人間は欲張りである。
1つを取れば他が疎かになる。
1つを成し遂げると、別のことで後悔する。
1つを得ても、また別の何かを求める。
1つを叶えても、それ以上を望む。
人間とはそういう生き物だ。
「未来を見つめよ」 放浪の賢者 ラシーン
† † †
彼に再会することだけを希望に、一人孤島を出て頑張ってきたセリスは、噂を聞いて愕然とした。
「フェニックスの秘宝を探している奴がいる」
その噂が示すのは間違いなくロックのことだった。
だけど、とセリスは思う。
自分が驚くことすらおかしいのではないだろうか。何故なら、彼には最初からレイチェルしか見えていなかったのだから。
セリスのことも、レイチェルの代わりに気に掛けていただけなのだから。
それでもいいと思えた。彼のお陰で自分は生きていて、色々なことを知ることができた。
彼は自分の望みを叶え、レイチェルを取り戻すべきだ。
会ったら必ず笑おうと決めていた。笑顔で再会しようと。それが、彼のためにセリスにできる唯一のことで精一杯のことだから。
† † †
仲間と1年半ぶりに再会した───秘宝を求めて入ったフェニックスの洞窟で。
ただ、がむしゃらに後先考えず秘宝を探していたロックは、穏やかに微笑むセリスを見て、胸が疼いた。
だけど秘宝を手に入れたことで頭が一杯だったロックは、すぐにそんな胸の疼きなど忘れてしまう。
飛空挺でコーリンゲンへ向かい、レイチェルの遺体を前に、ロックは長年の悲願であったフェニックスを遂に呼びだした。
しかし……ヒビの入った魔石は、やはり力が弱まっていたらしい。
レイチェルは望み通り生き返ったが、彼女はロックの喜びを打ち砕くようなことを口にした。
「1年だけ、時間をもらったの。あなたが……今、別の人を見ていることは知ってる。でも、1年だけ……私と過ごして欲しいの」
ロックは内臓が一気に落下したような錯覚に陥り、ぐるぐるとしている頭の隅で思った。
(俺が別の人を見ている? だとすれば………………それはセリスを指しているのか……?)
そこまできてロックはやっと気付いた。レイチェルを生き返らせた後のことを何も考えていなかった事実に。秘宝を手に入れれば、全てうまくいくような幻想にとりつかれていたんだろう。
ロックは潤んだラベンダーの瞳に見上げられ、顔を強ばらせた。
「1年だけって……1年過ぎるとお前は……」
するとレイチェルは、儚げな微笑を湛え、
「フェニックスにはもう力が残ってないから、1年分の生命力をもらうのがやっとだったの。私はそれでもいいから生き返ることを望んでしまった……。ごめんなさい……」
震える声で言い俯いた。
「何言ってんだよ。俺はお前を生き返らせたくて秘宝を探したんだぞ。なんで謝るんだ……」
(多分、謝らなきゃならないのは俺だ……)
謝ればレイチェルは余計に辛い想いをする。だから言葉にしないけれど。
「…………あなたは相変わらず優しいのね」
レイチェルは小さく笑って顔を上げた。
「ありがとう」
呟いた彼女を、ロックは抱きしめた。
1年しか過ごせない───1年後、またレイチェルを失う事実が切なくて。
ロックがセリスを想っていると決めつけている彼女を納得させられない自分が不甲斐なくて。
様々な感情が混ざり合って、込み上げそうになる涙を堪えるのに、必死だった。
気になって、レイチェルの身体が置かれている家の前でうろうろしていたセリスは、突然開いた扉にどきりとして振り返る。
ロックだった。可愛らしい女性を連れている。小柄で栗色の髪に紫水晶のような澄んだ瞳をしている。レイチェルだった。
「セリス───」
セリスの姿を目にしたロックは、複雑そうな表情を浮かべる。
(あなたが気に病むことなんて何もないのよ)
セリスは心から微笑むことができた。彼が好きだからこそ、祝福してあげたかった。
「おめでとう」
セリスの曇り無き笑顔に、ロックは戸惑ったように、
「あ、ああ……。ありがとう」
ぎこちない笑みを返した。彼の後ろに立っていたレイチェルが、優しい表情を浮かべたまま前に進み出る。
「あなたがセリスね?」
「え、ええ……」
確認されたセリスは戸惑った。ロックが何か言ったのだろうか。
「魂になってずっと見ていたから知ってるわ」
「…………」
そんな風に言われたら何て言っていいかわからない。ずっと、見ていた? 正直、ロックにとってもセリスにとっても嬉しくない話だ。
「ごめんね」
更に呟かれ、セリスは一瞬表情を強張らせたが、
「なに謝ってるのよ。そんな必要ないでしょ。ロックはあなたを生き返らせるためだけに頑張ってたんだから、私達がそれを喜ぶのは当然じゃない。ずっと辛そうだったから、あなたが生き返ってくれて本当によかった……。さあ、みんな待ってるから行きましょう!」
わざと明るく言った。自然に言うことができたはずだ。辛いけれど、幸せを祝ってあげたいと思えるから。
ロックはなんとも言えない表情で、二人のやりとりを見つめていた。
† † †
「これから、どうするか決めているのか?」
セッツァーの問いに、セリスははにかんで答えた。
「世界を旅しながら、いろいろな所で復興を手伝おうかと思ってるわ」
ケフカを倒した翌日、フィガロでの祝賀会の最中である。
セッツァーは、テラスで酔いを醒ましていたセリスを追ってきたのだ。
「決めたのか……」
「ずっと決めていたの。ケフカを倒すと誓ったときから。私にできる贖罪はそれしか方法がないから」
静かに答えるセリスを、セッツァーは悲しげに見つめる。何を言っても無駄だろうことはわかっていた。だから余計なことは言えなかった。
「もし何かあったら呼べよ。どこにいても必ず飛んで行く」
そう言うことで精一杯だった。いつも強引で余裕のセッツァーが、だ。俺もヤキが回ったな、とセッツァーは自嘲気味に思う。
セリスはくすりと笑みをこぼし、
「ありがとう」
そう言った。
セッツァーは、今まで見てきたどんな時よりも彼女が綺麗だと感じた。
ロックは悩んでいた。
言えない、言う資格がないとわかりながら、セリスに何かを言いたくて。
「1年後に会いたい」そんな言葉は絶対に言えないけれど。そういうことじゃなくて、もっと違う何かだ。
いくらか話はしたが、他愛ない話ばかりだった。
そのいつでも、彼女は笑っていた。それは無理矢理じゃなく心からの笑みに見えた。
ロックの罪悪感など自惚れに過ぎないのかもしれない。オペラ座で好きだと言ったことだってもう時効になっているだろう。
逆に、未だセリスに拘っていることで、レイチェルへの罪悪感を持っている。
レイチェルは昔と変わらぬ穏やかな笑みで、
「みんな、いい人ね」
ロックの仲間達をそう評した。ロックは苦笑いで、
「まあな。アクが強くて個性的だけど、根はいい奴ばっかだ」
そう言いつつも、テラスへ出たセリスと、それを追ったセッツァーを見ていた。
何を話すのだろうか。セリスのことを気に掛けるべきではないと思えば思うほど、気になっている。
ロックは気を取り直して尋ねた。
「これからはどーする? コーリンゲンで一緒に暮らすか? どこか他の街がいいか?」
「あなたは……旅に出たいんじゃない?」
「……そうだな。落ち着いたら、コーリンゲンを拠点に一緒に色々な所に行こうな」
レイチェルの頭を撫でた時、セッツァーがテラスから戻ってきた。ロックはもう考えるのをやめた。意味がないから。
皆が寝静まった頃、ロックは煙草をふかしながら渡り廊下でぼんやりしていた。
何かをしようとすればレイチェルに対する罪悪感が生まれる。
レイチェルを大事に想っているのに、ただ誠実であることができない。二兎を追っているわけではないが、どちらにもいい顔というのは都合が良すぎるのだろう。
もう昔には戻れないということに今更ながらに気付く。
2本目を吸い終え部屋に戻ろうかという時、向こうから歩いてくる女性が目に入った。セリスだ。
どうして会ってしまうのだろう。口にできる言葉など何一つ持ってないのに。
一方セリスは、ロックの困惑などよそに、
「あら」
と、ごく普通に言った。
「煙草の吸いすぎはよくないわよ」
知らず3本目に火をつけていたロックは、
「……ああ。そうかもな。今度から少し気をつける」
戸惑いながら頷いた。レイチェルが隣に居るときはまだ表情に出さないようにできる。が、今はポーカーフェイスなどできそうになかった。
ロックの知っているセリスは、もっと不器用で、時に強がったり、時に弱く女らしい一面を見せた───恐らくロックだけに。
単なる友人のように接してくるセリスに、戸惑いを隠せない。それが正しいはずなのに、胸の奥がもなもやする。ただの願望かもしれないけれど。
「そうよ。もしレイチェルさんに子供でもできたら、禁煙よ?」
平然と笑顔でそんなことを言う彼女に違和感を覚えるのは、彼女が自分の知っているセリスではないからか。
少なくとも、1年半前の彼女は違った。そう思うことすら自分には罪だとわかっているけれど。
「そうだな。家の中では絶対に吸わないようにするよ」
そう答えたら、彼女は呆れ顔で、
「やめるつもりはないんじゃない。まあいいけど」
と肩をすくめた。
レイチェルが子を成すことなどない。彼女にはあと11ヶ月弱しかないのだ。
「ところで、お前はこれからどーすんだ?」
ロックは何気なく尋ねた。別に不自然な話題ではないはずだ。
「一応、帝国に戻ろうと思う。復興を手伝いたいから」
「……そうか。頑張れよ」
ロックにはそう告げることしかできなかった。セリスははにかんで、
「ええ。私が今生きているのはロックのお陰だもの。感謝してる。本当にありがとう」
礼を言った。そのことにロックは心が痛む。散々振り回した気がする。彼女をたくさん傷付けた。
「そんなこと……」
「ううん。ロックがいたから生きてるのよ。あなたに助けられなかったら、私は間違いなく絶望して死刑になってた。だから、ありがとう。レイチェルさんとお幸せにね」
にっこりと笑った彼女の、笑顔が綺麗すぎて痛かった。
■あとがき■
7000hit瑠璃さんのキリリクです。
なんだかロクレイ……? 4話か5話で終わる予定です。痛い話になるでしょう。ええ。相当痛いものが続きます。マシュマロに劣らぬ程の痛さを誇るかもしれません。「どうなっちゃうの……?」そう思って読んでいただけたら目論見通りです。ラストの感動を味わって頂くために、痛みに耐えてよく頑張ってください。
元々、自分でも書こうと思っていたネタでした。が、難しいため後回しになっていました。リクがあったことを機会に考え抜いて、切なく痛い話にしようと思いました。ロックは自分の望んでいたことの矛盾と無意味さと愚かさに気付かなければならないと思ったので……。(ロック至上主義と言いながら、いつもロックに駄目出ししている桜です)
サボテンの花のありささんも同じネタ(もしレイチェルが生き返ったら)で書かれているんですが、正反対っぽい内容かも。でもすっごいいい話です。あんな風な話にするなんて思いつきもしなかった。是非、そちらも読んだ方がいいです。今、続編も連載中です。追伸:上記HPサボテンの花様は閉鎖したと思われます。 (03.9.27)
文章修正・補正を行いました。 (06.6.14、07.5.15)
物事は他面的だ。そして常に変化する。
それを敏感に察知し、対応していかないと、人は後悔することになる。
理屈でわかっていながらも、容易にできることではない。
同時に、どうしても何らかを犠牲にせねばならぬ選択は存在する。
同じだけの後悔をする二者選択を問われたら、人はどこで決定すればいいのだろう?
選択をしなければいけない時点での予測と、選択をした後での結果はまた違うものになる。
それは更なる後悔を生むことまで予測せねばならない。
どうすれば人は後悔せずに生きることができるのか───
「未来の選択」 放浪の賢者 ラシーン
† † †
「人殺し!」
誰かが叫んだ。闇の向こうにいるセリスに向かって。
「悪魔!」
罵声と共に石が投げられる。
(やめろ……)
叫びたくても声にならない。
セリスはただ黙って俯き、甘んじてそれを受けていた。
「お前さえいなければ……!」
立ち尽くすセリスに、角材が振り上げられる。
(セリス!)
どんなに叫ぼうとしても、届かない声。
ガッ……鈍い音と共にセリスが崩れ落ちる。
(セリス!)
どうやら頭を殴られ気を失ったらしい。
「水をかけろ」
顔の見えない女が言った。典型的な拷問のやり方だった。気を失うことすら許さない非情な仕打ち。
(やめろ! やめてくれ……!)
ロックは脂汗をかいて、飛び起きた。
「どうしたの?」
レイチェルの顔を覗き込まれ、ロックは首を横に振る。
「いや……」
「でも、ひどくうなされてたわ。夢?」
「あぁ」
乱れていた呼吸を整え、ロックは頷いた。
「よく覚えていないけど、とにかく嫌な夢だった……」
そして嘘をついた。レイチェルを不安にさせたくなかったからだ。
何故、あんな夢を見たのか。
思い返してロックは苦々しい顔をする。
妙に現実的だった。予知夢だったりしないことを祈るしかできない。
夢は潜在意識を表すというから、ロックの罪悪感なのかもしれないが……。
全く抵抗せず殴られるセリスの虚ろな顔が、ロックの心に焼き付いて離れなかった。
† † †
レイチェルとの暮らし、それはロックが求め続けたものであり、幸福に満ち足りたものだった。
なのに、時折、心にすきま風が吹く。
得体の知れぬ焦燥感が沸き上がる。
それは、レイチェルに対する罪悪感を生む。
(俺は一体、何を望んでいたんだ?)
今更ながらにロックは己に問う。
(一体何を求めていたんだ?)
ずっと考えようとしなかった。己の矛盾から目を背けていた。
レイチェルを失うことに耐えられなかったのではなく、己の不甲斐なさが許せず、その罪を帳消しにしたかったのではないのか、そんな考えにも全て見ぬ振りをしていた。
(レイチェルを生き返らせるために全てを費やしてきたのは、何のためだ?)
でも、一年、一年の間は、せめてレイチェルを幸せな気持ちでいさせてあげたい。
だが……本当に彼女の心を満たせているのだろうか?
自分の不都合な心に見て見ぬ振りをして、必死に取り繕っていないだろうか。
そんなロックがレイチェルを幸せにしているとは決して言えないだろう。
───それでも、彼女が少しでも幸せを感じられるよう努力しなければならない。
自らの身勝手で彼女を生き返らせた責任なのだから。
責任。そんな言葉で彼女と共にいる自分にひどく腹が立つ。
何がいけなかったのだろう。どこでどう間違ってしまったのだろう。後悔したくない──それだけを胸に生きてきたはずだった。
後悔しているわけであないが、拭えぬ虚しさと罪の意識がしこりのように重くのし掛かっていた。
† † †
レイチェルが生き返ってから10ヶ月が過ぎた。
ここのところ、彼女は病みがちになっている。
ロックは、どこにも出掛けず、できるだけ彼女の傍にいるようにしていた。
レイチェルが大事で、幸せに笑って欲しいという気持ちはあの頃と変わらない。だけど、必死になって取り繕うしとしているようにも見える。ある種、滑稽なほどに。
「今日は調子がいいの。散歩に行きたいわ」
そうねだったレイチェルを連れ、村を出た。
コーリンゲンの西側に広がる草原を歩き、丘を登ると向こうに海が見渡せる。
「綺麗ね……」
レイチェルは静かな微笑を湛える。穏やかなその表情は天使のようだ。
ロックはその横顔を黙って見つめていた。愛しさと切なさが混じり、心が苦しくなる。
彼女がこんなに大事なのに、何が違うというのだろう? 自分自身に問いかけても答えは返らない。
「レイチェル……」
確かにそこに居るのに、彼女は余りにも儚く、今にも消えてしまいそうに感じた。
ロックは胸がつまり、海を見つめる彼女に、背後から腕を回した。
何故こんなにも儚いと感じるのか……。
病的に細いレイチェルは、力を入れれば折れてしまいそうだった。
「ロック? どうしたの?」
その声音は以前と変わらない。甘く優しい声は慈愛に満ちている。
「お前が……今すぐ空に消えるかと思って……」
ロックが呟くと、レイチェルはくすりと笑みを零した。そして穏やかなままの表情で言った。
「私ね……私の身体、もう保たなそうなの」
明い口調で、何でもないことのように肩をすくめる。
「え?」
ロックはぽかんと口を開けた。間抜けな顔。
「やっぱり、本来の姿に逆らっているのが不自然なんでしょうね」
レイチェルは相変わらず微笑みを浮かべたままだ。決して悲嘆したような顔を見せない。
「な、なんで……」
「フェニックスは万能じゃないから。……フェニックスも、それほどの力は残ってなかったのね」
彼女が静かで穏やかな表情しかしないから、ロックは余計にたまらない気持ちになる。
「そんな……」
言葉が出てこなかった。
まだ彼女を幸せにしてあげられたと言えない。あと10年あったところで、幸せにできると断言できなくとも。
「あなたを……縛ってしまって……ごめんね」
レイチェルは、その時になってやっと悲しそうな表情を浮かべた。
「何、言ってんだよ……」
ロックは呆然としたまま言ったが、レイチェルはゆっくり首を横に振り、
「わかってたの。優しいあなたを困らせていることも、苦しめていることもわかってた……。ごめんなさい。私のワガママで」
そう告げた。
「違うよ! 俺のワガママだ。俺のワガママで勝手にお前を生き返らせた。なのに…………俺はお前を満たしてやることができなかった。たった1年しかないとわかっていたのに……」
ロックは、今までこれほど後悔したことはなかった。既にどこからの後悔なのかすらわからない。
「そんなことない。嬉しかった。いつも私のこと考えて、私のためにたくさんのことをしてくれた。大事にして、私を愛してくれた。私は……幸せだった」
レイチェルは笑顔で涙を落とした。透き通った宝石のような雫が、きらりと輝いたかと思うと、
「ごめんね……」
彼女の身体が、淡い燐光を放ち始めた。
「レイチェル……!」
「もう行かなきゃ駄目みたい。……もう自分に嘘をつく必要なんてないから、幸せになってね」
「レイチェル!」
ロックは何故、今、そんなことを言うのかと悲痛な表情で叫ぶ。
「約束して。私はたくさんの幸せをもらったから。今度はあなたに幸せになってほしいの。死んでまで私に遠慮したりしないで。自分の気持ちに正直になってね」
そう言っている間にも、彼女の姿は空気に溶けていく。
「レイチェル……」
「彼女と……セリスさんと幸せになってね。……約束よ」
「レイチェル……」
ロックは堪え切れずに涙を落とした。
「ありがとう。ずっと見守ってるわ。光となり、風となって、あなたの幸せを願ってるから……」
レイチェルがそう言い終えると、一陣の風が吹いた。
その風に彼女の姿はさあっとかき消え、彼女は逝ってしまった。遺体すら残さず……。
「……ちくしょう……」
彼女の着ていた服を握り締め、
「ちくしょう!」
ロックは叫んだ。涙が溢れ、止まらなかった。
「ちくしょう! ちくしょう!」
明確な理由もわからず、ただ悔しくて、もどかしくて、悲しかった。
一体なんのためにレイチェルを生き返らせたのか……。結局は、彼女の生を弄んだだけではなかったのか……?
それでも、レイチェルは幸せだったと言ったのだから、それを信じてあげなければならない。最後に彼女と過ごしたこの時間が、決して無駄ではなかったのだと。
「幸せになれって……なんだよ!」
そんなずるい男になれというのだろうか。わざわざ不幸を選ぶような馬鹿な人生を歩んでほしくないだろうレイチェルの気持ちはわかるけれど。
今更どんな顔をしてセリスに会えというのだろう。
元々、1年してレイチェルが死んでしまっても、セリスの元へ行くつもりなど毛頭なかった。
そんなことを考えてレイチェルといるなんてできなかったし、セリスに対しても失礼だから。そんなロックにだけ都合のいいことを望めるはずはなかった。許せるはずはなかった。
「……なんで、あんな約束させんだよ…………」
ロックは一人、途方に暮れ、呟いた。
■あとがき■
まだそんなに痛くないですね。悲しいところかもしれないけど、まあ、元々、これ前提なので仕方ないです。本当はサブタイトルを「仮面夫婦」にしようかと思ったけど、面白すぎるのでやめました。アホっぽいしね。……えへ、ごめんなさい。シリアスムードぶち壊し?
いっつもそうだけど、同時連載してると内容が似てくるんです。何故か。被らないように気を付けてますが、難しいです。引きずられるんですよね。まあ、元々の嗜好的な問題もあるだろうけど。
この話もロックの「ザ・後悔」だ……。ロックほど後悔させ甲斐のある男はいません。苦しんでもがく姿のなんて萌えることか……!(サドだ!) まあ、それって「いい男」とは言い難いのかもしれない……。読む分にはたまんねーけどね。次は、セリス編です。 (03.10.4)
文章修正・補正を行いました。 (06.6.14、07.5.15)
人は罪を恐れる。
恐れながらも罪を犯してしまう。
犯した罪は果たして贖えるのか───。
真の償いなど存在するのか───。
全ては個人の自己満足だ。被害者においても、加害者においても、それは自己満足に過ぎない。
贖うことすら思いつかない者もあれば、どんなに贖っても満足しない者もいる。
人とは、自分の心を保つために生きてることだけが、断言できる。
「罪の贖い」 放浪の賢者 ラシーン
† † †
モブリズ・ツェン・ベクタと回ったセリスが、最後に行き着いたのは───因縁の地マランダだった。
ケフカを倒してはや8ヶ月。様々な場所で復興を手伝ってきたが、マランダ王国はセリスが滅ぼした地。他の街とはわけが違う。
新しく生きるという意味で髪を短くし男物の旅装でマランダへと来たセリスは“リー”と名乗って、親切な老婆カナリアの家に世話になりながら、マランダ再建に努めた。
肉体労働も厭わぬセリスに、カナリアは優しかった。優しいからこそ苦しかった。戦争で息子夫婦と孫を失ったという彼女は、たまに寂しそうな表情になる。全て、セリスのせいだ。
彼女はただ、当然の償いをしているだけなのだ。優しくする価値など微塵もない人間なのだと……。
しかし、告げることはできなかった。未来を見つめ歩き出した人々に、わざわざ嫌なことを思い出させる必要など全くもってない。
だけど……罪悪感が消えることはない。もし知れば、決して優しくされることなどないだろうから。
もし露見したその時は、諦める覚悟ができている。殺してくれていいとまで思っていた。
セリスはそれだけの大罪を犯した。無慈悲にたくさんの人を殺した。非戦闘員である女子供にまで手をかけることはなかったが、だから何だと言うのだろう。実際セリスがしていなくとも、多くの兵士は無差別に殺した。慰めにもなりはしない。彼女は将軍だったのだから。
他人と話そうとはせず、接触を避けた。仕事に必要な最低限の事以外は目もくれず、来る日も来る日もひたすら動いた。自ら孤独を選んだ。
事実を知れば憎まれることこそすれど、仲良くしようなどと誰も想うはずがないのだ。それを考えれば、素知らぬ顔で懇意にできるはずがなかった。
関わらないようにしているつもりでも、カナリアは優しかった。時には孫のように接してくれた。無表情を努めても、冷たくできるわけではない。肩を叩いてあげたり、洗濯を手伝ったり、そんな些細なことに喜びの表情を浮かべられ、セリスはただただ辛いだけだった。
† † †
マランダへ来て2ヶ月が過ぎようとしていた。
その日、セリスは城の堀の修復を手伝っていた。人数も足りなければ物資も足りず、復興は思うようには進まない。それでも人々は、確実に平和であった頃の生活を取り戻しつつあった。
「いつ頃終わる?」
威圧感ある女性の声に、セリスはハッと顔を上げた。周囲の者も皆作業を止めて、その女性を見ていた。
マランダの王族で、唯一生き延びた第一王女マーガレット姫だ。城が落ちる前に逃げ延びどこかへ隠れていたらしいが、帝国が滅びケフカが倒され戻ってきた。栗色の巻き毛と淡い草色の瞳と可愛らしい容姿だが、存外気が強いようだ。剣の腕もたち、気丈な女性だという。
「今月末には」
この現場を任されている年輩の男が答えた。
「順調に進んでいるようですな」
マーガレットの背後から声がした。聞き覚えのある声……? セリスは眉をひそめる。こんなところに誰がいるというのか。
「ええ。これもフィガロの援助のお陰です」
そう答えたマーガレットの言葉に唖然としていると、彼女の背後から姿を見せたのはフィガロの大臣グレンシルだった。何度も世話になっている。向こうが覚えているとは限らないが……。
セリスは苦々しい顔で作業を再開した。重い土嚢を積んでいく。
気付かれたくなかった。マランダに来てから誰とも連絡を取っていない。自分のしていることは、仲間達には滑稽に写るだろうから。
ところが、
「おや……?」
グレンシルはセリスに近付いてきた。ぎくりと身体を強張らせたセリスに、
「あなた、王の友人の……?」
首を傾げながら尋ねる。
「人違いじゃないのか?」
低い声でぞんざいに答えた。俯いたまま土嚢を固定するセリスは、
「……女性、ですよね?」
確認されて返答に詰まる。
「どうされました? グレンシル殿」
マーガレットも近寄ってくる。
「いや……セリス殿に余りに似ているので……」
グレンシルが呟いて首を捻ると、マーガレットはピクリと眉を上げた。
「セリス……?」
表情に怒りの色が浮かぶ。グレンシルはハッとして、
「いや、我が王の仲間の女性と余りに似ていたもので……。しかしこんなところにいるはずもない。人違いでしょう」
慌てて汗を拭いた。よりによってマランダがセリス将軍によって滅ぼされたことを失念していたのだ。
マーガレットは不審そうにセリスを見ていたが、大臣の手前もあったのだろう。身を翻して去って行った。
三日後───
外れにあるカナリアの小さな家に、衛兵とマーガレットがやって来た。
「リーと呼ばれる女はいるか?」
居丈高なマーガレットの声に、編み物をしていたカナリアは慌ててセリスの顔を見る。
(遂に、来たか───)
グレンシルに声を掛けられた後、きっと自分がセリス将軍であることが明るみにでるだとろうと思っていた。覚悟はとっくにできている。
「私だ」
腹をくくって、表へ出た。
「元帝国将軍セリス・シェールだな?」
マーガレットの言葉に、戸口から覗く老婆が顔色を変えた。
「そんな……」
セリスはギュッと目をつぶり、唇を噛みしめた。カナリアを騙していたことが何よりも辛い。人を騙してまでする贖罪に意味などあったのかと、今更思う。
「騙すつもりじゃなかったの。ごめんなさい……」
どんなに謝っても消えぬ罪が、また一つ増えてしまった。
セリスはマーガレットに向き直ると、
「確かに私は帝国将軍だったセリス・シェールだ」
毅然と言った。潔くありたかった。自分の罪を認めているから。
対してマーガレットは、美しい顔を歪め鼻で笑った。
「誰も気付かなかったとは……馬鹿な話だ」
「………………」
セリスは何も言えない。謝罪が無意味であることを知っている。
「帝国を裏切ったという時点で死んだとばかり思っていた。そしてこんな所にいるはずもないという思いこみから、気付けなかったのね。私と並ぶほどに、マランダでは有名であるというのに……。…………さて、貴様が何故、マランダで暮らしている」
マーガレットに睨まれ、本当の事を言えば姫君は激昂するだろうから、セリスは一瞬躊躇いを見せたが、
「再建を手伝う以外、贖罪を思いつかなかった……」
力無く言った。案の定、マーガレットはくわっと目を剥き、
「贖罪!? 償いだというのか!」
声を荒げた。逆にセリスは虚しさを感じるほどに落ち着いていた。
「それで償えるとは思っていない。しかしできることをするしか思いつかなかった」
「綺麗事を言うな!」
マーガレットの怒号と共に、平手が飛んできた。セリスは微動だにせずに、それを受ける。
「───死は許される時だ。だから、この罪から逃れ何もることは、自ら死を選ぶことはできない。抵抗はしない。煮るなり焼くなり好きにするがいい」
セリスの言葉に、マーガレットはチラリと後ろの男達に目配せすると、
「連れて行け」
傲慢に顎をしゃくった。
腕に縄を掛けられ兵士に引かれながらも、セリスはどこかホッとしていた。
「さて、あの女をどう処分しようかしら……」
マーガレットは美少女と呼ぶに相応しい容姿に、ひどく不釣り合いな笑みを浮かべた。
「贖罪などと言って平気でこの町の復興に加わるなど、厚顔無恥もいいところだ。本当なら即処刑だが……」
マーガレットは言葉を句切ると、背後に控えていた側近を振り返った。
「あの女を殺せば、溜飲が下がると思うか?」
「……いいえ。失われた者は戻りませんから」
扉の右側に立つ初老の男が答えた。
「さらし刑にしうようと思う。国民が決めるのだ。国民は直に憎しみをぶつけることができる」
その陰険な案には、側近達は一瞬眉をひそめたが、何も言わなかった。将軍を憎んでいるのは自分たちも同じだったからだ。
「できるはずもない償いなど……愚かな女だ……」
呟きながら、一番最初に手をあげるのは自分だと、マーガレットは拳を握り締めた。
† † †
マランダから戻った大臣の話を聞いていた砂漠の王国フィガロの若き王は、その美麗な顔を歪ませた。
「セリスがマランダに……?」
眉根を寄せて呟く。
「人違いと否定されましたが、間違いなくご本人と思われます。失言でした。マランダでもし彼女の正体が明るみに出れば……」
沈痛な面もちの大臣に、エドガーは深く頷いた。
「罪を忘れ、別の人生を歩み始めるなんて、彼女にできるはずもなかったな。ましてや彼女は一人……。支えてやれる者がいない」
行動に移るべきかどうか迷う。余計なことをすれば彼女は怒るだろう。マランダから無理矢理連れ出したところでどうするというのだ。彼女が償いたいというのならば、やりたいようにやらせるのが一番いい。
しかし、彼女の正体が露見したら、そう考えると、居ても立っても居られない気持ちになる。
彼女はかけがえのない仲間なのだから。
翌日、セリスの様子を見てきて貰うためにセッツァーを呼びつけた。
昼前に訪れた彼は、珍しい人物を連れていた。
「ロック……どうしたんだ。久しぶりだな」
エドガーは複雑な思いで挨拶をした。
「ああ……。レイチェルが死んだ」
虚ろな目で答えたロックに、エドガーとセッツァーは顔を見合わせる。
「死んだって……何故」
呆然と呟くエドガーに、ロックは唇を歪め、
「元々そういう約束だったんだ。フェニックスがくれたのは1年だけだったのさ。……1年保たなかったけどな」
「そう、か……」
何だか頭が混乱してきたエドガーは、
「とりあえず、食事をしながら話そう」
そう言った。
「最初から1年のつもりだったのか?」
セッツァーの厳しい視線に、食後のお茶を飲んでいたロックは横目でそれを交わし、
「そうだ。レイチェルが1年だけでもと望んだからな」
ため息混じりに言った。そんなロックを責めたいと思うのに、セッツァーはそれ以上言葉が出てこない。ロックはきっとわかっているだろうから。
「それで、これからどうするんだ?」
エドガーが尋ねた。ロックは苦虫を噛み潰したような顔で俯き、
「一人……旅に出るつもりだったんだ。だけど、毎晩、セリスの夢を見る。……彼女が……大勢の人間に暴行される夢だ」
吐き出すように言った。それを聞いたエドガーは渋い顔になる。
「正直言えば、彼女に会わせる顔なんてねー。セリスがどう考えてようと、俺は許されると思ってない。俺自身がそんなことは許さない。だけど夢は余りにもリアルなんだ。……彼女は今、元気でいるのか?」
顔を上げたロックは、必死の形相をしていた。エドガーは更に渋面で、唸るように告げた。
「わからない。大臣がマランダでセリスに似た者を見たと言う。可能性は高い」
「マランダ───」
彼女が滅ぼした因縁の地。
「各地の復興を手伝って回ると言っていた彼女から最後に連絡が来たのは半年近く前、ベクタだ。今日、セッツァーを呼んだのも確かめて来てほしくてな。大臣にセリスかと問われ否定した。しかし、もし本人ならそれがきっかけで彼女の正体が露見している可能性がある。グレンシルがすごく心配していてな。無論、私も心配だ。杞憂に終わればそれでいいが……」
ロックは片手で頭を抱えた。あれが正夢だったら……そんな想いが膨らみ続ける。
「俺に……行かせてくれないか?」
ロックは絞り出すように言った。少し考えたエドガーは、頷くとセッツァーに目配せをする。
「わかった。マランダに連れて行ってやる」
そう言ったセッツァーを見たロックは、二人の友の顔をまじまじと見つめ、
「すまない」
一言、頭を垂れた。
■あとがき■
書いてなかったと思いますが、「TIME」という題名はB'zの歌から取りました。「Browin'」とカップリングになってる曲です。
「どうすれば時が戻る」という歌詞がぴったりかと思って……。でも、それがわからない人には題名の意味がないので、「天秤」にすればよかったかも……。悩んだんです。
思ってた程、痛くないですね。これからかしら? 痛い場面はマシュマロ程、多くならなさそうです。そんな場面ばっかり書けないし……。
本当は別ver.も二つほどネタがあるんですが、大して話が変わるわけではありません。ので却下しました。そのうち、ネタがどうしても無くなったら書くのかしら……? (03.10.11)
文章修正・補正を行いました。 (06.6.14、07.5.15)
後悔とは人であれば必ずするものだ。後悔したことのない人間などいないだろう。
後悔した後、人はどうするか───最も重要なのはそこにある。
過去は決して取り戻すことができない。消えることはなく、やり直しは叶わない。
それならば───諦めて未来を見つめるべきなのか。
次に後悔しない方法を考えるしかないのか。
後悔とは成長のためにあるものだ。学習のためにあるものだ。
わかっていながら、諦められないことがある。
その時、人はどうするのだろう?
「後悔の行方」 放浪の賢者 ラシーン
† † †
両手両足に鎖を付けられたセリスが兵士によって引きずり出されたのは街の広場だった。
鎖は広場の中心にある噴水に繋げられ、衛兵にどつかれたセリスはバランスを崩し、膝から地面に転げる。
砂利の地面は痛かったが、全てが麻痺しているような気分で、頭だけが異様に冴えていた。
城下町に住むほとんどの人が集められた中、地に這いつくばって俯くセリスの前に立ったマーガレットは声を張り上げた。
「この者は、我がマランダ王国で虐殺を行った、帝国で常勝将軍と呼ばれたセリス・シェールだ」
突如、突き付けられた事実に、人々の間に動揺が走った。
忘れていたわけではないが、癒されかけていた心が崩れ、記憶の奥に追いやられていた憎しみが呼び起こされる。
「死とは最も楽な償いだ。簡単にそれを与えるわけにはいかない。皆、悲しみと憎しみをこの女にぶつけるがいい! 因果応報という言葉を教えてやりなさい!」
叫んだマーガレットは、手にしていた太いパイプをセリスに振り下ろした。
「……っ!!」
全くの手加減なしに背中を強打され、セリスは美しい顔を歪める。
可愛らしい容姿でありながらのマーガレットの行為に、人々は心を揺さぶられる。
「この女に絶望を味会わせた一人一人が、罰を与える権利がある」
マーガレットは再びパイプでセリスの肩を殴り、脇腹に蹴りこんだ。
「全ての人々の気が済むまでは死なせないように。死ぬのは最後よ」
衛兵に言い捨てると、もう一度セリスを蹴飛ばしたマーガレットはその場所を空けた。
「さあ、恨みを晴らす時が来た」
王女に先導され、小さな少年が小さな石を拾った。
「父さんを返せ!」
投げ付けられた礫をきっかけに、セリスは一人、終わらぬ暴力の的になった。
歯を食いしばり、決して声を上げず、涙を堪えた。どんなに痛くとも、自分には享受するしかないと、固くそう決めていたから。
強打の応酬かと思えば冷水を浴びせられ、固い靴底に踏みにじられたかと思えば鞭が飛んでくる。
全身打撲で、肋骨も2本は折れているだろう。足の筋もおかしい。顔は腫れ上がり瞼がほとんど開かず、体中の皮膚が熱を持ち、意識が朦朧としていた。
昼から始められたそれは、太陽が沈むと終了した。
牢屋に連れ戻され、何故か治療を受ける。薄いスープを飲まされると、マーガレットがやって来て言った。
「簡単には死なせはしない。発狂するまで苦しむがいい」
どこか遠くに聞こえたその声も、セリスは黙って受け止めた。当然の報いだと。
翌日は、怪我のせいでひどい熱だった。
勿論そんなことは関係ない。
ふらふらで足はもつれ、怪我もあって歩くことすらままならぬ状態で、再び昨日と同じ場所に引きずり出された。
意識を手放してしまえれば楽なのだろう。だが、彼女はそれを自分に許さなかった。
全身が燃えるように熱く痛覚すらも麻痺し、視界は掠れ罵倒される声が遠のいても、必死で自我を保たせていた。
絶対に「楽になりたい」などと思ってはならないと、幾度も自分を叱咤する。
発狂する資格すらないのだ。自分には。苦しまねばならないのだから。───それが自己満足に過ぎないとしても、被害者の望む罰を与えられることは、償いとは言えなくとも、彼等のために自分ができる最良だから。
夕暮れ前になると、ぽつりぽつりと小雨が降り始めた。
セリスを囲む人々は減ったものの、血の気の多い若者が残っている。与えられる暴力は減らない。
「かはっ……!」
嘔吐感に耐えきれず吐き出したものは、真っ赤な血飛沫だった。
「汚ねえなあ」
男がセリスを蹴り上げたその時……
† † †
「急いでくれよ。嫌な予感だすんだ」
厳しい表情で急かすロックに、
「わかってる! これでも最大速なんだ。飛ばされないように捕まってろ!」
セッツァーは振り返らずに怒鳴り返した。
先程ツェンの上空を過ぎた。薄い雨雲に覆われ始めた大陸の上を、危険を承知でかっ飛ばす。
「頼む。無事でいてくれ……!」
ロックには祈ることしかできない。
もし間に合わなかったら……数年前、レイチェルを失ったときの後悔が蘇り、焦燥感だけが募る。
セッツァー曰く、
「ダリルさえこんなスピードは出せなかっただろう」
程の早さで、飛空挺はマランダに到着した。
フィガロの大臣グレンシルがマランダを後にしてから既に1週間が過ぎている。
ロックは飛空挺から飛び出すと、マランダの城下町へ駆け込んだ。
とりあえず誰かに聞いてみようかと思ったのだが、降り始めた雨のせいか人気がなかった。
雨足は強まり夕立のようになりつつある。
額に貼り付いた髪をうざったそうにそれをかきあげ、町中を走っていると、広場に人影を見つけた。
幾人かが固まっている。穏やかでない空気。
渋い顔で近付くと、怒鳴り声が聞こえた。男が足を振る。
どくんと心臓が跳ねた。
歯を食いしばって駆け寄ると───
「セリス!」
血にまみれ体中を痣だらけにした女性が雨に打たれていた。短くなった金髪は泥にまみれくすみ、ぼろ布のようになった服を纏っている。俯いていて顔は見えない。だけど、セリスだった。間違えるはずがない。
突然叫んだロックを、男達が剣呑な表情で振り返った。
「何だぁ?」
横柄な態度でちんぴらのようにロックを見下す。だがロックは彼等を一瞥すると、
「どけ」
低い口調で命令した。
それまで身動き一つしなかったセリスが、ぴくりと身体を揺らす。少しだけ顔を上げ、驚愕の表情を浮かべたことに誰も気付かない。
遠かった意識が急激に覚醒したが、ロックがいることが信じられなくて、恐ろしくて、悲しくて、恥ずかしくて、頭の中が真っ白になった。
「見ねー顔だな。この女が誰か知ってんのか?」
目つきの悪い男がセリスの肩に足を掛け、ロックを睨んだ。
「その足をどけろ。ここから失せろ」
ロックは全く動じずにもう一度告げる。
「あぁ? お前もやられてーのか?」
眼鏡の中年が角材を振り上げたが、それより前に抜かれていたアルテマウェポンに、握り口ぎりぎりの所を一閃され、切り落とされたその切り口の鋭さに、
「う、うわぁっ」
男は思わず飛び退いた。
「どけ、と言ったんだ」
青白い輝きを放つ透明の片手剣を突き付けると、男達は青白い顔で後ずさった。見たこともないような剣は美しく禍々しい。
更に距離を空けさせるため、アルテマウェポンを一振りし、空いたその場所に、うずくまるセリスを庇うように立った。
「お、お前、そんなことしてマランダ全国民を敵に回すつもりか?」
眼鏡の中年が言った。ロックはすうっと目を細め、
「だったらどうした?」
静かに問い返す。それがどうしたというのだろう。何があろうと引く気はない。
男達はどうするかと目配せをし合っている。それらを無視し、ロックは居丈高に言った。
「マーガレット王女を呼んで来い」
「なっ……」
男達は顔色を変える。何様だと言うように。だが、
「その必要はないわ」
一つの声が割って入った。
「私はここにいる」
マーガレット王女本人だった。側近が隣で傘を差している。
「飛空艇が来たからどうしたかと思えば……何事?」
男達を見て、それからロックに目をやり表情を険しくした。
「あなた……?」
「久しぶりだな。俺が誰だかわかるな?」
「……リターナーのロック・コール……。何の真似? いくらあなたが命の恩人だとしても、事によっては……」
マーガレットの言葉を、ロックは遮った。
帝国に攻め入られる前にマーガレットを助け出したのはロックだ。
「それはこっちの台詞だ。こんなことで死者が悼まれるとでも思ってるのか?」
「その女はそれだけのことをしたわ。何故庇うの? その女のせいでどれだけの人が死んだと思っている? 正義感の強いあなたらしくない。籠絡された?」
マーガレットの言葉にロックは眉をひそめる。
「俺らしい? 馬鹿にすんなよ。俺はこんな残酷なことは絶対にしない。非人道的なのはどっちだ? 大体ケフカを倒したのは誰だと思ってるんだ?」
「何?」
「セリスがいたから散り散りになった俺達リターナーは集いケフカを倒せたんだぞ」
ロックの言葉にマーガレットはムッとした。
「だからこの女の罪が無くなると?」
「お前達のしていることは、帝国が、ケフカがしていたことと同じだ」
冷たいロックの言葉に、かあっとマーガレットの頬が朱に染まる。
「悪いがセリスは連れ帰らせてもらう」
「そんなことが罷り通るか……!」
マーガレットに付き従っていた兵士が剣を抜いた。
「通すさ。俺は一度決めたら引かない。二度と後悔できないんだ」
ロックも愛剣を構える。が、足首を掴まれてギョッとした。セリスだった。
「やめ、て……」
掠れた声で懇願する。
「彼等は何も……悪くない。当然の、こと、なの。私のことは……放って、おい、て……」
腫れ上がった顔の真っ青な唇から紡がれる悲痛な声。だけどそれを聞き入れるわけにはいかなかった。
「お前はもう充分苦しんだ。悪趣味な虐待をこれ以上続けさせることはできない」
眼前を見据えながらロックは宣言する。
「大事なものを守るためなら、俺は鬼にでもなるさ」
言い切ったロックに、セリスは涙を落とした。苦しかった。ただただ苦しかった。自分のためにロックが罪を背負うのが、耐えられなかった。
だがロックも自分からは仕掛けない。できれば人を傷付けたくなどないのだ。もしいざというときには、それを選択するとしても。
「ここで引かないと、フィガロとドマも敵に回すぞ」
ロックの脅しに、マーガレットは可憐な唇を歪めた。
「たかが女一人のために? はっ、馬鹿な……」
「嘘じゃあない」
広場の外から声がした。黒い外套を羽織った男、セッツァーだ。
ゆっくりと近付いてきたセッツァーは、ちらりとセリスを見やり、拳を握り締める。
「エドガーから書簡を預かっている」
丸い文箱を差し出すすと、側近に持たせていた傘をひったくったマーガレットはその書簡を受け取り、中身を取り出した。
正式な封のされた文箱から中身を取り出す。羊皮紙の書状に目を通していた彼女の顔色が憤怒の表情へと変化していく。
「何故!」
マーガレットは叫んだ。
「何故そこまでその女を守ろうとするの!?」
「命を奪う以外生きる道がなかったセリスは犠牲者だ。彼女に他にどんな選択肢があったと?」
皮肉っぽく言い返したロックに、マーガレットは涙を溜めて訴えた。
「だが帝国を裏切った。何故マランダを攻める前に……!」
「セリスがやらなきゃケフカがやってたかもな。ドマのように毒を使われ、生き残りすらいなかったかもしれん。その方が良かったと?」
冷たいセッツァーの言葉に、マーガレットは、がくり、水たまりに膝を着いた。
「王女……」
落ちた傘を広い、側近が彼女に傘を差し掛ける。
「もういい。……行け」
あっさりと言ったマーガレットに、周囲の者は驚愕する。
「私達にも選択肢はない。フィガロの援助なくして今のマランダは成り立たなく、それを諦めてもロックはどうあっても彼女を連れていくだろう。民に犠牲は出せない」
それを聞きながら、固く口元を引き結んだロックは鎖をアルテマウェポンで切り落とし、セリスをそっと抱き上げた。
ぐったりとして気を失っている。身体がひどく冷えているのに、額は熱い。一刻も早く治療しなければ危険な状態だった。
急いで飛空艇に戻り、再び全速力で空を駆けた。
■あとがき■
結構、痛い回になったかな? これが書きたかったんです。ロックがセリスを助けに行く所。衝撃的に書きたかったけど、力量不足でした。書いていると頭に思い浮かべているシーンそのままにはなりません。前後の繋がりなんかのせいもあるけど、ビジュアル的なイメージを文にするのは本当に難しいです。そんな弱音吐いてる場合じゃないけど。
次回、最終回の予定……だけど、終わるかしら? (03.10.17)
文章修正・補正を行いました。 (06.6.14、07.5.15)
人は誰も幸せを求めている。
楽しい、嬉しいと思う瞬間、満たされる時───様々な幸せを求めている。
自覚の有無に関わらず、幸せな時が存在するから生きていることができる。
その存在を人は“希望”と呼ぶ。
希望とは必ず存在するものではない。それだけは確かだ。
希望を見いだせるか否かは、「決して諦めないこと」で変わる。
結果如何に関わらず、諦めない限り希望の火は消えない。
「生きる理由」 ─── 放浪の賢者 ラシーン
† † †
高熱でありながら弱々しい呼吸と脈。
腫れ上がった体中は土色に変色し、苦しそうに顔を歪めている。
「くそっ、保ってくれ……!」
瀕死のセリスを前に、ロックは何もできることがなかった。
怪我の応急手当はした。しかしそれ以上に何ができるというのだろう。魔力が失われていなければ癒しの魔法を使ったが、それは叶わない話だ。
変わり果てた彼女の姿は余りに痛々しい。
もし自分がレイチェルを生き返らせるなどという選択をしなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。過去に対する仮定は無意味だけれど……。
「すぐアルブルグに着くからな」
知り合いの医者を頼るつもりだった。意識のない彼女には届かぬ言葉だろうか、手を握り必死に励ました。
それぐらいしかできない自分の無力さが、ひどく恨めしかった。
† † †
薄汚れた牢屋に横たわっていた。
全身が重く、感覚が失われていた。頭も痛み目は霞む。呼吸すらひどく面倒だった。
それでも何とか上半身を起こそうとして、違和感を覚える。
腕を動かしているはずなのに……? 何も怒らない。
それもそのはず。肩から先はなかったのだから。
「ひっ……!」
己の有様に思わず息を飲む。
身体を縮こめるようにすると膝が床にすれた。足は無事らしいと首を折ると、ホッとしたのも束の間。足首から先が切り落とされていた。
「あぁ……」
セリスは声にならない声を漏らした。
これが自分の受けた罰なのだと、漠然と感じた。多くの人間を斬った。腕を失い、足を失い、絶望して死んでいった人間が何人もいたはずだ。
涙を堪えると、突然目の前の格子が鏡に変わっていた。
そこに映し出される己の姿の惨めさよ……。人にしたことがそのまま返ってきたのだと思う。
手当も何もしていない傷口は、切り落とされて久しいのか血が流れ続けている。
痛くないのは救いと言えるのか……。血の海に沈む不気味な己の姿。
鏡に映るそれを絶望の淵で眺めていて、あることに気付いた。鏡越しに壁際に立っている足が後方にある。見覚えのあるブーツ。
セリスが気付いたからか、その場所が不意に明るくなった。
近付いてきた彼は、憐れむような視線をセリスに向けていた。
「見ないで……」
やっとのことで声を絞り出した。これが自分のしてきたことの、背負った罪の結果だとしても、彼にだけは見られたくなかった。
「見ないで」
もう一度懇願して顔を動かそうとしてギョッとする。
鏡に映る自分は、腐敗し、崩れ行く死体だった。
突然、覚醒した意識に目を開けると、光が飛び込んできた。
眩しさに目を細めると、
「気が付いたんだな!」
懐かしい声がした。
「よかった……」
優しい声に髪を撫でられ、ぼんやりとそちらを見る。潤んでいるためか輝いて見える深い濃紺の瞳が、自分を見下ろしていた。巻かれた青いバンダナがなくともすぐに誰かわかる。ロックだ。
「…………」
私……そう言おうとして口を開いたが声にならなかった。
「半年も眠ってたんだ。怪我は完治したけど意識が戻らなくて……お前が目覚めなかったら……」
うっすらと涙を浮かべるロックに、セリスは首を傾げた。
一体どうして自分が半年も眠っていたのかわからない。
「みんなに知らせてくる」
ロックは嬉しそうに部屋を出て行った。
一人になって落ち着くと、少しずつ記憶が蘇る。
自分はマランダにいたはずだ。そして望んで罰を受けていた。そこに突然ロックが現れたのだった。記憶は途中で途切れているが、ロックが連れ出したのだろう。
繰り返し見て脳裏に焼き付いた夢を思い出し、
「無意味なことを……」
呟いたつもりだったが、やはり声にはならなかった。
しばらくすると、エドガー、マッシュと白衣の男を連れたロックが戻ってきた。
「気分はどうだい?」
エドガーは朗らかに言ったが、セリスは無表情で何も答えない。気分などいいはずがない。
「まあ目覚めたばかりだ」
そう言った白衣の男が前に出てきて、セリスの腕を取った。セリスは他人事のようにそれを見ている。
「口を開けて」
きっと医者なのだろう。セリスが言われたとおりにすると、男は目を凝らして口の中を覗き、それから指で目をこじあけると、
「異常ナシだな。体力が落ちているからしばらくは安静に」
そう言って部屋を出て行った。
「スープぐらいなら食べられるかな?」
エドガーの言葉にセリスは首を傾げた。どうだろう? 多分、空腹なのだろうが麻痺していてわからない。
「とりあえず作らせよう」
エドガーは苦笑いし、
「皆、心配してたから連絡してやらないとな」
マッシュもそう言って二人並んで部屋を出ていった。
一人残ったロックは心配そうに、
「どこか気分とか悪くないか?」
目覚めてから一言もしゃべらないセリスを覗き込んだ。
「………………」
どうして助けたりしたの? そう尋ねたいのに、口をぱくぱくさせるだけで声にならない。
その様子を見ていたロックは、訝しげに問うた。
「まさか、声が出ないのか?」
どうやらそのようだ。長く声を出していないせいかもしれないが、世界崩壊後1年眠っていた時は大丈夫だった。
少し首を傾げていたセリスだが結局頷くと、ロックは顔色を変えて飛び出して行った。
再びセリスを診察した白衣の男は、
「どこも悪い所は見受けられない。おそらく精神的なものだろう」
そう言った。
「癒される時がきたら、きっと声は戻る」
虚しさに沈みそうになりながらその言葉を聞いていたセリスは、そんな時は来ないと考えていた。
そのまま眠気に襲われ、再び悪夢に落ちていく。
悪夢はセリスが己に課した罰だった。
許される日などこないのだ。セリスがそう決めたのだから。
† † †
一週間は眠っている時間の方が多かったが、10日程経つと、昼間の間は目覚めていられるようになった。
セリスには不思議に思っていることがある。
目覚めるといつもロックが傍らにいる。セリスがにこりともしなくても穏やかに微笑む。一体レイチェルはどうしたのだろうか。もしかしたらセリスのせいで、情け深いロックをレイチェルから奪ってしまったのだとしたら……そう考えるとたまらなくなる。
ある日、ロックが食事に行くと、代わりにやって来たエドガーは白い墨石と黒板を持っていた。
「何も伝えられないと不便だろう。遅くなってすまないな」
そう言って便利なものを渡されたのは、えらくタイミングが良かったと言える。
ロック本人は嘘を言う可能性があるから、エドガーに尋ねたかったのだ。「ロックに惚れるな」と忠告してくれたこともあるぐらいだ。公正な彼は正直に答えてくれるだろう。
“レイチェルさんは?”
一番最初に書いた言葉がそんな質問で、エドガーは苦い笑みをこぼした。
「私もロックから聞いただけだが、亡くなったそうだよ」
普通に言われ、セリスはギョッとする。死んだ!? ではロックは同じ苦しみを再び味わったのか……。
だが次に聞かされた言葉に、更にセリスは驚いた。
「初めから1年の期限しかなかったそうだ」
「…………!」
「二人ともそれを承諾した上で、1年過ごすことを決めたそうだよ。レイチェルの望みだったらしい」
なんていうことだろう。再び死ぬとわかっていて、ロックはどんな思いだったのだろう。
「君は何も負い目を持たなくていいということだ」
エドガーはそう言ったが、セリスは黙って俯いた。
「嬉しくないのかい? ロックが傍にいてくれるというのに。君はロックが好きなのかと思っていたよ」
意外そうに眉をつり上げたエドガーを、セリスは睨み付けた。それら諦めがちな溜息を盛大に吐き出し、
“彼は憐れな私を放っておけないだけだ”
そう書いて見せた。エドガーは顔をしかめ、
「確かに奴はそういうところがある。だけど誰でもじゃあない。例えティナでも、どこにも行かず傍にいたりはしないよ」
セリスに言い聞かせた。
(私がより可哀想だと思ってるんでしょ)
心の中で呟いたことを伝えたかったが、やめた。セリスが自分を憐れんでいるなどと思われたくなかったからだ。
不満そうな顔のセリスに、エドガーは溜息混じりに言った。
「黙って一人で姿を消したりはするな。私達がどれだけ心配するか……。マランダの国民の大切な人を奪ったと思っているのなら、私達だって君がいなくなれば大切な人を失ったと心を痛めるとわかってほしい」
セリスは素直に頷いた。仲間に迷惑をかけるつもりはなかったから。
それでもいつまでもフィガロ城に世話になるわけにはいかない。これからどうすればいいか、考えなければならなかった。
† † †
「俺さ……」
誰もが寝静まった夜更け、エドガー、カイエン、マッシュと酒を酌み交わしながらロックは言った。
「セリスには二度と会わないつもりだったんだ、本当は」
「レイチェルを選んだからか?」
マッシュが尋ねると、ロックは小さく頷く。
「過去に縛られたままで、資格がないとかそんなことばっかり考えてた。だけどさ、今は違うんだ。絶対的に言えるのは、取り返しがつかないから過去なんだ。やり直しはきかないし、時間は戻らない。それなのに『あの時どうして』って思うのって、未来を削ってるよな。後悔に囚われると、未来どころか現在も見失う。それに気付けなかったから、レイチェルもセリスも傷付けちまった」
そこで言葉を句切り、グラスの中の琥珀色の液体を煽ると続けた。
「後悔するのはやめたんだ。過去を取り戻そうとすることも。今、俺ができることをしたい」
「で、具体的には?」
わかっているんだろうが、敢えてエドガーが尋ねた。
「ああ、セリスが望む望まないにしろ、傍にいてやりたい。いてやりたいっておかしいな。俺が傍にいたいんだから。……彼女を納得させんのは、大変だろうけどな」
ロックは照れたようにはにかんだ。
「最初はセリスを憎いと思った拙者ですら、今は彼女に幸せになってほしいと思うでござる。生まれてから幸せを知らずに生きてきたなど……悲しすぎるでござるよ」
しみじみと言ったカイエンの言葉は、ロックにとっては自分のことのように嬉しかった。
■あとがき■
やはり1話では無理でした。長すぎるので2話に分けます。でも連日アップです(明日は残業当番の日なので、余りに遅く帰ったらⅵは土曜日のアップになります)。
悪夢は少しマシュマロと重なるかと思ったけどね。許してください。
ところでⅳのサブタイトルって内容と合ってない気がしたので変更しました。(「赦しの時」だったんだけど、微塵も赦された時じゃない……)
毎回付けている序章っぽい文も、ネタが尽きそうです。ああいう哲学的?な文とか好きなんだけどね。理屈っぽいから。
セリスが口が利けなくなるのは気に入ってるけど不便です。書いている私も不便です。ええ。 (03.10.23)
文章修正・補正を行いました。 (06.6.14、07.5.15)
未来は決して閉ざされはしない。
未来とは時間軸で先のことを指し、例えこの世界が壊れようとも、時間は流れ続けるからだ。
しかしそれはヒトにとっての救いにはならない。
自分の未来が開けているかどうかは、誰にもわからないからだ。
せめて開かれるよう努力することしか、矮小な人間にはできない。それが悲しくとも事実だ。
世の中に絶対と永遠はない。
「開かれた未来」 放浪の賢者 ラシーン
† † †
エドガーから渡された黒板のお陰で、意思伝達が可能になってから一週間が過ぎていた。
その間、セリスはずっと考えていた。───これからどうするか、を。
彼等を納得させなければフィガロ城から出ることすらできないだろう。探すなと書き置きして去ったところで、彼等は心を痛め探すに決まっている。
セリスが本当に目的を持てばいいのだろうが、そんなの思いつくわけがない。もう少し元気になれば「旅に出て一人で考えたい。必ず連絡する」とでも言えば解放してもらえるだろうか。
(私は自由になりたいのか……?)
何かが違う気がした。仲間の好意は正直鬱陶しいけれど、何一つ持たなくなったらまたマランダに行ってしまうかもしれない。
自ら命を絶てないとしても、殺されたいなどと願って。しかしそれは既に贖罪ではない。勿論、元々セリスのためのものであり、本当にマランダの人のためになるかどうかより、彼女の自己満足であったのだけれど。
(逃げたいだけだ───)
セリスは溜息をついた。
その時、丁度ロックが部屋に入ってきて、
「どした?」
尋ねてくる。セリスは力無く首を横に振った。ロックにも「もう放っておいてくれ」と言いたい。だけど、どう説明すればわかってもらえるだろう? 口で訴えられないというのは圧倒的に不利だ。
“トレジャーハンティングには行かないの?”
書いて見せると、ロックはきょとんとしてから苦笑いを浮かべた。
「行きたかったら行くさ。今はお前の傍にいたいんだ」
「──────」
セリスはその言葉の「今は」にホッとし、同時に残念に思った。とりあえず、ずっとついているつもりはないらしいなどと、勝手な解釈をする。
そのうち完全に元気になれば彼の気も済むだろう。それまで我慢すればいい。決して甘えぬように。心惹かれぬように。レイチェルさんに二度も死なれてしまった彼の贖罪なのだろう。もう代わりですらない。同情という彼の自己満足だと蔑んでおけばいいのだ。今はそんな風にしか考えられない。
「散歩に行くか?」
ロックの問いに、セリスは小さく頷いた。
短い散歩は日課になっている。必ずロックはついて来て、セリスが例え相づち一つ打たなくとも何か話している。
それを迷惑だとは思わない。気が紛れるのは確かだ。だが、優しくされることが恐くて、罪悪感がある。「優しくするな」と言ったところで彼はきかないだろう。文字で書いて説得するのは不可能と思われる。
セリスが話せないのは心の傷のせいで、だから情緒不安定だろうと考えているに違いない。だから彼女が冷たい態度をとろうと仕方ないと思っている、とセリスは考えていた。
ただ、ロックはどういうつもりなのかを口に出さない。昔からそういうところがあった。「守る!」とかは主張するくせに、セリスが知りたいことは言わないのだ。
セリスがそれを聞くのは、余りに自意識過剰な気がして───。オペラ座で、何故助けたのか尋ねたのは愚かだったのだ。もし口がきけたら、この前目覚めた時も同じ事を尋ねたかもしれない。話せないというのは不便だが、余計なことを言わないで済む。
ロックが部屋の外に出ると、ラフな格好(誰が用意したのか知らないが青い縁取りのある白のローブ)に着替える。
扉を開けると待っていたロックと歩き出した。いつも思うが変な感じだ。が、ロックのことは看護士のように考えることにしている。
ちなみに、セリスが部屋に戻りたい時は、ロックの肩を3回叩くことになっている。
「今日もいい天気なのはいいけど、水不足になりそうだよな」
ロックは困ったように呟く。城が地下へ戻るという仕組み上、井戸は城から離れた場所にしかない。まとめて汲み上げ貯水庫に入れてある。
砂漠の見晴らせる渡り廊下で止まったロックは、分厚い石壁の手すりに凭れ、
「あのさ、もしかして、俺のこと、迷惑とか思ってるか?」
横目でセリスを窺う。
セリスは首を傾げてから、頷いた。迷惑というよりはお節介だと感じている。しかしこの場合は同じことだろう。詳しく表現できないから仕方ない。
ロックは唇を歪め、
「どうしても嫌か?」
そう尋ねるから、セリスは首を横に振った。
彼がいることに慣れてしまいたくないのだが、泣き叫んで嫌だと叫ぶような問題ではない。心苦しいだけだ。
「……俺的には譲れないんだ。後悔しないためには、我慢しねーことだって気付いたから」
「?」
意味が分からずに眉根を寄せたセリスはロックを見た。
「同情とかしてないぜ? 最初からしてない。可哀想なだけな奴ならたくさんいる。俺が、お前の傍にいたいんだ」
なんでもないことのように言うロックに対し、セリスは呆気にとられていた。何を言ってるのか理解できない。
「正直言えば、お前に会う資格なんてねーと思ってた。だけど自分でそんな制限課すのって意味ねーよな。俺が本当に望んでるのは、お前といることだったし、1年だけだって言い聞かせて自分に嘘ついてたけど……レイチェルは最初から分かってたみたいだ。俺の愚かな選択で、レイチェルもお前も傷付けちまったけど、それでも……お前の傍にいたい」
何故そんなことを言うのだろう? 心が震え、セリスは今すぐ逃げ出してしまいだくなる。
「お前は俺を不実だと詰るか?」
その問いには首を横に振った。初めからわかっていたことだからと。
「自分のせいだと、その事実を許せずに、レイチェルを生き返らせたいと願った。その時点で俺は間違っていたんだ。同じ想いをしたくない。だから、俺は、ずっとお前の傍にいられる努力をするよ」
この人は本気で言っているのだろうか? 心が覗けたらいいのに、と、セリスはロックの顔をまじまじと見た。
「……信じられないって顔してんな。それでもいい。傍にいることさえ許されんなら、時間かけて信じてもらうさ」
ロックはそう豪語している。どうやら本気らしい。声が出ないとわかっていたが、
「なぜ?」
そう口をかたどった。どうやら伝わったらしく、
「なんでかって? 理由聞かれてもなあ。お前が好きだからとしか言い様がねーよ」
困ったように頭をかいたロックを前に、セリスは目を大きく見開いてから、かあっと耳まで真っ赤に染める。
「つーか、驚くとこなのか? 今の話の流れにそれ以外の理由なんてねーだろ。可愛いからいいけど」
彼が付け加えた言葉に、セリスはますます恥ずかしくなる。そんな可能性は微塵も思い浮かばなかったし、考えること自体否定していた。自意識過剰になるのも、期待するのも嫌だったから。
「とりあえずさ、俺は、傍にいてもいいか?」
少し気弱そうに尋ねられ、セリスは答えに困窮する。
ロックといるのは心地いい。そんなことずっと前からわかりきっていたことだ。だけど自分はそれに甘えてしまっていいのだろうか。幸せになる可能性へ向かって進むことが許されるのだろうか。
考え込んでしまったセリスを見て、ロックは困ったように笑う。
「俺が嫌で悩んでるのか?」
伸ばされた手に優しく頭を撫でられ、セリスは首を横に振った。
きっと自分は、誰かに幸せになってもいいと言ってもらいたいのだ。背中を押して欲しいのだ。
「俺と、いたくないか?」
それにも首を横に振った。もう自分に嘘をつくことは無意味だとわかっていた。
「俺が……好きか?」
率直に聞かれ、セリスはキョトンとした後、再び顔を赤くした。それでも小さく首肯する。
ロックは零れる笑みを堪えきれず、両腕でセリスを抱き寄せた。
「お前は充分苦しんだよ。自分の幸せに抵抗があるのは罪悪感だろう? まだ償い足りないなら、罪悪感を抱き続けなきゃならないことを罰と思えよ。俺も罪悪感一つ覚えないような奴だったら好きにならなかっただろうし。お前の心を少しでも軽くしてやる努力をし続けるけどな。勿論、それも俺の自己満足ってことになるけど」
彼の腕の中でそれを聞きながら、セリスは涙を溢れさせ何度も頷く。
罪悪感は消えない罪の証だ。それがある限り翳り一つない幸せは得られないだろう。それが罰。軽いようで、その実苦しいものだ。
「お前の罪はお前のもので、俺は背負えない。俺の罪が俺だけのものであるのと同じようにな。だけど、少しでも多く幸せだと感じられるようにしてやりたいと思ってるよ。俺も、少しでも幸せであれるように」
セリスは声にならない声で嗚咽をもらし、必死に頷く。優しく背を撫でてくれる手が切なくて、彼にしがみついて名を呼ぼうとした。
「……っ」
彼の名を呼びたいのに、音にならない。愛しいその名を口にしたいのに、伝わらない。
ただ無我夢中で、彼の名を叫び続けていた。
その姿が切なくて、「無理しなくていい」ロックが言おうとした時だった。
「ロッ……ク……」
音にならないはずだった言葉が、彼女の震える唇からもれ、ロックは大きく目を見開いた。
「ロック……!」
彼女は自分で声になっていることに気付かずに、ロックの名を呼び続ける。
「セリス……、声が……!」
呆気にとられているロックに言われ、べそべそしていたセリスは涙を拭いながら、
「え?」
声を上げた。
「俺の……名前、呼んだ、よな」
「……ほんと、だ」
自分でもびっくりした拍子に涙も止まったセリスは、なんだかおかしくなってしまった。泣き腫らした顔で真っ赤な目を細めて笑い出す。
「よかった……」
心底安堵してそう呟いたロックを見つめ、
「私、幸せになりたいと思ってもいいの?」
上目遣いに尋ねた。
「幸せを望む資格のない人間なんていないよ。幸せを望むから人は皆生きることができる。幸せと感じる瞬間を得るために、生き続ける」
「そう……かもしれない」
セリスは自信なさ気に呟き、続けた。
「あの、ありがとう」
「ん?」
「助けに来てくれたから……」
あの時はそれを望んでいなかったけど、今は感謝できた。
「何度も夢を見てさ。お前が大勢の人に痛めつけられる夢。……レイチェルに、最期にお前と幸せになれって背中押されちまった。夢も、レイチェルが見せてくれたのかもしんねー」
「レイチェルさんは、すごい人ね。素敵な人」
セリスは寂しそうに呟く。同じ人を愛した女性。ロックに、愛された女性。
「でも、結局あいつの気持ちを弄んじまった。俺は自分の気持ち押し殺してさ。馬鹿なことしたかもしんねーけど、1年だけしかなかったから、せめて……そう思ったんだ」
「私も……マランダでしたことは自己満足でしかなかった。本当はわかっていたの。でも……」
「もういいさ。な?」
腕の中のセリスを見てにっこり笑いかけると、ロックは彼女の背に回していた腕を外し、細い顎を持ち上げた。
「余計なこと考えず、これからは、俺のことだけ見てろよ」
そう囁いて、唇を重ねる。
セリスにとって生まれて初めての口づけは、涙が出るほど甘く、淀んで固まっていた心を溶かしてくれるような、優しいものだった。
たまたまそれを見かけてしまったフィガロの若き王は言った。
「二人の世界を作っているが、ここは私の城で、思いっきり皆、見てるんだけどな……」
まあ、うまくいったのならいいか。
心配の種が一つ減って、ホッとしたのであった。
・ fin ・
■あとがき■
瑠璃さん、お待たせいたしました。無事、完結です。
なんだかちゃんとリクに答えられているのかどうか微妙です。確かに「もしレイチェルが生き返ったら」だけど……。いつか違うver.も書いてみたいと思ってます。いつになるかは不明ですけどね。
やっぱり残業で、帰ってきたのは11時過ぎだったため、現在1:09。でもどうしても金曜日の日付でアップしたいので、許してください。寝て起きるまでは今日、ということで。(いつもは12時過ぎると日付変えて書きますが……)
セリスが声を取り戻すのは何年か後にするつもりでした。だけど、どういったきっかけにするかとかが難しすぎて断念。セリスが「声を出したい」と思った時が一番いいと思い、こうなりました。
後悔をやめたロックは結構気に入ってます。セリスの罪を背負えないと言ったところも(いつも書くのは一緒に背負うって言うタイプなんですけどね)。物事の取り方は色々あるけど、結局、ロックはロックです。はい。
ということで、TIME6話を、瑠璃さんに捧げたいと思います。難しい題材ということで後回しにしようとしていた私にいい機会を作ってくれました。リク、本当にありがとうございました。リクされなかったら書かずに終わっていたかもしれません。怪我は不便でしょうが、足、お大事にしてくださいね。 (03.10.24)
文章修正・補正を行いました。 (06.6.14、07.5.15)
【この頁で使用させて頂いた素材サイト様】 ClipArt:空中庭園
カナリア | マランダ出身。贖罪を望むセリスが世話になる老婆。戦争で家族を亡くした。 |
マーガレット | マランダ出身。剣も使えるマランダの王女であり唯一の生き残り。ロックの手助けで落ち延びた。 |
グレンシル | フィガロ出身。フィガロの外務大臣。(他の登場小説「passion」) |
ラシーン | 1000年以上前の賢者。『未来を見つめよ』『未来の選択』『罪の贖い』『後悔の行方』『生きる理由』 『開かれた未来』などの著書が有名。『精霊の書』『幻獣の書』『妖魔の書』等も書いていると言われているが、『幻獣の書』『妖魔の書』は見つかっていない。(他の登場小説「一角獣の見る夢」) |
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