〔前編〕

 そこは森の奥───まるで隠れるように存在する村だった。
 長閑であるはずなのに、人々はどこか無理やり笑っているような、そんな村───。

「ねえ、なんか……変じゃない?」
 その村を木々の向こうに見つけたときセリスが言った。顔が青ざめている。
「調子悪いのか? だったらあの村で休ませてもらおう」
「違うの。感じない? あの村の方から……そう、禍々しい空気。まるで手招きしているみたいな……」
 セリスの言葉にロックは眉を寄せ、複雑そうな顔をした。
「何かあるのか?」
「わからないけど……行くの?」
 放っておけないと言うに決まっている。ロックはいつもおせっかいだ。
「ああ、お前は大丈夫か?」
 ロックが行くと言うのなら、セリスが異議を唱えられるはがない。
「うん。ちょっと当てられただけ」
 二人は並んで、獣道すらない森の中を、再び歩き出した。

 

†  †  †

 

 村は人口30人ほどしかいない小さなものだった。
 二人は「旅の途中に道に迷った」と言い、ロックは村長の家に、セリスはその向かいにある村長の妹夫婦の家に泊めてもらえることになった。
 村長は妻を亡くし、足の不自由な娘と二人暮しだった。村は完全自給自足で、布など作れないものだけ、まとめて月に一度、懇意にしている商人が売買に来てくれるらしい。
 人が来ることに慣れないのか、皆妙にソワソワしていて、二人も好奇の視線に落ち着かない気分になる。
 とりあえず村長の家でお茶を出された二人は、気まずい思いで会話の糸口を探していた。
 こういった閉鎖的な村は下手に刺激すべきではない。「ずっとこんな山奥に?」なんていう何気ない一言でも過敏に反応される可能性がある。
 甘みの少ないクルミのクッキーを食べていると、杖をついた少女が居間に入ってきた。
 二人の視線を受けて恥ずかしそうに俯く少女は、柔らかな波打つ栗色の髪をゆるくまとめて、左肩に垂らしている。大きな瞳は淡く優しげな空色だった。
(なんてかわいらしい人なの……。それに……彼女に似ている)
 セリスは妙な胸騒ぎを覚えた。小柄で細く女らしい。無垢な表情と白い肌。ロックはどう思ったのだろうか。
「すいません。突然お邪魔して」
 ロックは随分と礼儀正しく言った。誰にでも馴れ馴れしいロックだから、セリスはちょっと驚いた。
「道に迷ったんですって?」
 残る一つの椅子に腰掛けた彼女は小首を傾げた。自然な可愛らしい仕草を、セリスはつい自分と比べてしまい、思わず沈んでしまう。
「情けねーことに」
 ロックは照れ笑いで頭をかいた。
 ロックが女好きだとは思わないが、女に異様に優しいのは相変わらずだ。諦めているけれど慣れないし、おもしろくない。
「こんな森に入って来るなんて変わってますね」
 鈴を鳴らしたような可憐な声で尋ねられて、
「俺はトレジャーハンターなんだ」
 ロックは自信たっぷりに言った。いつもそうだが、この後人からいい目で見られることは余りない。それでも正直に言うのがロックなのだが、彼女の反応は違った。
「それって……なんですか?」
 はにかんで尋ね返す。ロックは苦い笑みを浮かべたが、
「ん~、まあ、どこぞのドラゴンの秘宝とかを手に入れる人。かな、簡単に言うと」
 優しく説明する。随分子供向けの説明だとセリスは思ったが、
「すごい! そんなの見つけられるの?」
 彼女は感嘆の声を上げた。刺激というものなど縁がないのだろう。驚くほど反応が純だ。
(いやな予感……)
 セリスが思った通り、ロックは誉められて有頂天になっている。
「まあな。俺が持ってるこの剣。アルテマウェポンって言うんだ。変わってるだろ? 透けてるけどガラスなんかじゃない。特殊な物質でできてるんだぜ。この世で最強の武器の一つだ」
 偉そうに説明するロックを、セリスは内心白い目で見る。いつも女性に自慢話ばかりして、まるで女性の気を引きたいみたいではないか。
「いいなあ。本の中に出てくる人みたい。私はこの足だし、村から出られないもの」
 少女はシュンとなる。飾らない素直さはセリスが絶対に持てないもの。
「じゃ、俺が今まで旅してきた話をしてやるよ! えと、俺はロック。君は?」
 セリスの紹介もせずに問う。少女の目にもセリスは写ってないようだ。
(なんなのよ、もう!)
「レイチェ」
 少女が告げた名に、二人は固まった。だがとりつくろうようにロックが言った。
「良い名だ」
 すると彼女は頬を染めて俯く。
(ちょっと、なんで二人の世界つくってんのよ。おかしいじゃない)
 語りだしたロックと、それに夢中になっているレイチェを置いて、セリスは村長の家を出た。
 夕暮れの中、本当に狭い村を歩く。店もない。人々は小さな畑を耕して暮らしているそうだが、そこには誰もいない。
 不信に思っていると、村外れの影に、人々が集まっているのが見えた。この村の大人全てと言える人数だ。
 余りいい雰囲気ではない。忍び足で近づき、何を話しているのかと聞き耳を立てた。
「じゃあ決まりだ」
「決して気付かれないようにな」
「レイチェのためだ。レイチェにうまく引き留めさせろ」
「わかってる。サンネ、お前は顔に出やすい。気をつけろ」
「はい。兄さん」
「余り長くいると気付かれる。解散にしよう」
 その言葉に、セリスは一足先に村長宅に戻った。
(もっと最初から聞ければよかった……)
 ごまかすように、玄関の外にいる茶色のむく毛の犬を撫でる。
 サンネとはセリスが世話になる予定の村長の妹だ。引き留められるのは自分達。レイチェのためだと言ったが……一体どうして?
 一番最初に感じた邪悪さを思い出す。今は何も感じない。何故だろう。
 ロックに相談したいけれど、この小さな村で二人きりで話すことは当分無理そうだと思った。

 

†  †  †

 

 翌日は雨だった。そのせいか、ロックは引き留められるまでもなく延滞を決めたが、朝からずっとレイチェと話している。
 セリスは村長宅で一緒に朝食をとった後は、サンネの手伝いをしていた。古いシーツの繕い物だ。
 こういった細かい作業は苦手だが、することもない。いい機会だから練習だと思っておく。
 本当は、今は息を潜めているあの気配が気になってどうしようもないが、確かめる術もない。とりあえずは様子を見ることにした。


 滞在三日目は快晴だった。セリスは、またレイチェと仲良くしているのだろうロックを見るのはイヤで、朝から散策に出掛けた。
 レイチェが涙ぐんで寂しがるせいか、ロックは悪びれもせず長居を決め込んでいる。子供のように純粋でも彼女はもう二十歳だというのに、ロックは年齢や外見やそういったことで判断したりしない───いい意味でも悪い意味でも。


 セリスは森の奥にあるという泉に向かっていた。
 精霊が願いを叶えてくれる不思議な泉だと、昨晩の夕食の時、サンネにしきりに勧められたので、行ってみることにしたのだ。
 泉までは道と呼べるものはなかったが、遠くに見える山を目指して歩くといいと言われていたので、幸い迷う事はなかった。
 村を出て十五分。辿り着いたのは、相応しくない程に神秘的な泉だった。
 青と白が幾重にも層を連ねた岩のオブジェの中心に湧き出している泉は、確かに精霊が住んでいてもおかしくないほどに美しい外観だった。水はとても澄んでいて、泉の直径は三メートルほどだ。
 だがセリスは眉をひそめた。最初に感じたものと同じ邪悪な気配を感じたからだ。
 危険を感じて泉をにらみつけると、突然黒い霞が泉の上で凝縮する。
 息を呑んで身構えると、邪気を含んだそれは漆黒に染まり、セリスに向かってきた。
「なっ!」
 唐突で避けようがなかった。懐に飛び込まれ、左腕に痛みが走る。
「なに……?」
 気付くとそれは消え去っていた。長袖の服は何ともない。不信に思って左袖を捲ってみると、腕の内側にうっすらとの薔薇のような染みができていた。
「これは!?」
 その部分が火傷のように(うず)く。まるで邪気が染み出している?
 わけがわからなく苛立っていると、泉の中で何かが(うごめ)いた。
「?」
 セリスがハッと顔を上げると、既に影はなく、風もないのに水面に波紋ができていた。しかし、先ほどと同じく水は澄んでいる。深いせいか底までは見えないが、生き物の影は無い。
「どうなってるの?」
 唇を噛みしめて、別の気配に気付いた。
「また、刻まれてしまった……」
 中性的な声だった。透明な声。しかし肝心な人影は見当たらない。
「奴のものとなってしまった」
 再び風に乗ったような声が響いたかと思うと、すうっと水面の上に人影が浮かんだ。
「誰?」
 固い声で問うと、ぼやけていた輪郭がはっきりして、現れたのは人間離れした美麗な容姿の青年。
「私はこの泉の精霊。本来のここの住人」
 精霊は静かに言葉を紡ぐ。全体的に淡い深緑の燐光を帯びていて、輝く燐灰石(アパタイト)(青緑の宝石)のような瞳は憂いに溢れている。
「だけどここに魔物が住み着き、私は精霊としての力を封じられてしまった」
「魔物……!?」
 セリスは顔を強張らせた。では気になっている邪気は、やはり魔物がいるから……。
「そう。だから僕はこの時期だけ、ほんの二日間だけしか姿を現すことさえできない」
「二日間?」
 セリスは(いぶか)しげに青年を見る。この青年が怪しいとは思わなかった。全く邪気がない。
「もう十年も前にどこからかやって来た魔物は毎年生け贄を求める。この世から魔力が消えても、魔物は僕の精霊力を手に入れたから弱らない。
 魔物は若い娘を求めた。最初は……私の恋人だった。いけにえを差し出さないと、井戸の水が枯れ畑が荒れた。あの村の者は呪われ、あの村から出られない。いや、あの村に一度入ったら、森にかかった迷いの呪いが有効になり、あの村から出られない。ここは呪われた地」
「いけにえ……出られない……?」
 セリスは呆然と呻いた。なんてことだ。
「まさか……!」
「どうした?」
「……あの村の人たち、私達がここに迷い込んだ時から私を生け贄にするつもりだったみたい」
 ため息と共に呟く。
「どうすればいいの?」
「すまない。私にはどうすることもできない。君の命はあと二日、48時間。その薔薇は咲き続け、心臓の上まで達すると、君は魔物のものとなる。 私が姿を現せるのが二日と言ったのは、生け贄が決まり食べられるまでの間だけ、だからだ。何故かはわからないがね」
「魔物はどこにいるの?」
「泉の中だが結界がある。見ることさえ叶わない。君を食べる時でさえ姿を現しはしないんだ」
「ただ、その時を待つしかないの?」
「私に言えることは何もないんだ。──────すまない」
 セリスは首を横に振って力無く告げる。
「あなたのせいじゃない。あなたのせいじゃ……」
 なんでこんなことになってしまったのだろう。さっぱりわからない。一体どうすればいい?
 不意に涙が込み上げてくる。
(悔しい! 泣きたくなんかないのに)
 たまらなく心細い。こういう時にロックに傍に居て欲しいのに……。
 涙を止められずにいると、優しく頭を撫でられた。びっくりして顔を上げると、精霊が憂いを湛えた瞳でセリスを見つめていた。
「あ、ありがとう」
 精霊って触れるんだ、などと関係ないことを思う。涙を拭いて、近くから湧き出ている清水で顔を洗った。
「また来ていい?」
 そう聞いてみると青年は儚く微笑んだ。セリスは少しだけはにかんで、村へと戻って行った。


 村へ入り村人の姿を見かける度ムカムカする。全てをぶち壊してしまいたいという衝動的な怒りが込み上げそうになる。
 しかしあいにく、感情のコントロールに慣れていた。とにかく普通にしていなければ。
「帰りました」
 サンネの家に帰ると、「お、お帰りなさい」サンネは怯えたようにセリスを見た。
「あ、いい匂い」
 朗らかな笑顔で言うと、
「お昼にパンを焼いたの」
 サンネは引きつった笑みで言う。
「食べるでしょ?」
「はい!」
 元気に答えるとサンネは後ずさるように台所に入って行った。
(罪悪感は感じてるんだ? それとも私が普通にしてるからおかしいと思ってあの態度?)
 食事の席で、サンネが恐る恐る尋ねてきた。
「泉へ行ったの?」
 セリスが笑顔で、
「ええ、すっごい綺麗ですね。まるで精霊でも住んでいそう」
 はしゃいだように答えると、サンネは「そうね……」とだけ返した。
(生け贄の印を刻まれたことは、気付かれてないわね)
 絶対に喜ばせてなどやるものか。セリスは憤然と思う。
「何か願ったの?」
 そう尋ねてきたサンネの顔色は良くない。
「いいえ。願いとか、自分で叶えないと意味のないものだから。ところでサンネさん、顔色悪いですけど?」
「だ、大丈夫。たまに貧血気味の日とかあるのよ」
 サンネははにかんだ。セリスは何故か(いじ)めているような罪悪感を覚える。しかしハメられたのはセリスの方だ。
「ごちそうさま」
 セリスは食器の片付けをして(いままで当たり前に手伝っていたのを急にやらないわけにはいかない)、家を出た。
 向かいの村長の家の扉を叩く。とにかくロックに相談すべきだろう。
「はいはい」
 レイチェの足が悪いせいだろう。ロックが顔を出した。
「お、どした?」
 ロックは余りにもフツーに言う。ずっと放っておいてどうだろう。自分を見て何も思わないのだろうか。セリスは胸が詰まって泣きたくなったというのに。
「あの、今、ちょっといい?」
 セリスは遠慮がちに言った。下手すると泣いてしまいそうな気分だが、ここは村の中だ。平静を装う。
「悪ぃ、今、レイチェに昼メシ作ってんだ。後でいいか? あ~午後はレイチェを散歩に連れてってやるから~、夜。な?」
 ロックの悪びれない態度に、セリスは怒る気さえ怒らなかった。ため息を飲み込んで、
「わかった。ごめん」
 微笑んだつもりだが変な顔をしていたかもしれない。仕方なしに無気力にそこを立ち去った。
 いくら世話になっていてももう、サンネの手伝いで編み物や繕い物をする気にはならない。
 一人では時間を潰せず、結局泉に向かった。
 死ぬかもしれない実感は無い。ただ虚しかった。

 

■あとがき■

 長いので前後編にしてみました。電車の中で書き綴ったものなので、もう出来上がってはいます。
 最初に思った話とまた方向がズレていってます。いつも切ない系を書きたいのに、ダメダメです。くすん (03.3.21)

〔後編〕

 ひとしきり精霊と話した後、サンネの元へ夕食を食べに戻ったセリスは、ロックが来るのをぼーっと待っていたが、待てど暮らせどやって来ない。
(まさか、忘れてるのかな)
「もう……!」
 セリスは家をそっと抜けだし、村長の家のロックのいる部屋を、窓の外から覗き込んだ。
 すると、なんとロックはベッドに洋服のままひっくり返って眠っているではないか。もう11時、寝ていてもおかしくはない時間ではあるが、あんまりだ。
 沸々と怒りが込み上げる。窓を引くと、不用心なことにあっさりと開いた。
 ひらりと部屋に入って、ベッドの脇に立つ。無邪気な寝顔。
「う……ん。もう食えねーよ、レイチェ……」
 一体どんな夢を見ているのか。この寝言には、さすがにブチ切れた。
 こめかみに青筋を立て、
「できるものならフレアといきたいところだわ……」
 そう呟くと、拳を握りしめ歯を食いしばる。
 みぞおちに渾身の一発。
 それでも気が済まなかった。が、涙が溢れてきてしまったから、慌てて窓から飛び出した。


「うっ……痛ってぇ」
 突然のものすごい痛みに、ロックは顔を歪めて目を覚ました。
 腹をさすりながら部屋を見回すと、窓の外に揺れる金の髪が視界の端に写る。
「セ……リス?」
 慌てて窓辺に駆け寄ろうとするが、「マ、マジで痛ぇ」うずくまりそうになり、足が止まってしまう。
 半分這うような姿勢で何とか開いたままの窓の外に出て、昼間セリスと約束していたことを思い出した。
「やっべぇ!!!!」
 急いで彼女の姿を探すが、後の祭り。サンネの家には勿論戻ってないし、他に行くところなど思い当たらない。
 これだけの小さな村だ。村の中にいたらすぐに分かる。ということは村の外?
 気が遠くなりそうな思いで、セリスが向かった方へ当たりをつける。夜の森は不気味なほど静かで、生き物の気配がしない。
(そういやここに滞った目的って、何か変な気をあいつが感じたからだっけか?)
 正直、すっかり忘れていた。そういえば、ここに来てからセリスは何をしていたのだろうか? 調べがついたのだろうか。
(てゆーか、俺は何やってたんだ。はぁ……そりゃ怒るよなー)
 そう思ってため息を吐く。一つのことに夢中になると他に気が回らなくなる──昔からの悪癖だ。いい加減直さなければならないとは思っているが……無意識の行動だけに難しい。
 30分探し回ってやっと彼女の姿を見つけたが、話し声がしたことに驚いて咄嗟に身を隠してしまった。
(一体誰と話してるんだ……?)
 こんな夜中に話すような相手なんていないはずだ。
 木陰から覗くと、恐ろしく美しい青年と嗚咽を漏らすセリスが見えた。
(あいつは何だ?)
 人間離れしすぎた美貌。大体、宙に浮いている。存在自体がおかしい。……幽霊か何か?
 出ていこうか逡巡すると、
「好きなの」
 セリスの悲痛な声が響き、ロックは固まる。セリスの口から「好き」という言葉など、ロックとて聞いたことがなかったのに───。それは照れ屋だからと勝手にロックが思いこんでいただけなのか───。
「こんなに好きで……。好きにならなきゃ良かった」
 セリスが吐くように言うと、青年は彼女の頭を撫でながら語りかけた。
「君の想いは痛いほどにわかるよ。私も同じ想いを抱えてる」
(ちょっと待て……)
 ロックは思考回路が働かない。
「あなたも……?」
 セリスが涙に濡れた顔を上げる。
「ああ、そうだよ」
 青年はひどく優しく言った。
(何がどーなって……んなまさか───)
 セリスが心変わりをした? 勿論可能性的には有り得ないことじゃないけれど。世の中に絶対はない。
(俺がちょっと放っておいたから? それともそれはただのきっかけ?)
 見つめ合う二人。青年は繊細な指でセリスの頬を撫でる。
(やめろ、触るな)
 これ以上我慢することなどできなかった。
「どういうことだ?」
 怒りを含んではいても、自分で予想していたより冷静な声で言っていた。
 突然の声に、セリスはビクッとし、ロックの方を振り返る。
「ロック───!」
 当のセリスは、ロックだと気付くと、肩を震わせて俯いてしまった。
「セリス、答えられないのか?」
 つかつか歩み寄ると、代わりに青年が口を開いた。
「彼女は……」
 しかし、「待って!」セリスがそれを遮る。
 ロックと視線がぶつかり、瞳を揺らがせた彼女はすぐにそれを反らした。
「私が言うべきだわ」
 震えた声で言い、ギュッと目をつむる。
 その様子に、心拍数が一気に上がったロックはどうしようも不安を隠して次の言葉を待った。
「もっと早く言わなきゃならなかったんだけど……あなたといるのに疲れちゃったんだ。ごめん」
 ロックは、(やっぱりそうなのか……)と肩を落とす。宙に浮く青年が驚いた顔をしていることにも気付かない。
「いつからそんな風に思ってた」
 声が低く掠れる。相当動揺しているらしい。
「わからない。いつっていうより、積み重ね」
 セリスが悲しそうに答えた。ロックにはその全てが自分と無関係に進んでいるようで。まるで夢の中のようで。
「で、今度はそいつと付き合うのか?」
「……彼は私だけに優しいから」
 セリスが青年を見て笑みをつくる。青年は何故か悲しそうな色を浮かべている。
「全然、気付かなかったよ。疲れてたんだ? ごめんな……」
 ロックは項垂(うなだ)れてそう言うことしかできなかった。悪夢を見ているんだと思いたかった。
「私こそ、ごめんなさい」
 セリスは涙を浮かべていた。必死に涙が零さないように耐えている姿を見ると、思わず抱きしめたくなったが、ロックは手を伸ばしかけて踏み止まる。
「この村で暮らすのか?」
「できることなら」
 セリスの儚い笑みにロックは拳を握りしめて、
「わかった───」
 潔くなるしかなかった。彼女をこれ以上泣かせるわけにはいかない。
「明日俺は村を出るよ。幸せにな」
 捨てぜりふを置いて、ロックはそこを立ち去った。


「……何故嘘をついたのです?」
 ロックの姿が消えると、精霊は俯くセリスを覗き込んだ。
「彼ね、恋人に死なれてるの。同じ想いを味あわせるわけにはいかないんだ」
 セリスはぽつりと呟く。自分の行動が最善だとは微塵も思わないけれど。
「彼は真実を知り、受け止める強さを持たないと?」
「…………」
 セリスは答えない。答えられない。全てから目を背けたい。
「自ら生け贄になると? 諦めると言うのか?」
 精霊の真っ直ぐな問いに、 「……もう、寝るね」
 はぐらかすような薄い笑みを口元に浮かべたセリスは、村へ戻って行った。

 

†  †  †

 

 ロックはベッドに腰掛けて放心していた。まだ信じられない。
 レイチェルのことだって決着がつくまで待っていたくれた彼女が───。
「くそっ!」
 毒づいて泣きたいのを堪える。それだけは絶対にイヤだ。
 もう考えずに寝てしまいたいのに、頭の中を、彼女との想い出が駆け巡る。
 そういえば二日も彼女に触れていない。この二日、自分は一体何をしていたんだろう。何故放っておいたりしたんだろう。
(それじゃ愛想も尽きるか……)
 我ながらこの性格を恨めしく思う。
 彼女を忘れられるだろうか。自問しても勿論答えは出ない。一つ言えるのは、辛くても忘れたくないということだった。いつまでも彼女を好きでいたい。二度と会えないとしても───
 不器用な彼女が自分だけに見せた素顔。ロックだけのために女らしくあろうとした。
 さっきの彼女の疲れ切った表情。あんな顔を自分がさせてしまった。
(あいつに甘えすぎていた───)
 後悔しても遅い。
(後悔しないよういに生きようとしたのに、全然後悔ばっかりだ。二度は無いのに)
 そう彼女は別の人を見つけてしまった。
 鍛えて引き締まったしなやかな肢体も、仄かに香る甘い匂いも、決して絡まないプラチナブロンドの髪も、二度と戻らない。
 わかっていたのに。彼女がどれだけ大事なのか。絶対に失うことなどできないと。決して離さないつもりだったのに。
 レイチェルが最後に背中を押してくれたのに。レイチェルにも申し訳が立たない。
(俺はダメだよ。全然、ダメだ。セリス、セリス、セリス──────俺を、捨てないでくれ)


 結局ロックは、一睡もできないまま、夜明け前に荷造りをした。
 人々が起き出す前に、手紙を置いて村長に家を出た。手紙には、世話になった礼と一人で発つことのみ。
 ひんやりとした空気の中、村を出て泉に向かった。幸いセリスはいない。
「ったって、あの男は一体何者なんだ? 村の奴じゃねーし、浮いてたし、来たっていねーか」
 きょろきょろと辺りを見回すと、
「来てくれると思っていた」
 静かな声が響いたかと思うと、青年が姿を現した。
「うわっ!」
 ロックはびっくりして引け腰になる。
「私は泉の精霊なんだよ。彼女の新しい恋人なんかじゃない」
 青年に言われてロックは眉をひそめた。
「……なに?」
「君は真実を知るべきだ」
「───どういうことだ?」
「辛くとも真実を知り、そしてどうするか決めなければならない」
「真実って、一体何が言いたいんだ?」
 ロックは訝しげに精霊を見つめた。精霊は哀しさを湛えた瞳で、淡々と言葉を紡ぐ。
「まず、この村と泉のこと。
 この泉には魔物が住み着いている。若い女性を食べる水の魔物。
 そのせいで私は力を失ってしまった。魔物は1年に1度、この時期にいけにえを求める。
 村に若い娘がいないのはそのせいだ。今年はレイチェの予定だった」
「だった?」
 ロックは精霊を睨み付ける。聞けば多分自分はショックを受ける。だけど聞かないわけにはいかない。
「村の者は君たちが来たときに内心とても喜んだだろう。代わりの生け贄がやって来たと」
「くっそ」
 ロックは拳を握りしめてギュッと目を閉じた。
「セリス、なんだな?」
 絞り出すように尋ねる。
「そうだ。彼女は生け贄として認識されてしまった。彼女の命は今日の昼過ぎまで。魔物は結界の中。彼女は刻まれた印により、自動的に全てを魔物の糧とされる」
 そんなことになっているのに、自分は一体何をしていたのだろう。ロックは昨晩以上に情けなくなった。
「彼女はあんな風に言ったけど、私はこの村にいた恋人が最初の生け贄にされたとき何もできなからこそ、何度も見ているだけしかできなかったからこそ、真実を告げたかった。君はきっと打開しようとすると感じたから」
「俺はあっさりダマされてたってことか」
 彼女の事に何一つ気付こうとしなかった?
 いくらロックが一つのことに夢中になりやすい性格だとか、不自由している女性を放っておけない性格だとしても、今までこんなことはなかった。
 もしかすれば魔物の力が作用していたのかもしれないけれど、でもそういった不条理の力など打ち破れるぐらいの愛を持っているつもりだっただけに、自分でショックだった。
「くそっ!」
 もう一度毒づいて荷物を放りアルテマウェポンを抜き放った。
「泉がめちゃくちゃになるかもしんねー。文句ねーな?」
 精霊の返事など待たず、泉に飛び込んだ。
 自分に対しての怒りを拭うためには、自分の力で彼女を取り戻すしかない。
 潜水して行こうとして、何かにブチ当たる。
(アルテマウェポンは破壊の剣だ!!!!)
 思いっきり、結界だろう見えない壁に向かって、アルテマウェポンを振り下ろした。
 キィンという甲高い音が響いたかと思うと、漆黒の亀裂が幾筋も入り、突如何かが溢れ吹き出しロックは衝撃に飛ばされた。

 

†  †  †

 

 明け方、眠ることなどできなかったセリスは、再び部屋を抜け出し泉に向かった。
 少し前にロックが出ていった。もう二度と会えない。
 死んでしまえばこの想いも全て消えて無くなるんだろうけど。
 最初はラグナロクで立ち向かってやると思っていたのに、偉い変わり様だと自分でも思うが、今更だ。生きてたって仕方ない。自分は一人なのだから。
 それでも居ても立ってもいられずに、泉へ向かうと、
   
 水が破裂したような音がした。
「何!?」
 急ぎ足になって森を駆け抜けると、「!!」セリスは呆然とした。
 そこにはザリガニが変形したようなドス黒い化け物と、それに対峙しているロックの姿があった。
「ロック───」
 セリスに気付くと、「下がってろ」チラリとだけ視線を寄越しすぐに向き直る。
 そのままアルテマウェポンを掲げ、化け物に飛びかかった。
 化け物は6本のハサミを振り上げて、ロックを翻弄する。セリスはそれを見つめながら、魔力を自在に操れなくなってしまったことを恨んだ。せめてラグナロクを持ってきていればと思う。
 ロックの体は至る所に幾筋もの細かい傷が付いていて、細く血が流れている。酷い傷ではないが徐々に体力を奪っていくだろう。
 それでも怯みもせずに、ロックはアルテマウェポンを振るいハサミを切り落とし、その剣の餌食とした。
 戦闘はさほど長くはなかった。
 魔物はくぐもった呻き声をあげて、風化して行く。同時に、セリスの腕で(うず)いていた薔薇が薄れてゆく。
「ありがとう。私も安心して逝ける」
 姿の見えない精霊の声がした。
 ロックは傍らにひっくり換えって、ぜえぜえと必死に酸素を求めている。満身創痍だが無事だ。
「ロック!」
 セリスは駆け寄って覗き込んだ。(ひざまづ)き肩を抱き起こして、そっと自らの膝の上に乗せる。目を閉じて呼吸を整えていたロックは、ゆっくり目を開けてセリスを見上げた。
「なんともねーか?」
 ぶっきらぼうに尋ねられて、セリスはぼろぼろと涙を零しながら頷く。
「よかった───」
 ロックは大きく息を吐いて、真上にあるセリスの顔に手を伸ばしそっと涙を拭う。
「ったく、あんな嘘つきやがって」
「ごめん」
「マジで、ダメかと思った……」
 ロックは優しくセリスの頬を撫でながら呟いた。その青灰の瞳に涙が滲む。
「本当に、よかった」
 涙を隠すように、片手で顔を覆った。
「すげえ、色々考えたけど、全部お前が生きている前提の話でさ。あいつが話してくれなきゃ、俺何も知らないままだったんだぜ?」
 掠れた声でロックは言う。セリスは困ったように口元を緩め、
「言おうとしたんだけど、あなたが約束破ったんじゃない」
「そうだな。悪い」
「逆の立場だったら言った?」
「多分言えねえ」
「ほら」
 視線を合わせ、二人で苦笑いするとロックは体を起こした。
 この前セリスが顔を洗った水で、自分も顔や傷を洗いバンダナを外してそれらを拭う。
 振り返ってセリスに微笑みかけた。
「あいつより、俺のがいい男だろ?」
 自信たっぷりに言われ、セリスは一瞬面食らったが、
「勿論!」
 笑顔で答えた。力強く抱きしめられて、ロックの匂いを思い切り吸い込み安堵の息を漏らす。
「さーて、この村の連中はどうしてくれよーか」
 ぽつり呟いたロックに、セリスは首を傾げ、
「どうするの?」
「知らん顔して去りゃ、それでいいだろ?」
 確かにそれができれば一番いい。彼らに会えば何かしらの行動に出ることになる。
「私は引き止められるよ?」
「そしたら俺キレるかも(笑)」
「もう……。私は死ななかったんだし、とりあえず戻ろうか」
「俺は置き手紙までしたけどな」
 ブツくさ言いながらも、二人は手をつないで歩き始めた。
 今は面倒なことなど考えず、ただの散歩みたいに、のんびりしよう。

 

・ fin ・

 

■あとがき■

 また、全然思っていたのと違う話です。私はロックの悩む姿が好きみたい。
 でも、もっと切なくしたかったのに……うまくいきません。 (03.03.23)

【この頁で使用させて頂いた素材サイト様】 ClipArt:PlayMoon

Original Characters

レイチェ ED後、山奥の村に立ち寄ったロックとセリスが出会った足の不自由な美少女。村長の娘。たおやかでおっとりしていて女の子らしい性格。
サンネ ED後、山奥の村に立ち寄ったセリスが世話になる村長の妹。 レイチェの代わりにセリスを生け贄にしようとする。