと、彼は大きな手で私の手の平を包んだ。
 私だって背が高いだけあって手は大きい方だ。だけどロックの手は更に大きい。背の高さだけ考えれば、同じぐらいでもいいはずなのだが。
「俺は、どこにも行かないよ」
 やっぱり私は口に出していたらしく、彼はしっかりそれを聞きつけていたようだ。
 私の全てを見透かし、受け止め、許している穏やかな瞳を向けられる。
 いつも子供みたいに悪戯っぽい目ばかりしているのに、突然こんな目をするのはずるいと思う。それとも私が知らないだけど、これもロックの一部として存在していたのだろうか。───考えてみれば彼は私より8つも年上で、もうすぐ30歳になるのだから不思議ではなかった。
 ロックはゆっくり私の前に立つと、握っていた手を離し私の額に指を伸ばした。
「思っていること、もっと言ってくれ」
 そのまま私の前髪をかきあげて頭を撫でる。どうしていいかわからなくて、ただなすがままになっていた。
「もっとお前に甘えてほしいんだ。他の奴には無理でも、俺には甘えてほしい」
 なんて幸せなことを言ってくれるんだろう。普段の私なら「そんなの無理」そう言っていたかもしれないけれど、何故か素直になることができた。
「うん……。ずっと、一緒にいてね」
 ロックなら受け止めてくれると信じることができたから。
 子供っぽいとばかり思っていたけど、やっぱり全然そんなことなかった。全てで私を包み込んでくれる人だ。
「……っかー!」
 おざなりに私を離したロックは、苦笑いで頭を振った。
「え? な、何かいけないこと言った?」
「お前が可愛すぎ。俺はこれでも我慢してんだから、な」
 何故かデコピンを放たれる。軽くだけどさ、少し痛い。
「ううう。何よそれぇ」
「あはは。悪い悪い。ところでさ、あの崖っぷちに、人影が見えないか?」
 顎で海の方を示され、私は目を凝らした。
「言われてみれば、そうね。誰かしら?」
「行ってみよう」
 私達が不思議そうに近付いていくと、人影がハッと振り返った。
「あ……ロックさん、セリスさん」
 薄暗いせいで表情まではよく見えないが、バツの悪そうな声を出したのはドマの男性だった。年齢はいくつだか知らないが白髪が多く40近く見える。
「えーと、カンラスだっけ?」
 ロックの問いに、男・カンラスは脅えたように頷いた。
「え、ええ」
「噂を聞いて?」
「ま、まあ……」
 なんだかこのカンラスとかいう男、妙に落ち着かなく見える。私ともロックとも目を合わそうとしないし、そわそわしているようだ。
「何か知っているの?」
 私が尋ねると、カンラスは明らかに硬直して動揺を露わにした。
「い、いえ。僕は別に……」
 俯いて言葉を濁すカンラスは怪しいけれど、同時に痛々しく思えた。
「小さなことでもいいの。心残りを無くして昇天させてあげたいのよ。ねえ、お願い」
 私が近付くと、カンラスは俯いたまま黙ってしまった。急がせても仕方ないから、私達は黙って彼が話してくれるのを待つ。
 だが、カンラスが口を開いたその時、
「あっ!」
 私は小さな声を上げていた。あの幽霊が現れたからだ。
 カンラスも驚いて振り返り、叫んだ。
「ユーリ!」
 私とロックは顔を見合わせる。あの女性の名前だろうか。
「おい……」
 ロックがカンラスに声を掛けようとしたが、私はそれを止めた。首を横に振って示すと、ロックも諦めて下がる。話を聞くのは後でもできる。とりあえずは成り行きを見守ろうと思ったのだ。
〈シラ……ド……〉
 幽霊は泣きながらカンラスに向かって手を伸ばしていた。だが近付いては来ない。崖上と同じ高さの空中に浮いたまま、はらはらと涙を流している───落ちた涙は宙に霧散していく。
 地縛霊とか言うやつで、その場から動けないのだろうか?
「僕を……恨んでいるのか───!」
 悲痛な声で叫ぶカンラスが、胸に痛い。何があったのかはわからないけれど、きっと辛い別れをしたのだ。
〈あなたなの……? 見えない。何も見えないの。真っ暗で、何も見えないよ……〉
 一体どういうことなのか、幽霊になったことのない私達にはわからない。
「ユーリ……僕のせいで……」
 カンラスはがっくりと肩を落とす。幽霊は聞いているのかいないのか、
〈あなたからもらった……を落としてしまって…………それから何も見えないの。きっと罰が下ったんだわ〉
「それ、は……」
 尋ね返そうとしたカンラスだが、さあっと彼女の姿が潮風に消えてしまい、呆然と立ち尽くした。
 暫く私達も黙っていたが、いつまで経っても動かないカンラスに痺れを切らしたロックが問いかける。
「あんたは一体?」
「……ああ、すみませんでした」
 カンラスは惚けた表情のまま振り返り、はにかんだ。
「シラドとは僕です。僕はまだ22なんですよ」
 その言葉に、私達は絶句する。どう見ても20代には見えなかった。顔に刻まれた皺や傷跡そして白髪によって、老いて見える。
「療養していた館から逃げたした僕達は、帝国にこそ見つかりませんでしたが魔物に襲われ、追いつめられて二人で海に飛び込んだんです。死のうと思ったわけじゃなかったけれど、波が荒くてうまく泳げず……結局、僕だけが助かりました。こんな姿になって」
 彼が王族であることを明かさなかったのもわかる気がした。人々に余計な事を言う必要もなければ、王族という存在が必要なわけでもない。辛い思いをして尚、何かを背負うことなどできなかったに違いない。
「彼女は、何故、昇天しないのか僕が知りたいぐらいだ。助けられなかったのに、静かに眠ってほしいだなんて虫がいいかもしれないけれど」
「あんたのせいじゃねーだろ」
 ロックが怒ったように言った。誰かを助けられなかったという思いが、分かりすぎるのだろう。
「あんたのせいじゃない。あんたが自分を責めても仕方ないんだ。わかってんだろ?」
「ええ。だけど、彼女が幽霊となって僕を捜していると聞いて───わからなくなりました」
 嘆息を飲み込んだロックは、頬を歪ませて言う。
「自分が好きだった女なんだから、人を恨むような奴じゃないって信じてやれよ」
 ロックのこういうところが、とても好きだと私はしみじみ思う。
「そう、ですね」
 困ったように苦笑いを浮かべたカンラス=シラドに、不思議に思っていたことを尋ねる。
「彼女、ユーリさんが言っていた落としたものって、何かしら?」
 それが無くなってから真っ暗だと言うからには、昇天できない理由なのかもしれない。
「多分、指輪だと思います。彼女の好きな色である桜色の貝を使った指輪です。戦時中ですから王族とは言え自由に使えるお金は多くなかったので、彼女にプレゼントできたのはそれ一つだった」
「指輪か……。海の中で失くしたとしたら、見つけるのは難しいな……」
 ロックが唸るように呟いた。確かにその通りだ。それが鍵だとするならば、永遠に見つからない可能性の方が高い。
「同じ物を作るんじゃダメかしら?」
 なんとか希望を捨てたくなくて、私は提案した。
「心を込めて贈れば、同じはずでしょ?」
「どうだろうなあ」
 それは受け取る人によるからなんとも言えないのだろう、難しい顔をしたロックは頭をかく。
「エドガーにも協力してもらって、ね?」
 カンラス=シラドは力無く首を横に振った。
「僕はあの時と同じ気持ちで指輪を上げることなんてできません。彼女への気持ちがなくなったとかいうわけではないけれど、後悔の方が遥かに強い」
「……あのさ、その方法が通用するかどうかはわからねぇ。だけどあんたがそんな風に思ったら、彼女が可哀想だろ? 絶対に、彼女はあんたを恨んでなんかいない。それとも、彼女が昇天しない方がいいと思ってるのか?」
 少し責めるような口調のロックだが、自分と重なる彼を励ましたいのだろう。
「いいえ! まさか。……そうですよね。わかりました」
「じゃあ、どんな指輪だったか図案書いて、エドガーに送りましょう? なんとか形にしてもらえるだろうから」
 話がまとまり、翌日、早速行動に移すこととなった。

 

†  †  †

 

 4ヶ月後、私達は再び海岸にいた。
 なんどか手直しをし、カンラス=シラドが「そっくりだ」と言うまでに同じ形にした指輪を持って、ユーリを待っていた。
 カンラス=シラドはあれから毎晩、ユーリと邂逅を繰り返したらしい。
「待っていてくれ」
 そう伝え続けたらしい。
 そう言っている間に、後悔よりも彼女に安らかに眠ってほしいという気持ちが勝るようになったと、今朝言っていた。
 ロックとカイエンと私に見守られ、定刻、ユーリはカンラス=シラドの前に姿を現した。
「指輪を、持ってきたんだ」
 カンラス=シラドは静かに語りかけて、右手を差し出した。手の平の上には一つの指輪。
〈シラド……?〉
 するとそれまでその位置から微動だにしなかったユーリが、すうっとカンラス=シラドの前に進み出たのだ。
「もう一度、君に贈るよ。僕はこんな姿になってしまったけれど、君への気持ちはあの時と変わらない」
〈ああ、明るいわ。私のなくした指輪……こんなところにあったのね〉
 ユーリの表情が驚くほどに明るくなった。
〈ありがとう、シラド。あの頃と変わらず、あなたは優しい。本当にありがとう〉
「……君に……」
 カンラス=シラドは涙で声を詰まらせながらも、残り僅かだろう時間を考え言葉を紡ぐ。
「もう会えないのは辛いけれど、君が……暗いところを、彷徨っているのはもっと辛い」
〈私は大丈夫。もう一度、あなたに会えた。だから、大丈夫〉
 囁くような声のユーリが、淡い光に包まれ始めた。
「ユーリ!」
〈さよなら。あなたが幸せに生きることを、誰よりも願ってるわ───〉
 最初にセリスが聞いた悲痛な声とは全く違う晴れやかな声で言ったユーリは、優しくカンラス=シラドを抱擁した。
「僕も、ありがとう」
 最愛の人に最上の笑みを浮かべたユーリは光と化し、そのまま闇に散っていった。
 よかった……。本当に、よかった。私は胸が詰まって、思わず涙ぐんでしまう。
 別れは辛いけれど、素敵な別れもあるのだと、そう思えた。きっとロックとレイチェルさんもそうだったのだろうと。
 しばし別れの余韻に浸っていたカンラス=シラドだが、大きく息を吐くと振り返って頭を下げた。
「色々、ありがとうございました」
 だが私達は、ただ絶句していた。
「カ、カンラス……」
「その姿……」
 呆然と呟く私達にキョトンとしたカンラス=シラドは、自分の姿を見ようとしたが顔を見ることは叶わない。
「若返ってるでござる」
「ええっ!!! ほ、本当ですか?」
 カンラス=シラドは自分の顔をぺたぺたと触った。
 若返ったというのはちょっと言葉として変だが、そういう風に見えることは確かだ。
「きっと、ユーリがあんたを想う心の力なんだろうな」
 小さく笑うロックは、少し複雑そうな表情に見えた。
「帰って鏡を見た方がいいわ」
 私は明るく言う。いいことがあったのだから、湿っぽくしない方がいいと思ったから。
「そうでござるな」
 カイエンも頷き、私達は城へ戻ることにする。
「……レイチェルさんも、ああして幸せに逝ったのね……」
 草原を歩きながら、ぽつり、私が呟くと、ロックは私の頭を一撫でし、頷いた。
「ああ。だから俺は後悔の呪縛から解き放たれた。お前と向き合うことができた」
「幸福な死なんて有り得ないけれど、気持ちよく死に逝ける、素敵なことね」
 たくさんの人を無下に殺してきたからこそ、そう思う。
「そうだな。死は誰にでも訪れるからこそ、心残りなく逝かせてやりたいと思うよな」
「…………ええ」
「俺達も、何十年もすればどちらかが先に死ぬだろう。その時まで、一緒に、幸せでいよう」
「うん」
 将軍時代の私は死を恐れていなかった。だけどそれは投げやりだったからだ。だけど今は違う。
 満たされているからこそ、いつか訪れるだろう死を受け入れることができる。恐くないわけではないけれど───。
 きっと、私は、一つ、大人になった。

 

・ fin ・

 

■あとがき■

 毎度、ラブラブのロクセリタイムでございます。(ちり紙交換風に)
 4話で完結となりました。大体、考えていた内容通りに進むことは余りありません。書いてみると内容の量が思っていたより多かったり少なかったりするためです。
 しかし今回は全話大体同じぐらいの長さにできました。うーん、嬉しい。別に同じぐらいの長さにする必要はないんだけどさ、なんとなくね。
 しかし幽霊話としてもラストは、ちょっと丸く収まりすぎた気がします。うーん、もう少しドロドロするはずだったんですが。。。それは難しかったみたい;;
 これをもって、Larainbowさんに捧げたいと思います。「大人の魅力」が物足りなかったら申し訳ありません。さりげない大人っぽさを目指したんですが、いかがでしたでしょうか? 題名と中身はあんまりマッチしてない気もします^^; 許してください~。
 結局、週一アップのまま来てしまいました。ううう、すみません。
 次は携帯版のリクによるセツリル連載3話の予定。セツリルって年齢差がありすぎて難しいんですよね。やっぱり紫の上風がいいのかしら? でもリルムって天然癒し系であって、紫の上とかとは全くタイプが違うからねえ。頑張ります。 (04.04.04)

【この頁で使用させて頂いた素材サイト様】 ClipArt:◇†◇ Moon drop ◇†◇

Original Characters

ユメカ ドマ出身。26歳の色っぽい大和撫子。未亡人。(他の登場小説「Flower」)
シラド ED後ドマの海岸に出る幽霊が求める男。
ソラ ドマ出身。若い少女の仲良し3人組のリーダー(21歳)
アカネ ドマ出身。若い少女の仲良し3人組の一番年下のぽっちゃりさん(16歳)
チェリー ドマ出身。〇若い少女の仲良し3人組の一人。ロックが好き(20歳)
カンラス ドマ出身。ドマの男性。白髪が多く40歳ぐらいの容貌だが実は若い。
ユーリ ドマ出身。ED後ドマの海岸に出没する女性の幽霊。