Ghost Rush



† 1 †

 その日は朝から異様に霧が深かった。
 ゾゾの裏手に伸びるジドレー山脈は、世界崩壊によって世界一長く高くそして険しい山脈と変貌した。その中程にある盆地を覆い尽くす広大な森──正式名称は付けられていないが通称『深い森』(ディープ・フォレスト)も、霧に包まれていた。
 地形が変わり失われたものもあれば、新たに生まれたものや戻ったものもある。世界崩壊前は知られていなかった遺跡の噂を聞き、ロックとセリスはその探索へ向かっていた。
 道が悪く広く森を抜けていくからには何日も野宿が続く。相応の用意をしてきたが、足止めされるのはいいものではない。
「霧が引くまで待つとなると……でも明日になってもこのままかもしんねーよなぁ」
 ロックは溜息を飲み込んだ。一緒にいるセリスは女性としては戦闘にも旅にも慣れているが、それでも長年トレジャーハンティングをやってきたロックとは比較にならない。不安にさせたくないからだ。
「でも、元々、道らしい道なんてないんだし、方位磁石を見ながら進めば平気じゃないの?」
 セリスは結構飄々としている。だから逆にロックは不安なのだ。霧を甘くみると危険だ。一歩先さえ見えないともなれば、どんな危険が待ち受けているかも予測できない──世界崩壊で地割れができているなどというような予想のつく範囲とは限らない。
「でもなぁ」
 ロックはむぅと小さく首を傾げた。一人だったら進むことは間違いない。だが、フとしたことではぐれる可能性がある。彼女とはぐれるなんて絶対に嫌だ。元々危険の多いトレジャーハントだからこそ、慎重に行きたい。
「大丈夫よ。それに2週間後にはフィガロへ行くんだから、日程を遅らせるわけにもいかないじゃない」
 セリスの言うことはもっともだ。エドガーとマッシュの誕生パーティーに呼ばれているのだから、どうしてもその日までにフィガロに行く必要がある。ギリギリの日程だから半日以上遅らせることはできない。
「仕方ねぇ。ロープで繋ごう。そうすりゃ、はぐれることはないだろう。離れないで進むんだぞ」
「ええ」
 セリスははりきって頷いたが、ロックは胸の奥に渦巻く不安が拭えなかった。

 それから1時間ほどは、好調に進んでいた。
 霧が深いせいか同時に動物達も姿を潜めている。しん…とした森は不気味なくらいに静まりかえっていた。
 ロープはある程度のゆとりをもってある。それでも霧の中であっても互いの姿が見える距離でゆっくりと歩みを進める。そのはずだった───
 頻繁に振り返り彼女の姿を確かめるとは言え、前を向いて歩いているのだからずっと確かめているわけではない。
 それは本当に一瞬のことで……セリスとロックを繋ぐはずのロープが少しだけ重く感じ不安になって振り返るとセリスの姿はなかった。
 ほんの30秒前に確認した時は彼女の姿はそこにあったのに、ロープが垂れ下がっているだけで、背後には誰もいない。
「セリ……ス……?」
 ロックは顔色を無くして立ち尽くした。
 ロープは途中で途切れている。千切られたような跡があった。
「おいおい、このロープが千切れるなんて……熊でもねぇと不可能だぞ……?」
 懸命に己を落ち着けようと試みる。だが不可能だった。予測不能どころではない。有り得ないことが起きたのだ。
「だから嫌だったんだ……」
 後悔してももう遅い。これからどう動くかを考える方が先だ。
 だが湿った地面に足跡がなく、何の手掛かりもなかった。今まで歩いてきた二人の足跡は残っているが、そこで途切れていた。
「……一体、何が…………」
 闇雲に探すしかないのか───。ロックは唇を歪めて近くの木の幹を殴りつけた。

 

†  †  †

 

 セリスの姿を探して森を歩き回ってどれぐらい経ったのか……。
 気付くと、ロックの前に巨大な屋敷が立ちはだかっていた。目の前も定かでないという状態の霧の中で、その館だけが異様にはっきり浮かび上がって見える。
「こんなところに館……?」
 思いっきり胡散臭い。不審に思いながらも可能性を見過ごせず、念のため尋ねてみることにする。
 霧に浮かび上がる館は廃れてはいるが窓から小さな灯りが漏れていた。人の住む気配があるとは言い難いが、外門から玄関までの道は雑草が踏み分けられている。
 観音開きの外門を少しだけ開いて身体を滑り込ませる。ギィィィィ……という錆びた門の音が響き、ロックは更に不安を増した。
 薄暗い玄関に立つと、生唾を飲み込んでノックをした。
(なんつー嫌な感じの屋敷だ)
 小さい頃、祖母が聞かせてくれた逸話に出てきたお化け屋敷を思い出す。有り得ないと思っているけれど、霊魂が存在する限り絶対とは言い切れない。
 しばらくすると、扉が薄く開いた。小さな灯りが漏れて、古めかしい黒いスーツを着た若い青年が顔を出した。異様に整った顔をした青年はこの世のモノでないように美しい。手には年代物のランタンを()げていた。
「こんな森の中に珍しい。どうかされましたか?」
 青年は中性的な声で尋ねてくる。ロックは胡乱(うろん)そうになる表情を堪え、
「連れとはぐれたんですが、知りませんか?」
 出来る限り丁寧に尋ねた。はぐれたという表現が適切かどうかもわからないが、仕方ない。
「それは背の高い金髪の女性ですか?」
 青年は表情を変えずに問い返す。ロックは目を見開いてから食い入るように前に出た。
「特徴はそれであってる。ここにいるのか?」
「はい。少し前に迷っていらっしゃいました。身体が冷えていらしたので、温かいお飲物をお出しして休んで頂いております。お連れ様とはぐれたことは聞いております。どうぞこちらへ」
 屋敷の中へ迎え入れられ、ロックは素直に付いて行くことにした。他に手掛かりのない今はこうするしかない。
 豪奢なシャンデリアに灯る蝋燭(ろうそく)は細く、屋敷の中は薄暗かった。青年がランタンを片手に持っていた理由も頷ける。
「私はこの家の執事をしておりますヴァーミリオンと申します。主人は体が弱く布施っておりますので、ご挨拶ができないことを変わってお詫びいたします」
「いや、こっちこそ、世話になってすみません」
 美しい容姿でありながら無表情なヴァーミリオンは不気味な男だと思う。若いのにこんな山奥で執事をしているのだろうか。
 応接室へ通されると、セリスがソファーに腰掛けていた。
「今、お茶をお持ちします」
 そう言って下がったヴァーミリオンの言葉も無視し、
「セリス!」
 ロックは慌てて彼女に駆け寄る。一方、彼女の方は大して驚きもせずに、
「どうしたの? そんなに慌てて」
 くすりと笑みをもらした。ひどい違和感にロックはその場で動きを止める。
「どうしたのって、お前、いきなり消えるからすっげー驚いて心配して散々探したんだぞ」
「ごめんなさい。私もよく分からないんだけど、気付いたらこの屋敷の前にいて……ヴァーミリオンが、きっと連れの人も来るって言うから……」
「とにかく、お前が無事だったならそれでいい」
 ロックはやっとホッとして、セリスの隣に腰を下ろした。
「しっかし、こんな山奥に家なんて、世界崩壊でよく潰れなかったな」
「そうね」
「ま、今日はここに泊めてもらうか」
 執事ヴァーミリオンが戻ってきたら頼んでみようと思ったが、時間が経っても彼は戻ってくる気配がない。
「何かあったのかな?」
 ロックは首を傾げて立ち上がる。艶やかな笑みを浮かべたセリスは、
「いいじゃない。気にしないで」
 ロックの腕を引いて座らせると、しなだれかかってきた。
「どした?」
「寂しかったの……」
 伏し目がちにセリスが呟く。その姿が異様に色っぽく感じ、ロックはどきりとしてしまう。
「お、おい。いつ執事さんが戻ってくるかもわからないんだぞ」
 人前でベタベタするのは苦手だ。セリスだってそういうことを気にするはずなのに……よっぽど心細かったのだろうか。最初の態度ではそうは見えなかったけれど。
「きっと、気を利かせて戻って来ないわ」
「気を利かせてって……」
 珍しくも狼狽(うろた)えるロックに、セリスは小さく笑みを零す。その口元から見覚えのない犬歯が覗いていた。
「……?」
 あれ? と思う。先程から続く違和感は一体なんだろう?
「あなたがいなくて、不安だった」
 囁いて唇を寄せてくるセリスに対し引け腰になっていたロックは、彼女を引き()がした。
「ちょっと待てって。ここは見知らぬ他人の家で、ちょっと寄らせてもらっただけなんだぞ。お前、どうしたんだ?」
「ご、ごめんなさい。本当に不安で寂しかったの。ずっと、一緒にいてほしいから」
「それとこれとは話が別だろう。お前、本当にセリスか……?」
 ロックの一言に、セリスの顔色が変わった。ひどく傷付いた表情で俯く。
「そんな言い方……。私だって、いつも強くあれるわけじゃないわ」
「わ、悪い……。でもさ、それでも時と場所をわきまえないと……」
「わかってるわ! でも、不安だったの……!」
 今にも泣きそうなセリスに、ロックはどうしていいか困ってしまう。こんなセリスは見たことがなかったから仕方ない。自分より8つも年下であることを考えれば、突然情緒不安定になってりもするのだろうか……それにしてもなんか違うと思う。
「と、とりあえず、ゆっくりできるように執事さんと話してくるよ。な」
 ロックは急いで立ち上がると、セリスの静止を振り切り応接室を出た。

 

†  †  †

 

 ちょっと足下の木の根に蹴躓けつまづきそうになり、下を見た。ほんの一瞬のことだ。
 それだけなのに、顔を上げるとロックの姿が消えていた。
「え……?」
 彼とつながっていたはずのロープは途中で千切れて虚しく垂れ下がっている。
「う、嘘……。ロック……? ロック?」
 名前を呼んだところで返事は全くない。
「ロック!!」
 すぐに気付くだろうから、叫べば聞こえるかも知れない。そう思ったけれど、何も返ってこない。
「ど、どうしよう……」
 セリスは方位磁石も持っていない。迷った時は動かない方がいいと言うけれど……どうすればいいんだろう?
 気付いて戻って来てくれるはずだ。じっとしていた方がいい。
 ロックを信じていれば平気だと己に言い聞かせて、木の幹にもたれ掛かった。動かないでいると身体が冷える。背負っていた毛布を取って身体に巻き付け縮こまった。
 だが、どれだけ待ってもロックは戻ってこない。
「どうしよう……」
 霧が晴れれば星や太陽で大体の方角の検討もつく。一人で戻ることも可能だろうけど、彼はセリスの姿が見つかるまで探すだろう。
 不安にさいなまれ、どうしていいかわからないでいると、さあっと霧が晴れた。
「…………?」
 あれ? と思って顔を上げると、少し先に大きな建物が見える。廃墟のようにも見えるが、窓から灯りが漏れていた。
「あんなところに屋敷が……? あれなら霧が晴れても目立つしここにいたら風邪を引くか凍死しちゃうわ」
 そうと決めると、毛布を畳んで背負い直すと屋敷を訪ねることにした。
 ちた庭の奥でセリスを迎えてくれたのは、彼女と同じ年ぐらいの青年だった。屋敷の執事をしていてヴァーミリオンと名乗った青年は、セリスを客間に通して温かい紅茶を出してくれた。
「ありがとうございます。あの、はぐれた連れが来るかも知れないんです」
 不安そうに告げるセリスに、ヴァーミリオンは無表情で頷いた。
「かしこまりました」
 ヴァーミリオンが出て行って一人になると、セリスは溜息をついて窓の外を見た。
 霧は再び深くなっていた。窓の外は白く濁って何も見えない。閉じこめられたような錯覚に陥り、セリスは身震いした。
 紅茶を飲んで身体があったまってくると、急激に眠くなる。
「…………?」
 安心なんて全然できてないのに、あらがえない眠気に襲われ、抵抗することもできずソファーに沈んだ。
「ロック…………」
 まるで睡眠薬を飲まされたような眠気に、更なる不安を抱きながら吸いこまれていった。

 

■あとがき■

 携帯版【万象の鐘】5555Hit 浅野 優緋さんのキリリク『幽霊屋敷にロックとセリスが迷い込んでしまう(ラブあり、シリアスあり、ホラーあり(ギャグOK))』 にお答えします。
 ギャグに関しては苦手なのでちょっと難しいかと思います。ラブ、シリアス、ホラーは頑張って盛り入れたいと思います。
 全3~4回の予定。今回は余り長くしないつもりです……が、恒例でどうなるかはわかりませんw
 幽霊屋敷モノっていうのは定番なだけに難しい。いつもありがちになってしまうことに悩んでいる桜です。今回も、私らしさなんてものが出せるかどうか……不安でいっぱいです。が、書かないとうまくなりません。皆様からのリクエストは課題だと思って、いつも精一杯消化しています。ので、どうか許してくださいね。
 叱咤激励をお待ちしていますw(04.9.26)
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 誤字脱字修正及び文章補正に伴い、タイトルをロゴ変更、体裁修正行いました。(06.02.06)

† 2 †

 なんだかいつもと違うセリスから逃げ出すように廊下に出たロックは、キョロキョロと辺りを見回した。
 壁に点々と蝋燭(ろうそく)がかかっているがその光は小さくワインレッドの絨毯が敷かれた廊下は薄暗い。
「気味悪い屋敷だよな……」
 眉間に皺を寄せて呟いた。恐がりではないが決して気持ちのいいものではない。得体の知れない不気味さがあると余計だ。
「あの執事はどこにいんだ?」
 (いぶか)しげに辺りを見回しながら玄関ホールまで戻ってくる。2階への階段があり吹き抜けとなっている玄関ホールは広い。シャンデリアの蝋燭がゆらゆらと落ちる影を揺らしている。
 玄関の扉の周囲にある窓から外を見た。先程までよりも深い霧に包まれ、森の様子は全く見えない。
 何の音も気配もない空間にロックは背筋がゾッとした。暗い遺跡や洞窟を多く冒険してきたけれどそういうのとは全く違う。闇や静寂を恐れたことはないけれどこれは正直に恐いと感じていた。
「あのー、すみませーん」
 とりあえずロックは声を出してみる。
「ヴァーミリオンさーん」
 執事を呼んでみても返事はない。しん……と静まりかえったホールで、ロックは首を傾げる。
「本当に気を利かせたのか? それにしても、放っておかれても……かえって困るんだけどな」
 仕方なくセリスの元へ戻ろうかと思うが、あの彼女はなんか変だった。まるで姿形はセリスなのに、中身は別の人間のように感じた。
「まさか、な……」
 ハハと渇いた笑いを漏らす。だが、不安が拭えない。心の奥底から沸き上がる不安は一体、どこから来るのだろう? 何故?
「でも、有り得ないわけじゃ、ない……」
 長年トレジャーハンティングをやってきたロックは、自分の勘を信じることにしている。こういった時に不安に感じるのは本能的な何かのが警告している可能性が高い。
「行儀悪いとは思うが……少し調べさせてもらうか」
 ロックは自分たちが案内された館の左側とは逆の廊下に入って行った。

 

†  †  †

 

「ん……? 気持ち、悪い……」
 フラフラする頭をなんとか覚醒させ、身体を起こした。
「……ここ…………?」
 記憶が混濁していて、自分が何をしていたのだかわからない。薄暗い空間で目を覚ましたセリスは状況を把握しようと辺りを見回した。
「えと……ロックとはぐれて、古い屋敷に来て……眠くなって…………」
 眠くなったのはソファーだったはずだ。しかし今、自分が寝ていたのは冷たい床。材質は石のように冷たいが今まで触れたことのない感触。
「何がどうなって……」
 立ち上がって四方八方をぐるりと確認すると、遠くにうっすらと光が見えた。あの屋敷の中にこんな広いところがあったとは思えない。ではあの執事が自分を移動させたのだろうか。
「とりあえず、行ってみるしかないわよね」
 魔物が作った空間のように暗く何もない場所。変に思いながらも取り乱さないのは、まだ頭がボーっとしているからに過ぎない。
 どれぐらいの距離を歩いたのかも定かではないが、光の正体がはっきりしていくにつれて、セリスは美しい顔を歪め眉根を寄せた。
「窓……?」
 光だと思ったのは何もない真っ暗な空間にぽつりと浮かぶ縦長の窓のようだった。
 目の前までくるとセリスはそれに触れてみる。手触りはガラスに似ていた。だが、どこに填っているというわけではない。その窓の周囲は何もない空間であり壁もない。眉をひそめて窓の裏を見ると、ガラスを塗りつぶしたような黒い板になっていた。
「窓、じゃない……?」
 では、このガラスの中に見えている景色はなんだろう?
 じっと観察してみる。どこかの部屋のようだ。ベージュの絨毯、レースのテーブルクロスのかかったテーブルに革張りのソファー。テーブルの上にはカップとソーサーが置いてある。
「この部屋……私が案内されたところ?」
 セリスは首を傾げた。決して絵ではない。角度を変えると見える場所が違うから。では、一体、これはなに?
 さっきの部屋を思い出す。じっくり検分するようなことをしなかったけれど、あの部屋にあったのは、他に……?
「鏡!」
 思いついて大声をあげたが、すぐに項垂れる。それが分かったから何だというのだろう。
「一体、何がどうなってこんなことに……?」
 魔力があり魔物がはびこっていた頃なら不思議ではなかった。絵の中に吸いこまれたり夢の中に入ってしまったこともあるけれど……。
「どうすればいいんだろう?」
 溜息混じりに呟く。自分で何ができるだろうか? この鏡を斬るという手段があるが、このままここに閉じこめられることになりかねない。想像して冗談じゃないと思う。じゃあ、どうすれうば?
「焦っても仕方ないよね。……ロックが、助けに来てくれるかな」
 はぐれてしまった恋人を思うと、すごく心細くなる。
「昔は一人でも平気だったのに……」
 それは弱くなったということなのか、そんな考えが頭を掠めた。だけれども、それは不快なことではなかった。

 

†  †  †

 

 廊下に入って一部屋一部屋確かめていく。
「なんつーか、廃屋って感じだな」
 一人ごちたロックは肩をすくめた。
 ホールや先程案内された応接室は綺麗だったが、屋敷正面から向かって右側は全く使われていないようで、床は軋み埃がつもっている。
「人数が少なくて手が回らないから、不要な部屋は放っておいてるのか?」
 ここにはあの執事ヴァーミリオンと主人の二人しかいないのだろうか。買い出しなども不便だろうに、何故こんなところに住んで───それ以上にどうやってこんなところに屋敷を建てたのだろうか。
 ケフカの粛正による地殻変動で屋敷の位置が変わってしまった可能性は大いにあるだろうが、そんなに丈夫そうな建物にはみえないし、どちらにしろ元々この森の中にあったことに代わりはないだろう。更に崩れなかったのが不思議だ。
「こっちにゃ誰もいねーか」
 そうは言いながらも、一通り見ないと気が済まない。『この屋敷には何かある』そんな気がしてならないからだ。
「こっちは客室だったのかな」
 似たような造りの部屋が並んでいる。差ほど大きくはないがベッドが備え付けてあり、多くの客人を泊めることができそうだ。
「しかし、泊めてもらうっつったって、この埃まみれの部屋に寝るのか?」
(セリスのこと置いてきちまったけど、平気だよな)
 正直にあのセリスの元へ戻りたいと思えない。一緒に旅して何年も経つがあんな彼女は知らなかった──悪い意味で。
「マジで、ヴァーミリオンさんは何やってんだろうな」
 首を捻りながら一番奥の部屋の扉を開けた。今までと変わらぬ部屋だ。が、心持ち掃除されている気がする。
「なんでここだけ綺麗なんだ?」
 呟いた時、微かな声が聞こえた。
『ロック……』
「?」
 それはセリスの声に似ていたような気がして、ロックはキョロキョロと部屋の中を見回す。
 特に変わったものはない。ベッド、テーブル、ソファ、クローゼット、姿見。他の部屋と変わらぬ配置のどこにも人の姿はない。
「空耳、か……」
 頭をかきながら首を傾げて部屋を出ようとしたが、
『ロック……!』
 また聞こえた。小さいけれど、やはりセリスの声だ。
「俺のこと追いかけてきたのか?」
 廊下を覗くけれど誰もいないし気配もない。しかし、気のせいで済ませてはいけないような気がした。
『ロック! 助けて!』
 先程よりも明確な声が聞こえ、
「やっぱ、部屋の中から聞こえる気がすんだよな」
 再び部屋に入る。いるわけないと思いながらクローゼットを開けてみたり、窓の外を見てみたりする。
「……また霧が深くなったな……」
 開け放した窓から手を伸ばすと指の先が霧に隠れて見えず、これほど濃い霧など今まで経験したことない。
「嫌な感じだ」
 唇を歪め窓を閉める。再び部屋の中を見回して、ロックは絶句した。
「セリ……ス……?」
『……ロック…………』
 鏡にセリスが映っていた。映っているのに鏡に映る室内のどの場所にも彼女はいない。鏡は部屋を映してはおらず、薄暗い闇の中にセリスが座り込んでいた。
『助けて』
 泣きそうな顔で訴える彼女に胸が痛んだ。じゃあ、先程まで一緒にいたあのセリスは……?
「一体、どうしたんだ?」
 鏡の前に膝をついて彼女と目線を同じくすると、優しく尋ねた。
『わからないの。あなたとはぐれて屋敷に気付いて、屋敷を訪ねてお茶を飲んだら眠くなって……気付いたらここにいたの。これは、鏡の中?』
「ああ、そうみたいだ。しかしどうして……?」
『真っ暗で何もないの。この鏡と思われる部分だけが明るくて窓みたいに私が案内されたと思われる部屋の中が見えてるだけで……』
 セリスが涙ぐんだ。先程まで気丈に自分を保っていたのに、ロックの姿を見たことで気が緩んでしまった。
「お前、さっき、応接間にいたか?」
 ロックの質問に、セリスは不思議そうに小首を傾げた。
『応接間? なんのこと?』
「……いや、なんでもない。この屋敷はなんかおかしい気がする。なんとかお前のこと助けるから、待っててくれ」
『うん……。でも、無理はしないでね……』
「わかってる。大人しくしてろよ」
 言い置くとロックは部屋を出た。ヴァーミリオンか先程のセリスを問いつめないと気が済まない。
 あの応接室にいたセリスは完全な偽物なのか、または身体だけはセリスなのか……その辺の判断がつかないことは困る。だが不思議と、鏡の中にいたセリスが偽物だとは思わなかった。
「さしずめここは、怪奇の館ってとこか……」
 不快さを隠そうともせず応接室に戻ってノックもなしに扉を開けた。
「あ、お帰りなさい。ヴァーミリオン、いた?」
 セリスの柔らかい微笑に、ロックは一瞬毒気を抜かれる。だが、気を強く持って詰め寄った───容姿が彼女だといまいち気が削げるがなんとか己を叱咤(しった)して。
「お前、本当にセリスか?」
 低い声で尋ねる。するとセリスは傷付いたような顔で泣きそうになった。
「ロ、ロック? なに、突然?」
 セリスの容姿でこういう表情をされると、ロックはそれ以上の詰問(きつもん)ができそうにない気がしてくる。苦虫を噛み潰したような顔で、唇を歪めた。
「お前がお前であると証明できるか?」
「証明って……私は私よ? ロック? どうしてそんなことを言うの?」
 必死に(すが)るような態度に出られ、唇を噛みしめた。魔導研究所で彼女をスパイだと決めつけてしまった時の記憶が(よみがえ)り、どうにもやりにくい。
「そういや、お前、剣はどうしたんだ? 聖剣エクスカリバーは?」
 セリスは荷物をソファーの脇、床に置いている。先程は気付かなかったが、そこに彼女の愛剣がない。鏡の中にいたセリスは帯剣していた気がするから、一緒に鏡の中に入ってしまったのだろうか。
「え……」
 ロックの問いに、セリスは戸惑ったように視線を宙に彷徨(さまよ)わせる。
「お前が自分からあれを手放すはずはないよな。世界から魔法が消えても、エクスカリバーの聖なる属性が消えるわけじゃない。あの剣が持つ力が消えるわけじゃない───あれは魔法とは違うから。どこにやったんだ?」
 言葉にしているうちに、このセリスが偽物であるという確信が強まっていく。
 責められたセリスは顔を歪めた。
「……思ったより聡いのね」
 泣きそうだった表情は消え、婉然とした笑みが浮かぶ。
「大人しく私のものになった方が、楽だったのに」
 豹変したセリスに、ロックは抜き去ったグラディウスを突き付けた。聖なる光を(まと)う短剣に彼女はサッと身体を引く。
「お前は一体何者だ」
「私? 私はこの屋敷の主ヴェルナーテ。悠久の時を生きる者。可愛がって私の糧として逝かせてやろうと思ったのに……愚かな男」
 甲高い笑い声を上げたセリスの容姿をした女は、すうっと姿を変えた。ヴェルナーテと名乗った女は、緩く撒かれた漆黒の髪に赤い瞳が獰猛に光る妖艶な美女だった。白磁の肌に大きく胸の空いたワインレッドのドレスが似合いすぎている。
「セリスを返せ!」
 グラディウスで斬りつけたロックをひらりと優雅な動作で避けると、ヴェルナーテは呟いた。
「残念。お前達はもうこの屋敷から逃げられない。私から逃げられない。逃げられるものなら逃げてみるがいい。私を楽しませておくれ」
 それだけ言うと彼女の姿はすっとかき消えてしまった。
「くそっ!」
 短剣を握っていない方の手でテーブルを思い切りたたくと、白木にヒビが入る。
 置いてあった自分の荷物とセリスの荷物を手にとって、部屋を飛び出す。
 鏡の中にいたセリスはどうなっただろう?
 大急ぎで再奥の客室に入ると、鏡の中からセリスの姿は消えていた。暗かった鏡は普通に戻り、通常通り部屋を映している。
「どうなってんだ!!!」
 やり場のない憤りだけがロックを支配していた。

 

■あとがき■

 この題名はアルゼのスロットからとりました。マイナー台かもしれないですね。Cタイプの台だったかなぁ。ラッシュと付くからには勿論AT機。打ったことはありませんがw スロットやらない人にはまったくわからない話題ですね;;
 ヴァーミリオンさん……この名前はサガ・フロンティアの『ヴァーミリオン・サンズ』って魔法があった気がして、それからとりました。名前とか考えるの大変よぅ。好きだけどね。名前に関しては、めっさ好みが出るわぁ。
 今回もBGMは宇多田ヒカルです。基本的に聞くのはいつもはいつも同じで、GRASS VALLEY、ミスチル、アニメタルと宇多田の4つを交互に聞いています(いっつもつけてるわけじゃないけど)。今は旦那が「こたえてちょーだい」見てて、私はTVとか人の話し声がっすっごい嫌なので(集中できない)、イヤホンで聴いてます。TVとかついてると小説書けなくて、全然進まないんだもん^^; しかも怪奇現象特集みたいのだし。私はそういうTV嫌いだからさ(嘘臭いから)。信じてないしね。そういうことが存在するとしても、私の生きる世界にはないの。何故か? 見えない世界にいるからね。見えるって人が嘘ついてるとは思わないけど(TVで言ってると「嘘くさっ」って思うけど)。私は見えないから、魂とか幽霊とか宗教とかオカルトの存在しない世界にいるのw 見える人は存在する世界にいるんだろうね~。っていうか、見えないもの、感じられないものを信じることは私にはできないのさ(大槻教授タイプなのさ。あの人みたいに他人を否定はしないけどね)。
 しっかし、話が進んでません。うーん。4話で終わるかなぁ。幽霊屋敷モノ、こんな感じでいいんでしょうか? もっとドタバタな感じにするべきだったのかな? 基本的にシリアスしか書けないので難しいですぅ。
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† 3 †

 ロックは焦る気持ちを抑え、カンテラ片手に一部屋一部屋丹念に調べることにした。
 最初に案内された館の左側には何もなかった。ただ案内された応接間以外は右側の部屋と同じように廃れ、埃が積もっていた。
 寸分なく積もる埃を見る限り、人が出入りした形跡はない。ということは、隠し扉などがある可能性も薄い──怪しい館には隠し扉はつきものだとロックは思っている。
 だが、あの女──ヴェルナーテとか名乗った女は忽然と姿を消した。そういう者が出入りするとしたら、扉など使うはずがなく……埃を我慢して部屋中くまなく調べるか。
 少し悩んだロックだが、とりあえず見れる所を全て確認してからにしようと思う。あの埃の中で調べていたら時間がいくらあっても足りない。
 それでも、埃のない部屋──最初に案内された応接室やセリスが閉じこめられていた鏡のあった客室などは丁寧に調べる。
「なんにもなし、か……」
 一通り部屋を調べたロックは溜息を飲み込む。1階ではあと台所とそこから行ける地下室だけだ。
 台所は比較的綺麗だ。客人にお茶を出すためか───そのお茶は一体どこから仕入れるのか不思議だ。台所を調べ終えると、ロックは床にある鉄の板の前に立った。取っ手があるから物置にでも繋がっているのだろう。
 しかしその鉄の板は床に接着されている。必要がないからなのか、一体、なんのために……。
 ロックはナイフを入れてそれを剥がしにかかる。なんの接着剤を使ってあるのか妙に固い。セメントのようなものに見受けられるが、妖怪の使うものはわからない。
 20分かけてそれを剥がすと、ロックは深く息を吐いた。ボロボロになったナイフを捨てて──ナイフは予備がいくつかある──、鉄の板の取っ手を掴んだ。
「結構、重いな……」
 呟きながらそれを持ち上げようとしたが……ポロッ
   ガァァンッッ!!
 錆びていた取っ手がとれ、轟音を緒もなって板が床に落ちた。
「のわっ!!!」
 慌てて飛びすさる。足が挟まらなくてよかったと胸を撫で下ろし、さっき捨てたナイフを拾って隙間にいれる。そのまま持ち上げ、
「くぅっ」
 渾身の力を込めてひっくり返した。分厚い鉄の板は向こう側の壁に斜めに寄り掛かる。
「ふう……」
 手についた錆を払いながら、鉄の板があった部分を覗き込む。脆そうな階段と漆黒の闇が広がっていた。
 朽ちたナイフと交換するようにテーブルに置いていおいたカンテラを取って、中を照らそうとする。階段は結構長い。木が腐っているようにも見える。
「……これは抜けそうだな」
 眉をひそめて呟く。が、こういう所を見つけたら入らずにいられないのがトレジャーハンターだ。
 探しているのは何よりの宝───愛する恋人なのだから。
 ロックは意を決して足を踏み出した。丈夫そうな部分を探し、できるだけ階段の端を下りる。
 何度か抜け落ちた部分があったが、ひやりとしながらもそれをやり過ごし地下まで下りた。
 地下は本当に闇の中で、どこか灯りを点せるところがないかと探すがそれらしきものは何もない。階段を下りてすぐは狭い部屋で、やはり埃が積もっており何もなかった。
 ロックは気配を探りながら、一つだけある扉を開けると、
「ウケケケケケケケケケ!!!」
 突然、白い何かが飛び出してきた。
「!!」
 咄嗟に横に飛び退くと、その白い何かが視界に捕らえられた。
「うげっ」
 苦い顔で舌打ちをする。それはひょろりとした骸骨だったからだ。
「魔法がなくなったっつーのに、なんでこんなのが……」
 呟きながらロックはグラディウスを抜く。存在理由を考えている暇はない。魔物でなくとも妖怪や幽霊や化け物は昔からいるのだ。
 カクカクと歯を鳴らしロックに向き直った骸骨は両手を振り上げる。幸い武器は持っていない。
 ロックは問答無用で脇に周り大腿骨に蹴りを入れ相手がよろけたところにグラディウスを一閃した。
 骸骨は聖なる輝きを帯びるグラディウスに怯み、頸椎を割られるとあっさりと崩れ落ちる。
「1匹ならいいけど、たくさん来ると分が悪いかもな」
 一人ごちたロックはグラディウスを鞘に戻すと、扉の向こうを覗き込んだ。長く伸びる廊下が続いている。やはり壁には灯りを点せるような蝋燭や松明はない。化け物には必要ないのだろうから仕方ないか。
 ロックは慎重に廊下に出た。
 狭い廊下は石造りで湿っぽくカビ臭い。廊下の右側には点々と扉があり、まず一番手前を開ける。
 先程と同じようなことを予想して、すぐに脇に避けた。だが何も出てこない。しかし気温が急に下がったような気がする。生臭い匂いとおぞましい気配。
「………………」
 壁を背にし、頬を歪めてそっと鏡を伸ばす。薄暗くてよく見えないが、人外の何かが存在した。
 相手の出方を探っていると、ズルッ……と嫌な音がする。何がを引きずるような気配。
 多くの魔物と戦ってきたロックは、並大抵の化け物相手では驚きはしないし怯みもしない。だが、得体の知れぬ相手との視界の悪い場所での戦いは明らかに不利だ。
 何かの気配は扉に向かっている。ロックは携帯松明に火を付けると、それを投げ込んだ───石造りの地下では火が広がることはないだろう。
「ギィヤァァァァァァァァァァァ!」
 (つんざ)くような嬌声に、ロックは身体を竦ませた。扉から離れると、小部屋から炎を纏った何かが飛び出してくる。
 太く長い尾に女の上半身───ラミアに似ていた。のたうち回るラミアが帯びていた炎はしばらくすると消える。
「グゥゥゥゥ。キサマ……ッ!」
 (ただ)れた身体でラミアはロックを睨み付けた。炎が消えるまで手が出せなかったロックは、アルテマウェポンを抜く───接近戦のグラディウスより多少距離をとりたいと思ったからだ。
 魔物と同じとは限らないが魅了眼を警戒し、ラミアの顔を直接見ずに青白く妖しい光を発する片手剣を構えた。
 振り上げられた尾を避け後退する。これは近付くのが大変そうだ。
「面倒くせぇな」
 化け物相手の戦闘など久し振りだ。少し勘が鈍り身体がなまったかもしれない。
 アルテマウェポンを振り上げ斬りかかろうとする。その攻撃態勢の中で太腿に巻いてある皮ベルトから手投剣を取りだして、アルテマウェポンを払おうと振り上げた尾に隠れて、手投剣を放った。
 尾に弾かれたロックは受け身を取ってすぐに立ち上がる。ラミアは片目を潰されもがいていた。隙を逃さずにアルテマウェポンでその首を弾き飛ばした。
 悲鳴を上げる暇もないまま、ラミアはどろどろと溶けていく。
「この化け物達は、あの女の仲間? 手下? っていうか、ここは一体、なんなんだ?」
 冗談抜きに俗に言う幽霊屋敷みたいだと思い、その通りかも知れないと考える。
 以前、打倒ケフカの為に旅をしていた時のように、対化け物の装備をそれほど持っていない。まさかこんなところに迷い込むハメになろうとは……想像だにしなかったから仕方ないだろう。
「とりあえず、妖しい気配の部屋はパスするか」
 いちいち化け物と戦っているのは馬鹿らしい。一目散に、怪しそうな廊下の最奥の部屋を目指した。
 扉には鍵が掛かっていたが、そんなものはロックにかかればお茶の子さいさいだ。楽々とピッキングをこなし、扉を開けた。

 

†  †  †

 

 ロックが去って気が抜けたセリスは、ぼんやりと鏡の向こうを眺めていた。変化のない景色、音のしない世界はひどく退屈で精神を参らせる。
 セリスは大きく息を吐くと、眼を閉じた。ゆっくりと腹式呼吸を繰り返す。どんな時も落ち着いていなければ対応できない。
 しばらくして精神集中を終えたセリスは整った眉宇をひそめた。足音がする。ロックではない───多分、革靴だ。ヴァーミリオンだろうか。
 果たして、扉を開けた人物はセリスの予想通りだった。
 人外の美貌を持つ青年は鏡の前に立つと、冷たい無感動な眼でセリスを見た。
「何が目的なの?」
 セリスは冷静に訪ねる。鏡に閉じこめた犯人を目の前にして心中穏やかとは言えないが、どちらにしろ何もできない。いきり立ったところで良いことはないはずだ。
 ヴァーミリオンは彼女の質問には答えずに、秀麗な口元から滑るように声を出した。
「居心地はどうですか?」
 的はずれな問いに、思わずカッとなりそうになるが思いとどまる。それでもムカムカは抑えられず、苛立った口調で答えた。
「それは嫌味? いいはずないでしょう?」
「嫌味などではありません。ずっとそこにいれば、あなたも馴染んでくるはずです」
 表情一つ変えないヴァーミリオンに、セリスは訝しげな顔で聞き返した。何に馴染むと言うのだろう?
「馴染む?」
 すると今まで無感情だったヴァーミリオンは、極上の笑みを浮かべた。美しすぎて陰惨に感じるほどに整った笑顔で告げる。
「闇に」
「なっ……それはどういう意味? あなたは一体、何者?」
 魔法がなくなった今、そんな特別な力を持つ存在などいるのだろうか? セリスには信じられない。
「私は闇の世界に属する者。人の身体を捨てた者」
「……? 元は人だったってこと?」
「さあ? 昔のことは覚えてません」
 優雅に微笑みながら、ヴァーミリオンはセリスの腰に視線を落とした。そこに下がる一振りの剣。
「あなたが闇に染まろうとしないのは、それのせいですね」
 再び無表情になったヴァーミリオンが呟く。セリスは思わずエクスカリバーの柄に手を掛けた。これを取られるわけにはいかない。
 ヴァーミリオンはそっと手を伸ばしてくる。思わずセリスは立ち上がって逃げようとしたのだが、身体が全く動かない── 一体、どんな力を持っているんだろう? この男は。
 彼の白く細い女性のような手が、ガラスに波紋を浮かべて鏡を通り抜けた。セリスは必死に仰け反ろうとするが、身体はぴくりとも動いてくれない。
 だが、エクスカリバーに触れようとしたヴァーミリオンは、何かに弾かれたように手を引っ込めた。
 そしてやや難しい表情になり、セリスを見た。
「それだけの聖剣を持つなんて、あの男といい、貴女は一体何者だ?」
「……? 私は私よ。何者だなんてほどのことはないわ」
「まあいいでしょう。飢餓と孤独に苦しめば、あなたは自ずとその剣を手放したくなる日が来るでしょうから」
 うっすらと笑みを浮かべそう言い残すと、ヴァーミリオンは優雅に去って行った。
「一体なんなのよ!」
 腑に落ちないことばかりだ。ロックは一体どうしただろうか。この屋敷ではあの男の方が圧倒的有利に見える。無事でいてくれるといいけれど……。
 再び一人になって、暇を持て余し始めたセリスだが、予期せぬ客人に腰を抜かしそうになった。
 突然、部屋に現れたのだ。扉も開けず、忽然と鏡の前に。
 それは妖艶な美女だった。大きく胸の開いたドレスから覗く谷間にゆったりとウェーブする黒髪が掛かって、セリスは同性でありながらその色気に圧倒される。
「何者?」
 それでも気丈なフリで不躾に尋ねると、美女は淫猥な笑みを浮かべて呟いた。
「あの男を籠絡するには、お前でないと駄目なようだ」
「……は?」
 意味がわからずセリスが変な顔をしたが、美女は気にも留めず鏡に手を伸ばした。
「ここから出してやろう。愛しい男にも、すぐ、会える」
 優しい言葉とは裏腹に、美女が浮かべたのは壮絶な笑みだった。

 

■あとがき■

 なんだかお届けが毎週水曜日になってきてます^^; 水曜日に休みを頂いているからなんですけどね。まあ、それでも毎週届けられればいいかなw
 やっと「ゴースト・ラッシュ」になってきました。幽霊が大量に出てこないと「ラッシュ」じゃないもんね。でも、大量とは全く言えない……うーむ。難しいね。
 こういう話は書くのが大変です。「ありがちでなく、ハラハラドキドキできて、先がわからない」そういう高い理想を持っているせいでしょうけど、難しい。勿論、書いてうまくなりたいので、書く機会があることを有り難く思ってます。でも、つたないものになってしまうのが悲しい。まだまだ勉強中の身、許してくださいね。(いつになったら勉強中じゃなくなるのかわからないが)
 こういう場面は、正直、書くのに時間がかかります。細かい表現が難しいからかな(私の語彙が少ないせいでしょう)。こんなことばかり書くのは、駄文に対する単なる言い訳です^^; 「ちょっと物足りない~。もっと面白く書けないの~?」と思っても許してください。
 そういえば、前回ガラス越し(鏡だけど)のキスを書くか迷いました。うーん、だってさ、ガラス(鏡)に跡が残るじゃない? それってみっともないっていうか、間抜けっていうか……ねえ? シティ・ハンターとかでもあったけどさ。その跡を考えると、書けない桜でいした;;
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† 4 †

 地下最奥の部屋へ入ったロックは目を見開いた。
 木箱と樽が並ぶ部屋の真ん中で、閉じこめられていた鏡から消えた恋人が冷たい石床に倒れているではないか。
「セリ……ス……?」
 応接室での偽物を警戒してそっと近付く。
 だがここで倒れているセリスは聖剣エクスカリバーを腰から下げていた。あの女はグラディウスの光も嫌がったから、本物だろう。
「セリス」
 俯せになっている彼女を仰向けにして頭の下にタオルを入れる。ペチペチと頬を叩くと、セリスは顔を歪めてうっすらと目を見開いた。
「……私……?」
 ぼんやりと上半身を起こし、頭を振る。
 その姿を見てホッとしたロックは、有無を言わさず彼女を胸に引き寄せた。
「鏡から出られたんだな……。よかった」
 ついさっきまで何もない空間にいたセリスは、突然の温もりに思わず涙ぐむ。優しいロックの匂いを吸いこんで、力を抜いて身体を預けた。
「どうやって出たんだ? どうしてここに?」
 セリスを抱きしめたまま矢継ぎ早に尋ねると、彼女はしばし考え込んでから、
「よく、わからないわ。紅いドレスの女が……あなたにすぐ会えるとか言ってたけど…………タダで出してもらえるとは思えない……」
「そうだな。何かの罠かもしれないな。とりあえず、動けるか? 1階に戻ろう」
 ロックの言葉に頷いたセリスは身体を離すと立ち上がって身体の埃を叩く。ロックから自分の分の荷物を受け取り、一緒に廊下に出た。
「変な魔物みたいな化け物がいんだよ。気を付けろ」
「化け物?」
 見てないセリスは眉をひそめた。ロックは肩をすくめ、
「ああ。さしずめここは幽霊屋敷ゴースト・ハウスってとこか。ただ聖なる力に弱いらしい。俺のグラディウスとか、お前のエクスカリバーとかな」
「わかった。気を付けるわ」
 しっかりと答えた恋人の前に立ち、ロックは歩き始める。
 先程、確かめなかった部屋からざわざわと嫌な気配がしている。背筋を冷や汗が伝った、その時、
   ドガガッ! バキィッ
 背後で物騒な音がしたかと思うと、廊下の脇の小部屋から斧を構えた大男が二人転がり出た。くすんだ橙の服と黒みがかった緑の服を着ている。
「っ!!!」
 咄嗟に振り返って、剣を抜きながら距離をとった。
「フランケンシュタイン……ってやつか?」
 継ぎ接ぎだらけの男達を見て、ロックは眉根を寄せる。継ぎ接ぎの部分は荒い縫い目で腐りかけており、見ていて気分が悪い。
 フランケンシュタインは低い呻りを発すると、おもむろに腕を振り上げて向かってきた。
 狭い廊下のため二人並んで戦うことが難しい。ロックは、少し手前にいる橙フランケンシュタインを引き付けるように手刀を投げて意識を己に向けさせると後ろに下がった。
 セリスは橙フランケンシュタインの脇をすり抜け、緑フランケンシュタインに踏み込んだ。斧を振り上げる腕に照準を合わせ、のろまな大男の腕を切り落とした。
「ウググググググォォォォ……」
 緑フランケンシュタインは天を仰いで咆哮する。その喉に一突き、聖剣を差し入れた。
 そこから光が溢れ、緑フランケンシュタインにピキピキとヒビが入り、仕舞いには砂となって崩れ落ちた。
 一方ロックは、引き付けた橙フランケンシュタインが振り下ろした斧を腰を屈めて避けると、そのままの体勢から顎にサマーソルトをお見舞いしてやる。愚鈍な橙フランケンシュタインがふらりと一歩下がったところに、グラディウスで喉元を掻き切った。
 溢れるはずの血潮はなく、ぱっくり開いた傷口をさらし橙フランケンシュタインはゆっくりと倒れていく。だが、倒れた音はしなかった。倒れたと同時にさらりと砂に化け消えてしまったからだ。
「大丈夫か?」
 自分より一瞬早く大男を倒していたセリスを見る。
「ええ。これが、化け物、ね。……まさに幽霊屋敷ゴースト・ハウスだわ」
「ここに下りた時、骸骨スケルトンとラミアも倒したよ」
 苦笑いで肩をすくめるロックに、セリスは呆れたような顔をした。
「一体、なんなのかしらね?」
「わかんね。早いとこ、屋敷を出よう」
 二人は頷きあって、地下を後にした。

 

†  †  †

 

 薄暗い部屋は二間続きで広いが、奥に台座がある以外は何も置いていない。薄い紗のカーテンが幾重にも下がり、台座に座る女の姿を隠している。
「ヴェルナーテ様、地下の実験体が倒されました。あの女を鏡からお出しになってよろしかったのですか?」
 部屋の入り口で跪いた秀麗な男──ヴァーミリオンが俯いたまま尋ねる。
「ええ。この屋敷から出ることなど叶わないわ。それに、あの女には闇の呪いをかけておいたもの」
 妖艶な美女ヴェルナーテは薄布の向こうで宛然と微笑む。
「闇の呪い、ですか───」
 ファーミリオンは意外そうな顔をした。何よりも強い呪いは大きな力を使う。長い間食事をしていないヴェルナーテは力を温存していたい時だろうから、そんな大術を使うとは思わなかったのだ。
「あの二人を取り込めば、その程度の力の損失など安いもの。そうは思わない?」
「確かに……。しかし、あの二人、今までの人間とは違います」
「だからこそ、でしょう? あの二人の魂の味は、どれほど甘いのでしょうね」
 うっとりと天上を仰いだヴェルナーテの瞳はまったくの正気で、幸せを夢見る幼子のように無垢だった。

 

†  †  †

 

 1階に戻り、外へ出た二人は門を抜けて首を傾げた。
「……?」
 顔を見合わせて、再び門を抜ける。
 背後の館を確かめて門から足を踏み出すと、目の前に館があるのだ。
「こりゃぁ……」
 嫌な予感に顔をしかめながら、ロックは後ろ向きに歩いて門を抜ける。館を見ながら後ずさったが、門を過ぎたところで目の前が外の景色に変わっていた。
「出られないようになってるのね」
 唇を歪めたセリスは、館を睨み付ける。
「こんな簡単に出してくれるぐらいなら、留められたりしねーか。意外にあっさり出られたりするんじゃねーかと楽観的に思ってみたけど、んなわけなかったな」
「どうする?」
「あの執事か女を問いただすしかないな。……問いただしたところで、素直に答えるわけねーだろうが。見かけは人間ぽくても、化け物の仲間だろう、あいつらも」
「1階の部屋は全部見たんでしょう? 2階にいるのかしら?」
「さあ。行ってみればわかるだろ」
 不機嫌そうに答えたロックは、再び館に向かって歩き始めた。


 玄関ホールにある階段を登る。左右にある廊下は対照的な造りに見えた。ただ、右は灯りが点っており、左は闇に包まれていた。
「右は歓迎されているのか罠っぽいような気もするが……行ってみるか」
 どちらも危険の可能性から言えば同じだろう。罠が幾つあってもおかしくない。
 揺れる蝋燭に照らされた廊下にある扉は一つ。気配は何もない。
 二人は頷き合って剣を構えると、扉を開けた。
   シン……
 何も起こらない。扉の向こうは灯りこそ点いていないが、大きな窓から霧ごしの薄明かりが差し込んでいた。
「……何もないのか?」
 呟きながら部屋に足を踏み込む。がらんとした丁度一つない部屋。カーテンすらなく、かといって埃が積もっているわけでもない。
「奥の部屋も何もないのかしら?」
 セリスが首を傾げながら続き部屋の扉を開けた。
「おい、一人で危ないぞ」
 後ろから声を掛けられたが、セリスはそれに答えず続き部屋に足を踏み入れる。
「セリス……?」
 彼女を追って部屋に入ると、背後で扉がバタン!と閉まった。
 小さく舌打ちをしたロックはすぐに扉を確かめる。開かない。やはり罠だったのだ。
「さて、何があるのか」
 唇を歪めてセリスを振り返ったロックは、首を傾げた。セリスはぼうっと床に座り込んでいた。
「セリス……?」
 訝しげに近寄ってきたロックを、セリスはゆっくりと見上げる。
 そして、一つ、涙を零した。
「ど、どうした?」
 ロックは跪いて彼女と目線を同じくする。俯いているセリスはただ静かに涙を落としていた。
 泣いているセリスは、自分が何故泣いているのかわかっていなかった。
 ただ、今、何をしていたのか、何をするべきなのか、全て考えられなくなっていた。身体は思うように動かず、不思議な悲しみに支配されている。
「置いて、いかないで……」
 セリスが呟いた。ロックはわけがわからないという顔をする。
「置いていくわけないだろう? どうしたんだよ。いきなり泣き出して」
 何かの影響で情緒不安定になっているのだろうか。ロックはどうしていいかわからず、彼女を抱きしめた。
「動けないの」
 訴えるセリスに、ロックは眉根を寄せる。突然の豹変ぶりだが、最初に会った妖艶な女がセリスに化けていた時とは違う。偽物ではないセリスが嘆いている。
「もう、動けないの……。あなたに置いていかれてしまう……」
 そう口にしているセリス自身が、言葉の意味をわかってはいない。確かに足は自由に動かず、動こうという気力すら湧いてこない。だがそれを認識することもできないで、ただ、嘆いていた。嘆くべきだと定められたように。
「なんか、術でもかけられたのか……?」
 要領を得ないセリスの言葉に、ロックは途方に暮れる。どうすればいいのだろう?
 悲痛な表情で、この世の終わりだとでもいうような嗚咽を漏らすセリスが、たまらなく切ない。
「あなたはこんなに傍にいるのに、温かいのに、私は寒いの。冷たい……まるで闇に落とされたみたい」
 彼女の呟きに、ロックは触れている彼女の身体がひどく冷たいことに気付いた。冷たいという次元ではない。まるで氷のようだ。少し寒いぐらいの気温ではあるが、突如、ここまで冷えるなんてどう考えてもおかしい。
「一体、どうすりゃいいんだ?」
 ロックは声には出さず、口の中で呟く。何かしらの力が働いているとしたら、簡単にどうにかなるとは思えない。だが、このままでは彼女は凍死してしまう……? 想像してゾッとした。彼女を失うなんて考えられない。
 咄嗟に部屋を見回す。何もない部屋だが暖炉があった。
「ちょっと待ってろ。火を点ける」
 言い置いて暖炉に炎を灯す。その間も、セリスは自分自身を抱くようにして震えていた。
「ほら、暖炉の前に行こう」
 幸いくべてあった薪は湿ったりしていなかった。少しすれば温まるはずだ。なんらかの力が原因であるとすれば、炎ですら暖まるとは言えないかもしれないが。
 促されたセリスだが、ロックの言葉も耳に入っていないのか、全く動こうとしない。溜息を飲み込んだロックは有無を言わさず彼女を抱き上げて、暖炉の前に運ぶ。力が抜けた女性というのは思いの外重いが、ロックは少し眉宇を動かしただけだ。
「セリス、大丈夫か?」
 彼女を抱えたまま腰を下ろす。セリスの嗚咽は先程よりは納まったが、やはりロックの声は聞こえていないようだ。すすり泣くように、項垂れている。
「セリス? セリス? 俺の声、聞こえてるか? 俺が傍にいるのわかるか?」
 辛抱強く話しかけると、セリスは小さく頷いた。
「私はもう駄目だわ」
「な、何言ってんだよ」
「私はここから出られない。出られないの……」
「出られないって、出る方法を探そうって言ったじゃないか」
 励ますように言ったロックだが、セリスは絶望したように俯くだけだった。
「違うわ。私は出られないの。出られない。出たら死んでしまう……」
 呟きながら、セリスはどうしてそう思うのか、そう感じるのかわからない。ただ、恐くて仕方がなかった。何かがセリスを恐怖に追い立てるのだ。
「何言って……」
「あなたはきっと、私を置いて行ってしまう。いつか助けに来ると言っても、もう二度と出たらここに戻れない。私は置いていかれるわ。闇に染まって闇に溶けて闇に同化してしまう……!」
 吐き出すように言うと、再びさめざめと泣き出した。
「……くそっ」
 歯を食いしばると、ロックはセリスを置いて立ち上がった。
「待ってろ。俺は出て行ったりしない。あの女を締め上げて、お前のことを助ける。必ず!」
 ロックは宣言したが、セリスは頭を横に振った。
「ああ、ほら……。あなたは私を置いて行ってしまう。このまま戻ってはこれないわ。私は闇に落ちてしまうから……」
「セリス! 俺は絶対にお前の元へ戻ってくる。俺を信じろ!」
 ロックは強く、怒鳴るように言ったが、セリスは伏せって泣き続けるだけだ。
 どうしたものかと逡巡したロックだが、おもむろに頭に巻いていたバンダナを外すと彼女の腕に巻き付けた。
 そして、聖短刀であるグラディスを彼女の腕に握らせる。
「ロック……?」
 その温かさに驚いたように顔を上げる。
「預けておく。取りに戻るからな」
 ロックの言葉に、セリスはフと、意識が我に返る。
「……だめよ。聖なるこれを持ってなかったら……あなたが……」
「俺は大丈夫だ。俺は大丈夫だから、お前が持っていてくれ。必ず戻るから」
「……………………ロック…………」
 セリスは躊躇いがちに首肯した。
 だが、ロックが扉をぶち破って去ってしまうと、セリスは再び不安に襲われた。
 通常にある不安ではない。もっと、足下から這い上がってくるような、悪寒に似た恐怖だ。
 見えない何かが自分を狙っているような感覚は、どうあっても拭うことができなかった。
 身動きできない状態で水攻めされているようだ。水の変わりに迫ってくるのは闇だけれど───。

 

■あとがき■

 戦闘シーンって難しいよね。セリスとロックにとって強い敵っつーのが難しいです。だって、二人とも超強いもん。そんじょそこらの化け物じゃチョイチョイッって倒せちゃうから……。このフランケンシュタインも弱すぎ? そういうところの勉強が足りないと、いつも反省しております。迫力ある戦闘シーンというのは、今の目標ですね(それに関してはいつになったら達成できるのか……)。以前、時間がある時は、本を読んで参考にできそうな文を抜粋したりしてたんだけど、最近はそんなことをする時間がないので^^; そういう勉強をしないとうまくならないのはわかってるけどね。今は昔みたいに本気で小説家目指しているわけじゃないので……。
 すっかり水曜日更新になってしまいました。水曜日もあるなら、以前なら週2アップできたんでしょうけど……戻るのは難しそうです。次の話は頭の中で構想ができているんですけどね~。また携帯版リクの消化となります。
 4話で終わりませんでした。次で終わらせるつもりですw 頑張りまっす♪
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† 5 †

 ヴェルエラは、華やかな夜会の中で一人ぽつんと浮いていた。
 他の年頃の女と変わらず髪を結い上げ美しいドレスを身に着けている。完璧に仕立て上げられたドレス。皆と同じ流行の装い。何も目立つところなどないはずなのに、一人だけ異質な空気を放っていた。
 隣には一際美しい女が微笑んでいる。ヴェルエラと同じ黒い巻き毛を垂らし深い緑のドレスを着こなしているのは一つ上の姉デライラだ。姉はいつもヴェルエラを手放さない。己の美しさを引き立てる道具の一つだから。
 ヴェルエラは哀れなほどの醜女だった。小さな目はカエルのように離れ、低い鼻は曲がっており、大きすぎる唇は歪んでいる。大きい顔の輪郭は逆五角形で頬骨もエラも突き出て顎まで異様に出ていた。化粧をすればするほど彼女を道化のように見せ、世辞を言うことすら(はばか)られるほどに醜い。
 美しさを競い合う夜会など大嫌いだったが、姉はいつも無理矢理にヴェルエラを連れ出した。
「何故、同じお母上から生まれて、ああも違うのかしら……」
「きっと呪われていらっしゃるのね」
「前世の業が深いとか……」
 他人の陰口に慣れることはない。何度言われても嫌なものは嫌だった。
 それでも唯一の救いは、夜会ではエルンストに会えるということだ。高潔なプレドニ侯爵家の騎士である青年は分け隔てない優しさを持っている。
「こんばんわ。今日もお美しいですね」
 そう言って、デライラに話しかけてきた。それからちゃんとヴェルエラの目を見て、
「紺のドレスはあなたの青い瞳によくお似合いです」
 そう言ってくれる。彼の言っていることが社交辞令だと知ってはいた。だが、他の誰もまともに話しかけてはくれないのだから、彼がヴェルエラの中で特別の存在になるのは致し方ないだろう。
「私が選んだのよ」
 デライラはエルンストに向かって自信ありげに言う。彼は頷くと、
「あなたのセンスは素晴らしいものだ。ヴェルエラ殿は優しい姉気味を持って幸せですね」
 そう微笑んだ。
 デライラが優しい? エルンストには本当にそう映るんだろうか? そう思って、ヴェルエラは溜息をつきたくなった。引き立て役に嫌がる妹を夜会に連れ出すというのに。こんな容姿で毎日夜会に出るなど、己が一番恥ずかしいと思っているのに───。

 ヴェルエラに優しい男は、もう一人いた。屋敷の庭師をしている男だったが、彼女と同じくらいに醜かった。
 父親は庭師がヴェルエラに優しいことを嘲笑っていた。他の貴族の娘のように咎められたりすることもなかった。
 ヴェルエラに嫁の貰い手などあるはずもない。見るに耐えない娘など庭師を駆け落ちでもしていなくなってくれればいいとすら思っていた。
 父親は自分の娘ではないと考えていたのだろう。母親も美しく、父親も若い頃はプレイボーイとして名を馳せていた。あれほど醜い娘が生まれるなど、今は亡き妻が不義を行い他の男との間にできた子供に決まっていると考えたのだ。
 庭師の男がどれほど優しくしてくれようと、ヴェルエラは虚しいだけだった。醜い彼と似合いと言われることが何よりも辛かったのだ。館中で疎まれ続け、彼の優しさが嬉しくなかったわけではないけれど───それ以上に、嘲笑われることが悲しかった。
 ヴェルエラがどんなに優しくされても相手にしなかったからか、庭師はいつの間にか姿を消した。

 そう。ずっと、ヴェルエラは変わりたかった。変わりたかった……。
 だから、仮面を付けた怪しい男が売りに来た“魔法の薬”を買ってしまった。そして、ためらいもせずに使った。
 それは飲んだ二人の中身が入れ替わるという薬。
 ヴェルエラは、デライラと中身を入れ替えたのだ。誰もが羨む美しい容姿を手に入れた。
 気付くと醜い容姿だったデライラは、乱心したヴェルエラとして幽閉され狂って死んでしまった。
 いい気味だと心から思った。人の気持ちも考えず傷付け続けた罪だと。
 だが、ある時ヴェルエラは気付く。己の髪が一向に伸びないことに。己の爪が一向に伸びないことに。
 その時には既に遅く、怪しい男の行方など分かるはずもなく───彼女は老いることがなくなってしまった。
 森の中の屋敷にひっそりと住まうようになったヴェルエラは、食べ物すら不要となり、欲しいものは人の持つ魂だけとなる。
 使用人全ての魂も食い尽くしたヴェルエラの元へ、ある日、“魔法の薬”を売ったあの怪しい男が訪れた。
「やはりあなたは相応しい方だった……」
 仮面を剥がした男はこの世の者とは思えぬ美貌で、ヴァーミリオンと名乗った。
「ヴァーミリオン!?」
 ヴェルエラは言葉を失った。それはあの庭師の名だ。
「お久しぶりです。私を覚えていてくださったんですね」
「そ、そんなはずはないわ。だって、私の知っているヴァーミリオンは……」
「あなたの姿とて、変わっている。同じことです」
 その言葉に、ヴェルエラはひどく衝撃を受けた。彼が恐ろしい力に手を染めたことなのか、彼の思惑通り己が人でなくなってしまったことなのか、自分でもわからなかったけれど。
「私はどうなってしまったの?」
 ヴェルエラの問いに、ヴァーミリオンは美麗に微笑んだ。
「人の理を外れた存在に。美しさだけを追い求める存在に。あなたが人の魂を食らうだけ、あなたは強く美しくなる」
 彼の言葉が嬉しいのかどうか、既にヴェルエラはわからなかった───

 

†  †  †

 

 階段のところまで戻ったロックは、薄明かりのつく廊下を振り返った。
 セリスが辛い状態であるとしても、あそこにいてできることはほとんどない。励ましたところで原因を根本から取り除かなければ意味がないだろう。
 闇に包まれた逆側の廊下を睨み付ける。静まりかえった館の中はなんの気配もしない。先程まで聞こえていたセリスの嗚咽すら聞こえなかった。
 聖なる光を帯びたグラディウスが手元にないのは心細いことだが、まだアルテマウェポンがある。破壊だけの力をみればこちらの方が上だ。
「剣が元々持っている聖などに頼らなくとも、滅してみせるさ」
 小さく呟くと、カンテラに火を灯しゆっくり暗闇に足を向けた。常人より夜目が効く方だがやはりカンテラなしではキツい。戦いには邪魔だがそれでもあった方がいい───最後の手段として使える。
 2階は左右対称の造りになっていた。ロックがゆっくり扉を開けると、同時に声がした。
「遅かったのね」
 思わず背筋がぞくりとするような艶っぽい声。姿は見えないがあの女、ヴェルナーテだ。
 部屋の中は薄暗く外からの明かりもほとんどない。天上からたくさんの布が下がっていて、奥はよく見えなかった。
(なんつー戦いにくい部屋だ)
 顔をしかめながら、ロックは足を止めた。執事ヴァーミリオンの姿は見えない。
「セリスに何をした?」
 厳しい表情をしたロックは見えない女に向かって問う。女はくすりと笑みをもらし、
「我が糧とするための下準備よ。さて、聖剣は持ってないみたいだし、あなたはどうしてあげようかしら」
 楽しそうな声を出した。ロックは小さく舌打ちする。
(マジで分が悪いな……)
「お前は一体、何者だ?」
 できるだけ冷静に尋ねた。すぐに仕掛けてはこないだろう───ヴェルナーテは楽しんでいるようだから。
「さあ?」
 くすくす笑うだけで女は答えを返さない。ロックは目を細めると、布をかきわけて前に進むことにした。
 ヴェルナーテの笑い声は四方八方から響いてくる。
 部屋の真ん中ぐらいにきたかと思われた時、突然の気配にロックは振り返りながら背後の空間を剣で薙いだ。
 すうっとそこにあった人影が後ろに下がる。布の間からヴェルナーテが愉悦の笑みを浮かべていた。
「お前は本当にいいわね」
「なにがだ」
「今までの人間とは違う。勝てるはずもないというのに、諦めようとしない」
「俺は世界一! 諦めが悪い男なんでね!」
 ロックはアルテマウェポンで斬りかかったが、ヴェルナーテはすっと姿を消してしまう。すぐに背後から忍び笑いが聞こえ、ロックは歯噛みしながら振り返った。
「可愛い子。お前は一体、どんな味がするんでしょうね」
 舌なめずりをされ、ロックはゾッとする。本当に頭からかじりつかれそうだ。
「女のために聖剣を手放すなんて、なんて愚かで愛しいんでしょう。大丈夫、闇は優しいから。何も考えず、何も思わず、ただ、闇に身を任せなさい」
 甘いヴェルナーテの言葉は、甘美な誘惑としてロックの頭に響いた。
(俺は闇に呑まれるなんて冗談じゃねーのに……)
 必死に理性が思考を叱咤し、短刀を投げ付けた。と同時に、出現位置を予想して振り向きざまに斬りつけた。
 確かな手応え。
「なっ、私の手を……」
 布の影で腕を切り落とされたヴェルナーテがロックを睨み付けていた。
「よくも、よくも……!」
 怒鬼のごとき形相で睨まれても、ロックは平然としていた。あの過酷な日々からくらべれば、この女の怒りなどなんだというのだろう。
「哀れな女だな」
 何気なくロックが呟くと、ヴェルナーテの顔色が変わった。
「私を! この私を憐れむというのか!」
「あんたが幸せそうには見えないね」
 明らかに傷付いたような表情をした瞬間、ロックはランタンを投げ付けた。
「ぅぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!」
 ヴェルナーテは一瞬にして火だるまになる。炎は周囲の布に飛び火し、部屋を覆い尽くしていく。
 逃げ道が無くなる前に部屋を出たロックは、己が負った軽い火傷など気にもせず、セリスのいた部屋へ戻った。
「セリス! セリス!」
 横たわって意識を失っている彼女を起こす。
「……私……?」
 すぐに目を開けたセリスに心底ホッとすると、
「火をつけた。すぐに出よう」
 そう告げる。ギョッとしたセリスは頷いて立ち上がると、ロックにグラディウスを返す。
「ありがとう」
 二人は部屋から出て階段を駆け下りる。
 玄関の扉は鍵がかかっているわけでもないのにびくともしなかったが、背後から迫る炎をちらりと見たロックは、アルテマウェポンで一刀両断した。
 屋敷から飛び出すと、背後で崩れ行く音が聞こえた。
「火の周りが早かったな……」
 火の粉が舞う屋敷を見つめる。二人が立つ屋敷の門からは多少の距離があるが、それでも熱い風と煙が届いた。
「山火事にならねーうちに、逃げるか」
 呟いて門の方を向くと、ヴァーミリオンが立っていた。腕に炭化した人間──ヴェルナーテだろう──を抱えている。
「こいつが残ってたか……」
 ロックは軽く舌打ちする。瞬間移動する相手を倒す手など、もう残っていない───さっきだって、運が良かったにすぎないのだから。
「あなたは、何がしたかったの?」
 不意にセリスが尋ねた。ロックとヴァーミリオンの視線が彼女に移る。
「どうして、元の姿を捨てたの? 醜かったから? 夢に見たわ。ヴェルエラっていうのは、あの女でしょう?」
「……生まれついて美しい容姿を持つあなたにはわからないでしょうね」
 そう呟くヴァーミリオンの唇が歪む。
「確かに美醜っていうのはどうにもならないものだわ。救いがなかったのは可哀想かもしれない。だけど、あなたは幸せだったの?」
「ええ。彼女と共にあれた」
 優しく微笑んだヴァーミリオンは、愛おしげに腕の中の女性を見つめた。既に人とは言えない。黒く焼けただれた男か女かすらわからない人型。
「それは永遠であるはずだったのに……!」
 整いすぎたヴァーミリオンの顔が怒りに歪む。同時に、青い光が二人の足下を襲った。
 剣を構えた二人は咄嗟に左右に飛び退く。雷のようなものが落ちたようだ。地面が黒く焦げている。背後は火の海、逃げ場はない。
 ロックはすぐに体勢を立て直すと、ヴァーミリオンに斬りかかった。
 ヴァーミリオンは何故か静かな表情をしていた。くると思っていた反撃も、避けることすらせず、ただ、ロックの剣を待っていた。
 ロックは頭の中で逡巡したものの、そのまま抱えたヴェルナーテごと、ヴァーミリオンを袈裟斬りにした。アルテマウェポンの描く青白い光の剣筋に、ヴァーミリオンの身体がゆっくり倒れる。
「何故……」
 不可解だというロックの問いに、ヴァーミリオンは答えなかった。ただ静かに、風化して姿を消した。


 気付くと、森の中だった。
「あれ?」
 二人は顔を見合わせて、周囲をキョロキョロと見る。四方八方木々に囲まれていた。あの屋敷の残骸もない。時刻は昼過ぎだろうか、どこかで火事が起こっている気配もしなかった。
「……全て、幻だったのかしら」
 セリスは疲れたように呟く。
「あの屋敷のあった空間自体、二人の力によるものだったんだな。ま、山火事にならなくてよかったよ」
 肩をすくめたロックは、セリスを元気づけるように微笑む。
「可哀想だったわね……」
「ん?」
「あの二人は、人であった頃、なんの救いも持たなかったのよ」
 セリスは暖炉の前で意識を失っている間に見た夢を話して聞かせた。あの夢が真実だとは限らないけれど───。
「どうあっても救われない奴だっているだろうよ。本人がいくら努力しても周囲がそれを踏みにじれば、その努力すら愚かなものに思えてくるだろうしな。そういうのは、他人にはどうしようもない。ただ、踏みにじった人間以外も犠牲にするような化け物になっちまったんじゃ、殺すしかないさ」
 ロックはセリスの背中をぽんぽんと叩くと、心底残念そうに言った。

「彼女のいない世界に残る意味がなかったのかな……」

 殺されそうになった相手に同情しぽつりと呟くセリスに、ロックは頷いた。

「そうかもな。聖剣以外じゃ死ねないのかもしんねーから、最初で最後のチャンスだったのかもしれないな」

 思わずしんみりしてしまったが、大事なことを思い出す。
「現実世界でどれぐらい時間が経ったのかわかんねーけど、戻ろう。マッシュは怒らないだろうが、エドガーは遅れたら優雅に嫌味を言いそうだからな。トレジャーハントはまた来ればいいし」
「そうね。プレゼントも用意しなきゃいけないしね」
 セリスは自分を励ますように明るく言うと、ロックと共に帰り道を歩き始めた。

 もう、あの館は消え、迷い込む者も出ないだろう。
 一つの悲しい物語が、ここで終わったのだから───

 

■あとがき■

 戦闘シーンほど苦手はものはありません。特に、魔法がなくなった世界で、魔法に似た力を使う化け物相手なんて、どうやって戦うっていうの? って感じなので……;; そして、最後のまとめも苦手です。どうやって終わらせるか、難しいよね。(いつも同じこと書いてる;;)
 ということで、完結です。ヴェルナーテの過去はありがちだけど、こういう風にしました。エルンストを殺しちゃうとかそういうのもあったんだけど、不要なエピソードなので削ってます。他のパターンも考えたんだけど、ヴァーミリオンの関わりを考えたらこれが矛盾ないかとw
 優緋さん、いかがでしたか? お化け屋敷モノっていうか……なんかちょっと違う気もしますが、許してください。シリアスにストーリー作ると、こんな風になっちゃいました。ドタバタコメディ風も考えたんですが、私には無理だった……(フォーチュンクエストの幽霊城の話みたいにしたかったんだけどさ^^;)
 BGMはポルノグラフティです。水曜日にアップできたなかったのは、生理痛でのたうち回っていたせい【><。】 毎度毎度、生理痛に予定を狂わされる私です。
 CSS修正に伴いタイトルをロゴにしました。(05.09.13)
 誤字脱字修正及び文章補正に伴い、タイトルをロゴ変更、体裁修正行いました。(06.02.06)

【この頁で使用させて頂いた素材サイト様】 ClipArt:MadFlowers

- image illust -

【ハユルさんより一言】
  ゴーストラッシュ、拝読させて頂きました!  桜様の描かれる世界観がすごく好きです。こういう森の中の古い洋館というシチュが個人的にツボで・・・!  女の子なセリスが可愛いです。ロックじゃなくても守りたくなります~。  そんなわけで勝手にイメージした絵を描かせて頂きました。  ご無礼お許し下さい(>_<)

 こちらはP-BBSもお絵描きして頂いたものを、桜が頼んで独立ページ作らせて頂いたものです。  桜の書いたSS『GhostRush』イメージイラストです。すっごい雰囲気にあってる!  無礼どころか、あの話にはもったいないぐらいの素敵絵で、もう嬉しくて嬉しくてwww  本当にありがとうございます♪


Original Characters

ジドレー山脈 ゾゾの裏手に伸びる山脈。
ディープ・フォレスト ジドレー山脈の盆地を覆い尽くす広大な森
ヴァーミリオン 霧に包まれた屋敷の執事。絶世の美青年だが無表情。
ヴェルナーテ 霧に包まれた屋敷の主人。数百年の時を生きる妖艶な美女。
ヴェルエラ とても醜い薄幸の少女。
デライラ ヴェルエラの姉で、姉妹とは思えないほどの美女。
エルンスト・プレドニ プレドニ侯爵家の次男。高潔な騎士。