うたかた

 帝国を裏切り、死刑になる覚悟を決めたセリスに聞こえたのは、不思議な声だった。
≪生きる選択肢を持たない哀れな少女よ≫
 最初、自分に言われてるのだと気付かなかった。確かにその通りだけど、自分で自分を可哀想だとは思いたくなかったから。
 だけどこんなところで声をかけてくるような者が存在すること自体おかしい。
「誰……?」
 セリスは小声で尋ね、辺りを見回した。サウスフィガロの北側に建つ金持ちの屋敷にある地下室は、拷問部屋なのか壁に鎖が付いている。冷たく無機質な石の壁。何もない部屋には椅子と桶があるだけだ。
 今、部屋の中には誰もいない。扉の外で兵士が上官を待っているはずだった。
≪生きたいか?≫
 セリスの何者なのかという問いには答えず、声が尋ね返してくる。姿も見えない声は頭の中に直接響いてくるような気がする。幻聴なのかもしれないけれど、セリスは呟いていた。
「いいえ……」
 どうやって生きればいいかなどわからない。帝国の追跡から逃れる日々を想像しても、明るい未来ではないことは確かだ。
≪希望を知らぬお前に、一つの道を与えよう≫
「……道?」
≪少しするとお前はある男に助けられる。その男は深い傷を抱えている。男が傷を乗り越えられたなら、お前は救われる≫
「どういう意味?」
 唐突すぎて全く意味がわからない。大体、自分を助けてくれる男などいるものか。絶望した自分は、ついに頭がおかしくなってしまったのかもしれない。それとも、本当は助かりたいのだろうか。
≪お前は男を愛するようになるだろう。その男には、愛する者がいる。お前が男の愛を勝ち取ったなら、お前は生きることができる≫
「何を言って……」
 自分が誰かを愛する? 愛を勝ち取る? 想像もつかなくて、逆に呆れ返ってしまう。
≪もし男がお前を選ばなかったら、お前は泡となって消える。それでも生きたいか?≫
「……なんのために……?」
 そこまでして、まだ見たこともない男に対する賭けに乗る理由などなかった。
≪ケフカを倒さなければ人々が苦しみ続ける。自分が死んだ後の世界は関係ないと?≫
「そんなことはない!」
≪ならば生きろ。もし、男がお前を選ばなかったとしても、お前がこの剣で男の心臓を一突きすれば、お前は生き残ることができる≫
 誰もいない空間に、銀色の短剣が浮かんだ。柄に水色の石が埋め込まれ、美しい透かし彫りが刀身に施してある。どちらかというと宝飾用で戦う為の剣ではない。
「私はこれ以上人を殺してまで生きたくなど……!」
 セリスは激昂しそうになったが、廊下の兵士に気付かれたら困ると唇を噛みしめた。
≪それは選択肢の一つに過ぎない。お前が選ぶのだ≫
「………………」
 セリスは視線を落として俯いた。どうすればいいのかなど、まったくわからなかった。
 その時、扉が開いた。目の前にあった短剣は無くなっている。
「待たせたか? セリス将軍」
 皮肉たっぷりの笑みを浮かべた伍長が言った。つい先日までセリスにゴマを擦っていたくせに、偉い態度の変わり様だ。
 伍長には目もくれず無視したセリスに、最後の言葉が聞こえる。
≪短剣はお前の荷物に入れて置く。帰り、最奥の物置で取って行け≫
「………………」
 セリスは肯定の返事をしなかったが、それ以上謎の声はしなかった。
「馬鹿な女だ」
 近付いてきた伍長は警棒を手の平の上で弾ませる。拷問というよりはただの制裁リンチが目的だろう。
 あの声の言葉が本当なのか、希望を抱いたことのないセリスにはどうでもいい話だった
 だから、伍長が出ていって見張りの兵士が居眠りを始めた時、誰かが入って来て色々な意味で驚いた。
 明らかに帝国兵ではない。黒皮の細身のパンツ、同素材の上着、額に巻いた青いバンダナ。これが、声の言っていたセリスを助ける男なのか……セリスは不思議そうに男を見上げた。
 少し童顔で優しげな顔立ちをしているが、濃紺の瞳は真っ直ぐな光を宿している。
「お前は……?」
「リターナーに汲みする者、ロック」
 名乗った男に、セリスは納得する。リターナーならここにいる事も頷けた。帝国軍を足止めしたのもこのロックだろう。細身だが均整のとれた筋肉がついているし動きに無駄がない。それなりにできる、セリスはそう判断した。
 それにしてもこの男が……? ロックをまじまじと見る。精悍な顔立ちで整っているが、自分が愛するようになるだろうとは思えない。相手が誰だとしてもそう思えなかっただろう。
 あんな言葉に惑わされるな! そう己を叱咤したが、ロックの放った言葉に耳を疑った。
「行くぞ!」
「私を連れてか!? いいや 無理だ。走ることができない。ありがとう…。だが、仮にお前が私を連れ出しても守りきれるはずがない。 それならばいさぎよく死をむかえた方が……」
 セリスは何者かに与えられた機会に縋るなど愚かだと、首を横に振った。しかしロックは引かなかった。
「守る! 俺が守ってみせる! 行くぞ!」
 断言され、惚けていたセリスは手首に付けられていた戒めを解かれ、床にしゃがみ込む。
 黙って差し出されたロックの手を取ってしまったのは、何故だったのか──。自分にも、わからなかった。

 

†  †  †

 

 荷物に短剣を見つけたとき、あの正体不明の声は真実を告げたのかも知れないと思った。
 だけど誰かの思惑通りになるのなんて嫌で、決してロックに惹かれないようにしようとしていた。それなのに、気持ちは勝手に動き出すもので、一度自覚してしまうともう止められなかった。
 声の言葉が嘘ではないと確信したのは、レイチェルの話を聞いた時だった。例え短剣が存在しても、あの話が嘘であってほしいと思っていたセリスはショックに言葉も出なかった。
 自分が消えてしまうだろうことは恐くない。元々、既に死刑になっていた身だから。ケフカを倒すことさえできれば心残りなどなくなる。
 ロックの優しさを勘違いしてなどいない。わかっていた。しかしどこかで期待していた部分があったのだろう。何かある度に胸が痛かった。
 オペラ座で好きだと言われた時も、信じていいのかどうかわからなかった。レイチェルの代わりかという問いに対し、ロックは答えなかったから。
 もし信じてしまえば死ぬのが辛くなる。もう一度絶望を味わうことになる。だから信じないようにしていた。
 魔導研究所で信じてもらえなかったのも、自分が信じなかった報いだと思った。消えてしまうだろうことを覚悟した。だけど、消えなかった。ロックがセリスを見捨てたわけではないということに気付き、再び彼等の仲間へと戻った。
 その後、魔大陸に乗り込み、ケフカを倒せず散り散りになった。
 セリスが希望を持てたのは自分が消えていない事実だった。白い鳥の付けていたバンダナを信じ、仲間を、ロックを捜す旅に出た。
 短剣は失われていた。捨てるつもりだったそれは、不要なものだから構わなかった。何があっても、ロックを殺したりはしない。彼の人生は彼自身のものであり、その選択をセリスが非難することなどできるはずもないのだから。

 

†  †  †

 

 何者かがフェニックスの秘宝を捜していると聞いたときは、心臓が止まるかと思うほどに驚いた。
 ロックはまだレイチェルを諦めていない──その事実はセリスを打ちのめしたが、それでも彼女は前へ進むことを選んだ。
 自分が消えるのは、せめてケフカを倒してからであってほしいから。
 しかし、フェニックスの洞窟でロックと再会し、ケフカを倒す前に、ロックが選択する時が来てしまった。
 悲しかったけれど、最初からわかっていたことだ。セリスはそう諦めた。
 帝国に縛られていただけの人生でなく、自分の意志で考えて生きることができた。短い間だとしても、それは彼女にとって貴重な財産で──それだけでセリスは満足だと考えることができたから。

 ロックがレイチェルを蘇らせようとしている間、セリスはコーリンゲン近くの海岸にいた。
 レイチェルの遺体が置かれたコーリンゲンの家の前で待つことも考えたが、いつ自分が消えるのかわからない。彼の目の前で消えたら、優しい彼はショックを受け傷付くだろう。
 飛空艇に手紙は置いてきた。もし自分が消えたら、皆捜すかもしれない。それは時間の無駄となる。
 内容は簡潔に、余計なことは一切書かず自分の命に期限があったことだけを記した。それだけで充分だろうう。
 波が打ち寄せる砂浜に座り、膝を抱えた。
 夜の波打ち際は昼間と打って変わり、もの悲しい。水平線も見えず黒く塗りつぶされたような海に飲み込まれそうな気がしてくる。
 ぼうっとしながら、つい最近リルムに聞いたお伽噺を思い出していた。『人魚姫』と呼ばれる話は、少し自分と似ている。だけど人魚姫よりは不幸じゃないと思った。
 人魚姫は勝手な勘違いをしていた。人間になれば幸せになれると。自分は違う。勘違いなどしていないし、覚悟をしていた。その上で時間を過ごせたのだから。
 ケフカを倒せず逝かなければならないことは気がかりだが、仲間達なら必ず遂げてくれると信じられる。
 寄せた膝に顎を乗せて、波打ち際を見つめる。寄せては返すだけの波が落ち着くのは何故だろう? そんなことを考えていた時だった。
「セリス!」
 名を呼ばれて肩を震わせた。驚いたまま振り返ると、ロックが一人で立っていた。
「飛空艇に戻ったら、散歩に出たとか聞いたから……」
 ロックが歩み寄ってくる。
 来ないでほしかった。ロックの前で消えたくないのだ。彼を傷付けたくない。
 だけど動けなかった。逃げる場所などない。震える足を押さえ、ゆっくりと立ち上がりロックの方を向く。
「レイチェルは……安らかに逝ったよ」
 ぽつりと漏らしたロックの言葉に、驚愕の表情で目を見開いたセリスは言葉が出てこない。
「俺のせいで魂をずっと地上に留めてしまっていた。すげえ、勝手なことした」
「…………そん、な……」
 ロックは選べなかったのだ。彼の前に選択肢などなく、レイチェルを選べなかった。その結末に、セリスは涙が溢れるのが止められなかった。
「なんだよ、お前が泣くなよ」
「だって……」
 嗚咽を堪えるセリスに、ロックの手がゆっくり伸びてくる。子供をあやすように優しく抱きしめられて、余計に悲しくなった。
「あなた、ずっと……そのために……」
「まあな。レイチェルに怒られたよ。過去に捕らわれて真実に気付けないなんて俺らしくないってな」
 囁きながら、ロックは止まぬ涙に苦しそうなセリスの背をさする。
「気付いていないわけじゃなかった。わかっていたんだけど、俺は後悔に囚われたままで、動けなかったんだ」
 何も答えないセリスを困ったように見て、ロックは抱きしめていた腕を少し緩める。彼女の顔を覗き込んで、優しく微笑んだ。
「お前を愛してるのに、俺にはその資格がないとか考えてた。ごめんな」
 言葉と共に頬に口づけを落とされ、セリスは硬直する。
 瞬き一つできずに、ロックを見た。ロックは苦笑いしてセリスの頭を撫でる。
「なんでそんな顔してんだよ」
「…………ばか」
 様々な想いを言葉にできずそれだけ小さく言うと、ロックは頭をかいて再びセリスを抱きしめた。先程より力強く。
「だから、ごめん。……それとも、もう遅い?」
 本気で言ってないのだろう問いに、セリスは首を横に振った。
「ばかぁっ!」
 セリスは駄々をこねるように叫ぶ。自分が消えてしまう覚悟をしていたのに、そんな言葉だけで済ませるなんて……。そう思ったけれど、同時に嬉しくて、既にロックを許してしまっている自分がいた。
「わかってる。俺は馬鹿なんだ」
 開き直ったのかロックはそう呟き、涙に濡れぬセリスの頬に再び口づけた。
 苦しそうに嗚咽を漏らすセリスの喘ぎを、ロックは自らの唇で塞ぐ。
「絶対、離したりしないから───」
 泣かないでくれ、と唇を重ねたまま囁かれ、セリスは更に涙を落とした。


 何故、人魚姫は幸せになれなかったのか。
 声を失わなかったら?
 死ぬことがなかったら?
 ───気付かない王子が愚かなんだよ
 ロックなら笑ってそう答えるだろう。知らなくとも愚かにならずにすんだ彼ならきっと……

 

■あとがき■

 ご愛顧ありがとうございます!(どこの会社の挨拶だ?) 一周年記念・持ち帰りフリー創作です。
 ありがちですが、手ネタにするつもりでした。だけど、何故か断念。そして、何故か「人魚姫」モノに……^^; ネタ切れ? でも完全なパラレルではありません。FF6世界で人魚姫チックというだけです。パラレルも考えたんですが、だって人魚姫は悲恋だしね。
 いつものパターンだと、ロックが真実を知ってセリスが傷付いていたことを後悔するんですが、そういう展開にはしませんでした。あと、セリスは消えちゃって、ロックが彼女を取り戻す旅に出たで終わりにするっつーのも考えたんですが、「声」の主を矛盾しないように考えなければならなくなるので断念……いつか書くかも?
 かなり場面が飛び飛びですが、ほとんどはゲーム中と変わらないということで短い説明で終わりにしてます。いちいち書いてたら、また連載になっちゃう……^^; 持ち帰りフリーなのに連載ってわけにもいかず、許してください。
 最後の場面ちょっと『薔薇の真実』と似てますね^^; ていうか同じ場所。これも許して~。向こうも読みながら、同じ展開にはならないようにしました。ちなみにゲームでレイチェルは怒ったりしません。けど話の流れで勝手にそうなりました……あはは
 この声の主は……セリスの死んだ両親だと桜は考えています。ずっとセリスの守護霊となってきたけれど我が子の絶望に耐えられず、何らかと取引をした、と。人魚姫では「声」を失いますが、守護霊である両親が消える代わりに、みたいな……意味不明な裏設定でした。(04.02.15)
 文章補正および完全CSS化に伴う体裁修正、また印刷時別CSSによるスタイル指定を行いました。(06.01.29)

 現在はフリーという扱いをしていませんのでご注意ください。フリー小説ではなく、転載禁止となっています。(21.08.29)

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