夜明けを待つ鳥



 あなたの優しさの意味が……その視線の理由が……

   やっとわかった。

 

†  †  †

 

 コーリンゲンを出てから、セリスはロックを避けていた。避けずにはいられなかった。
 共に旅をしているエドガーとマッシュはどう思っているのか、今のところそのことを言及されてはいない。
 当のロック本人は難しい顔をしているが、避けられていることに気付いているのかどうか怪しい。彼が苦悩する理由は、一番にレイチェルのことがあるだろうから。
(どうして私はこんなに動揺しているんだろう?)
 自分でもわからず、セリスはただもやもやする胸の中がたまらなく苦しくて、どうしていいかわからない。
 一つ言えるのは、ロックを見ると更に苦しくなるということだけだ。
 どうしてこんな気持ちになるんだろう?
 それはコーリンゲンでレイチェルの話を聞いてからだった。美しく清らかな女性。ロックの死んだ恋人。生き返らせたいと願っている最愛の人───
 セリスを助けたとき、ロックは「似ているんだ」そう言った。似ているとはレイチェルのことだったのだろうか? 容姿は全く似ていない。栗色の巻き毛に小柄なレイチェルと、金髪で大柄なセリスは背格好すら似つかないのだ。声は知らないが、そういうことではないだろう。
 絶望して死に行くセリスを見捨てることができなかったロックは、帝国軍に殺された恋人とセリスを重ねたのだろう。帝国に追われていたティナも助け、そして再び彼女を捜そうとしている。未来を見失っている女を放っておけない───それがロックだと気付いてしまった。
 苦しいのはそれからだ。彼の弱さが許せないわけではない。傷付いているセリスがそんな風に思えるわけがない。自分も多くの人を殺してきた。レイチェルですら自分が殺したことと同じなのだ。
 自分の犯してきた罪を今さらながらに突き付けられたことが辛いわけではない。とっくに覚悟していた。勿論それも辛いけれど……もっと違う何かだ。何かが苦しい。だけど、どうすれば楽になれるのか、まったくわからなかった。
 自分ではポーカーフェイスなつもりだが、それは表情だけだ。セリスはロックから視線を逸らし距離をとっている。これでは顔に出さずとも避けていることは明白。
「ため息、何回目だい?」
 遅れて歩いていたセリスに歩調を緩め並んだエドガーが優しく尋ねた。気障ったらしいところが鼻につき、正直、彼が苦手だ。軽い口調の割には物事をよく見ていて、全てが見透かされてしまいそうな気がしてくる。
「……ため息なんてついた?」
 自分でも気付いてなかったセリスは、疲れた表情でエドガーを見る。肩をすくめた軽薄な砂漠の王は、
「君の気持ちはわかるけど、溜め込んでいるのはよくない。よかったら話を聞くけれど」
 裏のなさそうな笑みを浮かべる。しかし言えるはずがなかった。ナルシェでされた忠告を忘れてはいない。
『ロックもいろいろと過去をもつ男だ。さっき君をかばったのを、愛情だとかん違いしてほれちゃいけないぜ』
 またそんなようなことを言われるに決まっている。ロックの行いを元々愛情だなんて思ってはいなかった。
 恋や愛というのはその人が大事で愛しくて仕方がなることだとセリスは思っている。憎しみにも近いこの黒く渦巻く感情が、そんなものであるものか。
「なんでもないのよ。徒歩の長旅は慣れないから少し疲れているみたい。心配かけてごめんなさい」
 殊勝な態度で交わしたつもりが、エドガーはそんなに甘くはなかった。
「───ロックを、愚かな男だと思うか?」
 ずっと気になって仕方がない人の名を出され、セリスはどきりとするが顔には出さず首を傾げた。
「え?」
「死んだ恋人を生き返らせようなんて、本気で信じてる。愚かだと思うか?」
「……いいえ。そういう悲しみを持つ人をたくさん生み出してしまった私の方が愚かだわ」
 これは正直に答えた。だがエドガーは首を横に振ると、
「そういうことじゃないよ。選択肢のなかった君を愚かだと言える者もいないはずだ」
「………………」
 エドガーは思っていたより公平な男だ。広い視野で物事を見ている。王として教育されてきたからなのか──。
「失われた何かは決して手に入らない。だからこそ人は大事な何かを失わないように努力する。失われたものが手に入ってしまうなら努力はなくなってしまう」
「ロックはそんなことは──」
「ああ。そうだな。奴は失われたものを手に入れるために努力し続けている。かといって全く周りが見えていないわけでも未来を見ていないわけでもない。自分と同じ想いをする人が少なくなるようにとリターナーに協力し戦っている。アンバランスな男だ」
 セリスはそれには答えなかった。確かにその通りかもしれないと思ったから。
「誰かを守ることに執着してしまうのは、後悔が拭えないからだろう」
「そうね。レイチェルさんが早く生き返るといいわね」
 何気なく言ったつもりが、セリスは自分の言葉に戸惑う。自分はそんなことを望んでいるのだろうか? そんなことさえ考えてしまう。生き返った方がいいに決まっている。ロックはそれを望みそのために生きているのだから。
 セリスに対してあんなに必死に守ると言った彼は、贖罪を続けているのだ。そんなの辛すぎる。
「私はそうは思っていないよ」
 意外なエドガーの返答に、セリスはギョッとした。親友とも呼べるほど仲の良い二人であるのに……。
「乗り越えるとはそういうことではないからね。少なくとも私はそう思う。……奴も、そのことに気付きつつあるのかもしれないな」
「……え?」
 そういえばロックの態度もおかしい。よそよそしいとかではないが、いつも考え込んだような様子だ。
「君がロックを避けているのは、君はロック以上に真っ直ぐだから、奴の弱さが許せないのかと思ったよ」
「まさか……私は真っ直ぐなんかじゃないわ。自分のしていることに気付きながら、ずっと見て見ぬふりをしてきたんだから」
「それで、どうして帝国を裏切ったんだい? 見て見ぬふりができなくなったからだろう? 己の死と引き換えても、その行いに耐えられなくなったからだろう?」
 図星だった。セリスは俯いているだけで答えることができない。
「私は奴を愚かだと思うよ。自分の行動が他人にどう映るか気付いていない。それによって傷付くかもしれない者がいるなど思ってもいない」
「そんなこと……!」
 セリスは否定しようとして、途中でやめた。なんと続ければいいのかわからなかったからだ。
「君は、傷付いていないか?」
「私は……傷付く理由もないわ」
「そんな傷付いた顔をして?」
 言われて頬が熱くなったのを感じた。一体、自分はどんな顔をしていたというのだろう。帝国を裏切ってから、冷酷な将軍の仮面を脱ぎ捨ててから自分で思っているほどポーカーフェイスがうまくできなくなっているかもしれない。
 様々な感情が込み上げ、不覚にも泣きたくなってしまった。シド博士が涙はストレス物質を体外に出そうとする生理現象だと言っていたから、相当ストレスが溜まっているらしい。
「……すまない。ただね、奴に惚れるなら、相当の覚悟がいるぞ」
「そんなつもりは……」
 言い返そうとした声が涙声で、セリスは言葉を詰まらせた。
「人がいつどこで誰に惹かれるかなんてわからないよ。どんなに嫌な奴でも、欠点があっても、無駄だとしても、惹かれてしまったらそこまでだ。ただ、死を覚悟して帝国を捨てたというのに待っていたのが辛い恋では、と思ってね」
 セリスは気付かなかったが、エドガーは誰にも見せたことがないような悲しそうな表情をしていた。
(違う。有り得ないわ……。そんなんじゃない……)
「心配しないで。違うわよ」
 頑なに認めようとはしないセリスに、エドガーはそれ以上何も言わなかった。彼女自身、認めたくないということに気付いたから。
 それから暫く、黙ってマッシュとロックの背中を見つめて歩いていると、
    ギュォォォン
 甲高い声がした。
「魔物!?」
 4人は一斉に身構え、
「どこ!?」
 セリスは辺りを見回した。
「セリス! 上だ!」
 エドガーの叫びにハッと気付いた時には急下降したハゲ鷹に似た鋭い嘴を持つ魔物ヴァルチャーがセリスに迫っていた。
 腰に差していたルーンブレードを咄嗟に振るったが、別方向からもう1匹が迫っていたことに気付かなかった。
(避けられない!)
 諦めて身を固くしたセリスだが、ものすごい勢いで突き飛ばされると草むらに転がった。顔のすぐ近くをヴァルチャーが掠っていき、ヒヤリとする。
「大丈夫か?」
 セリスを突き飛ばしてくれたのはすぐ傍にいたエドガーだ。
「ええ」
 頷いて起きあがろうとしているセリスを庇うように立ちふさがり、再び襲いかかってきたヴァルチャーを鋭い槍の矛先で仕留める。
「お前等、離れて歩きすぎなんだよ」
 呆れ声で近付いてきたロックが呟く。聞かれたくない話をしていたせいだからだが、それを言うわけにはいかずエドガーは肩をすくめる。
「怪我してねーか?」
 ロックに尋ねられ、ボディスーツに着いた埃を払っていたセリスは首肯する。
「ええ。エドガーが庇ってくれたから、私より彼の方は……?」
「あいつはいーんだよ。男だろ? お前、頬、引っ掻かれてるじゃねーか」
 ロックの指が伸びてきて、セリスは咄嗟にそれを払ってしまった。
「…………」
 何が起こったのかとロックは目を丸くしている。純粋な好意が誰にでも受け入れられると思っているわけではないだろうが、彼女は仲間だ。
「あ、その、大丈夫だから」
 その指を受け入れることなどできなかったくせに、後悔したセリスはしどろもどろに答えた。
「……ならいいけど。顔に傷残したりしたら困るだろ?」
 少しだけ拗ねたような表情のロックだが、セリスはそんなことより向けられた言葉に眉根を寄せた。
「困らないわ」
 一般的に言う「嫁にいけなくなる」というやつだろうか。だが、セリスは自分が嫁にいけるなんて思ってはいない。マランダを滅ぼした自分を誰が嫁にもらってくれるというのだろう?
 一方、何気なく言っただけの言葉に不機嫌そうな表情をされ、ロックは戸惑う。
「いっそ、傷ぐらいあった方がきっといいのよ。私はそれだけの罪を犯したのだから」
 怒っているようで、セリスは諦めているようでもあった。ロックは肩を落とし呟く。
「んなこと言うなよ……」
 セリスはただ虚しくて何も答えることが出来ず、先に歩き出していたエドガーとマッシュを追うように足を進めた。

 

†  †  †

 

 その夜、眠れないセリスは崖の上から海を見つめていた。
 ジドールまではまた半分の距離しか進めていない。毎日が息苦しく、自分が自分でなくなっていくようでただ恐い。
 武道の基礎として習得した呼吸法を繰り返し、ゆっくりと気持ちを落ち着けていく。慌てず答えを見つけようとせず、気にしないようにすればいいのだと自分に言い聞かせる。
 30分ほどすると、胎内と似ていると言われる海が潮騒を奏でるせいか、不思議なほど心が静かになった。
 しかしホッとしたのも束の間、
「セリス……?」
 背後から掛けられた声に、びくりと背筋を硬直させる。一気に心拍数が上がった気がした。せっかく落ち着けたのに、気のせいだったような気がしてくる。
「なに?」
 できるだけ普通に振り返ったつもりだったが、声色は固く表情は強張っていた。エドガーに余計なことを言われたせいか、ポーカーフェイスどころじゃなくなっていた。
「あのさ…………」
 言いにくそうに視線を逸らすロックは、何を言おうとしているのだろう。セリスは逃げ出したくて仕方がない。
「俺に、失望したか?」
 彼の口から出た言葉は、セリスの想像とは全く違うものだった──具体的な何かを想像していたわけではないが。
「……何故?」
 何故、彼がそんなことを聞いてくるのかわからない。何に失望すると言うのだろう? だけど不思議に思うのと同じぐらい動揺していた。そうだ。自分は失望している───でも、何に?
「レイチェルの話をしてから、お前、変だからさ。お前には話しておきたかったんだけど、……他人から見ると、滑稽か…………」
 どうして自分に話しておきたかったというのか。
(勘違いしないように……?)
「滑稽だなんて、そんな風に自分で言ったらだめよ。驚いたけど決してそんなことはないわ。そんな風に取り戻したいと想える人がいるのは、すごいことよ」
 自分が口にした励ましは随分、薄っぺらいものに思え、セリスは己の愚かさを呪いたくなる。だけど他にかける言葉を持っていなかった。取り繕うように続ける。
「私なんて、そんな人達を引き離し、殺すことしかしてこれなかった───」
「でも、それはお前の罪じゃないだろう?」
 セリスの傷に触れてしまったことに気付いたのだろう。今度はロックが励まそうとする。
「いいえ。私の罪よ。マランダに攻撃を仕掛けている途中からおかしいと気付いていた。だけど途中でやめることはできなかった……私の罪だわ」
 力無く首を横に振ったセリスに、ロックは一歩近付く。反射的に後ずさったセリスは、後ろが崖だったことを思い出し足を止めた。
「少なくとも俺はお前を責めはしない。迷って苦しんでそれでも殺さなければならなかったとすれば、辛かっただろう?」
「─────────」
 確かに辛かった。ずっと涙を我慢してきた。心を凍らせて冷酷なフリをし続けるのは容易ではなかった。だけどそれをロックに告げるのは、彼に弱音を吐くのは(はばか)られた。
「俺は……迷ってるんだ」
 ロックはぽつりと呟く。話を戻したのだろう。セリスは不思議そうに彼を見た。
「俺のしようとしていることは正しいのか。迷ってる……」
 顔を歪める彼は痛々しくて、
「正しいか間違っているかなんでどうでもいいじゃない。あなたがどうしたいかよ? あなたがレイチェルさんを取り戻したい、その想いが一番重要じゃない。迷う必要なんてないわ!」
 そう語りかけた。だがロックは小さく首を横に振る。
「魂を(もてあそ)ぶことになるような気がするんだ。俺がどうしたいか、そんな勝手なことで死者を甦らせるなんて許されるのか…………。それ以上に……」
 言葉を句切ったロックは、顔を上げてセリスを見つめた。薄暗くても自分を真っ直ぐ見ているとわかる視線に絡め取られ、セリスは動けなくなる。
「悪い。なんでもねーんだ。ただ、なんかお前、思い詰めたみたいな顔してるからさ」
「わ、私は大丈夫よ。いざ帝国を抜けて考える時間ができると、自分のしてきたことが思い返されるだけ。償いにはならないとしても、これからは少しでも多くの人を助けるためにケフカに立ち向かうんだから!」
 なんとか笑顔を作って言った。が、ロックは先程と変わらぬ真摯な表情で、
「お前が気負うのはわかるけど、無理はするなよ。……守ってやるなんて言ったのに、恋人に死なれてるんじゃ不甲斐ねーかもしんねーけどよ。弱音ぐらい、受け止めてやるから」
 そんな風に言われたら、全て吐露してしまいたくなる。受け止めてくれるのはセリス自身ではないとしても、錯覚してしまいそうになる。
(私は何を馬鹿なことを考えているの……)
 自分自身を受け止めてほしいなどと、そんなことを考える浅ましさが許せない。
「ありがとう。でも大丈夫。ロックと話したら少しすっきりしたし」
 さきほどよりもうまく笑えたのだろう。ロックは納得したのか、
「んじゃ、もう寝ようぜ。明日、辛くなる」
 焚き火の爆ぜる方を見た。エドガーとマッシュがカップを持って何か話している。
「うん。もう少しだけ。先に眠っていて」
「わかった。早く寝ろよ」
 ロックの姿が離れるのを確認すると、セリスは力が抜けてしゃがみこんだ。
 なんでもないのだと気を張っていたせいでどっと疲れてしまったのだ。
 ロックは少し変わった気がした。セリスに向ける視線は以前より少しだけ同情を含まなくなった。セリスを一人の仲間として認め始めたのだと、そう思おうとする。誰にでも真っ直ぐだから、彼は自分に正直に生きているんだろう。そういうところは、とても羨ましい。
 何かを求めることが恐ろしく、資格すらないのだと考えてしまう自分はひどく臆病になっている。わかっていたが、どうしようもなかった。
 自分の愚かさのために自分が傷付くのは、もう充分だったからだ。
 心に(かげ)りを落とす(もや)は拭えず、余計に苦しさが増してしまった。いつになったらこの苦しみがなくなる日がくるのだろう。
 セリスが殺してきた人々を思うよりも辛い胸の痛みが、他人を思いやるより自分のことしか考えていないようで余計に苦しい。
 罪は一生消えることなく、罰は付きまとうのだろう。自由選択でなかったとしても、彼女が生きてきた結果なのだから───

 

■あとがき■

 22222hit! ゆうさんのキリリク『互いに想いあっているのに、なかなか繋がらない、そんな控えめなロクセリ。』のお話です。世界崩壊前希望ということで、なんだか久々ですね。最近、ED後ばかり書いていたので新鮮です。ただ本編に沿って書くと、他の話と被りそう(得にCeles's Story)なのが心配の種。あっちの話が進んでないからね~。困ったあぁ;;
 セリスが自分の想いを自覚するところからいきたいと思います。Celes's Storyではなんとなく惹かれていることに気付いていながらそれを認めたくないってパターンなんですが、こっちはティナじゃないけど恋とか愛なんて知らないから自分の感情が何かわかんねーっつーやつッスね。
 4話予定だけどどうかしら? 短くなるかもっつって短くなったことはないのよね。でも今回もわかりません。
 ちょっとだけロク×セリ←エド風にしてます。エドガーがセリスにっつーのは私にしては珍しいパターンだけどね。セッツァーより理性的で大人な気がするので。でも必要以上に絡んだりはしません。その辺は、年寄り臭いからかなぁ。
 こういう話になるとやたら会話が多いのが……ていうか、話は進んでないし……恋愛中心でそこだけ抜き取ったようにしてるから仕方ないですよね(言い訳)。読んでる皆さんはどうなんでしょう? 会話ばっかは嫌? (04.06.20)
 誤字及び一部加筆修正しました。(09.5.13)

 なんとも気まずい雰囲気のまま、セリス達四人はジドールへ到着した。
 色とりどりの石が敷き詰められた街は、セリスが今まで見たどんな街とも違っている。戦とは全く無縁といった風景の地であり、人々は皆裕福そうだ。街の北側にはレンガ造りの大きな屋敷が並んでいる。貴族達が暮らす高級住宅街だ。
 ジドールの街では、防具をつけた旅装の四人は少しばかり浮いていた。
 上等な外行きのワンピースを身に着けた清楚な少女が目の前を通り過ぎて行き、帝国時代から身に着けている薄汚れたボディスーツに胸当てと外套という出で立ちのセリスは、自分がひどくみすぼらしいような気がしてくる。
(今までそんなこと気にしたことなんてなかったのに……)
 何故、今になって自分の格好など突然気になり始めたのだろう。不可解な問いに頭を悩ませていると、
「とりあえず宿をとって情報収集をしよう」
 エドガーの声がして、セリスは自分が物思いに(ふけ)っていたことに気付く。
「ロック、どの宿にする?」
 世界を旅している彼は、帝国以外のどこへ行ってもある程度の知識がある。
「アポロンがいいな。狭いが個室だし清潔だ。何よりメシがうまい」
 ロックはそう答えると返事を待たずに歩き出した。
「太陽神だな」
 何気ないエドガーの呟きに、セリスは、なんのことだろう? と彼を見た。彼女の視線に気付いたエドガーは、
「アポロンというのはジドール神話に出てくる太陽の神の名なんだ。高級ホテルでもないのに洒落た名前を付けるのはジドールならではだな」
 わかりやすく解説してくれた。
「へえ……」
 相づちを打ちながら、セリスは辺りを見回す。ジドールは裏通りまでもが綺麗だ──暗く陰湿な帝国の石畳と比べるから余計そう感じるのかもしれなかった。

 

†  †  †

 

 昨日は到着したのが遅かったため酒場で話を聞き込むに留まったセリス達は、翌日、手分けして聞き込みをすることになった。
 二人ずつに別れると決まった時、セリスは咄嗟に、
「じゃ、エドガー、私達は向こうへ行きましょう」
 誰の了解も得ず、有無も言わさずエドガーの腕を掴んでずんずんと歩き出してしまった。
 とにかくロックと二人きりになるのだけは避けたかった──息苦しくて窒息してしまうかもしれない。
 残されたマッシュとロックの二人は呆気にとられていたが、
「昼に一度、宿で待ち合わせだからな」
 我を取り戻し小さくなるセリスとエドガーの背中に叫ぶ。小さく振り返ったエドガーが頷いて手をひらひらと振ったから了解していると伝わっただろう。
 暫く歩くと、セリスはハッと自分を取り戻しエドガーの腕を離した。
「ご、ごめんなさい」
 自分の行動に戸惑って俯くセリスに、エドガーは余裕たっぷりの笑みで言った。
「そんなに私と二人きりがよかったかい?」
「!!」
 セリスは真っ赤になって、
「そそそそそんなつもりじゃ……」
 口ごもる。彼女の初々しい反応に吹き出したエドガーは、
「わかってるよ。君は私と二人きりになりたかったんじゃなくて、ロックと二人きりになりたくなかった。そうだろう?」
 あっさり図星をつかれ、セリスは何も言い返せず顔を背けた。エドガーは微妙な笑みで、
「どんな理由であれ、こうして君と二人になれた私は幸せ者だな」
 独り言のように呟いた。が、セリスはそれをいつもの世辞としか感じない。『女性を口説くのは挨拶と同様の礼儀』そう豪語して(はばか)らぬエドガーが、今まで彼女に口説き文句一つ言ったことなどないことにも気付けない。
「とりあえず、地道に聞き込もうか」
 気を取り直して振り返ったエドガーに、セリスははにかんで頷いた。


「なんだよあいつ……」
 セリスと共に行こうと思っていたロックは、エドガーを選んで勝手に行ってしまったセリスがまったく解らない。
「まさか、エドガーのことが好きなのか?」
 一人でぶつくさ呟いていると、マッシュはため息混じりに、
「……だったらいいけどなぁ」
 そんなことを漏らした。
(だったらいい?)
 どういう意味だろうとロックはマッシュの顔を見た。一方マッシュはハッとして慌てて頭をかいて取り繕う。
「とりあえず、行こうか」
「………………」
(まさか、エドガーの奴、セリスのこと…………)
 絶対に有り得ないとは言い切れない。それどころか、あのエドガーがセリスを口説いている姿を見たことがなかった。今まで得に気にしていなかったが、彼のセリスに対する接し方を見ると明らかに他の女とは違う。
(もし、そうなら……)
 そうならなんだというのだろう? 自分でもわからず、
「じゃ、行くか」
 ため息を飲み込んだロックは歩き出した。
 道行く人とすれ違う度にティナのことを尋ねながら、ロックは浮かない顔をしている。マッシュもいまいちといった表情であり、情報収集は思うように行かず、重い空気が漂ってしまう。
「なんか飲むか?」
 コーヒーの売店を見つけたロックはマッシュに尋ねる。
「ん? ああ。そうだな」
 乗らない時は気分転換した方がいい。二人は紙コップに入ったアイスコーヒーを持って、売店の横で壁に寄りかかった。
「安い割にはうまいな」
 期待していなかったコーヒーの味に、ロックは肩をすくめた。ジドールは全体的に富んでいるから飲食物もレベルが高い。
「オレはコーヒーよりお茶の方がいいけどな。ところでロック」
 マッシュはそわそわするように、しかしロックを見ずに尋ねた。
「セリスのこと、好きなのか?」
 フツーにコーヒーを飲んでいたロックだが、
「ブホッ!」
 思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出した。
「な、なんだよいきなり」
 手ぬぐいにしているバンダナで口を拭きながら、ロックは平静を装う。
「いや、なんとなく、さ。彼女のことえらく気にしているみたいだし」
「別に俺にはレイチェルが…………」
 そう答えておきながら、嘘臭いと自分で思う。セリスのことが気になるのは事実だ。だが放っておけないだけだ。気になるだけだ。
 自分の中でそれ以上の感情を認められないのは、レイチェルのことがあるからだ。あれほど後悔して生き返らせようとしているのに、他の女性を好きになるなど自分で許せるはずがない。
「だけど、いくら生き返らせようとしているって言っても、レイチェルは死んでいてセリスは生きている。生きてる人間の方が大事なのは当然だ。そうだろ?」
 何故、マッシュがこんなことを聞いてくるのだろう。単なる好奇心か、お節介か、やはりエドガーがセリスを好きだからか───。
「違うっていうなら、少し態度を考えるべきだぞ」
 マッシュの言葉の意味がわからず、眉根を寄せたロックは彼を見た。
「は?」
「ロックの態度はさ、ちょっとやりすぎかなって思うんだよ。あれじゃセリスが誤解するかもしれない」
「誤解?」
「ロックが気があるんじゃないかって、思っちゃうかもしれないだろ?」
 マッシュとしてはセリスに傷付いてほしくないというよりも、兄を応援したいという気持ちで言っている。無論、セリスとて傷付かないでほしいが、兄とまとまれば丸く納まる話だ。
「……そんなつもりはねぇんだけどな。ティナに対してと変わらない」
 口ではそう言いながら心当たりはあった。それは態度というよりも視線で、気付くと目で追ってしまう自分がいるから。
「本当にそうか?」
 真面目な顔で覗き込まれ、ロックは言葉に詰まった。絶対に彼女を好きにならないなどと言い切ることはできない──既に負けを認めているのかもしれないけれど。
「今のところは」
 なのでそう答えた。マッシュは仕方ないなとでもいうように肩をすくめると、
「んじゃ、再開すっか」
 ロックの肩をバシバシと叩いた。
(いい奴だけど、やたらと怪力なのはどうだろう?)
 どうやら双子でありながら、性格がまっぷたつに割れてしまったらしかった。

 

†  †  †

 

 ティナに関する情報は全く得られず、四人は予定通りゾゾへ向かうこととなった。
 ゾゾは治安が最悪という街で、その中身は犯罪者の巣窟だ。できることなら避けたかったのだが、本当にティナがそちらへ向かったのならやむを得ない。
 ジドールで借りたチョコボのお陰でゾゾまでは二晩の野宿で到着することができそうだった。


 そびえ立つ山脈沿いの麓で見張り番のロックは、ボーっと焚き火を見つめていた。
 3人は寝袋にくるまっている。規則正しい寝息が一つ、二つ……しかない。
「?」
 ロックが不審に思って横になっている人影を見ると、エドガーがむくりと体を起こした。
「眠れねーのか?」
「……ちょっとな」
 一つウインクを寄越したエドガーに肩をすくめ、ロックは自分が飲んでいたコーヒーを見せ、
「お前も飲むか?」
「ああ。頂こう」
 王であるエドガーだがまずい非常食にも文句を言わない。慣れている自分は当然だが、できた男だとロックは思う。
 カップに分けられた薄いコーヒーを受け取ると、エドガーはロックの斜め前に座る。
 整った面が焚き火により赤く染まるのを見つめながら、ロックは嘆息を飲み込んだ。
「なあ、エドガー……」
「なんだい?」
 眠れないと言いながらもエドガーは余裕の表情をしている。彼は負の感情を面に出さぬよう努めているのだろう──王であるために慣れている。
「セリスのこと、どう思ってるんだ?」
 好きなのか? はっきり尋ねることは憚られ少しだけ遠回しに聞く。するとエドガーは儚い笑みを浮かべ、それを見たロックは思わずどきりとする。
(こいつがこんな顔するなんて───)
「放っておけないね。ティナとは違う意味で危うい。自分を強く律しすぎて来てしまった彼女は、自由を得て戸惑うことが多すぎるのだろう」
 それはロックも感じることだが、あまりに曖昧な答えだった。
「ロックはどう思ってるんだ?」
 逆に問い返されてしまい、ロックは唇を歪めた。
「わかんね」
 そして正直に答える。自分の持つ感情がどんな種類のものか言い切れない。まだ責任が持てない。
「惹かれているんだろう?」
 気付かれているだろうとは思っていたが、やはり複雑な気分で、言い返してやった。
「あんたもな」
「……私は…………無駄な恋をしている余裕はないんだがね」
「無駄?」
「……いや、なんでもないよ。少なくとも、彼女は私を望んではいない、そういうことだ」
 ジドールでの態度を見る限り、ロックにはそうは思えない。エドガーなりにそう判断する何かがあるのだろうか。
「いつも余裕のあんたらしくない」
「人の心は絶対ではないからね。そして思い通りになるものでもない。……彼女に傷付いて欲しくはないよ。これは前から思っていて彼女に対してだけではないが、お前は中途半端な態度を改めるべきだな」
 この前、マッシュに言われたのと似たようなことを言われてしまい、ロックは苦い顔をする。
「放っておけないのはわかる。私も同じだ。だが、どこまで放っておかないというんだ? いつまで守れるというんだ?」
「─────────」
 きっつい言葉だ。確かにロックは「絶対に守る!」そう宣言しているが、一生守れるわけではない。セリスは一生追われる可能性もあるというのに。
「できることなら、俺に可能な限りは」
「少なくともケフカを倒すまで、ということか」
 そういう意味で言っているわけではないが同じことかもしれない。ロックの目的はレイチェルを生き返らせることで、やるべきことがあるのだから。
「確かにお前の言う通りかもな。少し自重するよ。過保護すぎたかもしれない」
 ロックの答えに、エドガーは目を細めて彼を見た。そういう答えを期待したわけではなかったのだ。
「覚悟を決めろ、と言いたかったんだがな」
 エドガーの呟きが聞き取れず、ロックは「?」不思議そうな顔でエドガーを見る。エドガーは苦笑いになると、
「いや、なんでもないよ。私ももう寝よう」
 カップを置くと、エドガーはそれ以上何も言わず寝袋へ戻ってしまった。
(無責任な優しさなど残酷、か……)
 無責任なつもりなどない。だが結果無責任に終わる可能性があることは事実だ。
(でも、放っておけない。放っておきたくないんだ……)
 他の誰かに任せたくないと、そう思ってしまう。
 普段、キリッとした表情でクールを装っているくせに、フとした瞬間に見せる頼りなさげな表情が、心細げな仕草が、ロックの心を揺さぶるのだ。
(理屈抜きに、守りたいんだ……)
 己の感情を持て余すロックは、憂鬱な気分でマッシュとの交代の時間までを過ごした。

 

†  †  †

 

 ジドールを出てから、ロックの方がセリスを避けている。セリスはそんな気がして、憂鬱だった。
 元々、自分から彼を避けるような態度になっていたのだが、相手に同じことをされると気が滅入る。
(ううん。これでいいんだ)
 必要以上に、彼に深入りするべきではない。距離を置いて接しているべきなのだ。誰のためでもない自分のために。
 ゾゾで必死にティナのために行動するロックを見ても更にその思いを強めた。
(彼が守ろうとするのは私だけじゃないんだから。私が特別なんかじゃないんだから───)
 己に言い聞かせるものの、その事実にひどく打ちひしがれた。
 だから、ティナを救うための手段を探しに帝国へ乗り込むことになったとき、
「俺も行く」
 そう言ったロックが解せなかった。
「どうして私と?」
 思わず尋ねてしまうと、
「ん? 秘宝のこともあるしな。ちょっと帝国をのぞいて見たかっただけだ」
 そんな答えが返ってきて拍子抜けする。そうだ。彼はティナのために、秘宝の情報のために動いているのだ。セリスのためじゃない。
 わかっているというのに、それを再認識するたびに傷付いてしまう自分がいて、それがたまらなく嫌だった。


「お前、なんでわざわざセリスと行くなんて言ったんだ?」
 ジドールまでの帰路を歩みながら、エドガーが尋ねてきた。
 ゾゾまではチョコボを使えたが到着した時点で離してしまった───どれぐらい時間がかかるかわからなかったからだ。そのため帰りは徒歩しかない。
「別にセリスと行くっつーんじゃねーよ。潜入とかは俺が一番得意だし、いた方がいいだろう。失敗はできない」
 ロックは言い訳がましく答える自分が嫌だった。近くにいれば放っておけないに決まっている。だとしても個人的な感情で行かないわけにはいかない、などと己に言い訳をしている自分が嫌だった。
「本当にそれだけか?」
 不躾な問いに、ロックは不満そうにエドガーを見る。
「……なんだよ?」
 エドガーも不服そうな表情を浮かべ、嘆息混じりに尋ねた。
「いや、お前がそこまで頑なに否定する理由はなんだ?」
「否定?」
「彼女に対する気持ちを否定するのは、レイチェルが理由か?」
「否定なんかしてねーよ……」
 答えたロックの声には力がない。
「じゃあ気付いてないのか?」
 しつこい問いに観念したロックは白状した。
「無責任に肯定しちまうと、余計傷付けることになるかもしれない。っつったって、あいつは俺が嫌みたいだけどな」
「それはどうだろうな?」
 フッと笑みを漏らすエドガーを、ロックは訝しげに見た。
「どうだろうなって、あんたはいいのかよ?」
「お前が本当に彼女をなんとも思ってないとわかれば行動に出るさ」
「なんで俺の気持ちが関係あんだよ」
 本人同士が気付いていなくとも両思いであるならば、エドガーが行動したところで徒労に終わる可能性がある。大人な態度で通しているエドガーとて、傷付きたくはない。
「さあ。とりあえず、そんなことを言っていると後で後悔するぞ。何が一番大事か見落とすなよ」
 後悔を重ねていたロックにとっては痛い一言だった。
(俺がセリスを愛したら、レイチェルはどうなるんだ……? 時を止められたまま眠っているレイチェルは……)

 

■あとがき■

 もどかしい二人……正直に難しいです。いや、簡単に書ける話なんて一つもないんですけどね。自分で望むものが高いからであり、そこに自分の実力が追いついていないせい。でも追いつくことはないでしょう。理想は高くなり続けるものだから。
 ゲーム中のイベントはほとんど出てきません。ゲーム通りの内容と思って頂ければOK。わかんねーよって方はCeles's Story読んで下さい(又は台詞集)。でも携帯版の方はそれがないのよね。すんません【><。】
 内容が自分が考えていたものとなんか違ってます。難しいですよね。台詞の流れとか一つで方向が違ってきちゃう。だったらその時点で台詞を変えろ? そんなことできたら苦労しません。矛盾とか出来ちゃうしね~。
 セリス合流後、帝国潜入までのメンバーは、ロック、セリス、エドガー、マッシュです。いっつもそう。エドガー&マッシュはフィガロ城でイベントがあるしね(ゲーム内では)。帝国潜入時にカイエンがいると辛いこと言われるし。SSを書くにもこのメンバーが一番書きやすいかな。(04.06.27)
 誤字及び一部加筆修正しました。(09.5.13)

 ジドールで飛空艇を持つセッツァーの話を聞いたセリス達は、彼に会うためにオペラ座へと向かった。
 セリスが、オペラ座の看板女優マリアと瓜二つであることを利用して、マリアを(さら)おうとしている彼の裏をかこうというのだ。
「そんなことできるわけがない!」
 始めセリスはそう訴えたが、ロックもエドガーもマッシュも、
「大丈夫だよ」
「声も綺麗だし」
「さぞかしドレスが似合うだろうな」
 口々に励ました。そういう言い方をされると余計に嫌だった───自分が女だということを再認識させられるからだ。
 しかし、次第に頑なに拒否の一点張りである自分が滑稽に思えてきた。ティナを助けるためだったら個人的な感情でそんなのができないなどと言っていいのだろうか? そうも考える。
 だからといって、今さら「わかった」とも言えず、
「なあ、どうしても嫌なのか?」
「そ、そんな! 私はもと帝国将軍よ。そんなチャラチャラした事できるわけがないでしょ!」
 そう叫んだもの自分で帝国将軍であったことを理由にしているのも恥ずかしく、思わず駆け出してしまった。みんなに注目されている状態に耐えきれずとにかくその場を逃げ出したかったのだ。
 無我夢中で目の前にあった扉に飛び込み、息を整える。
「…………私、何を言ってるんだろう……」
 これからは自分が傷付けてきたりした人のために生きようと決めたのに、羞恥のためにワガママを言おうとしている自分が酷く情けない。
「でも歌なんて歌えるかな?」
 やってみると言いたいところだが、歌えるかどうかもわからないのにそんなことは言えない。
「んっ、んんっ」
 咳払いをして、深呼吸をすると、少しだけ声を出してみる。
「あー あー ラララー らー あ うん」
 歌なんて歌った記憶は掠れるほど古いものだ。断片的にしか覚えていない小さい頃には大好きだった気がする。
「マァ リィ アーー♪」
 自分ではなかなかのものだと思えた。もう一度深呼吸をすると、扉を開け……ようとしたのだが、ゴッという鈍い音と共に「うがっ」ひしゃげた声がした。
「え?」
 不思議に思うとロックが鼻の頭を押さえていた。扉の前にいたのだろう。
(もしかして聞かれた!?)
 たまらなく恥ずかしくなる。それほど大声で歌ったつもりはない───ハミング程度だ。誰にも聞こえないだろうと思ったからこそ試しに歌ってみたのだ。
 しかしセリスが何か言う前に、
「やる気になってくれたか?」
 ロックにはにかまれ、セリスは顔が熱くなるのを堪えきれず頷いてそのまま俯いた。
 何故かやけに彼の笑顔が眩しく思える。
「とりあえず、頑張ってみる」
「よっし、さっそく準備だ! セリスを大女優にしたてるぞ!」
 エドガー達を振り返ったロックは“大女優”なんて大袈裟なことを言って、更にセリスの不安を増やした。

 

†  †  †

 

 オペラ座に滞在して三日。
 弱音一つ吐かず練習を重ねているセリスだったが、内心は穏やかではなかった。
 丁寧に根気よく教えてくれるマリアだが、彼女の期待の十分の一も答えられていないからだ。言われたとおりにやろうとしても、不慣れなことばかりで幼子のように(つたな)い───他人の目にはそこまでひどく見えていないとしても己に厳しいセリスにはそう思える。
「初めてにしては上達が早いわ!」
 マリアはそう言ってくれるが、次の公演まではあと四日しかない。これでできるようになるのか、ダンチョーなどはあからさまに心配そうだ。
 だがどんなにいっぱいいっぱいだとしても、セリスはそれを表に出せるような性格ではない。ただひたすらに練習に打ち込むしかなかった。
 基本の発声から始まり、歩き方、立ち振る舞い、歌、様々なことをやる。一つ一つに時間をかけている余裕はなく、頭にたたき込むので精一杯だ。
 だがセリスは厳しい訓練などというものには慣れている。弱音を吐くことはないが、何分期限が短すぎるのだ。不安にもなる。
 朝早くから夜遅くまでの練習が終わると、あっという間に一日が過ぎていく。
 寝る前に、その日の練習内容を復習するのはセリスの日課となっていた。
 与えられた寝室のテラスで、夜風に吹かれながら頭の中で何度も一日を振り返る。
 今日からオペラの一番大事な歌を教えられた。基本も大事だが平行してオペラの内容もやっていかないと時間が足りなくなるからだ。
「愛しのあなたは遠いところへ……?」
 囁く声に歌うと、不思議と切ない気持ちになってくる。恋人を失おうとしているマリアの気持ちに入ってしまうのだろう。
「悲しい時にも辛い時にも…… 空にふるあの星をあなたと想い」
 恋などしたこともない自分がこんな風な気持ちになれるのが不思議でならない一方、他人の立場になりきっているだけだと割り切って考えようとしている自分がいる。
 そもそも恋など愚かなものだと思ってきた。自分には不必要極まりなく、シド博士に、
「きっといつか、セリスも恋をする時がくる。そしたらきっと、誰より綺麗に女性らしくなるよ」
 優しく言われて嫌悪を感じてしまったりしたこともあった。
 女であることが不便であった将軍という立場で戦場で生きる身には仕方がないことだったのかもしれないが、セリスは未だにその気持ちが捨てきれないのだ。
 それは自分が女としての意識を持つことに対して恐怖心を抱いているからだと彼女は気付いていない。マリアになりきることは、自分ではない女性を演じるだけだと、使命だと考えるようにしているのだ。
 目を閉じて歌詞を思い出しながら切ない歌を口ずさんでいたセリスは、突然歌声を止めた。
「悪い、邪魔したか?」
 背後に気配を感じたからだ。この声は───ロックだ。
「いいえ」
 普通に答えて振り返ったつもりが、声が震えていた気がする。最近、以前にも増してロックが恐い。ロックの視線が恐い。
「随分、頑張ってんな」
 動揺していっぱいいっぱいのセリスに対し、普段通りに見えるロックは彼女と並んでテラスにもたれた。
「ティナのため……ううん、自分のためだから」
「自分のため?」
「できることをやるって決めたの。できないことを望んでも仕方がない」
 セリスが真に望んでいるのは己の罪に対する贖罪だ。だが死んだ人間は生き返らず不可能なことだ───それをロックは成し遂げようとしているけれど。
「お前って、すごいよな」
 ロックははにかんでセリスを見た。一方、セリスは何がすごいのかさっぱりわからない。
「俺より八つも年下なのにさ、俺より大人な気がするよ」
 肩をすくめるロックに、セリスは「違う」そう言いたかった。だが何が違うのかを説明する気にはなれない。無理をしているなどとは言いたくない。
「私は大人なんかじゃないわ。大人がどういうものかわからないけれど、私は自分のことばっかりだもの。他人を思いやる余裕もないわ」
 謙虚にそう答える。卑屈になっているわけではなく、本当のことだ。
「俺だってそんな余裕なんてないよ。思いやるっつーのは難しい。俺がどうしたいかで接しちまう。相手にとって何が一番いいかなんて、なかなか他人にはわかんねー」
 ロックは頭をかきながら片頬を歪めた。彼なりに色々考えて精一杯生きているのを知っているから、彼の言葉は重い。
「俺は……自分のことさえわかんねー…………」
 呟くロックはテラスに肘をついて遠くを見つめる。木々に囲まれた向こうに広がるのは広大な海だ。
「自分のこと?」
 よくわからずにセリスは繰り返す。
「──────」
 ロックは何も言わず、セリスの方を向いた。彼の視線とかち合い、セリスは動きを止める。
「……………………」
 呼吸すら止まってしまいそうな瞬間に、戸惑い動けずどうしていいかわからない。
 何かいってくれないのかと待ってみるが、彼は静かに真っ直ぐな視線を向けてくるだけだ。穏やかな視線とは言えないが鋭い視線でもない。見つめているという表現が一番正しいかもしれなかった。
 逃げ出したいほどに苦しいのに、同時に鈍い心地よさが身体を支配している。不可解だけど、何かを期待してしまいそうな瞬間。
「俺は…………」
 やっと何かを言おうとしたロックだが、躊躇うように再び口を閉じてしまった。
「なあ、に?」
 普通に尋ねたつもりでもかなりぎこちなかっただろう。セリスは作り笑いを浮かべるのがやっとだ。
「いや、なんでもない」
 かぶりを振ったロックは、話題を変えようと尋ねてきた。
「お前は、平気か?」
「え?」
「達観したように見えるけどさ、もしかしたら、無理してないか?」
 優しい言葉に優しい視線。思わず漏らしたくなる本音を、セリスはぐっと堪える。
「いいえ。私は大丈夫よ」
「……その顔は、無理してるように見えんだけどな」
 呆れ顔で言われ、セリスはカッと顔が熱くなるのを感じた。変なところでボロが出てしまったらしい。
「その……べ、別に……無理とかってわけじゃ……」
 俯いてしどろもどろのセリスは今にも泣き出しそうな表情に見える。
「責めてるわけじゃねーよ。ただ、少しは息抜きしろって言いたくてさ。生真面目なお前には難しいかもしないけどな」
 苦笑いでロックは彼女の頭を優しく叩く。たったそれだけの行為に、何故か本当に涙が出そうになってセリスは慌てて取り繕うように言う。
「そ、そうね。息抜きも大事よね」
 だが、時、既に遅し。にっこり笑ってロックを見たつもりが、涙が頬に落ちてしまった。
「あっ、そ、その……」
 慌ててそっぽを向いて、涙を拭う。
「なんでもないの。ちょっと疲れてるかな」
 渇いた笑い混じりに言ったのだが、ロックは真面目な顔で、
「それが無理してるっつーんだよ」
 ため息を飲み込むと、セリスの肩を抱き寄せた。
「!」
 突然のことで、硬直したセリスは涙も引っ込んでしまう。
「くそっ、だから放っておけねーんだよ」
 呟いた彼の言葉の意味はなんだろう? 頭の中が真っ白になっているセリスには思考が追いつかない。
「弱音、吐いてもいいって言ったろ?」
 そう言う彼の言葉も耳から耳へ通り過ぎていく。ロックが海を見ながらしゃべっているのは救いだろう。なんとも表現し難い表情を見られずに済む。
 彼の触れた場所が熱を持って、それが全身へ広がっていくような錯覚に陥り、セリスはこのまま気を失ってしまえばいいとすら思う。
「お前からすれば俺は不甲斐ないかもしんねーけど、それでも……お前の弱音を受け止めるぐらいはできる」
「どう、して…………」
 思考が徐々に戻ってきたセリスはやっとの思いで震える声で尋ねたものの、彼の耳には届かなかったらしい。
「ん?」
 それでも何か言ったことはわかったのだろう。聞き返されたが、二度、尋ねる気にはならなかった。
 ただどうしていいかわからず、戸惑ったまま縋るようにロックを見た。
 間近で視線が絡まり、セリスは自分が自分でなくなってしまったかのようだと思う。ここにいるのは自分じゃない誰かで、ロックは自分じゃない誰かを見ているようだと。
 柔らかい彼の口元がすっと引き締まった。真摯な表情になったロックは一瞬躊躇を見せたが、何も言わずに彼女の肩に置いている手に力を込める。
 気が付いた時には唇が重ねられていて、ついばむだけの優しい口づけにただ呆然となっていた。
 その心地よさに流されてしまいたいと、全てがどうでもいいとすら思ってしまう一瞬。
 それは永遠に続くはずもなく、唇を離したロックは、
「おやすみ」
 低く囁くと、屋内へ入って行ってしまった。
「………………あ……」
 今、起こったことが現実と思えず、セリスは思わず自分の唇に触れてみる。
(夢……?)
 心からそれを疑う。今のは夢に違いない───だけど現実だった。
(何故?)
 なんど考えてもわからない。セリスが答えを持っているはずなどない。
(レイチェルさんと混同したの……?)
 そんな可能性しか思い浮かばなかった。他に理由があるはずないと。
 だけど、レイチェルと間違えたのだとしても、彼女の代わりだとしても───。
(あんな風にされたら───)
 全然、嫌じゃなかった。それどころか、
(嬉しかった?)
 そう感じている自分に気付き、セリスはこれまでになく動揺する。
 何故、嬉しいなんて感じるのだろう。味わったことなどなかった初めての口づけが、余りに心地よかったから? そう考えて恥ずかしくなる。自分がそんなことを考えるなど有り得ないのだ。そんなことを考えていい普通の少女とは違う。多くの人を殺した犯罪者であり、そんな幸せなことを感じていいはずがない。
 何も考えずに眠ろうと部屋に戻ったが、眠れるはずがなかった。
 自分を真っ直ぐに見つめていたロックの瞳や、囁くような声。全てが思い起こされて、セリスの平常心を奪い続ける。
 いつの間にか、「もう一度口づけてもらえたら」そう望んでいる自分に気付き、セリスはハッとした。
(嘘よ。私は彼のことなんてなんとも思ってない。だって、彼は私を見ていない───)
 自分に言い訳しているうちに、眠りが訪れていた。

 

†  †  †

 

 あれからずっとセリスはロックを避けていた。
 どんな態度をとればいいのかわからなかったのだ。この間の夜のことを思い出すだけで顔が熱くなってしまう。本人を目の前にして耳まで真っ赤などという事態はどうしても嫌だった。
 セリスの練習が忙しいこともあり、ロックからは近寄って来なかった。レイチェルと勘違いしたことを後悔してるのかもしれない、そうセリスは考える。自分から避けているとしても、何かしら言ってほしかったから。
 更にきつくなった練習にセリスは打ち込んだ。何か一つに夢中になっていると、余計なことを考えなくてすむ。くたくたになるまで特訓し、夜は泥のように眠る。それを繰り返すこと数日───オペラ本番はすぐにやって来た。
 世界で唯一の飛空艇の持ち主であるギャンブラー・セッツァーは、公演初日からやって来るだろうとダンチョーは予想していた。派手好きでなんでも一番でないと気が済まない性格だと噂されているそうだ。
 公演前、控え室で台本を前に、セリスは深呼吸を繰り返していた。
 さすがに緊張している。戦場は取り返せるミスもある。作戦を変えることもできる。だがオペラは決まった台本があるのだ。それを乱すことは許されない。
 お客様は何も知らずにオペラを見に来ているわけで、皆、看板女優であるマリアが演じていると思っているのだ。
 着飾った自分は変な感じだった。やたらと厚化粧で顔がなんだか息苦しい感じだ。だが遠くの客にも見えるようにという特別の舞台化粧だというから仕方ない。
 オペラを成功さえた上、セッツァーにもうまく取り入らなければならないとは、まったく難題だが、全てがセリスにかかっている。
 集中して集中して、幕が開いたのを機に舞台袖に行こうかと思い立ち上がる。と、ホールへ続く扉がノックされた。
「はい?」
 やたらと心配していたからダンチョーだろうかと思ったが、扉を開けたのはロックだった。
「大丈夫か?」
 そう言いながら入ってきたロックは、戸惑って立ち尽くすセリスを見て動きを止めた。目を瞬かせまじまじとセリスを見ると、
「おまえ……こんなにきれいだったっけ……」
 呆然と呟く。褒めているのかもしれないが、微妙に失礼な気もする。が、セリスは思わず頬を染めて俯き、思わず尋ねていた。
「ロック。なぜあの時、私を助けてくれたの?」
 本当なら「何故口づけたの?」そう尋ねたかったけれど、直接そう聞くのは恐かった。少しだけ遠回しな問いだったが、ロックの答えは直球だった。
「好きになった女に何もしてやれずに失ってしまうのは……もうゴメンなだけさ」
「!!」
 思いもよらぬ答えに、セリスは息を呑んだ。ロックは複雑そうにはにかんで扉の方を向いてしまう。
「あの人のかわりなの……私は?」
 そう尋ねずにはいられなかった。確認せずにはいられなかった。しかし、今度は逆に期待していた答えはもらえなかった。
「……にあうぜ。そのリボン」
 振り返った彼が言ったのは、それだけ。否定も肯定もしていない。
 それ以上尋ねるのが辛くて、セリスは話題を変えることにした。
「そろそろ出番だわ。ドラクゥの安否を気づかうマリアが自分の思いを歌にする大事なシーンよ」
「ああ。頑張れよ」
 ロックはそれだけ言い置くと、出ていってしまった。
「何故……わからないことだらけだわ」
 答えを欲している自分の気持ちを認めようともしないのに、相手にだけ答えを求めていることに、彼女はまだ気付いていない。

 

■あとがき■

 先週、更新ができず申し訳ありませんでした。その分とは言えないけれど、多少、丁寧なオペラ座にしたつもりです。(ストーリーに関係なかったり長くなりすぎると思うとかなり省いて書くことも多いので)
 この冒頭の部分、Celes's Storyでもこんな感じに丁寧に書くべきだったと後悔。でも、こっちとかぶることになってたから結果オーライw
 オペラ座のテラスは私的に定番となっております。なんかいい場所でしょ? 雰囲気あってW
 パソコンが二台になったお陰で私はゆっくりと……とはいきません。わけがわかってない旦那に色々聞かれたりしながら書いているため、なんだかいまいち集中できなかったり。。。仕方ないですね;;
 誤字脱字の多い桜ですが、「ロック」を「ノック」と書いてしまって……「横山!?」みたいな。ねえ? 気付かない誤字脱字も多いです。気付いても直す時間が余りない;; 携帯版で確認してるとすっごいよく気付くんです。斜め読みしにくいからでしょうね。私は速読派なので、一片に見える文章は斜め読みみたいなんだな~。まあ、斜め読みできないような複雑な文章は無理ですが。この頃は、勉強のためにもできるだけ丁寧に読むようにしてます。が、先の内容が早く知りたいっつー気持ちになかなかね……負けちゃうんだ【><。】
 三人称で書いていますが基本的にセリス視点のため、ロックの気持ちが余り入れられない~。ロックの気持ちもうまく入れられる書き方にすればよかったんだろうけどね。むーん。彼の気持ちがわからない方が面白い気もするし、わかる方が面白い気もするし。。。
 結構、台詞なんかはゲームに忠実にしてます。うまく矛盾が出ないように持ってくのが大変だけどねw
 しかし話が進んでいるのか進んでいないのか。一応、進んでいるつもり。6話で終わらせたいところなんですが……。(04.07.12)
 誤字及び一部加筆修正しました。(09.05.13)

 無事、飛空艇を手に入れることができた一行は、そのままベクタへ向かうことを決める。
 夜空を駆け抜ける飛空艇の中で、セリスは甲板から水平線を眺めていた。
 セッツァーも休み、舵を握っているのは副操縦士であるバート・グレルーペだ。彼に背を向けるように最後尾、階段の近くでぼうっと考え事をする。
 夜の間は速度を落とすが、それでも上空の追い風はセリスの髪を乱す。片手で軽く押さえながら、空いている手は手すりに置いていた。
 何も考えないように努め、目を閉じる。これから帝国へ乗り込むに際し、集中したかったのだ。
 しかし、全く落ち着けない。この前より一層、集中力が無くなっていた。余計なことばかり考えてしまうのだ。考えても仕方がないというのに───。
 いくら精神統一しようとしても、ロックの顔が頭の中をチラついて、彼女の集中を妨げる。気付くと、口づけられたこと、「好きな女」と言われたこと、オペラの途中で「娶るのは俺だ」と宣言されたこと、様々なことを思い返している。
 そして、それらを信じたいと願っている自分が存在した。同時に「レイチェルの代わりではないのか?」という疑問が引っ掛かり、思考は堂々巡りに終わってしまう。
「ロックを好きになりたくない」
 それが彼女の本音だった。傷付きたくないから、彼を好きになるのが恐かった。
 惹かれているのはもう否定できるような域を超えていると自分でも諦めている。だけど「まだ好きじゃない」必死に心の内で繰り返していた───。

 

†  †  †

 

 飛空挺内に割り当てられた寝室でベッドの端に腰掛けたロックは、深く長いため息をついた。
 カジノ船だけあって客室は狭いけれど綺麗で程度も良質だ。だが、今のロックにはそんなことはどうでもいい。
「はぁ……」
 ここのところ、どうにも落ち着かない。
 その原因はわかりきっている───セリスだ。と言っても、彼女が悪いわけではなく、中途半端な態度しかとれない自分が悪い。
 あの夜、オペラ座のテラスで彼女に口づけたことは後悔していない。後先考えずの行動であったことは確かだが、決して後悔などしていない。
 多分、自分は彼女に惚れているのだろう。だけど、レイチェルを生き返らせることに諦めがつかないのだ。
 代わりなどでは決してない。それは断言できても、セリスだけを見つめることができない……負い目が消えないから。
「ほんと、俺のが8つも年上なのになぁ」
 自分の曖昧な態度に、セリスは明かに困惑している。彼女がロックをどう思っているかもいまいちわからないが決して嫌いではないはずだ───嫌われているなら平手の一つは食らっているに違いない。
 真っ直ぐ向き合える状態ではないのに、彼女の気持ちを得たいと望むのは浅ましいのだろう。だが……、
「気持ちはとめられないっつーのは、こういうのを言うんだろうな」
 バンダナを取った頭をガシガシとかきむしる。
 海原の上空を行く飛空艇は、時折ひどく揺れる。窓からは何も見えない───船体の下半分は雲の中のようだ。心も晴れないというのに窓の向こうすら見えないのでは、窒息してしまいそうで。
 ロックは再びため息をついて重い腰を上げた。気分転換した方がよさそうだった。こんな気持ちのまま帝国に乗り込むなんて危険極まりない。気持ちの切り替えをする自信はあるが、フとした時に思い出したりして気を取られると危険だ。何らかの形で自分の気持ちに決着をつける必要がった。
「頭を冷やして考え直そう」
 部屋を出、重い足取りで階段を登ると甲板に出た。思いの外強い風に吹かれ思わず目を閉じる。肌寒いぐらいの風が心地よかった。
 何とはなしに左を向くと、そこにあった後ろ姿に思わずどきりとする。
 夜風になびく長い金の髪が薄暗い闇に映えている。彼女がそこにいたというだけで、腹の底がむずむずしだした。
 嬉しいという想いと、まだ結論が出ていないのにという想い半々。だけど前者の方が強かったのだろう。逡巡したロックだが、思い切って彼女に近付いた。
 ぼけっとしていたらしい彼女はロックの気配にも気付かず、後ろから肩を叩くと飛び上がらんばかりの勢いで驚いた。
「ロ、ロック……」
「悪い。脅かすつもりはなかったんだ」
 はにかんだロックは両手を上げて謝罪する。
「ううん」
 彼女も少しだけはにかんだものの、迷っているというように視線を宙に彷徨わせた。
「ごめんな」
 思わず謝っていたロックに、彼女は目をぱちくりさせた。
「え?」
 何に対しての謝罪かわからなかったのだろう。
「中途半端な態度でお前のこと困らせた」
 そう説明されたセリスは、「う、ううん」引きつった笑みでかぶりを振った。
「大丈夫。全然気にしてないわ。あなたも気にしないで」
 にっこりした笑みなのに感情は全くこもっていない。明かな強がりだ。が、灯りからも遠く薄暗い位置に立っているセリスの表情はよく見えず、ロックには彼女が口にしたことを言葉通りに受け取った───すなわち、拒否されたのだと。
「……迷惑だった、か…………」
 独り言のように呟くと、彼女は気の抜けた声で「……え?」不思議そうにロックを見た。ロックはそれには答えず、再びひとりごちた。
「当然だよな。過去を引きずったままの男なんかな、そんな奴に思われたって困るよな」
「……あの……何を言ってるの?」
 セリスは更に困惑顔になっていた。
「いや、なんでもないんだ」
 力なく首を振って苦い笑みをこぼしたロックは、セリスの隣で手すりにもたれた。飛空艇の羽音と風の音がやけにうるさい。
「お前は、何をしてたんだ?」
 彼女の方を向くと、セリスはちょっと困ったように笑い、
「何ってわけじゃないわ。色々、考え事」
 抑揚のない声で肩をすくめた。決して視線をあわせようとしない。
(えらく嫌われたな。それとも今まで俺が気付かなかっただけか……)
 彼女は優しいから面だって嫌いだとは言わないだろう───ロックは勝手に決めつける。この前の夜と、テラスで口づけられた時と似たシュチュエーションに、セリスが緊張し戸惑っているなど知るわけがない。
「くっ……」
 ロックは突然吹き出した。
「?」
「いや、これ程、自分に呆れたことはねーなって思ってさ」
「???」
「お前は手が届くところにいる。お前を守りたいのに、逆に困らせるしかできねーなんてな。死んじまったレイチェルに何もしてやれないって思ってきたけど、生きて傍にいるからって何かできるわけじゃない。俺は思い上がってたんだな。勿論、死んでしまったら本当に何もしてやれないっつーのは事実だとしても」
「そんなこと……」
 否定しようとしたセリスだが、何を言っていいのかもわからず途中で言葉を止めた。
「いいんだよ。お前は優しくて責任感が強く人に頼りたがらないから大丈夫って言うだろうけどそうじゃない。俺が納得できねーんだ」
 しゃべりながら、ロックは少しずつ固まっていく自分の気持ちを実感していた。
「レイチェルの代わりなんかじゃなくて、お前に楽になってほしいんだ。いつも辛そうな顔ばかりしてるから」
「…………」
 セリスはロックの言葉に潜む意味の深さをはかれず、揺らぐ瞳をしていた。
 ロックは彼女の浮かべる「辛そうな顔」が、己のせいだと、己に対する恋心のせいだとは知らない。
「だけど、俺の中でレイチェルに対する後悔が消えたわけじゃない。こんな後悔を抱いたままお前を想うことなんて許されないと、そう思うのに、それでも気持ちが溢れて止められない時があるんだ……」
 想いの丈を口にして、ロックは少しすっきりしていた。彼女を困らせるかも知れないと思ったけれど、それでもこのまま内に溜めていることはできなかった。
「随分、勝手だろう?」
 自嘲するように呟いて、彼女を見た。セリスは言葉を失いロックの顔を見つめていた。真意を探ろうとするように。
「信じられない、か?」
「……ううん」
 小さく首を横に振ったセリスは、迷いながらも言葉を紡ぐ。
「正直に言ってくれて、ありがとう。…………あなたが、過去に決着をつけられる日が来るのを、願ってるわ」
 曖昧な答えは、様々な意味が込められているように受け取ることが可能だ。素直な意味に「待っている」とも取れるし、嫌味な意味に「勝手にしなさい」とも取れる。
 確かにロックの勝手な言い分では、彼女はこれが精一杯だろう。例え彼女がロックに気持ちを寄せていてくれるとしても、ロックは未来について語っていない。「セリスに惹かれている」とは言っているが、「レイチェルを捨てきれない」とも言っているのだ。それにどう答えろと言うのだろう? 自分でそれに気付き、ロックはため息を飲み込んだ。
 少しの間、二人に沈黙が横たわる。互いに考え事に没頭してしまったため気まずくはなかったが、先に我に返ったセリスは唇を歪めた。
「あなたはきっと、レイチェルさんを生き返らせることに成功するわ。そしたらきっと、私のことなんて忘れる。そうでしょう?」
 暫しの沈黙の間に彼女が何を考えていたのかわかり、ロックは頬をヒクつかせた。なんとも失礼なことを言われているが、ロックが信用されないのは仕方がないのかもしれない───信じられる根拠などないだろう。
「お前に信じてもらうのは難しいか……。でも、そんないい加減な気持ちなわけじゃない。誰よりも守りたいと思える笑顔は、お前だけだ」
 恥ずか気もなくそんなことを口にできるのは、彼が本当にそう思っているからなのだろう。だけど、今の気持ちがそうだとしても、レイチェルが生き返った後まで同じ事を思かどうがわからない。
 自分に自信もないセリスは、ロックを信じてしまうことがひどく恐かった。
「どうしてそこまで? 何故?」
 思わず尋ねてしまう。信じてしまうのは恐いけれど、同時に信じたいとも思っているのだ。信じさせてほしいのだ。
「理由なんかねーよ。理屈抜きなんだから仕方ねーだろ。放っとけねーし、放っときたくもねー。他の男には渡したくねーんだよ。
 正直に言えば、俺だけのものにして閉じこめときてー」
 歯に衣着せぬ言葉は直球すぎて、セリスは顔が熱くなるのを止められなかった。
 当のロックも照れているのだろう。頭をがしがしかいて視線を泳がせている。
「そ、その……」
 何かしら言わねばと思い、セリスは必死に言葉を探す。
「そんな風に思ってくれてるなんて、全然気付かなかったわ……」
 戸惑ったように漏らすと、ロックは苦笑いで頬をかく。
「俺自身、自分の中で否定してたからな。
 だけど、自分の気持ちに嘘ついたままで後悔することになんのは一番嫌だからさ」
 彼を直視するのが恥ずかしくて遠くを見ていたセリスだが、気配で彼がはにかんだのがわかった。
 セリスはどうしようかと迷う───多分、今ここで自分も正直になるべきだ。だけど、いざ言おうとすると足下から震えが走り声が出なくなってしまう。
「ロック……」
 やっとのことで名を呼び、セリスはロックのシャツを掴んだ。
「ん?」
 ロックが不思議そうに顔を動かすと、必死の形相で俯いているセリスがいた。
「おいおい、どうした?」
 困惑気味に彼女の頭に手を置いて水色の瞳を覗き込む。
「あの……」
 何とか言おうと顔を上げたセリスは、しまったと思う。また間近で視線を絡めてしまった。甘い色を帯びた深い群青の瞳に囚われてしまう。言葉で伝えるのはひどく難しいけれど……セリスはそっと目を閉じた。
 それを承諾と受け取ったロックは、彼女の後頭部に手を添え、そっと口づける。
 初めは柔らかく彼女の唇を堪能し、徐々に口づけを深めていく。味わったことのない甘さに、セリスは過去も現在も未来も全て忘れてしまいそうだった。
 辿々しく答えようとするセリスに、抗い難い陶酔感に理性を捨て去りたくなったロックだがそういうわけにはいかない───ここは飛空艇の甲板だ。
 長い口づけを終えたロックは、そっと彼女を抱きしめた。
「魔導研究所は危険だろうけど、無茶はするなよ」
「大丈夫よ。あなたこそ」
 セリスははにかんで答えた。
 至福の瞬間は、満ち足りた未来が待っていると信じ疑いもしない───

 

†  †  †

 

 魔導研究所でロックに信じてもらえなかった。ケフカの言葉を信じ、セリスを帝国のスパイであった勘違いした───その真実は今までのどんな時よりもセリスを打ちのめしていた。気持ちが通じ合った直後だから尚更だったかもしれない。
 ケフカの非道な行いでレオ将軍が亡くなり、リターナーの仲間の元へ戻ってからも、完全に立ち直れたわけではなかった。
 少なくとも表面的な態度は以前と変わらなかったが、無意識にロックに対して一歩引いてしまっていた。あの時彼が告げてくれた気持ちは、セリスの中では真実でなくなってしまっていたから。
 セリスにとっては魔導研究所での一件は、失恋だ。ロックの気持ちの程度を知ってしまった悲しい思い出は、彼を恨んではいないけれど辛かった。
 そんな彼女に対するロックは申し訳ないと思い気を遣っているのだろう。顔色を窺うように話しかけてくるのが余計に辛い。
(謝罪などいらないのに───私が今まで犯してきた罪が、業が、かえってきているだけなんだから)
 因果応報だと諦めるセリスには、再びロックの気持ちを信じようなどとは、簡単に思えるはずがなかった。


「何故、そんなに無理をするんだい?」
 魔大陸に乗り込む前夜、エドガーに問われたセリスは返答に詰まった。さりげない口調であっても、エドガーの詰問から逃れるのは不可能に近い。
「他にどうすればいいかわからないもの」
 仕方なしに正直な気持ちを口にする。以前と変わらぬよう振る舞う以外、何ができると、どうすればいいというのだろう?
「ロックを許すことができない、か?」
「私は別に……許すも何も怒ったりしてるわけじゃないわ」
「わかっている。そういう意味じゃない。奴が信じられないんだろう?」
 何故かその一言に、セリスは自分でも意外なほど驚いた───おそらく図星だったのだろう。
「え?」
「君を一瞬でも疑った奴の心が、気持ちが信じられない。違うか?」
「……そうかも、しれない」
 呟いたセリスは目を伏せて不安そうに俯く。痛々しい表情にエドガーの胸が痛んだが、付け入るなんてことだけはできない。
「信じてやれとは言わないが、奴の君に対する想いは疑うようなものではないと、疑いようがないと、私は考えているけどね」
 当たり前のように言ってのけるエドガーが、セリスには全くもって解せない。
「……どうして? 何を根拠にそんなことを言うの?」
 軽く睨まれ、エドガーは目を細めて笑みをつくる。
「奴がレイチェル以外の女に目を向け、その気持ちを認めるっていうのは並大抵のことじゃない。それだけ想いが深かったからこそ、君がスパイだという言葉に騙されたんじゃないか?」
「想いが深いから?」
 浅はかな想いだからこそスパイだと思った、そう考えていたセリスにとっては正反対の意見に、思わず眉間に皺を寄せてエドガーを見た。
「そう。君を愛しているが故に、一瞬、その言葉が重くのし掛かったんだろうね……私は、そう思うよ」
「……なんだか、あなたがそんな風にロックを庇うなんて意外だわ」
 今度は逆にセリスの台詞に、エドガーがどきりとさせられる。己の気持ちは欠片も見せていないつもりだから。
「何故だい?」
「そうね。何故かしら。なんとなく」
 肩をすくめたセリスにホッとしながら、エドガーは、「女の勘か……? 侮れない」と内心で呟いた。
「それで、信じてみる気になったか?」
「そんなこと言われたって……まだ、すぐには無理よ」
 セリスの諦めがちな笑顔はなんともいえない内心をそのまま如実に表しているようだ。
「焦るのはよくないけど、先延ばしにするのはもっとよくないよ」
 優しく穏やかな笑みで告げたエドガーの言葉を実感するのは、翌日のことだった。

 

†  †  †

 

 崩壊する魔大陸の影響で崩れ落ちようとする飛空艇から必死で腕を伸ばしセリスを支えるロックを見て、彼を信じられなかったことを心から後悔した。
 このまま死んでしまうかもしれないなんて、何度も声を掛けようとしてくれた彼を避けて本当の意味で仲直りできたわけでもなかったのに、このまま死んでしまうかもしれないなんて───。
 それでも、激しく揺れる飛空艇から無理な体勢で乗り出しているロックとて、長くは保たないだろう。このままでは彼まで巻き添えにしてしまう。
「信じられなくて、ごめんなさい」
 食いしばっていた歯から漏れた言葉に、渾身の力でセリスを支えていたロックは眉をひそめた。
「こんな時になに言って……」
「恐かったの……。でも、わかったわ……。私は、あなたに生きてほしい……」
「何言ってんだよ」
「あなただけは、生きて……」
 強い意志を宿した瞳でロックを見つめると、セリスは力を振り絞って手を振り払った。
「なっ……!!!」
 ロックが慌てて掴み直そうとしたが、遅かった。彼女の手はするりとすり抜けて、雲の下へと消えてしまった。
「セリス─────────っ!!」
 舌を噛みそうになりながら必死に呼んだところで、彼女の姿は微塵も見えなかった。
「セリス───」
 歯を食いしばって甲板を叩いたロックだが、すぐにものすごい衝撃がきて自分も吹き飛ばされた。
 彼が願うのは、信じるのはただ一つ。

 ────きっと彼女は生きていてくれる

 ────必ず再会して、俺が幸せにしてやる
──── 必ず ────

 

・ fin ・

 

■あとがき■

 これにて完結となりました。ちょっと尻切れトンボな感じが残らないでもないですが、比較的ゲームに忠実にしていったので、以後はゲームと同じと思ってください。
 「なかなか伝わらない二人」がしっかり書けたでしょうか? 似たようなシーンは多く書いているので難しかったです。同じ理由でこの先は書きませんでした。崩壊後、ロクセリが再会する話のことね。「心」でも書いてるし、「薔薇の真実」や「うたかた」でも書いてるし……ね。この先はラブラブ間違いありません。ただ、ゲーム中崩壊前はどうあっても完全なハッピーエンドでは終われないなぁって。あの後、結局ロックはフェニックスの秘宝探してるし;;
 ゆうさん、いかがでしたでしょうか? 比較的評判がよかったこの話ですが、もしかしたらラストはあっけなく感じたかもしれません。ただゲーム中ということで、余計なオリジナル設定を入れたりすることをできるだけ避けました。そしたらああいう終わり方となってしまいました。自分的には悪い終わり方だと思ってません。InChainsもそうだったけど、これにはオマケはつきませんのであしからず。
 完結のさせ方というのは、どんな話でも迷います。読んでいても同じで「拍子抜け」の多いこと。きっぱりした終わり方もいいけど、引きを作る終わり方もいいよね。きっぱりでも「これは無理矢理だろう?」ってのはダメだし、引きがあっても「ちょっと物足りなさすぎるヒキだ……」っていうのもいまいちだしね。プロが書いたのでも微妙なんですから、私が書いたのなんかそりゃぁ……;; (04.07.28)
 誤字及び一部加筆修正しました。(09.05.13)

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